Forced To Confess



 『ボーン・トゥ・ラン』が発売されてからというもの、僕はまったくブルースと会えなくなってしまった。時々ツアー先から電話をくれる事はあったが、なんだかひどく疲れている様子で、じっくりと話しが出来るような雰囲気ではなかった。彼は「好きな事がやれているんだし、どこへ行っても大歓迎されるからとても嬉しい。」と語ってはいたが、その割には声に精彩がなかった。
 ブルースは雲の上の存在のようになっていた。レコード店には『ボーン・トゥ・ラン』のポスターが何枚も貼られ、FMはどこの局でもブルースの曲を流していた。ごく普通に生活していても、「ブルース・スプリングスティーン」の名前を聞かない日はなかった。僕は音楽誌に”『BORN TO RUN』は、両親の元から、僕らを奪い去ってくれる作品だ”と書いたが、その実、内心はパッとしなかった。確かにブルースは素晴しい作品を作った。しかし、その余りの素晴しさ故に、彼が失うものも多いだろう事を、僕は何となく予感していた。自分の友人が遠い所へいってしまう・・・という、個人的なセンチメンタリズムならお笑い草ですむが、事はそれだけで済みそうになかった。
 アルバム発表後のツアーは予想通リ大盛況で、デイブ・マーシュはE・ストリート・バンドを「今までに集められた最良のロックン・ロール・グループ」と評した。
 彼のツアーはまた、全米中で神話を残していった。例えば、「フィラデルフィア・インクアイアラー」は、「タワー・シアターでのコンサート4回分、12000枚のチケットは、発売後90分で売り切れてしまった」と報じた。もちろん売り切れになるのはフィラデルフィアだけではなく、盛況ぶりはどこへ行っても同じだった。
 ブルース・フィーバーの中で僕が一番驚いたのは、同じ日(75年10月27日)に『タイム』と『ニューズ・ウィーク』両方の表紙を飾った事だった。この事によって、ブルースは全米でも大統領やローマ法王と並ぶ有名人になってしまった。
 77年の秋、ブルースは僕に電話をかけてきた。彼の声を聞くのは本当に久しぶりだった。
 彼はどこかの街のモーテルから電話をかけているらしく、電話線のむこうはシーンと静かだった。テレビやラジオ、カセットの音さえしなかった。そして、そんなしじまの彼方から僕の耳元に伝わってくる低く、かすれたブルースの声は、全米で知らぬ者のいない大スターのものだとは思えなかった。 
 「ピーターかい?」ブルースは言った。
 「ああ、ブルース、凄い人気じゃないか。忙しくて大変だろう?今でもツアーの毎日なのかい?」
 「本当に大変な事になってしまった。」ブルースは力なく呟いた。ブルースらしさがまるで感じられない声だった。
 「今もモーテルからかけてるんだ。僕がなぜこんな所にいるか分るかい?ホテルに泊まってると、ファンが追い掛けてくるんだ。それに、ホテルみたいな豪華な所に泊まっていると、自分がダメになりそうで恐いんだ。」
 ブルースは言葉を続けた。
 「外へ一歩も出られないんだよ。どこへ行ってもこんなふうに部屋の中でジッとしているしかないんだ。何だってこんな事になっちまったんだ。」
 「それは、君がアルバムを作ったからさ。」僕は言った。「それを皆が支持した。それだけの事さ。あとの事は全てマスコミがでっちあげた事さ。」
 「だろ?俺がやった事は、アルバムを作った事だけだぜ。他に俺が何をしたって言うんだ!?俺は共和党の候補じゃないんだ」
 そう言うと、彼は途端に黙りこくってしまった。長い沈黙があった。僕はなんと声をかけてやればいいのかまったく分らなかった。
 「なあ、ピーター。今、俺が何をしていると思う?」僕に電話をかけている所さ、と言うとブルースは一瞬怒ったように黙ってしまった。つまらない事を言ってしまった。
 「聞いてくれよ。俺は夜だってのに一歩も外へ出られないまま、本を読んでいるんだ。まったく信じられないよ、あれだけ勉強が嫌いだった俺が今難しい歴史の本を読んでるんだ。今の今まで、俺は自分の国について何も知らなかった。黒人が虐待された歴史や、栄光の影に隠れた貧しい白人の歴史・・・全て俺の知らなかった事ばかりだ。こうやって静かに本を読んでいると、曲づくりのインスピレーションが湧いてくる。自分が何をすればいいのかが何となく分かってくるんだ。」
 「アルバムを作るのかい?」と僕は聞いた。
 「作らなければならないんだ。」とブルースは言った。「CBSの奴らがしつこくせかすんだよ。俺はあまり急ぎたくないんだが、来年までに作らなくてはいけないんだ。そのために、今、毎日部屋の中で曲を書いてるんだ。もう30曲ぐらいになったよ。」
 「ダブル・アルバムにするのかい?」
 「それはどうかな。もう既にCBSが来年のセールスに向けて根回しを始めているんだ。元には戻れない。」
 「また会いたいよ、ブルース」と僕は言った。「アルバムが出来てからでいい、少し時間が作れないかな?」
 「ああ、僕も君に会いたいよ」とブルースは答えた。「来年まで待って欲しい。そしてアルバムが出来上がったら、また色々な話しをしよう。その時は必ず電話をするから。じゃあな・・・」
 そう言ってブルースは電話を切った。妙に寂しく、それでいて妙に優しい電話だった。彼の歌詞じゃないが、夏の雨の中で飲む生温いビールのような会話だった。



78年の秋、僕とブルースは、サンフランシスコを車で走っていた。4枚目のアルバム『DARKNESS ON THE EDGE OF TOWN』は6月2日に発表され、その時期と前後して、5月23日からツアーが始まった。そのツアーは夏のコンサートシーズンを期に一旦終了し、ブルースはやっと僅かな時間を手にする事が出来たのだった。
 サンフランシスコに吹く風は夏の懐かしさをほんの少し残していた。それは、夏とともに全米中を駆け巡ったブルースの嵐が去った後に訪れた、引き潮のような印象をたたえていた。
 西日に照らされた街の中、僕はシボレーのオープンカーのハンドルを握り、ブルースは助手席でジッと目を閉じていた。それは気分良く風に吹かれているようにも見えたし、過ぎ去った忙しい夏を省みながら疲れを癒しているようにも見えた。
 「実は昨日の夜、夢を見たんだ・・・」目を閉じたまま、ブルースは話し始めた。「懐かしい夢さ。子供の頃、学校に連れ戻されたんだ・・・。俺はいつも逃げ回ってばかりいた。学校からとんずらして街やアズベリーパークへ遊びに行って、午後になると見つかって学校へ連れ戻されるのさ。」
 「ポリスに見つかるのかい?」僕は聞いた。
 「親父とおふくろさ」
 「何から逃げていたんだ?」
 「とにかく、学校が大嫌いだったんだ。学校の事なんて考えたくもなかった。確か、8年生の時、俺は1年生の教室に叩き込まれたのさ。罰としてね・・・。座らされた椅子は笑っちまう程小さくて、机もとても小さかった。ひどく惨めな気分だった・・・。そして、女の教師が1年のガキどもに向かってこう言ったのさ、『みなさん、ここにいるにやけた人をごらんなさい』って。あまりに惨めなんで、俺は力なく笑っていたんだろうな・・・。で、女教師は『こんな人になってはいけません。真面目に勉強しないと、この人のような落伍者になりますよ』と言うのさ。すると、俺の隣にいた6歳のガキが俺の顔をジーッと見て、『恥知らず』って俺の顔を引っぱたいたのさ。」そう言ってブルースは指で顔をなぞった。「ひでーショックだったぜ」
 「俺が子供だった頃ってのは、いつもそんな感じだった。8年生ぐらいまでは順調にきてたんだけどな。それからは凋落の一途さ。仲間からは馬鹿扱いされてたしな。クラスに1人ぐらい本当の馬鹿っていただろう?俺がそれだったのさ。学校でなんか悪さをすると必ず先公が俺の妹を連れてきてな、妹がおふくろみたいな口調で『お兄ちゃん、もう馬鹿な事やめてちょうだい』って言うのさ。」
 ブルースは閉じた目を開け、レザージャケットのジッパーを引き上げて話を続けた。
 「何もかも嫌いだったって事を、一体どう説明すればいいのかな・・・」ブルースは独り言のような話を、ペースを上げて喋った。
 「高校を卒業する頃には、俺の相手をまともにしてくれるような奴なんて1人もいなかった。友達にまで愛想をつかれちまったのさ。ちょうどその頃、俺は自分と似たような奴らとバンドを組んでいて、髪を伸ばしていたんだ。でも、俺の学校はカトリック系だったから厳しくてな、髪の長い奴なんて1人もいなかった。そして、担任の先公が教室で『皆さん!こんな髪を伸ばした恥さらしを、卒業させてもいいものでしょうか!?』と言うのさ、俺のいる目の前でな。そして、『少なくとも髪を切るまでは、こんな馬鹿を当校から卒業させてはいけません!』ときたもんだ。」
 「だから、卒業式の当日、俺は家を出たままニューヨークに行ったんだ。そして、ビレッジでドラッグの売人をやっている友達の所へ転がり込んだ。それまで俺は一切ヤクをやった事はなかったんだが、その時ばかりはやりまくったんだ。」
 「そして、フラフラになっている所に電話が鳴った。俺のおふくろからだった。『せっかくの卒業式なんだから、どうか帰ってきてちょうだい』とおふくろは言っていた。でも、俺が家に帰ると親父と一戦交える事になるのが分りきっていたから、『親父が静かにしてるなら帰る』と言った。」
 「そして、俺は女を連れて家に帰った。家の前に立つと、スクリーンドアを開けて親父が出てきた。親父は俺の襟首を掴んで家に中へ叩き入れ、もう一方の手で彼女を外へ突き飛ばした。それっきり、俺は彼女に会う事ができず、持って帰ってきたドラッグを毎日家でやってたんだ。」
 「そんな日々の中で、ロックンロールだけが心の救いだった。ロックンロールにさえ夢中になっていれば、俺は嫌な事や寂しさを忘れる事が出来たんだ。俺にとってギターっていうのは、ハイウェイへの入り口なんだ。」



 太平洋に日が沈み、サンフランシスコの街には夜のとばりが落ち始めていた。昼と夜とが混じり会う甘美な時間の中を、僕とブルースのシボレーは走り続けた。喋り疲れたのか、ブルースはまた静かになって目を閉じていた。それはまるで、静かに最期の時を待つ老人のような佇まいだった。僕の横にいる巨大なロックスターはあまりに小さく、弱々しく、喧嘩に負けて帰ってきた情けない子供のようだった。僕はずっと道の彼方を見つめ続け、ブルースの気が済むまで車を走らせ続けようと思った。子供の頃から理解者に恵まれず、ようやく日の目を見たかと思うと、途端に巨大なロックビジネスに巻き込まれ、商品として振り回され続けているこの弱い男は、もうどこにも帰る場所がないのだった。
 「いつか、君に言った事があったな・・・」目を閉じたまま、ブルースは再び口を開いた。
 「『BORN TO RUN』ってタイトルを俺は最高に気に入っているって話さ。あれは、俺だよ。俺の事なんだ。全てはあのアルバムから始まったのさ。あのアルバム以来、俺の人生は俺の手元から離れていっちまった。皮肉なもんさ。俺は自分の人生をコントロールするために、あのアルバムを作ったんだぜ、それなのにさ・・・」
 「何だって、レコード会社の言いなりになっちまったんだい?」
 「金さ」ブルースは答えた。「とにかく金が欲しかった。それだけさ。」
 そして、またブルースは黙った。疲れて寝てしまったのかと僕は思った。そしてサンフランシスコが完全に夜の闇に包まれた頃、ブルースは独り言を呟いた。風にかき消されそうな弱々しい声だった。
 「昔は良かったな・・・」ブルースはシートの背もたれに深く身を沈めて言った。「毎日が楽しかった。」
そして、彼は「今どの辺を走ってるんだい?」と聞いてきた。
 「サンフランシスコさ。気の済むまで走り続けよう」
 「そうか・・・。随分、遠い所まで来ちまったなぁ・・・。」ブルースは目頭を指で押さえながら言った。
 「なぁ、ピーター。サンフランシスコにもボードウォークはあるのかな・・・」
 シボレーは夜の街を走り抜け、いくつもの坂を昇り降りした。そして、ある丘を登りきって車が下りかけた時、目の前にサンフランシスコのピアの夜景が拡がった。その夜景を前にして、ブルースは両手を掲げて伸びをした。夜の風に髪がなびき、ブルースはその感触を楽しんでるようだった。
 「ああ・・・いい気持ちだ・・・」ブルースはそう言って、うっとりと目を閉じていた。頭をシートの縁にのせ、吹きつけてくる秋の風を受け止めていた。
 「なぁ、ピーター、俺は大人になったと思うんだよ」とブルースは言った。
 「こうやって走るように生きてきて、一つ気付いた事があるんだ。」
 僕は正面を見据えながら、一言だけ「ウン」と頷いた。ブルースも正面を見据えながら、言葉を続けた。
 「何もかも、全ての事に代償を払わなきゃならないんだ・・・」



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