
あなたは「American Skin(41 Shots)」を巡る論争を予期してました?
「いいや、あのディアロの事件はすでに新聞や雑誌で随分と取り上げられていたから驚いたよ。それに、あの歌は俺が今までの人生の中で書いてきたものの単なる延長だって感じていたよ。今のこの時代のある瞬間にアメリカ人であるということが何を意味するのか?ということについて歌っている。
あの歌はリリースされていなかったから、聴いたこともないはずなのに、色々な人が話題にしていたからなんだかおかしかったよ。あの歌はアトランタで初めて演奏して、そしたら騒ぎが始まっていたんだ。俺たちがニューヨークのショウのためにリハーサルしていたらスティーブが新聞を持ってきた。『おい、一体何が起きているんだ?』って」あの歌を書いた目的はなんだったんですか?
「俺は世紀の変わり目のこの時期にアメリカで取り組まなければいけないのは人種問題で、お互いの人種がどのように付き合っていくべきなのかということだと思うんだ。ある意味では、この問題に対する答えはこの国の浮き沈みに大きく関わってくるんだ。
俺はこの歌で、ある人種だから、その人が犯罪を起こす可能性が高いというような風潮を指摘したかった。彼らは権利を侵害されているんだ。法制度からだけではなく、コンビニのカウンターにいる奴なんかからもね。
最初のバースは人種の違いを超えようとしている人たちについてで、その河には色々な人種の血が混じっている。二番目のバースは子供が学校に行くときに特別なことを教えなければならない母親についてだ。大抵の人は子供が安全であると思っているけど、彼女にはそうは思えない。彼女にとってはそれが苦痛なんだ。ちょっとした動作やちょっとした誤解でさえも、命に関わってくるということが彼女には分かっているんだ。」大統領選挙はいかがでした?あなたはもう一人の候補の方が共感出来ていたのでは?
「そうだな、俺は共和党の大統領よりもましだとだけ言っておくよ。」ジョージ・ブッシュの当選はロックやポップスの活動を活発にさせますかね?
「さあ、それが音楽の世界でどういう影響があるのかはわからないな。俺は『NEBRASKA』がレーガン政権に対する反応だって言うのを読んだことがあるよ。もしかしたらそうなのかもしれないけど、俺があのアルバムを作っていた時にはそんなこと考えてもいなかったよ。俺はあの時に興味があったことについて書いただけで、特定の声を気にしたことはないよ。それがソングライターの仕事だと思う。」リユニオンツアーの話をする前に違うバンドとツアーした92年のツアーの話をしましょう。あの時、あなたの多くのファンがアルバムや他のミュージシャンとツアーすることやあなた自身を受け入れてくれなかったことはあなたを傷つけましたか?
「気にしていなかったよ。俺にはどんなことをしようといつもオーディエンスがいたよ。まるで家族みたいに(笑)俺は俺が過去にやっていたことが好きだった人の全てが、ある時期にやっていることを受け入れてくれるとは思っていないよ。俺は必要だと感じたからそうしたんだ。」私はあなたがバンドを解散させようと思ったのはアムネスティのツアーの中で、ポリスを離れたスティングが音楽的に成長したのを目にしたからだと思うのですが、そのことはあなたの考え方に影響を与えましたか?
「多分ね。スティングは色々なミュージシャンと演奏して、それを楽しんでいた。それにあのツアーでは俺も色々なミュージシャンとプレイした。その中には尊敬できるようなミュージシャンもいた。彼らは皆それぞれの事を自分の声で歌っていた。80年代の後半になるとEストリードバンドとこれから先に何をするかってことが考えられなかった。だから、他のミュージシャンと演奏するのはどんな気分がするんだろうって思った。俺はその経験を本当に楽しんだよ。」リユニオンツアーが行われることへの期待に対する強迫観念みたいなものはありました?普通こういったものはノスタルジーによる部分が大きいですよね。どうしてあなたはそれとは違う風に捉えれることが出来たのですか?
「俺は常に危険には敏感なんだけど、今のこのバンドに対してもの凄く自信があったんだ。俺たちはグレイテスト・ヒッツの時みたく、時々一緒に演奏してたけど、彼らの演奏は本当に素晴らしかった。だから、今までの音楽を現在のものにすることが挑戦だったし、俺は常にそのことを考えていたんだ。
最初のリハーサルの時、俺たちはトラックスに収録されていた曲や、まだ構想段階の曲みたいな、余り演奏したことがなかった曲を演奏した。それから、これまでの曲を演奏してみたら、最高の演奏を目にすることが出来た。このツアーに来た人は俺達の最高の姿を観たことになった思うよ。」多くの人にとって受け入れ難いことだと思いますけども、ロックミュージシャンの絶頂は20代であると考える人が多いですよね?それについてはどう感じていますか?
「ロックミュージシャンが20代で最高の曲を書くというのも確かに本当のことなんだろうけど、だからといって、それが歳をとってから最高の曲を書くことが出来ないということでも、バンドの演奏が良くならないということでもないんだ。もしも、真剣に取り組み続けていれば、もっと良くなるんだと思うよ。おれは若い頃にそう思っていたし、だからこそ長く続けてきたんだ。」どうしてあなたは曲作りに時間がかかるのか、ご自分ではどう考えています?
「そうだな・・・、俺は曲作りにおいて、何年も歌い続ける歌を書きたいと思って書いているんだ。それは多分、カントリーミュージックからの影響だと思うんだけど、たとえば、ハンク・ウイリアムスのように、40や45になった時にそれまでの自分の経験を反映させることが出来る曲を書きたかった。」『BORN IN THE USA』の大成功で自分の信念を失わないでいることは難しかったですか?
「俺は十分大人になっていたから、『BORN TO RUN』の頃よりは大変じゃなかった。俺は35歳で、既にそういうことは経験していたからね。確かにこれは大変なことになるな、とは感じていたけど、俺にとってはそれが挑戦に思えたんだ。俺にとってのヒーロー達は、例えば、ボブ・ディランやエルビス・プレスリーや偉大なソウルシンガー達は皆そういった挑戦に対するリスクを背負って、行ける所まで全力を尽くしていた。彼らはこの国で才能と可能性が許す限りの大きな役目を果たしていた。それはとても素晴らしいことだと思ったんだ。彼らは大きな影響力を持ち成功したし、オーディエンスの中の多くの人達にアメリカ人でいることの意味を再認識させたんだ。」今回はあなたにとって初めてのテレビスペシャルですけど、なぜ今までやらなかったんですか?
「以前までは、根本的にテレビでは俺達の情熱や熱気が上手く伝わらないと思っていたんだ。だけど、テクノロジーの進歩で撮影することがもっと歓迎すべきものになってきてたんだ。トム・ジョ−ド・ツアーは俺にとって最高の経験だった。だから、コンサートを撮影してなかったことをとっても後悔したよ。だけど、その1,2週間前まではコンサートを撮影しようと思わなかったよ。ただ俺達がどう見えているのか自分達の為に撮っておこうと思ったんだ。だけど、実際見てみるとバンドの熱気や情熱や迫力がとても見事に捉えられていたんだ。」アルバムに収められているもう一つの新曲についてはいかがですか?「LAND OF HOPE AND DREAMS」はいつ頃書いたんですか?
「アズべリーパークで公開リハーサルをやる何日か前のリハーサルの中で書いた。この再結成ツアーの意義と目的を明確にする為に何か新しい曲が必要だったんだ。歌詞は、ステージで俺があのリフをやってたら出来た。あのタイトルも何年か前のノートにあったものだった。」新しいアルバムはいかがですか?
「俺は予定をたてると上手く行かないんだよ。だけど、今までみたいに2,3年もかかるかは分らないな。ツアーの終盤から曲を書き始めてるし、ツアーでもやった『Code Of Silence』や『Another Thin Line』みたいにジョ−・グルシェキーと書いた曲もあるし。それに、バンドともまたプレイすることもあるだろうと思って、ツアーが始まる前に書いていた曲もあるよ。ニューヨークのショウでやった『Further Up On The Road』もその中の一つだよ。
作り掛けのアコースティックアルバムもあるけど、今はバンドとスタジオに行ったらどんなものが出来るかみてみたい気がするよ。」95年にあなたは、家庭を持ってから一番学んだことは仕事に100%を捧げるということは、自分の人生を仕事に100%捧げる事ではないと言っていました。しかし、一旦ツアーに出てしまうと、またツアーに出なければという強迫観念に駆られたりすることはありませんか?
「いいや、若いアーティスト達には分らないだろうけど、一度学んでしまうと元の場所には戻ろうとはしないと思うんだよ。俺が思うに、若い頃はエネルギーを色々な方向に分散させてしまうことは恐いことだと思うんだ。だけど、実際にはそうすることで、自分が何者なのか、自分には何が出来るのか、世界との繋がりとか、物の見方だとか自分の音楽を狭めてしまっている感覚を広げることが出来るんだ。だから、家族や愛する人との関係は人生も、音楽ももっと豊かなものにしてくれるんだ。」