処変わってここは学園の生徒会室。
もうすっかり日も落ち、クラブ活動で残っていた生徒たちも
ほとんどが下校したというのにここだけはまだ煌々と明かりが
ついていた。そこへ生徒会長であるブライト・ノアが乱暴に扉を
開けて入ってきた。
ブライト「まったくもう!」
えらく不機嫌で持っていた書類を机に叩きつける。例のガルマと
アルテイシアの週刊誌記事の件で教頭のリードから呼び出しを
受けていたのである。
ミライ「おかえりなさい。ずいぶんかかったのね」
ブライト「あ、ミライ…。待っていてくれたのか…す、すまない」
ミライ「会長が大変な時に副会長が知らん振りしてるわけにいかない
ものね。で、教頭先生、なんですって?」
ブライト「ああ、とにかく至急事実を確かめろ、だとさ。ダイクン家と
ザビ家から管理不行き届きの責任を問われるんじゃないかって連中大慌
てなのさ。まったく、事実がどうであれ、こんなこと本人たちの問題
じゃないか、どうして他人がっ!」
ミライ「まぁ国家の首相と副首相の子息ともなるとねぇ」
ブライト「だから特権階級なんてもんは、気に入らん!」
上流階級の子弟ばかりが通うこの学園でめずらしくブライトはリベラルな
思考を持った人間だった。ゆえに人望も厚く生徒会長に推されたのだ。
ミライ「いらいらしないで、ブライト。私もアルテイシアに事情を聞い
てみるから」
「その必要はないな」
そう言って入ってきたのはなんとキャスバル・レム・ダイクン。
突然の意外な訪問者にブライトとミライは思わず絶句する。
シャア「突然すまない。立ち聞きするつもりはなかったんだが、
ドアをノックしようとしたら話が妹のことのようだったのでな。思わず聞
いてしまった」
ブライト「い、いえ…。しかし必要ないとおっしゃるのは?」
シャア「あぁ、早速実家から連絡が入ってね。この週末はガルマとアルテ
イシアと3人で帰省せよとの命令だ。従って学園に事情を問い合わせる
ようなこと無いから安心するがいいと教頭に伝えておいてくれたまえ」
シャアはおかしそうにブライトにそう言うと、ミライに向き直った。
「それで、妹を探しているんだが…。まだ寮にも戻っていないようだし、
クラブで残っていのかと思って学園まで来たのだが…」
音楽室にはもう誰もいなかった。生徒会室の明かりがついているのを見て
妹の親友が生徒会役員であることを思い出し寄ってみたのだ。
「あ、あの、アルテイシアなら、放課後外出して…それから姿を見てませんけど…」
シャアに見つめられてぽ〜っとなったミライがつまりながら言う。
週刊誌の件で教室を飛び出したセイラをミライは追いかけたが「大丈夫、ちょっと
気分転換に外でショッピングでもしてくるから。クラブ休むってマチルダ先生に
伝えておいてくれる?」と言ったセイラに安心してそのまま別れたのだ。
ミライ「こんな時間になっても戻ってないなんて…。週刊誌の件でクラスメイトに
騒がれてたからアルテイシア、帰り辛いのかしら」
シャア「…いや、ありがとう。もう少し待ってみることにしよう」
そう言って軽く手を上げると、シャアは生徒会室を後にした。

これまでの二人の関係からみて、あの週刊誌は100%捏造されたものだろうとシャアは
確信していた。そんなガセ記事に妹が傷つけられるのは許しがたい事だが、かと言って
超有名人の父を持った宿命、生まれた時からマスコミに追い回されるのには慣れている。
今更この程度でアルテイシアが家出するとも思えなかった。
「しかしアルテイシアも年頃だからな…。恋愛について記事にされたのではショックを
受けているかもしれん」
特に最近アルテイシアの様子がおかしい事を考え合わせると少し不安になってくる。
考えつつ学園から寮に向かって歩いていると、前からセーラー服の少女が歩いて来るのが
見えた。
シャア「アルテイシア!」
セイラ「!」
呼ばれて顔をあげたセイラは、シャアをみとめると駆け寄って兄の胸に飛び込んだ。
そのまま顔を埋め声を押し殺したまま泣き出す。
シャア「ど、どうしたのだ!?アルテイシア!」
セイラ「兄さん…」
セイラの声は声にならない。時折しゃくりあげる妹のプラチナにけぶる金髪をあごの
下に見下ろしながらシャアはうろたえた。
シャア「一体何があったのだ、兄さんに話してごらん」
ひとしきり泣き終えて少し冷静になったらしいセイラに、屈んで目線を合わせるように
してシャアは優しく話しかける。
セイラ「ごめんなさい」甲で涙をぬぐいながらセイラは恥ずかしそうに兄を見た。
セイラ「なんでもないの。ただ、人間の気持ちってなんてやっかいなんだろう、って。
相手のことだけじゃなくて、自分の気持ちすら自由にならないなんて、って」
シャア「………」
セイラ「わたし、もうクラブやめる。音楽やめる」
唐突に話題が変わったことにシャアは驚いたが、問わないことにした。一体何があった
のか…今はまだ、聞いても話してくれる段階ではないだろう。
シャア「そうか。アルテイシアの思うとおりにしたらいい」
セイラ「ありがとう、キャスバル兄さん」
セイラは自分にとって兄こそが自分のすべてを受け入れてくれる唯一の存在なのだと、
その存在に改めて感謝した。
女子寮の門の前まで二人で歩き、別れ際にシャアは思い立ったように言った。
シャア「アルテイシア、今度の週末ロンデニオンに行かないか。友人が別荘をいつでも
好きに使っていいと言ってくれている」
セイラ「ロンデニオン!ええ、行きたいわ、私一度行ってみたかったの。じゃ、お休み
なさい、兄さん」
ロンデニオンはサイド1にある自然色豊かなコロニーである。心を癒すにはぴったりの
場所だった。妹の嬉しそうな顔を思い出しながらここはひとつガルマに犠牲になって
もらうしかない…と計略をめぐらすシャアだった。

ガルマ「は、謀ったな!キャスバル!!」
週末、学園の前まで迎えにきた車の前でガルマは叫んでいた。
ガルマ「君もアルテイシアも一緒だって言ったじゃないかーーーー!
私一人で帰るのか!?私一人で君の父上や、私の父上、兄上、姉上に説教を
食らうのか!??」
シャア「すまないな、ガルマ。アルテイシアは具合が悪いのだ。ズム・シティの
家まで車に乗せるのに忍びない。悪いが君からよろしく伝えておいてくれ」
ガルマ「よろしくって…。ふん、大体今回の帰省命令の目的は分かりきっている。
これ幸いとばかりに私とアルテイシアの婚約話に持ち込もうというのさ」
シャア「君のお父上は昔からこの話を進めたがっていたからな。ガルマはどうする
つもりだ?」
ガルマ「未来のことはともかく、今はまだ婚約だの結婚だのに縛られたくはないな。
もちろんアルテイシアは私の将来の妻として申し分のない女性だけどね」
シャア「それに今君が婚約などということになったら、サイド中の女性を政権の敵に
廻すことになる」
ガルマ「ふふ、そうだな、父上たちにはその辺をよく理解して頂くとしよう。
じゃ、行ってくるよ、キャスバル。アルテイシアにはお大事にと伝えてくれ」
シャア「ああ。頼んだぞ、ガルマ」
こうしてガルマは機嫌よくズム・シティまで帰って行った。


ロンデニオンへの移動中、ずっとセイラは話しつづけている。
「馬で遠乗りしたいわね、兄さん」
「ああそうだな、友人はいい馬を持っているといっていた」
「そうそう、向こうでは私が料理をつくるわね。またレパートリー増えたのよ。
兄さんは何が食べたい?」
シャアはいつもになく明るく振舞う妹に不信感を抱く。あの日彼女に何があった
のだろう。
あの男のことだろうと察しがつくがそう考えるだけで不快感がつのる。
妹は自分だけには何でも包み隠さず話して欲しい。
親とはほとんど会えなかった幼い頃から二人でそうやって生きてきた。
今夜二人になった時に悩みを聞き出そうとシャアは決意する。
「・・・そうだな、かつカレーがいいな」
「和食ね。作った事ないけど挑戦してみるわ。レシピを検索しないと」
再び機関銃のごとく話し出すセイラを見つめながら彼は小さく息を吐いた。

「アルテイシア、また料理の腕を上げたな。本当に美味しかったよ」
食後のお茶を飲みながらシャアは言った。
「誉めすぎよ。ちょっと失敗しちゃったもの。今度はもっと美味しく作ってみせるわ」
セイラは少し頬を膨らませながら答える。
「そうそう、レシピの検索をしていたら見たこともない料理をみつけたの。
『そばめし』って言うのだけど、美味しそうだったわ。明日のお昼にでも作ろうと思うの。
なんとヌードルとライスが一緒に炒めてあるのだけど・・・」
「この前何があった?」
「え?」
突然真剣な様子の兄に驚き、セイラは聞き返す。
「アルテイシアが泣いた日だ。あれから様子がおかしいぞ」
「そうかしら?私はいつもと同じよ」
兄の真剣な眼差しから避けるように横を向きながらセイラは答えた。
しかしシャアは歩みより、セイラの肩を両手でつかんで彼の正面に向かせて
目を覗き込む。
「つらい事があったのか?」
兄の心配そうな声と掴まれた肩から伝わる体温を感じふいにセイラは涙がこぼれそうになる。
また先輩と会ったなんて言える訳ないじゃない。
それに自分でも未だに信じられない、先輩のことが好きだなんて。そして弄ばれてたなんて。
セイラは兄にすがり付いて何もかも話してしまいたい衝動に駆られながらも必死にこらえて答える。
「ないわ。あの時は自己嫌悪に陥って情けなくなったの。自分はまだまだ子供なんだなって」
嘘は言っていないはずだ。
「本当に?」
「ええ。心配かけてごめんなさい」
シャアはセイラを抱きしめた。
「あまり兄さんに心配かけさせないでくれ」
「わかったわ」
もう二度と兄に心配かけまい、とセイラは彼の胸に顔を埋めながら思った。
そのときふと頭をもたげたもうひとつの懸念。
「ララァさん・・・って言ったかしら。あの人は兄さんの何なの?」
「・・・彼女は私が今ひそかに進行しているプロジェクトの最重要人物なのだ」
「恋人なの?」
「・・・違う。いわば同志といったところかな」
詳しくは話してくれないのね。でもそれは自分も同じだ。
兄には話せない。セイラは身体を離して言う。
「・・・明日は早起きして遠乗りにいきましょう。もう寝るわ」

部屋を出て行くセイラの背中を見送ったあと、
シャアはソファに力なく座り込んだ。
もう子供じゃないのだな。全てを話してくれなかった。
お互い様だと自分に言い聞かせようとしたが、
この胸に広がるなんともいえない寂しさを拭い去る事は難しそうだった。

・・・眠れない。当たり前だわ。まだ8時だもの。
明日は早起きだとは言えあまりにも早く部屋を退出しすぎた。
セイラは寝間着に上着をはおり寝室のバルコニーに出た。
秋のひんやりとした風が心地よく吹きつけ、風呂上りの身体を
冷ましてくれる。(コロニーに季節があるかわからん)
ぼんやりと目の前に広がる木々を見つめていると、
隣の部屋のバルコニーに、シャアが出てきた。

「なんだ。まだ寝ていなかったのか?」
「兄さんこそ」
「いくらなんでも早すぎる。ジャグジーに入ってきたんだ。気持ちよかったぞ」
なるほど風呂上りらしい彼は髪の毛がぬれており、バスローブを羽織っている。
柵越しに見慣れない兄のそんな姿に戸惑ったのを隠すようにセイラは答える。
「そんな格好じゃ風邪引くわよ」
「そうだな。アルテイシア、眠れないならこちらにこないか、
せっかくの兄妹水入らずの夜なんだ」

セイラは廊下を廻って兄の部屋のドアをノックする。
「どうぞ」
返事を待ってドアを開けるともう兄は部屋着に着替えていた。
シャアは妹をソファに座らせると、グラスを差し出す。
黄金色に光る液体に大きく削りだした氷が浮かんでいる。
「今日ぐらいいいだろう」
「そうね。いただくわ」
シャアもグラスを持ってセイラの隣に座る。

「・・・」
しばらく無言だった。何を話せばいいのか。
お互いなにかしらの秘密を抱いているのを感じ、気になってしょうがない。
しかしそこから踏み込むことは躊躇われる、そんな雰囲気だった。
セイラはグラスを傾ける。良い香りが口中に広がって滑らかな
液体がゆっくりとすべり落ちるのを感じる。氷がグラスにぶつかり
澄んだ音をたてた。
「・・・アルテイシアは覚えていないだろうが、私が6歳の時のことだ」
突然シャアが話し出す。セイラは驚きながらも同調して続ける。
「私が3歳の時ね。覚えてるわよ。兄さんは髪の毛を伸ばしていたのよね」
あえて隠し事の話題を避け、幼い頃の思い出を切り出してくれた兄に
セイラは感謝しながら話を続けた。

幼い頃母に死に別れ、父は仕事が忙しくまた国の最重要人物だったため、兄妹は
つらい思いをすることが多々あった。そのたびに兄が庇い、守ってくれた。
ひとしきり思い出話に花を咲かせて一息つき、セイラは言う。
「兄さんがいなかったら私どうなっていたかわからないわ。守ってくれて感謝してる」
「何を言うんだ、アルテイシアが居たからこそ私もここまでこれたのだ。
守るべき存在があったからこそ、だ」
「キャスバル兄さん・・・」
お互いなくてはならない存在。二人は見つめあい、分かり合えた気がする。
「・・・明日は早いぞ。そろそろ眠らないか?酔いも廻ってきた」
ふと目をそらし、シャアが言う。
セイラは思う。気持ちが通じるってこういう事なのかしら。
先輩の時のような独り善がりとは違う。スレッガーのことを思い出してしまい
それを振り切るように兄に尋ねる。
「そうね。ねぇ、一緒に寝ちゃだめ?昔みたいに」
離れがたい気がしたのだ。
「酔ってるのか?甘えん坊だな」
「良いじゃないの。折角なんだし」
セイラは早速ベッドに潜り込んでしまった。
「仕方ないな」
シャアはつぶやき、部屋の照明を落としてセイラのいるベッドに入った。
「よくこうして一緒に眠ったわね」
セイラは擦り寄って腕をつかむ。
「寒いわ」
「そうか・・・」
シャアは腕を回してセイラを引き寄せた。
「暖かい」
セイラも彼の背中に手を回した。
頭を優しくなでられ、やがてその手が頬に触れる。
熱い息が顔にかかり、やさしく口付けされた。
「アルテイシア・・・」
セイラは思いもかけないシャアの行動に驚くが、
不思議と嫌な気はせず、むしろ喜びを感じて
背中に回した手に力が入る。
頬にあった手は首筋を伝い、次第に降りてくる。
その間も口付けは繰り返された。
その手が肩から下に向かおうとしたかと思うと
ふと彼の頭が離れ枕に落とされた。
「?」
寝息が聞こえてくる。寝てしまったのだろう。
セイラはほっとしたような、それでいて残念な気持ちになるのだった。
「酔っ払いなんだから」
そうつぶやいて彼の顔を覗き込み、唇を指でそっとなぞった。
落ち着こうとセイラは自分の頬を両手でたたいて息をつき、
眠りについた。

セイラから整った呼吸の音が聞こえてくる。ようやく眠りについたようだ。
シャアは静かに身体を起こし、そっとベッドから降り、
離れたソファに腰をおろす。
あそこで寝たフリをしなければどうなっていただろうか。
シャアはため息をつく。今夜は眠れそうになかった。

空が白み始めた。結局一睡も出来なかったシャアはカーテンをそっとめくり、
窓の外を眺める。そろそろアルテイシアを起こさなければ。
そっとセイラの眠るベッドにもぐりこみ、やさしく声をかける。
「アルテイシア、朝だぞ。起きないか」
セイラがゆっくりと瞼を開けるとシャアの顔が間近にある。
セイラはシャアにそっと口付けをして答える。
「おはよう」
「よく眠れたか?」
「ええ。久しぶりによく眠れたわ。やっぱり兄さんと一緒だからかしら」
セイラはシャアに抱きついて胸に顔を埋めながら続ける。
「兄さんこそよく眠れたの?」
「ああ、熟睡した」
シャアはセイラの髪を優しくなでながら答えた。
「今日の午後にはもう戻らなくてはならないなんてつまらないわ」
「そうだな、また近いうちに二人で出かけよう」
「そうね」「さあ、起きよう」
シャアはセイラを促す。目の充血は気付かれなかったようだ。

こうして二人で過ごす休日はあっという間に終わりを告げた。

往きの明るさとは対照的に、ロンデニオンからの帰りの車の中でセイラは
ほとんど口をきかなかった。
見慣れた風景が流れていくと、嫌でもスレッガーとのことを考えてしまうのだ。
この週末、本当は先輩のウチに行くつもりだったんだわ。
何をあんなにはしゃいでいたんだろう、私は・・・・。

そっと唇を離すと、視界にスレッガーの呆然とした顔が広がる。
急に笑いがこみ上げたセイラは、パッとスレッガーから離れ、ふきだしてしまった。
「ぷっ、くくく・・・やだ、先輩・・なんて顔・・ふふふ」
硬直していたスレッガーは、その笑い声に、がっくりと肩を落とし、
ため息混じりにつぶやく。
「・・・なんだよ、それ・・」
「ご、ごめんなさい、だって・・くく・・」
スレッガーはベンチの背もたれに体をあずけ、笑いの止まらないセイラを
見上げた。
「からかってんの?」
「・・ふふ、怒った?・・あー、おかしかった」
そう言いながら、セイラはスレッガーに近づき、顔を覗き込み、微笑む。
「予期せぬ出来事が起こったときは、ああいう顔をするのね」
スレッガーは自分を見下ろし、いかにも楽しそうに微笑む少女をまじまじと
見つめ、『やられた』と思った。『ガキのくせに』と毒づいてもみた。
「おかえしってわけ?」
「うふふ、そうよ!まいった?・・・・なんてね、嘘よ」
「え?」
また、拍子抜けする。どうも調子がでない。当のセイラは、何故か頬を赤らめた。
「もう行くわ」ちら、と時計を見て、セイラはベンチの上に置いてあった鞄を取り
歩き出す。
「あ、ああ(やれやれ、わけわかんないなあ・・・)」
「・・そうだわ」ふと、行きかけた足を止め、スレッガーを振りかえった。
「週末、アパートに遊びに行ってもいい?夕飯でもつくってあげる」
唐突なセイラの申し出に、スレッガーはまた面食らってしまう。
『急に走って逃げたり、すねたり、笑ったり・・・今度はなんだよ、
自分のやってること、わかってんのかなあ、このお姫様は・・・』
心の中で文句を言いつつも、
「勝手にすれば?」と答えると、セイラが満面の笑みを見せる。
「よかった!約束よ」
少女の後姿を眺めている自分の口元が嬉しそうに歪んでいることに気付き、
スレッガーは『マジかよ・・』と、手で頬の筋肉をマッサージする。
そして、週末のバイトをリュウに変わってもらう方法を考えるのだった。

走り出したくなる気持ちをどうにかおさえ、セイラは公園を出ることができた。
後ろを振り返り、スレッガーの姿が見えないことを確認すると、ホッと息をつく。
・・・私、頭がおかしくなっちゃったんじゃないかしら。
先ほどの会話を頭の中で反芻してみる。よくよく考えると、自分が一方的に先輩に
愛の告白をしたようなものだ。しかも・・・。
スレッガーの唇の感触が鮮やかに蘇る。
それほど嫌そうでもなかった、と思う。驚いていたけれど。
しょうがない、体が勝手に動いてしまった。やってしまった。
「・・・まあ、いいわ。勝手にしろって言ってたし」
そう思うと気分が楽になり、週末に男の部屋に行くという冒険を想像し、心が浮き立つのだ。
その時、誰かが後ろからセイラを呼び止めた。
「セイラさん、ですよね。いや、アルテイシアさんとお呼びしたほうがいいのかな」
「あなたは・・・、確かジョブ・ジョンさんでしたっけ?」
話し掛けてきたのはスレッガーとライブハウスでセッションしていた青年だった。
男性にしては少々華奢で繊細に見える彼がピアノを弾く姿は印象に残っていた。
「そうです。お話したことはありませんでしたよね。はじめまして」
「えぇ、はじめまして。どんな御用ですか?」
スクープされたから知っているだろうとはいえ、自分のことをアルテイシアと呼ぶのに
警戒感を持ちながらセイラはたずねる。
「すみません、今スレッガーと話していましたよね。」
見られていた?セイラは驚き、ますます警戒をつのらせる。
「そ、そんな怖い顔しないでください。別に脅そうって訳ではないんです」
ジョブ・ジョンは落ちついた様子で続ける。
「ただ、ご忠告しようと思いまして」
「?」
「スレッガーは僕とステディな関係をもっているんです」
「どういうこと?」
「彼はご覧のとおり女性に人気がありますし、人当たりも良いです。
でもあなたと真剣にお付き合いすることはないと思います」
「・・・あなたがいるから私とはただの遊びだってこと?」
「遊びだなんていうものでもないです。誤解する女性が多いので
先にお伝えしたほうが良いと思いまして」
「スレッガー先輩が私にそう言うように言ったの?」
「いえ、僕の独断ですが、勘違いする女性が現れる度に
揉め事に振り回されるスレッガーを見たくないのです」
先輩に彼氏がいる?セイラは思いもよらない展開に理解がついていかない。
先輩は私が本当は嫌だったということ?
「そんなことスレッガー先輩から聞いてないわ。証拠を見せなさい!」
「じゃあこれを・・・」
見せたのは一枚の写真。
それはジョブ・ジョンとスレッガーがベッドでいっしょに眠っている写真だった。
衝撃的な写真にセイラは驚くが怯まずに言う。
「これだけじゃ証拠にならないわ」
「そうですか、これはあまり見せたくなかったのですが」
そういいながら彼は着ていたシャツの腕をめくって見せた。
腕にはタトゥーが施されていた。
どこかで見たことのある『S』を象ったマークだった。
そう、それはセイラがスレッガーの部屋で見たアルトサックスのケースに
貼ってあったステッカーと同じだった。
「彼との愛の証とでも言えばいいのかな。とにかく、
スレッガーに付きまとうのはやめてくれませんか」
「うそよ、信じないわ」
そう言いながらもセイラはいたたまれず走り出した。
信じられない。まさか先輩に彼氏がいるなんて。
私が付きまとうことは迷惑になるなんて。
ジョブ・ジョンの言うことは到底信じられるものではなかった。
セイラはスレッガーに直接会って真実を確かめたいと
思うのだが、怖かった。
もしその話は本当だと認められたら自分はどうすればいいだろう。
そしてセイラは今までの行動が自分からの一方的なものであるような気がしてきた。
自信が持てないのだ。
先輩は本当に私の行動が迷惑だったのかもしれない。ただ言えなかっただけで。
真実を確かめなければと思いながらもできない。
拒絶されることが怖いのだ。でも確かめなければ。
そんな葛藤の中、半ば逃げるように兄と出掛けた。
先輩との約束も反故にしてしまった。

・・・私には兄さんさえいればいい。今回の旅行で確信した。
それは本当のこと。でも心の片隅には引っかかるものが
残っているのだった。

「アルテイシア?」
「え?な、何?兄さん」
「着いたよ」
言われて気がつけば、車は学園の駐車場に入った
ところだった。
ずいぶんぼーっとしていたらしい。
そんなアルテイシアを見てシャアは密かにため息をついた。

兄と過ごしているときは、かろうじて気を紛らわすことができたが、
寮に戻ってからはスレッガーのことばかり考えてしまう。
『・・やっぱり先輩がホモなんておかしいわ。
だって、そうしたらマチルダ先生とのことが説明できなくなるじゃない・・・
そうよ、そうだわ』
一度先輩と話をしよう、とセイラは心に決め、ベッドに入った。


「アルティシア、週末はどうだった?マスコミが大変だったんじゃない?」
月曜の朝の学園。教室に入るとクエスが話しかけてきた。
「兄さんとロンデニオンの別荘にいたから、静かなものだったわ」
「まーた兄さんね。いいけどさ、はい、これお土産」
鞄から綺麗な包装紙に包まれたお菓子を出して、セイラにわたす。
「サーカスに行ってきたの!楽しかったぁ〜。かっこいいピエロがいてさあ、
あ、写真見る?強引に打ち上げに参加してきちゃったの」
別に興味はなかったが、クエスは見せたくてたまらないらしい。
しょうがなく差し出された写真を覗き込む。
「クエス!あなた、お酒飲んでるじゃない!こんな写真見つかったらまずいわよ」
「いいから、いいから。それより、この二人!かっこいいでしょ」
クエスを真中に、左側に前髪の長い美形の少年と、右側に金髪のこれまたかわいらしい
少年が写っている。
「左がピエロのトロワ君。右がその友達のカトル君!素敵でしょう?」
「そうね、で?ピエロのトロワ君を落とすことができたわけ?」
「きゃ〜!姫様ったらお下品!んー、だめだめ、だってこの二人、できてるのよ」
セイラは驚いて写真を見なおす。
「えっ、右側の子、女の子だったの?」
「やだー、男の子よぉ。禁断の少年愛ってやつう?」
「・・!?」衝撃に写真を持つ手が震えた。
「・・だって、だって男同士でしょ?そんなことあるの?」
汗を掻きながらもぷるぷる震えるセイラの反応に、クエスは慌てて言う。
「あっ、あはは、アルティシアには刺激が強かったかな。噂!噂よ〜。
でもこの二人超人気者で、おっかけや同人誌まであるのよ」
「同人誌?」
「ああ、いいの、いいの。アルティシアには信じられないかもしれないけど、
こういう芸能系って多いみたいよ〜。男同士の恋愛」
「そ、そ、そうなの?」
「そうよう。俳優とかミュージシャンに、いっぱいいるじゃない」
「ミュージシャン?」セイラは笑顔を作ろうとしたが、みごとに失敗した。
「ほら、えーと・・アイ―ンのフレディ・マーキュリーとかさ」
「アイ―ン?あの、全身タイツを着てるロックシンガー?」
「そうそう、あっ違った!フレディはバイでした。両方OKなの。
どっちかっていったら、男のほうが好きみたいだけど」
「!!」
早退したい、とセイラは心から思った。
「ちょっと、通してくださらない?」
不意に硬い声が二人の会話を遮った。イセリナだ。
「おはよう、イセリナ!」
しかしセイラの挨拶は無視された。
目を伏せたままさっと机の間を通り抜け自分の席に
着くと、黙って教科書を取り出している。
…そうだった、ガルマとの誤解、そのままになっている。
頑ななイセリナには、もはや自分が何を言っても聞き入れて貰え
ないだろう。ガルマ本人から話してもらった方が早い。
昼休みを待って、セイラは大学部のガルマを訪ねた。

昼休みとはいえ学生が忙しく往来する研究棟に、高等部の制服で
来た事をセイラは後悔した。
廊下をすれ違う人みんなが自分を見ていく。
これでガルマに会いに来たなんて、噂を助長するようなものだ。
今更ながら自分の迂闊さに気づいて引き返そうかと迷う。
でも。ここまで来たんだもの、今更一緒だわ。
だいたい嘘の噂に遠慮して人目を憚るなんてばかばかしい。
そう思い直して、再び目的の教室を探しながら廊下を進む。
ガルマは確か兄さんと同じ研究室のはずだ。
ノックをすると中から「どうぞ」と声がした。
ドアを開けると、数人の学生がこちらを見て一瞬ぎょっとした
ような顔をする。さすがに怯んでセイラは言葉に詰まった。
「やあ、どうしたの」
嫌な空気を払うような、明るい声がした。ガルマだった。
席を立ってセイラのところまで来てくれる。
「君の兄さんなら、今実験室に篭ってるよ、呼んで来ようか?」
あっけらかんとした口調に救われた気持ちになってセイラは言った。
「あの、兄さんじゃなくて、ガルマに話しがあって」
「僕に?めずらしいね。いいよ。悪い、ちょっと出てくる」
最後の言葉は級友に向けて言った言葉。ガルマはセイラを促して
教室を出た。

学生カフェの一角でセイラとガルマは向かい合って座った。
ここでも周囲の視線は注がれたが、ガルマは一向に気にしていない
風だった。
二人分のコーヒーとサンドイッチを注文した後、長い足を組んで
話を聞く体勢をとる。
「悪かったね、週刊誌のこと。僕の不注意だ」
「え?」
「そのことで僕に話があったんじゃないの。記事を鵜呑みにして
色々言ってくる人もいるんじゃない?」
なんだか他人事のような口調に少し呆れる。
「ガルマは気にならないの」
「ふふ、遺憾ながらこの手のスキャンダルネタには慣れてるんだ。
やっきになって否定するより、放っておけば十日で忘れられるよ」
前髪を指で弄びながらガルマは笑った。
「でも君は女性なんだし。傷ついてるんじゃないかと気になってた」
「……」
「だけど大丈夫。あの週刊誌、次号で訂正記事が載るからね」
「え? あ、あぁ、そういうこと」
きっと家から手が回ったに違いない。でも…。
「イセリナ。知ってるでしょ?イセリナ・エッシェンバッハ。
彼女にはガルマの口から否定しておいて欲しいの!」
「いいけど。どうして?」
「どうしてって…。どうしてもよ。お願い」
「分かったよ、君がそう言うなら今日にでもね」
良かった。安堵してセイラは運ばれて来たサンドイッチに手を伸
ばした。これで問題がひとつ片付いたわ。残るは…。
「何?まだ気がかりがあるの?」
「え?そんなこと…」
いけない、表情に出ていたのだろうか…ガルマの問いに無理に
笑顔を作ってみせる。
「キャスバルが随分心配している。最近君の様子がおかしいってね」
帰省をガルマ一人に押し付けて妹を別荘に連れ出した事、ガルマは
シャアに謝罪されたが怒る気にはならなかった。不安定な気持ちの
妹を少しでも癒してやりたいという、シャアの気持ちが分かったから。
「恋愛関係なら、キャスバルより僕の方がよっぽど力になれると思うよ?」
再び無口になったアルテイシアに、ちゃかすように言ってみる。
しかし返って来た言葉に椅子から落ちそうになった。
「ガルマは、男の人と恋愛したことある? 同性でも惹かれあうって
本当?」
「え?ええ!??」
「! ごめんなさい!今の忘れて! ランチごちそうさま!」
セイラは制服のスカートをひるがえして駆け出した。

その日の夕方。
研究室にいたガルマは、時計で高等部の終業時間が過ぎたことを確認し、席を立つ。
「イセリナ嬢ね」
何故私がイセリナ・エッシェンバッハに週刊誌の説明をしなければならないのかは
よくわからないが、アルティシアと約束してしまったのだから、しょうがない。
男は約束を守らなければな。
部屋を出る前に実験室をのぞくと、シャアがいすに座り、足を机の上に投げ出して
窓の外をぼう、と眺めている。
「いよう、キャスバル、まだいたのかい?朝からずっとじゃないか」
「ああ、ガルマか」
ガルマは何気なくシャアのPCのディスプレイに目を落とし、意外そうな声をあげる。
「なんだよ、午前中から全然すすんでないじゃないか。どうかしたのか」
「言うなよ。なんだか集中できなくてな」
「はは・・休みボケか?おまえらしくない」
「休みボケね・・そうかもな」シャアがつぶやく。そして部屋を出て行こうとするガルマを
振り返り、思いついたように言う。
「ガルマ、もう帰るなら、たまには飲みに行かないか」
「めずらしいな!いつも忙しい君から誘ってくるなんて。・・・ああ、だが、今日は
先約があってね。すまんが、また今度だ」
セイラとの約束を第一優先する、どこまでも律儀なガルマであった。
ガルマに振られたシャアは、しばらくPCをいじったり参考資料を読んだりしていたが、
あきらめたように立ち上がり、帰り支度を始める。
校舎を出たが、そのまま寮には戻らず、駐車場へ向かいながら携帯電話を取り出した。

「先生、いらっしゃい・・・急にお電話いただいたのでびっくりしましたわ」
ドアを開けたララァは、それでも嬉しそうにシャアを部屋の中へ招き入れる。
いつも使う専用の一人がけソファに腰を下ろした彼は、サイドテーブルに置いてある
お香をぼんやりと眺めていた。
「どうしたんです?曲の打ち合わせは明日でしたよね」
紅茶を勧めながら、ララァはシャアの様子がいつもと少し違うことに気づいていた。
「ララァの顔が見たくなったから来た・・というのは理由にならないかい?」
紅茶を一口飲み、ララァに微笑みかける。「それにここは落ち着くしな・・」
「お疲れみたいですね・・ロンデニオンはいかがでした?」
「ああ・・・天気がくずれなくて、良かったよ。今の時期、人も少ないしな」
それ以上語ろうとはせず、再びお香から出る煙を目で追う。
ララァはそんなシャアに、彼が気に入っているバタークッキーを持ってきた。
「お食事、もう少し待ってくださいね」
そう言いながらクッキーの入った皿をシャアの前に置く。その手を彼がつかむ。
「食事なんていいよ・・・ララァ」
抱きしめられた。
シャアの体温を感じながら、何故今日はこんなに苦しそうなのかしら、とララァは
不思議に思う。

ララァのやわらかさを楽しみながらも、シャアは先ほどの
ガルマとの会話を思い出していた。

「あ、そうそう、キャスバル」
ドアへ向かった足音が戻ってくるのを感じて顔を上げると、
ガルマがまじめな顔をして立っていた。
「お前、男を好きになったことあるか」
「何!?」
笑い飛ばそうと思ったが、目がマジで怖い。
「男に魅力を感じたことは」
「い、いや…」
「そうか、そうだよな〜。いや、私もだ。じゃ」

……一体、なんだったんだ。
アルテイシアといい、ガルマといい、最近おかしいぞ、絶対。
いや、おかしいのは私も一緒か…。
ララァの不安げな様子に気づかない振りをして、シャアは
抱きしめる腕に一層力を込めた。
ガルマ、私は明らかに男より女に魅力を感じる男だよ…。


結局勇気が無くて放課後もスレッガーに会いに行くことが出来なかった。
その晩、ベッドに仰向けになりながら、セイラは今までの事を思い返していた。

―― 傘、はいってく?――
あの雨の日、雨宿りしていた自分に差し出されたスレッガーの腕。

―― もう一人で男の部屋になんか来るんじゃないぞ ――
初めてアパートを訪ねて行ったとき、そう言って窘められたっけ。
それでも生徒手帳を理由に訪ねていったんだわ。心のどこかでもう
一度会いたいと期待して…

―― もう来るなって言っただろ?――
―― これだから世間知らずのお嬢様は ――
子供扱いされたのが悲しくて店を飛び出した。

―― 音楽室で抱き合ってたって ――
――「スレッガー先輩の左肩には、M.Aってイニシャルのタトゥーが ――
あの噂は誰が言ってたんだったか…。

――あのスレッガーさんが、店に来てお酒も飲まずに食事だけして帰ったんですよ?――
――あんな健全なデートをさせるセイラさんって一体…ってね ――
フラウ・ボウの言葉。

――スレッガーさんって調子よく誰にもやさしいから。特に女の人にはね――
これもフラウだったか…。

――勘違いする女性が現れる度に揉め事に振り回されるスレッガーを
見たくないのです――
あぁ、これはあのジョブ・ジョンとかいうピアニスト!

――フフ。最近、大事にしてる女のコがいるらしいじゃない? セイラさん、
だったかしら――
――まさか。全然関係ないよ――

――― 関係ないよ ――

セイラは溢れる涙を抑えることが出来なかった。
私先輩に恋してる。
でも、先輩にとっては迷惑なだけの存在だったの?
私、どうしたらいい?