年数回、アクセスのスタッフと一緒にフィリピンを訪れ、アクセスの活動拠点を訪問し、貧困の現状や原因について考えるツアーを企画しています。大人も子どもも笑顔いっぱいのフィリピンで、人と人としての触れ合いの大切さを改めて感じながら、様々なことを学ぶツアーとなっています。参加をご希望の方は最新のスタディツアー募集要項をご覧ください。
◆2009年 「フィリピンの都市スラムを訪ねるスタディーツアー」
◆2011年夏「よくばり型」スタディーツアー感想 (20代 女性)
| 私がツアーに参加した理由は、貧困とはどういうものか自分の目で見たいと思ったからです。しかし、12日間でたくさんの人と出会い、たくさんの事を経験する中で、貧困とは何なのかが分からなくなり、自分の中にあったその定義は偏ったものだと気づきました。というのも、経済的に苦しい状況で暮らしている人でも、そこに住み続けたい、それが自分にとっては幸せであると感じている人や、自分が貧困であると思っていない人など、そこには貧困と一言では言えない複雑な背景を目の当たりにしたからです。そして日本で暮らす私たちと、実際に困っている人たちの貧困の“ものさし”は、違うのだと感じました。それ故、貧困を一括りにするのではなく、1人1人と向き合い寄り添う大切さを感じました。そして帰国後、貧困について改めて考える中で、貧困とは可能性に大きく関係しているのではないかとも考えました。本当に苦しんでいる人たちは自分たちが何とかしたくてもできない状況にあり、それこそが貧困なのではないかと思ったのです。 また、このツアーでたくさんの「つながり」を感じました。今回のツアーで出会った、日本やフィリピンのスタッフ、そして参加メンバーやリーダー、現地の人たち、フィリピンと日本、そして世界と自分とのつながり。自分はいろんな所で、いろんな人と、いろんな形でつながっている事に気づきました。子どもたちといっぱい遊んで笑って、たくさんの思い出ができました。ただ、日本に帰って思うのは、フィリピンの人たちの苦しい生活は今も続いているということ。夕食の時、「みんな今日、何食べたんかな」とか、スーパーでバナナを見て「このバナナには懸命に働いているフィリピンの人たちの苦労がつまっている」と、日々の生活の中でフィリピンの人たちのことを想うようになりました。フィリピンのことを身近に感じるようになり、自分が出来ることがあるのではないかと思うようになりました。また、この「つながり」を意識し、今まで考えなかった視点から物事を見るようになったのです。 最後に、事実を知ることの大切さを実感しました。特に戦争については、日本では学ばない事実があることを知り、物事を一方からしか見ていないことに気づきました。また、物事をそのままに受け入れるのではなく、なぜそうなのか、事実はどうなのかを自分の中で見極めていく大切さを感じました。そうすることで、きっと自分の視野を広げることにつながると思います。 ツアーに参加するまでは不安で、どんなツアーになるのか全く想像がつきませんでした。でも、参加メンバーやリーダー、スタッフの方達に支えられながら、貧困を様々な視点から考えられたこと、そして自分の目で見て、感じ、考えるという貴重な経験が出来たことに心から感謝しています。また、自分の考えを仲間と共有し、意見交換することで新たな考えが自分の中で作られてゆく、その過程がとても楽しく勉強になりました。 この貴重な経験をここで終わらせずに、貧困についてもっと考え、よりよい社会を作るため行動につなげていこうと思っています。 |
スモーキーマウンテンで訪問した 家庭のお母さんと。
|
|
|
ペレーズの浜辺にて。ツアーで 出会った友人たち。
|
|
|
|
第二次世界大戦によって被害を 受けた女性たちからの話を 聞いて。 |
|
◆2010年 「フィリピンスタディーツアーを終えて」(20代 男性)
僕がこのツアーに参加しようと思ったきっかけは、「絶対貧困」という一冊の本に出会ったこと。 この本を読んで、今までテレビでたまに目にする程度だった「貧困」というものに興味がわき、 「貧困、貧困ってよく聞くけど実際どうなんやろ?せっかくやし見てみるか!!同年代の子の意見も聞いてみたいしな!!」と思い、参加を決めました。そんな安易な考えを打ち砕いてくれたのが、ツアーの事前学習会でのバーチャル家庭訪問です!フィリピン人になりきったスタッフの方から「あなたたちはなぜフィリピンに来たのですか?」と質問を受け、僕の思考回路は停止、頭の中がパニック状態になってしまいました。この時に相当悔しい思いをした僕は、なんとかしようと残りの一週間できる限りの本を読み、精一杯、頭を回転させました。しかし、フィリピンに行く当日の朝になってもその答えは見つからず、「よしっ!友達いっぱい作ってやろう!そしたら何か見えてくるかもしれん。」と、最初の目標を立て、旅立ちました。 現地を訪れて、そこに住む人々に触れる中で、実際に肌で感じたものすべてが衝撃でした。同じツアー参加者が言っていた「はじめは触れることさえためらった。」という気持ちもよく分かりました。日本で生まれ育った僕たちにとって、想像もできない生活環境、しかし、それに相反する溢れんばかりの人々の笑顔、繋がり…。貧困って何なんだろう、という疑問も湧きました。病院の必要性、教育の意味、貧困はどうやったら解決できるの?何度も考え、メンバーみんなでその答えを探しました。最後の二日間は、戦争についても考えを深め、戦争が起こる理由、戦争が残した爪痕を肌で感じました。そして、答えが見つからないまま終わってしまうかも、という不安を抱き始めた頃、これまでの自分の考えをまとめてくれたのが、元「慰安婦」の方の「あなたたちに私たちの活動に対する支援を望みます。しかし、会ったばかりのあなたたちにいきなり支援を頼むのはおかしい。だから、まず友達になることから始めましょう。」という言葉でした。「なんだ、そうだったのか。やっぱりすべてはそこから始まるんだ。」と納得することができました。まず触れて、友達になって、そこから自分のできることを探せばいい。 この旅を終えて、現地の人々と交流を深め、貧困の根底に私たち先進国の人々の生活があることを知り、テレビの中の話であった貧困が、実際に私が知っている人が困っているという状況、 つまり「他人ごと」が「自分ごと」に変わったのです。願いをもって行動を起こせば何かが変わる。僕はそう感じました。 そして、この考えを受けて思いついたことが「伝える」こと。ツアーリーダーが言っていた「一人の人が一日に二人の人に現状を伝える。それを聞いた人がまた同じことを繰り返す。 そうすれば一か月で世界中に伝わる。」という言葉に、僕は勇気づけられました。僕の夢は、一人でも多くの人に、その人にとってプラスの影響を与えること。自分がきっかけとなって、たくさんの人の心を良い方向に動かしたい。そして、そのための方法として、「教師」という職業をイメージしています。「伝える」仕事です。「一人でも多くの人」の「一人」には、フィリピンを含む世界中の人が含まれています。 今はもっともっと知って、もっともっと伝えたいという気持ちでいっぱいです。自分の生きる意味がより明確になり、すごくワクワクしています!! |
|
◆2009年 「フィリピンの都市スラムを訪ねるスタディーツアー」(30代 男性)
今回のスタディーツアーは、色々な意味で想像以上のものでした。 テレビや写真でみたことのある場所に訪れたことで、自ら体験しないと分からなかったこと、状況のすさまじさを知ることができました。 「世界の一部」で起きていることではなく、「我々の世界」で起きていることを強く感じました。 また、共に参加した参加者の方々の意識の高さには驚かされました。共に行動することでとても良い刺激になりました。 ツアーの最後のミーティングの際に、現地インターンスタッフの方がおっしゃったツアーの感想が頭から消えません。 「アペロクルスやスモーキーマウンテンなどで起きていることを知ったことによって、僕らには責任がある。 でもその責任は特権である」。とても心をうたれました。 帰国便のなかで、明日からの仕事のことを考えていました。でも、このまま「さあ、休暇は終わり。良い体験をしてきたなあ。明日から仕事やけど次の休暇までがんばって、次はどこに行こうかな?」とは考えられませんでした。現地インターンの方の言葉を思い返してました。この言葉は一生消えることはありません。 |
|
◆2007 夏のスタディツアー「じっくり型」@ (20代 女性)
私にとってこのツアーは、現地の様々な人々との出会いを通して、とても貴重で忘れることの出来ないものとなりました。そして、改めて「貧困」とは何かということを考えるきっかけになったツアーでした。NGO現地活動体験ツアー(現じっくり型ツアー)では、たった12日間という短い期間の中でフィリピンの貧困地区と呼ばれる3地区を訪れ、ホームステイやインタビューを通して、現地の人々と交流し、その生活の様子を自分の目で見ることが出来ます。また、ディスカッションをして現地で感じたことを仲間たちと話し合う場もたくさんありました。ツアー中を振り返ってみると、その毎日が新たな気づきと出会いの連続だった気がします。自分と異なる環境へ実際に行き、現地の様子を知ることで、それまで気づくことのなかった多くのことを学ぶことが出来ました。 ツアーで訪れた貧困地区には、ごみ山と呼ばれる場所で生活する大人や子ども、農村でその日暮らしをする家族など、そこには今日一日を生きることが困難な人々がたくさんいました。初めてそういった現実を目の当たりにして、最初は何も出来ない自分の無力ささえ感じた時もありました。しかし、目の前にいる人が生活に困っているのだから何とかしたい、この現状に対して自分には何が出来るのかと考えるようになりました。それは、誰でも家族や友達が困っていたら力になりたいと思うのと同じことだと思います。自分に出来ること、それはツアーを通して考え続けたことであり、現在もこれからも考え続けていくつもりです。 ツアー後、結局私はアクセスに入り、現在も大切な仲間と活動をしています。一人ひとり自分に出来ることは違うかもしれません。しかし、私は一人でも多くの人が動き始めれば必ず大きな力になるはずだと信じて活動しています。決して私たちは貧困問題に対して遠い存在なのではなく、深く関わっているのだということを忘れてはいけないと思います。ツアーを通して得たもの、感じたことをいつまでも忘れずに、これからも自分に出来ることを考え続け活動していきたいと思っています。 |
訪問地での交流会では子どもたちがダンスを披露してくれる。
ペレーズ地区で働きながら学校に通う子どもたちと交流。 |
◆2007 夏のスタディツアー「じっくり型」A (20代 男性)
2007年の夏、僕はスタディツアーに参加しました。僕がツアーに参加したのは、「大学生活で何か思い出に残ることをしよう」という想いからでした。決して、フィリピンや貧困問題に対して強い関心があったわけでも、深い知識があったわけでもありません。 そんな安易な想いからツアーに参加した僕でしたが、日本に帰ってきたときには「貧困問題の解決のために何か活動していきたい」と強く思うようになりました。それは、ツアーの中で、貧困問題が「遠い国で起こっている問題」ではなく、「自分たちの豊かな生活が関係している身近な問題」だと知ったからでした。 フィリピンで、現地の方々との交流を通じ、貧困が生み出す多くの悲しみを感じました。また、スタッフの方々からのレクチャーを受け、貧困問題が生まれる背景を知りました。そして、僕自身も貧困問題に対して必死で考えました。このように、貧困問題の現実と真剣に向き合ったことで、「絶対に自分にもできることがある」と強く感じました。 確かに、貧困問題の解決に向けて、僕1人にできることは本当に小さなことかもしれません。ですが、日本や現地で活動しているスタッフの方々、現状に苦しむ住民の方々、一緒にツアーに参加した仲間たちと協力することで、必ず貧困問題を解決できるということを学びました。 そして、先進国で暮らす僕たち1人ひとりの意識が変われば、必ず世界は変わると信じています。このような経験をしたツアーは、僕にとって一生忘れることができない貴重なものです。これからの自分自身の人生を通して、貧困問題と向き合っていこうと考えています。 |
マニラの都市地区での家庭訪問
路上で歌の練習をしていた、笑顔いっぱいの子どもたち。
現地訪問の合間に行うディスカッションやレクチャーを通して、学びを深める。 |
世界ではたったの6%に相当する人が6割の富を独占していて、毎日500人の子供が栄養失調で亡くなっている。時々日本でも取り上げられている貧困問題。これを日本で実感するのは関心があったとしても難しいことです。私たちの日常生活で、周りを見渡してみて、貧しさから日々の食事ができない人、医療費が払えなくて亡くなる人や学校に行けない人がいるでしょうか。ほぼ100%の確率で私たちの周りはこれら最低限の生活が保障されています。本来なら100人中たった6人の人しか得られないこの贅沢な暮しを自分の周りの100人全員が味わっている。じゃあ、残りの94%の人たちはどこ?本当にそんな数の人がいるのか実感さえわかないそんな日本での暮らしから一歩足を踏み入れてツアーに参加してみたら、そこには紛れもない現実がありました。 このツアーで私は、貧困の現実を、戦争の爪痕を、その中にいる人々の悲痛な想いを、人々の心の温かさを、人々の生きる強さを、そして自分自身が本当にどんなに恵まれているのかということを至る所で感じました。フィリピンの人々は突然日本からやってきた私たちに本当に良くしてくれました。ホームステイした先ではありったけの御馳走をふるまってくれ、自分たちは床の上にそのまま寝ているのに、私のために家で一番綺麗であろう白いシーツを敷いてくれました。子供達も人懐っこくて本当に可愛かった。どんな環境でも日本の子供たちよりもはるかに無邪気に生き生きと遊んでいました。そして家族や近所同士の繋がりもここではとても強かった。もちろん生きていくのに精一杯な環境では助け合うということが本当に必要になってくるのでしょう。そして日本ではそのような関係はめっきり減ってしまい、自分のマンションの隣の人すらよく知らない状況です。生活に事足りていて情報がネットで簡単に得られる中で私たちが失いかけている本当に大事なものがフィリピンの人々の生活にはありました。私のカメラの中には溢れんばかりのたくさんの笑顔が今も残っています。 では、ここでは『笑顔=幸せ』なのか。これはスタツアで投げかけられた問いです。人によって幸せの形なんて様々で幸せの定義なんてないと私は以前まで思っていました。そして、ここで人々が望む幸せは教育、医療、飲める水、安心した住まいといった私たちにとって当たり前のものでした。しかし彼らの生活を見て、当たり前のことを実現するのがどんなに難しいのか、それを実現できないことがどんなに悲しいことなのかを突き付けられました。同じ人間なのに、その人自身は私たちと何も変わらないのに、生まれた場所が違っていただけでこんなにも生活は変わってしまうのです。なんて世の中は不公平なのでしょうか。しかし同時に、この状況を作り出しているのは、運命や偶然なんかではなく、紛れもない先進国の私達や、過去にしてきた私たち祖先の行いなんだという事実をこのツアーでは教えられました。私たちの食べている安くて美味しいバナナはプランテーション農業といった低賃金労働者の生活を搾取しながら作られています。先進国ではより新鮮で美味しいものをと言って、まだまだ食べられる物を大量に捨て、それを店の売りとして大々的に公表しています。世界にある食べ物を67億人に均等に分配したら誰もが餓えなくて済むというのに。こんなことを自慢している私たち先進国は何をやっているんだと私は自国を恥ずかしく思いました。そしてこの現状を変えるのは、発展途上国の人たちだけではだめなのです。 現状を作り出している私たちが何をすべきなのか、このツアーでそして私たちは考えに考えましたが、あまりに大きな問題すぎて皆それぞれがまだ模索中です。でも動くことが大切であり、草の根運動かもしれませんが、それでも少しでも問題を知り取り組む人が増やすことが、いずれこの現状を変えていく一歩になるのだとここのスタッフは身をもって私たちに教えてくれました。 そして皆人それぞれの理由で参加したスタツアでしたが、自らを見つめなおし、その在り方をも深く考えさせられる旅でした。貧困、戦争の問題を考えるときは知らず知らず毎回私たち自身の生活を照らし合わせていました。そして12日間共に考え語り合った仲間とはかけがえのない絆が生まれていました。私はこの機会に恵まれたことを無駄にはしたくありません。自分に何ができるのかを実際に考え、これからも取り組んでいきたいと思います。 |
戦争中に受けた傷を今も抱えて生きる、性暴力被害者の女性たちと
スモーキーマウンテンにて
ペレーズで多く見られる、質素な住居 |
| ページトップへ |
◆2004年 夏 NGO現地活動体験ツアー (20代 女性)
この夏フィリピンへのスタディツアーに参加し、たくさんの出会いから多くのことを学んだ。そして「貧困」という言葉の意味を、実際にこの目で見て、肌で感じたという経験は私自身にとって貴重なものになったと強く感じている。 スモーキーマウンテンで見た光景は一生忘れないと思う。どこまでも続くゴミ山の中で体験したけだるい暑さと鼻をつく匂いは、ツアー参加前に見た写真の中のスモーキーマウンテンからは感じることも想像することさえもできなかった。それと同時に、あのような劣悪な環境の中でも、笑顔を絶やさずに生きる人々の姿に、なぜかほっと安心する気持ちと行き場のない怒りを感じずにはいられなかった。そしてアペロクルスで出会ったたくさんの笑顔も忘れられない。大家族が小さな家に肩を寄せ合って生きる姿や、隣近所が声を掛け合って生活しているという光景は、もう日本社会ではあまり見られなくなってしまった。自分だけでなく、みんなで生活を良くして行こうという彼らの姿勢から、私たちは学ぶことが多くあるような気がする。 アラバット島ペレーズでは「シンプルライフ」について考えたことが、自分自身の日々の生活を見つめ直すいい機会になった。ツアー参加者の皆さんと現地スタッフを交えてのディスカッションや、実際に島に住む家族にインタビューをすることで、彼らの生活やフィリピンをより身近に感じることができたと思う。インタビューをして感じたことは、どこの国に住んでいようと、どんな言語を話そうと、人間みんな同じだ・・ということであった。家族みんなで幸せに暮らしたいとか、親なら子どもにいい教育をさせたいと思うのは、世界共通の願いではないだろうか。ただ違うのは、日本ならその願いを現実に叶えることができるが、彼らは理想で終わる可能性が高いということである。今なお残る地主制や不安定な職に加え、子どもの多さや貧困による教育水準の低さなどが複雑に連鎖し彼らが豊かになることを邪魔しているとしても、いつか彼らが語ったシンプルライフが現実のものとなることを、私は強く願っている。 以前からフィリピンと日本は歴史的にも経済的にも深い関係があることは知っていたが、このツアーに参加する前までは、それを他人事のように感じていた自分がいた。途上国やそこに住む人々のために何かしたいとは思っていても、結局いつも実際に行動を起こしたり、自分が主体的に発信していくことができなかった。けれど、このツアーに参加して多くの人と出会い、その中で私が一番学んだことは、自分に直接関係の無い問題であっても、それを自分の問題として捉え、考え、そして自分に出来ることを実践していく事がいかに重要であるかということである。遠い国で起きている事だから自分には関係無いと無関心を装っていれば、決して問題が改善の道へと歩むことは無いのではないだろうか。そして同時に、社会を変えていくためには、その社会を構成している一人ひとりを変えていく必要があるということを、再認識した。もちろんそれはとても地道で効率が悪く、大変なことかもしれないが、その作業を怠っては問題の根本的解決とはいえないと思う。 |
スモーキーマウンテンで働く子ども
忘れられない笑顔の子どもたち
戦争・歴史にゆかりのある地を訪れて |
| ページトップへ |




















