4 マルカーノ

 1990年11月13日,マルカーノ氏は39歳の若さで,肺ガンのためこの世を去りました.マルカーノ氏のご冥福をお祈りいたします.

 今,マルカーノのプレーを思い出そうと目を閉じてみても,ほとんど浮かんできません.わずかに浮かんでくるのは二遊間の打球に飛びついたシーン,そしてゲッツーの時の一塁へのスナップスロー.どの試合とか,どんな場面とかまったく思い出せません.他には,ヤクルト時代のバッティングシーンとか,巨人でサンチェの通訳としてマウンド上にいる姿.親しみやすいあの笑顔ははっきりと思い浮かべることができるのに.
 阪急ブレーブスにいた8年間,マルカーノは常にクリーンアップ打つ中心選手で,78年には打点王,79年には加藤英,島谷と3人共に100打点以上をあげる活躍,ベストナインやダイヤモンドグラブ賞の常連でした.
 そんな大選手だったのに,どうしてほとんどプレーの印象が無いんだろう.別に嫌いな選手だったわけではありません.今でも好きな選手を選べば間違いなくベスト3に入るぐらい大好きな選手だったのにどうして...
 私の中のマルカーノは,空気のような存在だったようです.阪急ブレーブスになくてはならない選手であったのは間違いありません.しかし,クリーンアップに名を連ねチャンスに確実に打つ,セカンドの堅実な守備,そういった事があまりにも当たり前すぎて特に印象的なシーンが浮かばないのだと思います.そう考えると,マルカーノが阪急からヤクルトに移籍した時に阪急の一時代が終わったととてもさみしく感じたことも納得できます.(こういうさみしさを感じたのは山田引退間近と思った時と,阪急ブレーブスが身売りした時とあわせ3回だけです.)

 実は,もう一つマルカーノについての大事な思い出があります.75年のことです.当時,私は親の仕事の関係でメキシコに住んでいました.それで,小学生向きの雑誌に載っている巨人の選手のこと意外プロ野球のことなどほとんど知りませんでした.そして,10月に日本に一時帰国した私が初めてプロ野球の試合を見たのが(球場ではなくテレビでですが)阪急と広島の日本シリーズだったのです.私はその時から阪急ファンになりました.マルカーノといえばこの年から阪急に入団し日本一の立役者の一人になります.
 11月になり,1ヶ月の一時帰国を終えふたたびメキシコに戻ることになりました.そのメキシコ行きの飛行機でマルカーノと一緒になったのです.マルカーノは家族と共に私の数列前の席にいました.(日本一になったチームの主力選手だったのに我々と同じエコノミークラスの席に座っているなんて阪急は渋ちんだったのかなあ...当時はビジネスクラスなんてのはなかったけど,ファーストクラスはあったはずなのに.)当時はメキシコ行きの便はバンクーバ経由で,給油のため2時間ぐらい待合室で待たされました.その時,マルカーノの幼い息子さんがおもらししてしまって奥さん共々困ってしまっていた姿が思い出されます.日本一になったチームの大選手のはずなのにそういう姿を見たことが,私がマルカーノに親しみを感じる一因でもあると思います.
 残念なことに,15時間ほど同じ飛行機に乗っていたのに,恥ずかしがり屋だった私はサインをもらうことも,握手してもらうこともできませんでした.しかし,明るくてやさしい人柄を感じれる生のマルカーノに会えたのは私の大事な思いでの一つです.

bravie 98/10/31

マルカーノ選手の思い出のメールをいただきました.
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はじめまして、47歳の主婦です。
私は1975年秋から5年間、西宮球場の近くに住んでいました。
あるパソコン通信ネットの掲示板に、次のような書き込みをしました。

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  阪急ブレーブスのファンだった私は、
  マルカーノ選手の「逆転さよなら満塁ホームラン」が今も忘れられません。

  マルカーノは日本でのシーズンオフには、ご自分の国でプレーしていました。
  ブレーブスが「給料をあげるから、日本にいてくれ」と頼んでも、
  「私は野球をするのが好きなので、お金の事ではないのです」とこたえ、
  やはり年中野球をやっていたと聞きました。

  20年程前、阪急ブレーブスにいた「マルカーノ選手」って、中米か南米の
  方だったと思いますが、どこの国だったのでしょう。
  それと、帰国してまもなく(病気で)亡くなられたような記憶があるのですが、
  その記憶あっていますか。
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そうしたら、
「インターネット検索したら、ヒットしますよ」と教えて下さった方がいました。
その方には次のようにお礼を書き込みました。

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  マルカーノ選手の情報ありがとうございました。
  詳しくは「検索」ですね、わかりました。
  彼が阪急に在籍していた7年間のうち5年間、私は西宮球場近くに
  住んでいました。放送で「おっ、この試合おもしろそう」と思ってから
  球場へ出かけることもありました。
  逆転さよなら満塁ホームランの「うぉー」とうずまく歓声が、今も
  私の耳によみがえってきます。
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それでマルカーノを検索し、bravieさんにメールさせていただいています。
(インターネットサーフィンはあまりしたことが無くて、bravieさん以外の
ページは見ていません)

私は特に野球のファンということはなくて、西宮球場の近くに住んでいた
というだけです。
でも、ふっとマルカーノ選手のことを思い出し、(思いもかけず)私以外に
マルカーノ選手の思い出を持っておられるbravieさんを知りました。

私の「マルカーノの思い出」をお知らせしたくてメールさせていただきました。

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 マルカーノは南米ベネズエラの出身です.ただマルカーノの祖父が九州出身の日本人だったそうです.
 『「私は野球をするのが好きなので、お金の事ではないのです」とこたえ、やはり年中野球をやっていたと聞きました。』このエピソードは本当にマルカーノをよくあらわしていると思います.マルカーノのプレーをみていると,「野球をするのが当たり前,ファインプレーしても,ホームラン打ってもそれが普通.何故って?私は野球するのが好きだから,プレーできることが一番の幸せだから.一生懸命プレーするのは当然だし,ホームランなんかはおまけかな.」なんてマルカーノが思っていたのではないかって気がします.
 天国のどこかで今のプロ野球を見てマルカーノはどう思ってることでしょう?年俸5億とか,記録がどうだとか,そんなことより楽しい野球しようよ,とつぶやいてるかもしれません.それとも空の上から見る野球はまた一味違って楽しいなあ,って言ってるかな?いや,それよりも天国で人を集めてやっぱり一生懸命プレーしてるかもしれませんね.
bravie 99/9/12

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