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はじめに


短歌を36年ほどかじっている。「和歌をやってなさるのですね」なんていまでもときどき言われて自分のほう

がどぎまぎして照れてしまう。いまは和歌なんて言わない。同じかたちだが短歌という。短歌でもいい、なんと
風雅なことをなさっていること・・なんて言われかたをよく経験する。私の中では風雅なんて自覚はまったくな

いといっていい。短歌は5・7・5・7・7の31音でなりたっている。三十一文字を「みそひともじ」なんて言っ

たりする。五、七調でものを言うことと日本人のかかわりについて私は以下のように常 思っている。「お月

さまがでているよ」というより「月がでたでた月がでた」と言う方がなんとなく調子がいいし、わくわくするし、

胸キュンとなるなあ・・と古人はこの ひと呼吸一音の日本語を操るようになったとき感づいた筈だ。

そこから平素の「ケ」の物言いに対しての「ハレ」の物言いの「詩」や「歌」が生まれたのではないかと・・。

試みにカラオケの歌詞カードをご覧あれ、「曇りガラスを手で拭いて あなた明日が見えますか」なんて

平素ではとても言えそうにもないキザっぽい台詞も七・五調だとなんなく言えてしまう。そうして言った方も

聞いた方もなんとなく心に潤い感が残る。短歌もいわばそんなものであると自分は思う。

パソコンをやりだしてから私の短歌ノートは「一太郎」の中にあってずっと記してきた。このたびホームページ

のなかにそれを移そうかな・・と思った。たぶん自己顕示欲が底にあるのだろう。でも私の短歌仲間には

パソコンをする人は皆無である。たぶんそういうひとの眼にはとまらないだろう。いわば私の独り言である。

「徳孤ならずかならず隣あり」という言葉がある。自分の短歌は「徳」なんてものじゃ、さらさらないがこの

ひろい世間、どこかにこのサイトに興味をもたれる「隣」があることを信じよう。それから短歌は横書きが

少し馴染まないように思ってきてこのたび縦書き表示を研究した。でもそれがどれほど意味があるか・・

とふと考えた。ホームペ−ジそのものが下へ下へと移ってゆく形式だ。それに逆らって右から左へ眼を

移す縦書きは読みとりもはかどらぬだろう。現代俳句界に「黛まどかさん」という閨秀俳人がいて大活躍

だが彼女の結社誌はすべて横書きと聞いた。それ故にいまの空気を捉えた作品すら創作されるのだと

いう。そうだこのサイトの表示ゆえに掴める短歌の空気もあるのではないか・・そうおもうと期待に胸ふく

らむ。古人だって自由な表記をたのしんでいたむきがある。模様色紙に散らし書きしたものなど横書き

はおろか下の句がとんでもない位置に飛んでいるものすらある。背景の「紫」にも思い入れがある。

青春時代 洋画の「ウエストサイドストーリー」をみてジョージ チャキリスの着ていた紫のYシャツに唸

ったものだった。ファッションとしては黄色人種の日本人は紫は着こなせないとずっと言われてきた。

過年 広島でアジア大会があった。その時おおくのアジア系の人々が紫系のコスチュームで来日した。

それ以来 紫はひとつのアイテムとしてわがファッション界に定着している。でも心理学上では紫は「情緒

不安定」を象徴する色なのだそうだ。印刷業界でも紫はきれいな色だがどのメーカーのインクでも褪せ

やすくポスターなどにはなるべく使わないのだという。「情緒不安定、色褪せ」おおいに結構この緊張感

のある紫の背景にこれからMy「短歌」をのせていこうとおもう

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