1 簑田浩二

 簑田といえば,まずは77年の日本シリーズ.3年連続日本一を目指す阪急の2勝1敗でむかえた後楽園球場での第四戦の話です.そのころの阪急ブレーブスの外野陣はレフト大熊,センター福本,ライトウィリアムスでまだ簑田はレギュラーではありませんでした.背番号も24.
「The Braves」82年10月号

 巨人1点リードで9回表の阪急の攻撃.ツーアウトながらランナー2塁に代走の簑田.次のバッター大橋(*)の三遊間を抜けるヒットでホームへ生還.阪急土壇場で同点!!!
 ツーアウトで2塁ランナーがレフト前ヒットでホームイン.こう書くとたいしたこと無いようにも見えますが,下位打線,1点差,ということで巨人のレフト二宮(*)はだいぶん前に守っていました.ホームへの返球もストライクボールが帰ってきてクロスプレー.簑田はキャッチャーのブロックを避けるようにスライディングし,手でホームにタッチ.ほんとに際どいタイミングでしたが,この簑田の好走(好スライディング)で阪急はシリーズの流れを完全に掴むことになります.(この場面でレフトからの返球をサードの高田がカットします.レフトから直接返球していれば...巨人側から見れば,この一瞬の判断が命取りになったという説も聞いたことがあります.)
 私は学校があったので,スポーツニュースでダイジェストを見ただけです.しかし,この年の日本シリーズで真っ先に思い出すシーンといえば,この簑田のホームへのスライディングです.
 結局この試合はその後山田(*)のタイムリーなどで阪急の勝利.次の試合にも勝って阪急は3年連続日本一になりました.

 翌78年開幕当初はまだレギュラーでなかった簑田でしたが,レフト大熊が怪我で戦列を離れ2番レフトの座をつかみ,大熊復帰後もそのポジションを返すことなく完全にレギュラー定着となります.
 この年簑田は走りまくり61盗塁.福本がいたため盗塁王にはなれませんでしたが.ホームスチールを成功させたこともありました.私は,このホームスチールの瞬間をラジオで聞いていたのですが,私の数少ない阪急ファンの友人に西宮球場で生で見た自慢され,悔しかったことを覚えています.
 ウィリアムス退団後はその強肩を生かしライトへ(背番号も1に変更).打順も弓岡の成長と共に2番から3番へ.83年には史上4人目の3割・30本・30盗塁以上を達成.攻・走・守三拍子そろった渋い選手でした.

 もう一つ簑田について覚えていることは,多分85年のシーズンオフのこと.巨人が斎藤雅と簑田のトレードを申し込んできたという噂がありました.斎藤雅がミスター完封と呼ばれたり,連続20勝したりする前のことです.どう考えても阪急の方に分の悪いトレード話だと思いましたが,結局その後簑田は金銭トレードで巨人へ,また斎藤雅は大活躍.この時このトレードが成立していたら良かったかなあ...てなことはまったく思いません.阪急にいた最後の2,3年は頭部への死球,怪我などもあって成績も下降気味でしたが,それでも簑田は阪急の一時代を築いた選手です.できれば阪急ブレーブスで最後までプレーしてほしかったと思います.

bravie 98/11/15

 (*)選手名は確かではありません.他の年度と共に日本シリーズぐらいはきちんと調べて詳細をまとめたいと考えています.
元阪急ファンのさとしさんから情報をいただきました.どうもありがとうございました.
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ところで、選手名鑑の蓑田選手のページですが、蓑田がヘッドスライディングで同点ホームインするヒットを打ったのは高井選手です。
この場面はまず、代打ででた藤井が四球を選んで出塁し、代走が蓑田でした。ここで大橋の代打に出たのが高井で蓑田が何球目かは忘れましたが、盗塁し、その後高井がヒットを放って、例のヘッドスライディングが見られたのです。
ラジオの実況中継を聞いていましたが、アナウンサーの一瞬の沈黙のあと、「セーフ!!」という絶叫が聞こえてきたのをよく覚えています。
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bravie 99/11/21

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