7 福本豊

 世界の盗塁王福本豊.入団当時はこれほどの成績を残すとはだれも考えなかったのでしょうか?最初の背番号は40番.その後平林と背番号を交換して7番に.13年連続盗塁王,通算盗塁・二塁打・三塁打の日本記録更新等,走に関する記録はほとんど福本が持っているのではないでしょうか.(福本の通算記録参照
1000盗塁達成翌日のサンスポ

 右の新聞は84年8月7日の通算1000盗塁の翌日のもの.関西でも珍しい阪急一面です.普段はあまり表に感情を出さない福本ですが,この時ばかりは盗塁が成功した後二塁のベース上でとても嬉しそうにガッツポーズをしていたのがとても印象に残っています.引退後の野球解説ではいろいろおもろいことをしゃべる明るい大阪のおっちゃんでしたが,現役時代は寡黙な職人といった感じの福本.前年の当時世界記録だった938盗塁達成時は普段の盗塁とほとんど変わらなかったんですが,1000盗塁はよっぽど嬉しかったのでしょうか,それとも引退を意識しだして最後の目標だったのでしょうか.この試合後のコメントで「1000盗塁はまだまだ通過点で,次は1100や1200を目指しますよ.」と言ってましたが,一つの仕事(目標)を達成した安堵感をその表情に感じました.この試合の後阪急最後の年まで4年間現役を続けましたが,その間の盗塁数は65個でした.
 この福本の代名詞でもある盗塁.足の速さだけだと当時の阪急に福本よりも速い選手が何人かいたそうです.けれども盗塁といえば福本.盗塁にはスタート・塁間・スライディングの三つのポイントがあって,福本は「走ること」だけでなくそのスタート,そしてスライディングの二つのポイントにおいても超一流でした.スタートといえば相手投手の癖を盗むのがうまかった福本.当時はまだビデオカメラも普及しておらず,球団をして相手の情報をビデオで収集なんてこともしていない時代.福本はわざわざ個人でビデオカメラを購入して(相当高かったらしい)知り合いに一塁側のスタンドから相手ピッチャーのセットポジションのフォームを録画してもらい,それを見ながら研究したそうです.そういえばあの東尾投手(多分太平洋クラブライオンズ時代)にも癖があって最初は走り放題だったんですが,東尾に泣きつかれてついその癖を教えてしまったそうです.「さすがに大投手だけあってそれ以来きっちりとその癖直してきて走りづろうなったわ.」と何かの番組で福本は笑いながら話していました.スライディングに関しても福本は持論があって,ほとんどヘッドスライディングをしませんでした.一つは隙があれば次の塁を狙うためすぐに立ち上がれるスタンディングスライディングということ.スライディングで二塁ベースに足がタッチした瞬間福本は反対側の足を使ってもう立ち上がってるんです...そして,もう一つは頭から滑って下手をして怪我をして試合に出れなくなるとチームにもファンにも迷惑をかけるから,というのが理由で派手だけどメリットのないヘッドスライディングはほとんどすることがありませんでした.(実は一度だけ福本がヘッドスライディングをしたのを見たことがありますが,あまりうまくなかったなあ...)

 「職人福本」といえばほとんどバントヒットを狙わなかったことでも有名です.あれだけ足が速いんやからバントで内野安打を狙えば良いのに...一つには福本ということで三塁手が前進守備をすることもあったんでしょうが,やはりそういうせこいヒットは狙いたくないという気持ちも多分にあったようです.入団当初は体が小さいこともありバットに当たっても内野の頭を越せないとの酷評もあったようですが,バットを振って振って練習して,初回先頭打者本塁打の日本記録を作るなど200本以上もホームランを打つ強打者になりました.1kgを超える太い「ツチノコ」バットも福本の代名詞でした.

 攻走守三拍子揃った福本.もちろん守備も超一流でした.オールスターでの壁に上ってホームランボールを取ったこともあったようです.(私はまだこの頃は阪急を知らなかったのでこのプレーは後で知ったんですが.)とにかく右中間・左中間を抜けることなどありえません.スタンドに入りさえしなければ,ボールの落下点には福本がいるんです.余裕で追いついて.簑田・福本・ウィリアムス,もしくは山森・福本・簑田と並んだ外野陣は日本プロ野球史上最強だと思います.
 ただ残念なことに,この福本も晩年レフトに守備位置を変えたときはその鉄壁の守備の面影がなくなってしまいました.やはり長年センターで培った打球への勘,打った音で方向を判断してスタートを切るといったことや,打者によっての打球の伸び具合等,センターとレフトではあまりにも違いすぎたのか...そして,山田のページに書いたような凡プレーをしたりすることもありました.

 最後に「おいあくま」の話.「ごるな,ばるな,せるな,さるな,ような」の頭文字を並べて「おいあくま」.入団当初に二軍のコーチ(天保さん?)から聞き,それ以来福本は常にこの言葉を心がけていたそうです.

bravie 99/9/1

このページに関する感想・お問い合わせは, bravie[at]sannet.ne.jp まで.(お手数ですが,[at]を半角の@に置き換えてください)