| 1949年9月23日 | アイルランド人の父ダグラス、イタリア人の母アデルの間にニュージャージー州フリーホールドで生まれる |
| 1958年頃 | 『エド・サリバン・ショー』でエルヴィス・プレスリーを観てギターを初めて手にする。しかし、この時は手が小さすぎて断念 |
| 1963年頃 | 最初のバンド、ザ・ローグスで月1回程度の活動を1年ぐらい続ける。また、この頃初体験!! |
| 1965年 | キャスティールズとの初舞台。テックス・ヴィンヤードがマネージャーをつとめた |
| 1966年5月18日 | キャスティールズと「That's What You Got」「Baby I」をレコーディング |
| 1967年6月19日 | フリーホールド・リージョナル・ハイ・スクールを卒業。その後、オーシャン・カントリー・カレッジに進むが、間もなく中退 |
| 1967年11月3日 | スティーブ・ヴァン・ザントと初めて会う |
| 1967年12月 | キャスティールズ解散 |
| 1969年2月14日 | アース結成、すぐに解散 |
| 1969年5月23日 | ダニー・フェデリチとヴィニ・ロぺスが結成したチャイルドに参加 |
| 1969年12月12日 | バンド名をスティール・ミルに改名 この前後ブルースは大学を中退、ダグラス、アデル、そして妹のジニーとパメラはカリフォルニアへ |
| 1970年2月22日 | サンフランシスコに来ていたスティール・ミルはビル・グレアムの要請で「Goin' Back To Georgia」「The Train Song」「He's Guilty」をレコーディング |
| 1970年9月11日 | 警察が電源プラグを抜いた為、ショウが暴動に近い状態で終わる。ダニーが警官を殴り逃亡、ニックネームが「ファントム・ダン」に |
| 1971年1月22日 | スティール・ミル最後のショウ |
| 1971年5月14日 | ドクター・ズーム&ザ・ソニック・ブームの最初のショウ。メンバーにはスティーブ、ダニ−、ヴィニ、ギャリー・タレント、デイビット・サンシャス、サウスサイド・ジョニーなど15人以上がいた |
| 1971年7月10日 | ドクター・ズームをブルース・スプリングスティーン・バンドに縮小 |
| 1971年11月 | ティンカー・ウエストの紹介でマイク・アぺルに初めて会う |
| 1972年3〜5月 | アぺルがブルースの為に設立したローレル・キャニオン・リミテッドとレコーディング契約、版権契約、マネージメント契約を結ぶ |
| 1972年5月2日 | マイク・アぺルが取り付けたジョン・ハモンドのオーディション |
| 1972年5月3日 | CBSスタジオで、アコースティック・ギターとピアノによる14曲をレコーディング |
| 1972年11月31日 | 初代E・ストリート・バンドとの最初のライブ。メンバーはダニ−、ギャリー、ヴィニ、そしてクラレンス・クレモンズ |
| 1973年1月5日 | 『GREETINGS FROM ASBURY PARK,N.J』が発売 |
| 1973年4月28日 | チャック・ベリー、ジェリー・リ−・ルイスとの3組の出演のオープニングを務める。また、ベリーのバックバンドとして演奏していた途中、ベリーに「金の為に演奏しなよ、坊やたち」と言われた |
| 1973年5月30日 | シカゴの前座として初めてアリーナで演奏する |
| 1973年6月22日 | デイビット・サンシャスがE・ストリート・バンドに参加 |
| 1973年11月5 | 『THE WILD,THE INNOCENT&THE E STREET SHUFFLE』が発売 |
| 1974年2月18日 | ヴィニ・ロぺスが脱退(解雇?) ア−ネスト・ブーム・カーターが新ドラマーに |
| 1974年4月9か11日 | ジョン・ランドウと初めて会う |
| 1974年5月9日 | ボニ−・レイトの前座。観客のなかにジョン・ランドウがいて、その後「リアルぺ−パー」に有名な「ロックン・ロールの未来」のレビューを載せる。また、この日に初めて「Born To Run」が演奏されたと言われている |
| 1974年8月14日 | デイビットとア−ネストがバンドを去る |
| 1974年9月18日 | マックス・ウェインバーグ、ロイ・ビタン、ヴァイオリンのスーキ・ラハブがバンドに加入 |
| 1974年12月14日 | ビリー・ジョエルのステージにアンコールの「Twist&Shout」で加わった |
| 1975年3月9日 | スーキがバンドを去る |
| 1975年7月20日 | BORN TO RUN ツアーがロードアイランドから開始 スティーブがバンドに参加 |
| 1975年8月13〜17日 | 伝説的なボトムラインでの10回公演 |
| 1975年9月1日 | 『BORN TO RUN』が発売 |
| 1975年10月2日 | 有名な『Bomb Scare』ショウ。7曲目が演奏された後、爆弾脅迫の為にバンドはステージを去った |
| 1975年10月27日 | 『TIME』誌と『NEWS WEEK』誌の表紙を同時に飾る |
| 1975年11月18日 | ロンドン ハマ−スミス・オデオンにおける、初めのてのヨーロッパでのショウ |
| 1975年12月31日 | ツアーがフィラデルフィアで終了。ヨーロッパを含め、全82回のショウ |
| 1976年3月25日 | チキン・スクラッチ・ツアーがサウスキャロライナから開始 |
| 1976年4月29日 | ショウの後スティーブとグレースランドに忍び込むが、結局エルヴィス・プレスリーに会う事はできなかった |
| 1976年5月13日 | ツアーがルイジアナで終了。南部、中部を中心に全33回のショウ |
| 1976年7月27日 | マイク・アぺル、ローレル・キャニオンなどを訴える |
| 1976年9月26日 | ツアーがアリゾナから開始 |
| 1976年10月25日 | (トリとして)初めてのアリーナ公演 |
| 1976年10月30日 | パティ・スミスが「Rosalita」に加わった |
| 1976年11月4日 |
ロニー・スペクタ−がゲスト出演。ロニーは翌年2月17日にも登場 |
| 1976年11月26日 | パティ・スミスのショウに出演 |
| 1977年2月7日 | マイアミ・ホーンズが参加したツアーがニューヨークから開始 |
| 1977年3月25日 | ツアーがボストンで終了。全33回のショウ |
| 1977年5月12,13日 | アズベリー・オールスター・レビューにE・ストリート・バンド、ロニ−・スペクターなどと出演 |
| 1977年5月28日 | マイク・アぺルとの示談成立 |
| 1977年12月30日 | パティ・スミスのショウに出演 |
| 1978年5月23日 | DARKNESS ON THE EDGE OF TOWNツアーがニューヨークから開始 |
| 1978年6月6日 | 『DARKNESS ON THE EDGE OF TOWN』が発売 |
| 1978年8月21〜23日 | 初めてのMSG公演。23日のショウには母親のアデルがステージに登場した |
| 1978年12月20日 | チャールズ・R・クロスがBACKSTREETS誌を創刊するきっかけになったショウ。ショウが終わったと思われた15分後にブルースとバンドはステージに戻って来て、「Rave On」と「Twist&Shout」を歌った |
| 1979年1月1日 | ツアーがクリーブランドで終了。全118回のショウ |
| 1979年9月22,23日 | MUSE主催の反原発べネフィット・コンサート NO NUKESに出演 |