主宰ご挨拶
 ゲームの中に「ロールプレイングゲーム」とか「シミュレーションゲーム」といったジャンルがあります。どちらも僕の好きな部類のゲームなんですが、共通して言えるのはプレイ時間が長いということです。例えば戦国時代のシミュレーション南下だと全部で120もの城を落とさなくてはクリアできなかったりと、とてもじゃないですが1日で終わらないものばかりです。

 長いプレイ時間の中には、中だるみみたいなものがあって、なんとなくプレイせずに1週間が経ってしまったりもします。とある劇団の主宰をする人が作ったロールプレイングゲームなんかは1度プレイしただけでかったるくなってしまい、以降家のTVラックのどこかへ消えたままです。もったいない話です。

 恋愛中のカップルがもつジンクスとして、よく「3」という数の話があげられます。3日、3週間、30日、3ヵ月、3年、30年。いずれもが節目となって、倦怠感を覚える時期らしいです。該当している人はちょっと危険ですよ。ま、そんなことないって言える人はそれでいいんですけど。

 どんな楽しいものであっても、そこには「中だるみ」という魔物が潜んではいないでしょうか?なんとなくいやな気持ち、なんとなく腰をあげられない瞬間。丁度劇団という集団をはじめて僕も3年が経ちました。18のときにやろうと言ったものが21まで続いていることはものすごい幸せだと思いますが、平行してものすごいパワーが必要だったりもします。

 前作のアガサが終わって、今回の公演を打つまでにいろんな人間がいなくなって、まるでアメーバのような気持ち悪い変化をしていました。そんな中で自分が残り続けることが疑問になったり、恐怖になったりもしていました。前回務めたキャストは今回、自分ひとりになりました。何がどうなったんだ、という気持ちでいっぱいでした。

 そして何とかここに居続けられて、今日を迎えます。本日ご来場いただいたお客様に「お目当ての役者がいない」と言う方がいれば、心からお詫び申し上げます。でもこんなこともありなんじゃないかと思っているのも事実です。みんなのパワーを同じレベルでずっと保つことができたら、それはすごいことですが、そんなことは絶対できないと考えてもいます。だからやろうと言える人間がやればいいのです。
 きっとこの次はまた違う人間と悪戦苦闘しているんじゃないか、というのが実際の本音です。だけど、そこに居る人間が「芝居」というもので、その瞬間1つになれるだけで僕は嬉しいのです。そんな奇跡を残せれば僕は十分ですから。
 本日は本当にありがとうございます。ぜひごゆっくりお楽しみください。では、
劇団CHAN'T 佐藤 武

才能があるということ
 ちょっと、歌がうまいとか、たまたまその時いい演技をしていたとか、そういう人をホメるのには「才能がある」なんてことを言うべきじゃないと私は強く思います。
 「才能がある」という言葉には、他のホメコトバと違って、「独立・転職もOK」みたいな感じが含まれていて、期待されているように思うのは私の気のせいでしょうか。
 なので、私はこのコトバを軽く使う人が嫌いです。たまたま、その公演でいい演技をして、のべ10人くらいにほめられた10代後半の役者兼学生に「才能がある」と言うのは、とっても大変なことです。結婚してあげなきゃ可哀想になるような「女の子」に、君みたいな奥さんをもらえる奴は幸せだろうな、というようなものです。
 そこまで言えば「才能がある」という言葉の罪深さがわかるかと思います。
 だけど、私はきっとこの言葉の魔力から逃れられないだろうなとも思います。私だって、「才能がある」なんて言われたら、たまらんだろうなと思うからです。逆に、こんな風に「才能がある」ということを意識している分、すっかり足を取られてしまうかもしれない。
 それでも、「才能」のある「人」にあこがれる以上に、私は、自分の目でモノが見たいし、自分のアタマでモノを考えたいのです。
 あなたのメガネがどんなにいいものでも、私は自分のメガネでモノを見たいのです。「才能」というコトバで、メガネに色が入るのがこわいのです。見えるはずのものが、見えなくなるのがこわいのです。

 今回初めて「作・佐々木亜希」という台本を、世に送り出すことができて嬉しいです。それは、、何か外へ出て行くときのエネルギーになりそうな力なのです。
 「佐々木亜希はこういう人だ」と思っていただけてかまわないのです。私は、人の作品は、そう見ています。これを見てもらえれば、前回・前々回の私の「仕事」が、どんなものだったか、わかってもらえると思います。

 来てくださってありがとうございます。皆様の劇場へ足を運ぶエネルギーは、私がひそかに尊敬するもののひとつです。
佐々木 亜希