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ハロハロの記 第一回

 今号から「ハロハロの記」と題してこの「となりのアジア」に雑文を連載しようと思う。 私がこれまでACCEに関わる中で、知り、学び、考えたことを一度文章にまとめたいという欲求が 最近私の中で大きくなってきたこともあるが、こうしたことを文章にすることが、 ACCEに参加し活動してくれているスタッフの皆さん−ボランティアベースで活動されていて、 多くは若い学生の人たち−にとっても、議論の材料になり、ACCEのような活動に参加することの意味を考えてもらう 一助になるのではないかと考えている。そうした個人的な性格の文章であり、論争的な面も含めるつもりなので、 現在の肩書きである事務局長としてではなくACCEに参加する1ボランティアスタッフの投稿記事としてご理解いただきたい。

 

 「ハロハロ」というのはフィリピンの公用語であるタガログ語(フィリピン語)で「混ぜこぜ」といった意味で、 この文字どおりの雑文では、学術論文とはむろん異なり、体系性とかオリジナリティーとかとはかけ離れた所で、 借用する考え方とか物の見方なども典拠を明示したりすることもせず、あたかも私自身の考えとして書き進めたいと思う。 逆に言えば、ここで述べることは、特に大学時代以降20数年にわたって読んだ様々な著作や会って話しを聞くことのできた たくさんの人に負っているわけだが、それをそうした人々の責任に帰すことはせず、自分の言葉として述べようということである。 ACCEの活動に参加する1スタッフの、実践に資することを目的とした文章としては、そうしたスタイルも許されると思う。

 主要なテーマは「支援」とは何か。「となりのアジア」64号(2002年6月号)掲載の「ACCE日本の目的と道」に関する 私なりの理解の仕方と言っても良い。異論・反論は大歓迎なので、ぜひご意見をお寄せ下さい。

 

1.突き動かされる心

 ACCEでは、春・夏・冬と年4プログラムのスタディーツアーを実施している。フィリピン社会の抱える最大の問題である 貧困について考えてもらうことを目的に、主としてACCEのプロジェクト地を訪問してもら

っている。 中でもアペロクルス、パヤタスという都市スラムへの訪問は、参加者にインパクトを与えるようである。  

 ある若いツアー参加者は次のように報告している。

「家庭訪問をして、インタビューをすることによって、 情報社会の日本に暮らしていても知れない人の気持ちが痛いほど伝わってきたのとともに、自分の考えの甘さを痛感した。 ツアー中、一番自分の考えとぶつかったのは、4日目に訪れたパヤタスのゴミ山のことであった。 午前中、ちょうどトラックいっぱいのゴミが次から次へとやってきて、下ろされていた。今日の暮らしのためだけに、小さな子どもから、年配の人までが、スカベンジャーとして、必死にゴミを拾っている姿を見た。何とも言えない光景であった。 ただ見ているだけで、辛くなった。次第に、人権保障もない悪環境の中、ゴミを拾う生活をさせている政府に怒りを感じるようになった。 このゴミ山はあってはならないものだと、第三者の自分は思った。しかし、実際インタビューしてみると、自分の考えと違う答えが返ってきた。 『教育を受けられないから仕事の選択肢がない。だから、ゴミ山でしか生活できないから、仕方がないのだ。』 『援助がないことは辛いが、政府には期待していないし、怒りも感じない。』その後で『今は幸せ?』と尋ねると、 みんなが幸せと答える。この生活でどこに幸せと感じるのだろうかと思った。しかし、ある女性は言った。 『貧しいと思っているだけだとやはり寂しい。幸せを探すこと、シンプルかもしれないけれど、家族がいるだけで幸せと思う。』 何が正しいのか分らなくなった。でも一つ分ることは、ここでの生活は誰が見ても最悪である。しかし、ここでの暮らししかなく、 制限されている人がたくさんいる。その中には、夢を抱いている子どもたちがいる。親にも夢がある。 子どもに教育を受けさせたい、と。しかし、親は子に教育を与え続けられないという現実。そのため、 子どもたちは大人になっても貧しさから抜けられず、スカベンジャーとして一生を送る現状があると言うことである。 自分に何ができるかは分らないが、子どもたち、親たちの純粋な願いを失わせたくない。 諦めさせたくない。と、強く思った。」(浅尾玲子「となりのアジア」67号)

 短いツアーの中で、どれほどのことを理解できるのかについてはいつも議論になる所ではあるが、 しかしながら日本にいてフィルムや写真・本などを通してだけでは得られないものが、そこには確かにある。 どんなに短時間であろうと、どんなに浅いものであろうと、人との出会いがあり、係わりが生れ、貧しさを体で感じ取る。 「非人間的」な暮らしに「怒り」を感じ、そうした生活をせざるを得ない人たちへの同情を感じる。 さらに、そうした人との係わりあいの中で、相手との関係の中で、積極的・肯定的なものであれ、 消極的・否定的なものであれ、自分の立場が問われる。「第三者」として「見」に来た自分が、 第三者ではいられなくなる。「自分で何かをしたい」と思うか「傍観者でいる」ことを心に決めるか、 いずれにせよ決断を迫られるのである。

 「自分に何ができるかは分らないが、子どもたち、親たちの純粋な願いを失わせたくない。 諦めさせたくない。と、強く思った。」と浅尾は書いている。これは、表現は異なっても、 多かれ少なかれ、スタディーツアーに参加しその後ACCEに関わってくださっている人たちに 共通の出発点ではないだろうか。そして、ACCEの日々の活動はまさにこうした想いを共通の 基盤にして行なわれているのだと思う。このように感じてくれる人が一人でもいる限り、 ACCEはスタディーツアーのプログラムを続けなければならないだろう。 そして、「支援」とは何かを考えようとしているこの文章の出発点もここに置かれなければならない。

 

2.向き合うこと

 それでは、異国の地に住む私たちに何ができるのか。 スタディーツアーに参加して初めてこの問いをつきつけられた人の多くは、どうして良いのか解らず、 混乱し、戸惑うことが多いようである。「政府が何とかすべきである」「ゴミ山をなくすべきだ。 焼却施設はないのか」「頑張って働けば何とかなるはず」「恥の意識を持つべきだ」。 「フィリピンにも金持ちはいる。生活に余裕のある人に訴えて支援してもらうべきだ」 「ここで見たこと聞いたことを日本で伝えたい」「支援プロジェクトに参加したい」等々、 これらは実際にツアー参加者の口をついて出てくる最初の反応である。

 これらの意見に対する私の見解については、この文章が書き進められて行く中で自ずと明らかになると 思うのでここでは触れない。ただ、それぞれの発言が、実際に私たちの前に横たわっている解決されるべき 問題を様々な角度から照射していることだけは確認しておきたい。

 

 何ができるのかを考えてもらうための一つの材料として、「フィリピン滞在中に物乞いされたらどうするか」 をテーマにディスカッションをしてもらうことがある。少し大きな道路を車で走っていて交差点などで止まっていると、 赤ん坊を抱えた女性が車窓をノックして回るのによく出くわす。この<困っている人にお金を渡すべきか否かというテーマは、 日本人の私たちに「何ができるか」という問いに内包されている様々な問題の所在を端的に突き出してくれるテーマである。 これを手がかりにして「何ができるのか」について迫ってみたい。この文章を読んで下さっているあなたも、 次に読み進む前に、自分だったらどうするか考えてみて下さい。

 

 学生を対象としたワークショップでこの議論をしてもらうと、お金をあげないという意見の方が多い。 「自分の気持ちにあげているだけではないか」「何に使われるか分らない」「食べ物の方があげやすい」 「もらえる人ともらえない人ができる」「物乞いの体質ができてしまう」「同じ事が繰り返される」 「次から次へと人が集まってきたら困る」「国の責任である」等々。他方、あげるという人の意見は、 「コミュニケーションの手段として」「相手の人生を変えるほどの金額を渡すわけではない」 「子どもにはあげない。老人にならあげることもある」「欧米の物乞いは怖いと感じるが、 途上国の物乞いはかわいそうと思ってしまう」など。

 

 学生たちが出してくれるこうした意見は、実は次のような問題を指摘していると考えることができる。

1)「あげる」ことの有効性について、

2)いわゆる「依存」について、

3)「あげる」ことの自己満足と蔑視について、そして

4)私たちと彼ら・彼女らとの関係について、である。

 

 物乞いをされた場合にお金をあげることの問題点として、指摘されているように、まず実際に役に立つのかという問題がある。 マニラの大通りで物乞いをしている女性たちの多くはシンジケートに組織されていて、もらったものの大半をピンはねされているという。あるいは、あげたお金が酒や麻薬など本人の健康を害するものに使われるかもしれない。 そうだとすると、相手のことを良く知りもせずお金を渡すことは、双方のその場の満足感が満たされること以上には、 ほとんど意味のないことだと言えないだろうか。

 逆に言えば、お金を渡す行為を少しでも意味あるものにしようと思えば、 少なくとも相手の生活に立ち入って質問をし、場合によっては相手の住居を訪問し状況を把握したうえで、 一番良いと思える方法でそのお金を使うことを考え、意見が異なれば相手を説得し、 実際に良い方法で使われるかどうかを見届ける必要があるということである。 むろん、旅行で行った人でそこまでやる人はいないだろう。また相手によっては、 住居まで直接足を運ぶことは身の危険につながることさえある。逆に相手の方もそうまでしなければお金をもらえないとなると 鬱陶しいだけで、要らないと言い出すかもしれない。さらに、そもそも行きずりの個人と個人との関係において 「何が正しい金の使い方か」という問題の設定自体が果たして成立するのかという問題もある。だとすれば、結局の所、 お金をあげるという行為は自己満足を得るだけの行為ということになりはしないか。

 また、仮にあげたお金が実際にその日の飢えをしのぐのに役立ったとしても、次の日にはまた空腹を抱えながら物乞いをしなければならない。 問題は何も解決されず、状況は相変わらず同じである。さらに「依存」の問題も確かに存在している。 物乞いをさせるために自分の子どもの手や足をわざと折ったりする親もいるという話しを聞いたこともある。 そこまで極端でなくても、特に子どもを相手にする場合他人からの施しものを受けることを当りまえとする感覚を 身につけさせてしまうことへの危惧はだれしも考えるところである。

 これらの問題もまた、<お金をあげる−もらう>という物乞いという行為を通じた係わり方の一過性、場当たり性に起因しているといえる。 前者の問題を解決しようとすれば、次の日もまた次の日も同じ場所へ出かけて行き、お金を与えなければならないし、 後者の問題であればお金の使い方や、ひいては親の考え方にまで立ち入って係わる必要が出てくる。

 

 このように考えてくると、何ができるかを考える場合のもっとも大切なことの一つが、時間とエネルギーをかけて相手とじっくりと向き合い、 問題の解決に向けた関係を作り上げることになる。「何かすること」を通じて、相手の生活や人生と係わり合い、 良かれ悪しかれ影響を与えて行くことを自分の責任として引き受けて行くことである。

 むろん、それを一人で一からやるのは大変だし、できることも限られているから、多くの人が共同して問題を解決するための運動を起こし、 それを実現するための組識を作ることによって取り組むことになる。そうすることで、一人一人の負担は軽減されるし、 自分一人で何が出来るかという発想から、運動・組識として何ができるかという発想へと転換することによって、 「できること」は質・量ともに飛躍的に拡大する。一過性・場当たり性を克服し、活動の継続性・計画性を持つことができ、 コミュニティーに入り込むことで相手のニーズを知り、ニーズに即した活動を行なうことができるようになる。 ACCEもそうした運動・組識の一つである。

 だが、たとえ運動・組識を媒介にしようと、相手と向き合うことに起因する重さは消え去るわけではない。 まじめに向き合おうとすればするほどそうである。このことを端的に突きつけられるのは、ACCEでいえば、 フィリピンのプロジェクト現地で活動するスタッフである。ACCE日本の現地スタッフはこれまで決して多数とは言えないけれども、多かれ少なかれ、組識のスタッフとしてではなく、一人の人間としてどう係わるかが問われる局面 −特に人の生死に関わるような場合に立ち会うことを余儀なくされたとき深く問われざるを得ない− にぶつかって来たように思う。苦悩し、時には答えの是非が判然としないまま決断せざるを得ないこともあったと聞いている。

 どこまでできるか、すべきかは別にして、物乞いへの対応を含め「人のために」何かをするということは、 本質的に人との係わりを引き受けようとすることなのだと思う。それを見失ったとき、自己満足と偽善に陥らざるを得ない。 逆に、だからこそNGOはそこを活動の中心に据えなければならないだろう。

 

3.自己を客体視すること

 物乞いされたらどうするかという議論の中で、「欧米の物乞いは怖いと感じるが、途上国の物乞いはかわいそうだと思ってしまう」 と答えてくれた人がいる。的をついた指摘である。

 私のフィリピン人の友人にドキュメンタリー・ビデオ作家がいる。彼女が、自分たちの作品の授賞式にニューヨークに行ったときに、 まるで子供扱いされたと憤慨して話してくれたことがある。もう何年も前の話しなので正確には覚えていないが、 その作品はフィリピンの児童労働を扱ったビデオなのであるが、賞を授与する側の米国テレビ局の人たちはあたかも 自分たちがそうした問題の擁護者であり、その重要性を独占的に知っており、「重要な」仕事をしている彼女たちの保護者であるかのように接し、 「激励」してくれたとかいうことだった。

 実は、上記の学生の意見が示しているように、これは同じ「先進国」の住民である私たち日本人の間にもある意識といってよい。 つまり、フィリピン人は(あるいは発展途上国の人々は)「貧しくて、かわいそうで、自分では何もできない弱者で、 私たちが救ってあげなくてはならない」という蔑視の意識である。

 

 この問題の所在を実に的確に描写した文章があるので、少し長くなるが引用したい。 黒沼ユリ子「メキシコからの手紙」(岩波書店)からの引用である。

 「『メキシコへ行ったら、あたくし、インディオの村に入ってみたいんですの。もうアメリカやヨーロッパは何度も回って、 宮殿だの美術館だのには飽き飽きしてしまったくらいですわ。大理石やアスファルトの文明の匂いから遠い所、 土の香りのする所へ今度は是非行ってみたくなって…。それで黒沼さんに、 どこかインディオの村につれて行っていただけないかしら、とお願いしたくなったんですよ。 そこで作っている、本物の民芸品も買ってあげることができるし。』/  いかにもドルを使いたくてしようがないようなその婦人は、楽しそうに目を輝かせながら、 だがまじめな顔でこう話し出したので、私は困惑した。中略。/仕方ないので、私はその婦人にこんな話しをしてみた。 『私たちがシエラ・マードレの裾野にあるウエフットラという所に住んでいた頃、私の夫は、 周辺の山々からインディオたちが集まってきて市の立つ日曜日に、よく私のカメラを持っては広場へ出かけたものですよ。 本当は、それまでカメラなど手にしたこともなく、写真を撮るということに全く興味を示さなかった人ですのに…』 『そりゃ、どんなにカメラ嫌いな人でも、めずらしいインディオの姿を見たら、写しておきたくなるでしょう。きっと』 『ところが、そのカメラにはフィルムを入れてないのですよ』『えっ?』 『彼はいつもインディオの方に自分の背を向けてはカメラをかまえ、パチパチ、シャッターを押していたんです』 『…』『一目で観光客と分るような人たちは、自分の方に彼のカメラが向けられていることに最初のうちは気がつかないのですが、 そのうちにだんだんと妙な気持ちになってきて、彼の方を変な顔でながめる…。 そこを再び彼のカメラで何度も撮られてからやっと、彼のファインダーがなぜ自分の方に向いているのかに気がつくのです。 それからは、たとえインディオにピントを合わせるにしても、物陰からそっとシャッターを押すようになるものなのですよ。 まぁ、少しでも常識のある人ならね』『知らない人からご自分の方にカメラが向けられ、 シャッターチャンスとばかりにパチパチ写真を撮られたご経験はありませんか。ちょうど動物園の檻の中の、 何かめずらしい動物のように』『お宅の庭に、たとえば外人が無断でニヤニヤしながら入り込んできて、 家の中を覗き込んでは、カメラのフラッシュをたいたようなことはありませんか』/ここまで私が言ったとき、 初めて彼女は少し恥ずかしそうな顔をし、その後はあえて『インディオの村に入りたい』とは言わなくなったのだった。」

 

 欧米の観光地とインディオの村を同列に並べ、民芸品を「買ってあげる」と恩着せがましく言ったとされるこの女性の意識の有り様は、 だが、私たちの日常意識とかけ離れているといえるだろうか。

 マニラでこんな話しを聞いたことがある。ある大手企業のマニラ駐在員の家族の話しである。大手企業の駐在員家族の大半がそうであるように、 その家族も塀で囲われゲートでは警備員が24時間見張っている高級住宅地内の大きな社宅に住み、 メード・コック・運転手を雇って生活していた。そこの「奥様」はいつも外出するときには、椅子に座り、 小さな台の上に自分の足を置き、メードに靴を履かせていたそうであるが、その中学生の息子までもが母親の真似をしていたということである。 ある学生は次のような話しをしてくれた。彼女の男友達が二人でタイへ旅行に行った時、その二人連れは、バンコクのレストランで無銭飲食をした。 金がなかったわけではない。彼らは、いかに巧みに従業員をだまして飲食しレストランから立ち去ったかについて、 微に入り細に入り得意げに話しをしたそうである。

 東南アジアに買春にいく人々も含め、こうした話しは氷山の一角であろう。そして、このような相手を露骨に見下した意識や態度も、 可哀相だとおもう同情心も、現われ方は正反対であり同列に論じることはもちろんできないが、 相手を弱者であるとみなす根っこは共通しているのではないだろうか。

 

 日本が「経済大国」と呼ばれるようになって久しい。いまや「普通の国家」たるべきだという議論が公然となされている。 そうした中で日本人の意識も「大国」にふさわしいものとなってきているようである。 そして、NGOといえどもこうした意識から自由ではいられない。

 スタディーツアーを例に取ろう。夏のスタディーツアーでアラバット島のペレーズに行ったときのことである。 トライシクルというバイクの横にサイドカーをつけたものに乗って移動していた。道で出くわす子どもたちが手を振ってくれる。 そのとき、隣に座っていた学生が「VIPになったみたいで気分がいい」という趣旨のことをぼそりと言った。 少なからずショックだった。その時は、その後すぐに次のプログラム地に到着し行動に移ったので、 その学生とじっくり話しをすることができず、きっかけを失ったままツアーを終えてしまった。

 上で紹介した黒沼の文章の「インディオの村」を「マニラのスラム街」に、「本物の民芸品」を「手作りカード」に置き換えたとき、 観光とスタディーツアーとの違い、つまり主観的な意図の違いはもちろんあるにせよ、 客観的にやっていることはNGOといえども同じである。そうしたことを踏まえた上で、 それでもなおわたしたちはスタディーツアーを行なうことの必要性を確信し、敢えてツアーを実施しているはずである。 そうであるならば、スタディーツアー参加者の意識にたとえ1ミリでも踏み込み、 「大国」意識・「VIP」意識を自分で対象化し解体してもらうべく働きかけねばならない。