レバノン演奏旅行


2003年5月、とりあえずイラク戦争の終結宣言が出され、延期になっていたコンサートが6月27日に開催される事になりました。私はレバノン国立交響楽団のはじめての日本人共演者として熱い歓迎を受け・・・ハイ!実際オーケストラもコンサートも素晴らしく、私のグリーグピアノ協奏曲♪の演奏も会心の出来で、怒濤のようなブラボーとスタンディングオーべーションは今も思いだすと胸が熱くなるんですけどね・・・

ただ、苦労話はつきません。

私は、戦争も終わり活気に満ちた、アラブ首長国連邦の航空会社エミレーツ航空でドバイ経由でレバノンに向かいました。今特にオイルマネーで話題になっているドバイですが、その頃からもう目を見張るようなお金持ち空港でした。ブランドショップの豪華さは他に類を見ないほどで・・・お金があったらなぁ・・・(笑)たぶんお金があっても買いませんけど!

今回の宿舎は何と大使公邸です。予算がないオーケストラが私の宿泊を日本大使館に頼んでくれて、それならと当時の全権大使、天木大使が招いて下さったのです。

ところがこの天木大使、ちっとも権威的なところがなく、親しみやすいというか・・・
いきなり、「いやあ瀬田さん、私はもうクビになるんですよ。小泉さんに反対しましたからねえ。こうなったら本を出版しようと思ってるんです。」と来ましたよ。
「えっ?そんな事、民間人の私に言っていいの?」とも思いましたが、毎日お話しする内におもしろい人だなあ・・とついつい話にひきこまれてしまいます。

でも、やっぱり天木大使もお役人的なところがあって、大使館主催の私のソロリサイタルの日、準備その他で気にいらない事があると(もちろん私の事を思ってなのですが)
「いやあ瀬田さん、申し訳ない。こんな失礼な不手際があって、私は怒ってるんですよ!瀬田さんもこんなとこではもう適当にやって下さい。本番は国立交響楽団との共演ですから・・」と来ましたよ。
それもコンサート開演30分前に楽屋に来て、現地スタッフに怒鳴り散らして、そのあと捨てぜりふみたいに私に言うんですから・・・

確かに大使の立場や気持ちはすごく解る・・・レバノン人の感覚は、「なんで?」というくらい日本人と違ってて、良く言えば「おおらか」悪く言えば「いいかげん」なんですね。頼んだ事はしてくれるけれど、細やかな心使いは全くないというか・・・

例えば控え室(たいてい演奏者はここで着替えるんですけれど)・・・ほこりだらけなんですよ・・・そして私が入室してから、お掃除を始める始末です。
鏡がないので、姿見のようなものがあれば持ってきていただけますか?とお願いすると、鏡のついた板を持ってきて金槌でガンガン壁に打ち付けて、
「Everithing for you !」(すべてはあなたのために!)と誇らしげに言うのです。
ありがとうございます!!!でも私、早く着替えないと・・それに本番前は一人にしてほしいんだけど・・・ ってな具合なのデス。

でも心配いらないんですよ〜・・7時開演でも7時にはだあれも来てないんですから・・・えっ?私、お客さん無しで弾くの?と思いきや、7時半くらいからゾロゾロと、皆さんにこやかにいらして歓談なさってるんです。

一人カッカしている天木大使と、親切だけどうるさいレバノン人スタッフと、大使に怒鳴られて困り果てている文化担当秘書の佐川さんと、・・・・こんな本番前ってあり〜〜?!

そんな中、きわめつけが大使の捨てぜりふ・・「瀬田さん!適当にやりゃあいいんですよ!」

頭に来た私は、おかげで一瞬のうちにものすごい集中力を発揮してステージに向かい、結果は大成功。レバノンの聴衆の熱い拍手を受け、自信をつけることが出来ました。
でも初日からどんなに疲れたか解っていただけます?

次の日、私は天木大使にチクリと皮肉を言いました。
「私はたとえどんな時でも全身全霊で一生懸命演奏します。地震で亡くなった友人を思うと、いつもこれが人生最後のコンサートになるかもしれないという緊張感がみなぎるからです。」
すると天木大使、その言葉をずいぶん気に入って下さったようで、
「いやあ瀬田さん、私が大金持ちになったらぜひ瀬田さんのスポンサーになりますよ〜!」
と来ましたよ。ハイハイ・・・期待せずに待ってますね。

まあこんな調子で、型破りの天木大使と、レバノン人独特のやり方になじむまでのストレスは大変なものでしたが、おかげさまでオーケストラと練習に入る頃には、「何でもどんと来い!」と腹を据える事ができるようになっていました。

いよいよオケ合わせ・・・練習会場は音楽院のホールです。壁に張り紙が・・・

一つ、練習は今まで必ず時間通りに始めました。
一つ、練習は今日も時間通りに始めます。
一つ、練習はこれからも時間通りに始めましょう。

と三項目が英語で書いてあります。

ところが、次はいよいよピアノコンチェルトのリハーサル・・とても時間通りに始まりそうにありません。
ピアノの上には、バイオリン、打楽器、パンの袋、ペットボトル….etc.
おいおいスタインウェイですよ・・・何と指揮者がそれらを一つずつかたづけてピアノの蓋を開けてくれました。

ポロロン・・何て素晴らしいピアノ!古いスタインウェイほど音が良いとは聞いていましたが、何とも言えないやわらかい、それでいて豊かな音がします。

やっと10分遅れで始まったピアノコンチェルトの練習は、まるで学校の音楽の授業のよう。指揮者がストップをかけるたびにガヤガヤ〜と私語が始まり、シ〜〜ッと誰かがたしなめて、ハイもう一度・・・・ところが一度音楽を奏で始めると、そのサウンドの熱いこと!!
オーケストラメンバーの半分は東欧から来たエキストラですが、残りはレバノン人です。ヨーロッパのオーケストラとはまた違う魅力溢れるアラブのサウンドでした。

本番は近くの教会にこのスタインウェイピアノをはじめ、すべての楽器を運び込んでの演奏会です。(残念ながらオーケストラのためのコンサートホールがないのです。)
教会の祭壇にティンパニを上げて、その前に管楽器、そしてその前に弦楽器、ピアノは舞台から落ちそうになっていますが、その存在は圧倒的です。

教会の天井は高く、音響は最高。ただ、難点は冷房が無いこと。6月とはいえ、レバノンは暑かった!
私はかつて、有名なピアニストが汗をしたたらせて熱演している様子をTVで見て、とても憧れていたのですが、この時の私の汗はそんなかっこいいものではありませんでした。
ボトボトと落ちる汗をぬぐうすべもなく、ただひたすら、最後まで集中がとぎれないようにと、もうろうとする暑さの中で弾いていました。

レバノン国営TVで放映するため、大きなTVカメラを抱えたスタッフがピアノのすぐ横で撮影したり、お客様も暑いのかプログラムで扇ぐ音が聞こえたり、教会の鐘の音が聞こえたり・・・・
でもそれらすべての生活の音をのみこんで、オーケストラの演奏は素晴らしい世界を繰り広げます。そこには、リハーサルでは決して出ていなかった緊張感のある神がかり的な音楽がありました。

聴衆の熱さも半端じゃありません。
演奏が終わるとともに立ち上がって近寄ってくるのですから・・・♪
ベイルートの聴衆は大変耳が肥えていて、ベイルートで成功すれば本物だと言われていただけに、このスタンディングオーべーションは私にとって忘れ得ぬ、揺るぎない自信となりました。

私はこの2003年6月の共演の後、2004年12月10日再度ベイルートで同じヴォイチェフ・チェピエル氏の指揮でラフマニノフのピアノ協奏曲2番♪を演奏しました。

この時も日本大使館のお世話になり、本当に本を書いて外務省を辞めてしまった天木大使に代わり、次の全権大使、村上大使が公邸に招いて下さいました。
村上大使は、大変落ち着いた上品な方で、私が演奏に集中出来るように、あらゆる配慮をして下さいました。本当に感謝しています。
また、在任中の2006年、イスラエルのベイルート攻撃があった時のご苦労を思うと、本当に頭が下がります。

世間では外務省や在外公館のスキャンダルを取り上げてバッシングする風潮が広がっていますが、天木大使も村上大使も立場や考え方は違うけれど、日本国のために奥様ともども本当に無私になって努めておられるのを何度も拝見しました。
これは私の意見ですが一概におもしろおかしく批判するのだけは賛成出来ません。

さて、2007年に入ってもイスラエルとレバノンの緊張関係は続いています。
私は2回の共演でオーケストラのメンバーにも友達が出来、次はハチャトウリアンのピアノ協奏曲♪をやろうと約束していますので、来年平和なベイルートで実現するのを心待ちにして、本当に祈る思いです。

ちなみにイスラエルの攻撃があった時期も、レバノン国立交響楽団は演奏会を開き続け、指揮者ヴォイチェフから聞いた話では、戦禍の中での演奏は想像出来ないほどの素晴らしさだったそうです。

余談になりますが2003年、帰りの機上でNGOの大西建丞さんがイラクから一時帰国されるのと偶然出会い、「イラクにもオーケストラがあるんですよ。いつか共演出来るかもしれませんね。」と話して下さいました。




2003年6月27日  グリーグピアノ協奏曲  於 ベイルート St.Jozef 教会
 
 

2004年 12月10日 ラフマニノフピアノ協奏曲2番  於 ベイルート St.Jozef 教会