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簑田といえば,まずは77年の日本シリーズ.3年連続日本一を目指す阪急の2勝1敗でむかえた後楽園球場での第四戦の話です.そのころの阪急ブレーブスの外野陣はレフト大熊,センター福本,ライトウィリアムスでまだ簑田はレギュラーではありませんでした.背番号も24.
翌78年開幕当初はまだレギュラーでなかった簑田でしたが,レフト大熊が怪我で戦列を離れ2番レフトの座をつかみ,大熊復帰後もそのポジションを返すことなく完全にレギュラー定着となります.
もう一つ簑田について覚えていることは,多分85年のシーズンオフのこと.巨人が斎藤雅と簑田のトレードを申し込んできたという噂がありました.斎藤雅がミスター完封と呼ばれたり,連続20勝したりする前のことです.どう考えても阪急の方に分の悪いトレード話だと思いましたが,結局その後簑田は金銭トレードで巨人へ,また斎藤雅は大活躍.この時このトレードが成立していたら良かったかなあ...てなことはまったく思いません.阪急にいた最後の2,3年は頭部への死球,怪我などもあって成績も下降気味でしたが,それでも簑田は阪急の一時代を築いた選手です.できれば阪急ブレーブスで最後までプレーしてほしかったと思います.
bravie 98/11/15
(*)選手名は確かではありません.他の年度と共に日本シリーズぐらいはきちんと調べて詳細をまとめたいと考えています. 元阪急ファンのさとしさんから情報をいただきました.どうもありがとうございました. --------------------------------------------------------------------- ところで、選手名鑑の蓑田選手のページですが、蓑田がヘッドスライディングで同点ホームインするヒットを打ったのは高井選手です。 この場面はまず、代打ででた藤井が四球を選んで出塁し、代走が蓑田でした。ここで大橋の代打に出たのが高井で蓑田が何球目かは忘れましたが、盗塁し、その後高井がヒットを放って、例のヘッドスライディングが見られたのです。 ラジオの実況中継を聞いていましたが、アナウンサーの一瞬の沈黙のあと、「セーフ!!」という絶叫が聞こえてきたのをよく覚えています。 --------------------------------------------------------------------- bravie 99/11/21
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