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★遅れて来た英雄
あと10年早く生まれていれば、天下を取っていたかもしれないと言われている、遅れてきた英雄、伊達政宗。山形県の一大名だった政宗が近隣のライバルを次々と撃破して、東北一の大大名になったのは、なんとまだ23才の時のことで、その他戦国のメジャー大名の23歳頃はどうだったのかと言えば、織田信長ならまだ尾張一国すら統一しておらず、隣の今川義元の動向にビクビクしている日々を送っていたし、秀吉に至ってはまだ一足軽に過ぎない年齢です。武田信玄の23歳頃と言えば、ようやく信濃侵攻を開始したくらいだし、ライバルの上杉謙信にしても、まだやっと越後一国を統一したくらいです。もともとが大大名の跡取りと生まれて来た北条氏政や毛利輝元などを除けば、己が実力だけで23歳にして東北地方の覇王にまでのしあがった政宗の快挙は実に見事なものです。
…とは言ったものの、「遅れて来た英雄」伊達政宗が東北の覇王となった23才の時、すでに齢50を超えた豊臣秀吉が、天下統一に向けての最後の戦、小田原征伐に乗り出していたのでした。いかに大器の政宗と言えど、政宗よりも先立つこと30年も早く天下取りレースに励んでいた秀吉に遅れを取ってしまったのも無理の無いことでしょう。
もし政宗があと20年早く生まれていれば天下を取れていたか?…実のところ正直筆者はそのようなことには全く興味はありませんw そもそも政宗が信長・秀吉よりも30年遅く生まれてきたこと事態、天が決めた確定事項であり、覆しようの無いことなのですから。
ならなんで↑みたいなことをクドクドと書いたかと言えば、この伊達男が本当に凄いヤツだったということを知っておいて欲しかったからです。なにせこれから筆者が語る伊達政宗の物語は、戦や国取りとは全く関係の無い、伊達や酔狂なエピソードだけなのですから。
★プロローグ〜波乱万丈伊達男〜
伊達政宗が東北の覇王になるまでの道のりは、なかなかどうして凄ヤバいものでした。
名門伊達家の嫡男として生まれながら、5歳にして疱瘡で右目を失い、それ以後母親に疎んじらてしまい、そんな自分に理解を示してくれて18歳のときに家督を譲ってくれた父・輝宗を自らの手で撃ち殺してしまうハメに陥ってしまったり。
そんな苦労をモノともせずに周囲の敵を蹴散らして、ついに東北一の大大名になったと思いきや、その頃には日本の2/3くらいは確実に制覇していたであろう豊臣秀吉からの臣従要請がやって来て、流石にこれは逆らったらヤバいだろうと秀吉の元に赴こうとした矢先、もともと政宗を嫌っていて弟の小次郎に伊達家の家督を継がせたがっていた実の母親に毒殺されかけてしまったがため、期日までに秀吉の下に赴くことが出来ず、結果として秀吉の臣従要請を蹴ってしまった形となってしまい、しかもそのうえ、謀反の首謀者として実弟の小次郎までも手にかけることになると言う、伊達政宗の辿った道のりは何とも険しくドラマティックなものでした。
ようやく母に盛られた毒が体から抜けたものの、秀吉へYESかNOかの返事をするタイムリミットはとうに過ぎ去ってしまい、このままでは伊達家滅亡は免れまい…そんな絶体絶命の状況下より、日本一の伊達男・伊達政宗の伝説は幕を開けたのでした。
★伊達男・デビュー!
政宗:
「体力の方はやっと全快したけれど、秀吉んとこに行けなかったのはヤベーよなあ。
まさか秀吉相手に“いやー母上に毒盛られちゃって遅刻しちゃいましたwテヘw”なんて言ったところでだ、むしろ管理不行き届でアウツになる可能性の方が高そうだし…こうなりゃ秀吉に徹底的に逆らってやるか!?…でも正直さすがのオレ様もあれだけの大軍相手に勝つ自信なんて全くねーし…あークソどうすりゃイイんだー!!!!」
政宗の片腕・片倉小十郎:
「殿!最後まで諦めてはいけませぬ!ヤケを起こしてはなりませぬ! いかに秀吉が強大とは言えど、齢23にして奥羽の覇王となった殿の率いる強大な奥州軍団と正面から戦うことなど出来れば避けたく思っているはずです。それにこれ以上の戦は動員される諸大名の不満を生むやもしれませぬ。
なので豊臣秀吉という人間の本質を見抜き、秀吉を怒らせることなくプライドを傷つけることもせずにうまく交渉すれば、きっと道は開けることでしょう。」
政宗:
「…そうだよな。ココは一つ落ち着いて考えなければならないところをだ、オレと来たらビビリまくっちまって情けねーったらありゃしねえ。いつもながら冷静な助言感謝するぜ小十郎!
秀吉の心をうまいところ突いてやって、見事騙くらかしてやろうじゃねーか!」
小十郎:
「よくぞ言ってくださいました殿! 秀吉はストレートかつ派手好みな人間です。そこをうまくくすぐって交渉成功するための策、実はすでに用意してあります。」
政宗:
「相変わらず抜かりが無いなあ小十郎、本当お前はすげーヤツだよ。心配せずともオレの心は固まった。秀吉殺しの必勝法、しかとやり遂げてやるぜ!」
小十郎:
「それでこそ殿ですぞ!」
こうして政宗と小十郎は小田原攻め真っ最中の豊臣秀吉の下に赴きますが、やはり期日に遅れたことは秀吉の気分を相当に害したようで、すんなりとお目通りすることは許されず、まずは秀吉一番の盟友・前田利家の詰問を受けることになりました。
政宗:
「よくぞ参られた利家殿。この政宗、一切の言い訳をする気はござらぬ。それよりも、この陣中には天下に名高い大茶人・千利休殿が参られていると聞いておる。明日をも知れぬこのわが身なら、せめて最後に茶の湯の教えを請いたいと存ずるので、どうか利休殿へのお取次ぎをお願いしたい。」
この期に及んで我が身かわいさの言い訳をするでもなく風流に果てようとする政宗のパフォーマンスは、自ら風流を愛する茶人でもある秀吉の心を大きく動かしました。また、ことの次第を聞いた諸大名の間でも、この政宗の返答は多いに話題となるところとなったのです。
小十郎:
「まずは秀吉殺しの第一弾、うまく行ったようですな。」
秀吉:
「百姓の出目であるというコンプレックスを持つ秀吉が、自ら文化人の第一人者気取りで精を出している茶の湯のことを突いて行けばきっと歓心が買える…小十郎、お前の言ったとおりだ。」
小十郎:
「でもまだまだ秀吉との対面という大仕事が残っておりますぞ。もう一発派手にカマしてやろうじゃありませんか。」
前田利家の詰問を見事クリアし、小田原陣中において一躍時の人として話題になっていた政宗が、ついに秀吉と対面する日がやってきました。
政宗:
「どうだ小十郎よ、似合っているか?」
小十郎:
「さすがは殿、バッチシ決まっておりますぞ!」
政宗:
「よし、それじゃあ行って来るぜ!」
政宗が秀吉の待つ石垣山城に赴くと、秀吉はただ一人、小田原城を望む小高い丘の上で待っておりました。
秀吉:
「おぬしが伊達政宗か…ってオイ!なんなんだその真っ白い格好はw」
政宗:
「いかなる理由があれど、関白様の命に従わなかったことは事実であります。故にこの首差し上げる所存で白装束で参った次第でございます。」
秀吉:
「はーはっはっは。その白装束といい死出の茶会のことといい、おヌシは実に面白い男よのう気に入ったぞ。よかろう!此度の遅参の件、不問に附すこととしよう。」
政宗:
「ははーっ」
秀吉:
「もう少し遅ければ、おヌシのココは危なかったぞ。」
そう言いながら秀吉は、持っていた杖で政宗の首筋をピタピタと叩いたのでした。
政宗:
「は、ははははは」
秀吉:
「政宗よ。今から小田原攻めの様子を解説してやろう。これを持ってお供せい。」
秀吉は政宗に一振りの刀を握らすと、背中を向けて歩き出しました。
政宗:
(ふう…なんとかピンチを切り抜けることは出来たぜ助かった〜。にしても秀吉め…独眼竜と呼ばれるこのオレに刀を預けて背を向けるとは何たる余裕…やはりオレが勝てる相手では無かったな。)
こうして政宗は領土の一部を没収されはしたものの、無事に秀吉との謁見を果たしてお家断絶の危機を脱したのでした。また、この後まもなく豊臣秀吉は小田原の北条氏を屈服させ、天下統一を果たしたのでありました。
★伊達男・再び!
政宗:
「大変だ小十郎! あの件が秀吉にバレちまって呼び出しくらっちまったぜ!!」
小十郎:
「あの件と申しますと…もしや蒲生氏郷のあの件ですか。」
政宗:
「そうなんだあの件だ。」
小十郎:
「でもアレについてはしっかりと対策を練ってあるから大丈夫ではありませぬか。」
政宗:
「そりゃそうなんだけどよぉ、いざこれから秀吉んとこに説明しに行くとなりゃあやっぱ焦るっての。」
小十郎:
「なーに心配なさりますな。こういうこともあろうかと、しっかり二段階目のアイデアも考えてありますから。」
政宗:
「毎度のことながら、お前は頼りになるヤツだなあ。よし、それじゃあまた秀吉に一発ハッタリかまして来てやるとするか!」
小田原にて白装束で秀吉に臨んでから1年…政宗はまたしてもあることをヤラかしてしまい、秀吉のいる大阪城に申し開きに行くことになったのでした。
沿道の住人:
「オイオイ、アレが奥州の暴れん坊、独眼流政宗の行列だってよ。」
「あの行列の真ん中にいるのが政宗のようだけど…なんでまた白装束なんて着込んでいるんだ?」
「おい、あの後ろにあるキンキラ金の物体…アレは一体なんなんだ!?」
「あの形はまさか…磔(はりつけ)台!?」
なんと!今度の政宗は白装束のみならず、金箔を伸した黄金の磔台まで用意していたのです。
秀吉:
「コラ政宗!おヌシ、隣の会津の蒲生氏郷と仲が悪いからと、住民を扇動して一揆を起こさせて氏郷のメンツを潰してだ、あわよくばその領土を掠め取ろうなどとトンでもないことを企んでおったな!?」
政宗:
「いえいえ滅相もございませぬ。某は丸っきり知らぬ存ぜぬな濡れ衣にござります。」
秀吉:
「ならその白装束とキンキラキンの磔台、これはなんなんだ? 罪を認めて潔く散ろうと思って用意して来たのではないのか?ん?」
政宗:
「この政宗、関白様にこの身の全てを捧げてお仕えしているというのに、無実の罪で疑われるなどは最大の恥辱にござりまする。殿下の信を失ってまでもおめおめと生き延びようなどとはとうてい思いませぬ。もしも殿下が某を疑い通すと言うならば、一思いにあの世に送ってくださいませ。その時は奥州の独眼流らしく、せめて派手に散りたいがゆえにあのようなものを用意した次第にござりまする。」
秀吉:
「相変わらず講釈だけは立派なようだが、これを見よ政宗! この花押は明らかにそちのものであろう? してこの書状には、伊達政宗の名において一揆をバックアップするとハッキリと書いてあるではないか!!」
※花押とは、正式文書に書くサインのことで、通常他人にはマネ出来ない複雑な筆跡で書いてある。
政宗:
「はて? 某にはそのような書状に見覚えはございませぬ。…きっと何処かの誰かが某を陥れようと偽造したニセモノにござりましょう。もしその書状が本当に某が書いたものならば、…殿下、恐れ入りますが、過去に某が殿下にあててお出しした書状を持って来ては頂けないでしょうか?」
秀吉:
「なんだと? この花押はどう見てもそちのもので間違いないぞ? まあよい、そこまで言うなら見比べてやろうではないか。誰ぞある、政宗からの書状を持ってまいれ!」
まもなく秀吉と政宗の前には、過去に政宗の送った花押入りの書状が並べられました。
政宗:
「…殿下、よくごらんあれ。某が花押を書く場合には、必ずココの部分に針で小さな穴を開けているのです。こうしておけば、もし万一誰かが某の花押をマネすることがあっても、それがニセモノであると証明できますゆえに。
では、そのニセ書状を見てくださいませ。…ほらやはり、穴が開いてはございませぬ。これは明らかに某以外のモノが書いた偽書にございましょう。」
秀吉:
「ぬぬっ…」
周りで見ている人たちみんなの感想:
(んなこと言っても、そんなん本当にヤバい文書には穴を開けずに書いておけば後でなんとでも言えるじゃねーかよ。…とは言ったものの、コイツの言うことには一応のスジは通っているよな。果たして関白様はどのような裁定を下すのやら…これは面白いことになったぞ。)
政宗:
「殿下!これでもまだこの政宗を疑うと言うのですか! ならば仕方ありませぬ! さあ某を早くあの磔台にくくりつけて下され!」
周りで見ている人たちみんなの感想:
(政宗のヤツ、死のうなんて気サラサラ無いだろうによく言うよな。でもココで磔なんかにしちゃったら、かえって政宗の思うツボだからなあ…さあどうする関白様は!)
政宗:
「さあさあさあ!」
秀吉:
「分かった分かった。確かにおヌシの言うとおりじゃ。おヌシの忠誠、疑ってしまって悪かったのう。」
政宗:
「この政宗の誠意が伝わったようで何よりにございまする。」
秀吉:
(ココまで用意周到にヤラれたんじゃあ仕方あるまい。今回はワシの負けじゃ。それにしても政宗め。前回の白装束といい今回の磔台といい、いいセンスをしておるわ。それにこういう派手派手パフォーマンス、ワシは決して嫌いではないぞw)
政宗はまたしてもお家取り潰しのピンチを切り抜けて、今度は諸大名のみならず、庶民にまでも伊達男っぷりをアピールし、その名を轟かせて来たのでありました。
★ 伊達男と宿命のライバル?
政宗:
「はっはっはっ、どうだ皆の衆、この輝きは☆ すげーだろ綺麗だろカッコええだろ〜☆」
諸大名:
「おお〜なんと見事な…」
「さすが見事な輝きですな」
「これが噂に名高い天正大判ですか!」
ある日政宗は聚楽第を訪れた際に、最近手に入れた天正大判なる逸品をその場にいた大名達に見せびらかしておりました。
政宗:
「なんなら直にその手にとって天正大判の重みを感じてみてはどうだ? さあさあ遠慮することは無いぜ☆」
諸大名:
「よいのですか伊達殿!それでは失礼つかまつります。」
「お、重いっ!」
「あ、厚いっ!」
「やっぱ天正大判マジパネェ!!!」
その場に居合わせた諸大名は、それぞれ天正大判を回しあってワイワイ盛り上がっていたのですが、一人だけプイッとソッポを向いて輪の中に入って来ない無骨者がいたのです。
政宗:
「お?そこにおわすは上杉景勝殿の懐刀、直江兼続殿ではあるまいか? 兼続殿も陪臣の身だからと気兼ねすることはないからさ、ほれほれ手に取ってみてみるがよいぞ。」
※ 陪臣とは、大名の家来のこと。独立した大名であれば石高の差があったとしても政宗とは大名同士の同格だが、大名の家来となると、政宗よりは一ランク下の身分となる。
政宗はにこやかに兼続に天正大判を渡そうとしたのですが、兼続はそれを手に取ることはせず、持っていた扇子の上に載せてポンポンと2,3度宙に舞わせると、そのまま畳の上に放り投げたのでした。
政宗:
「おいキサマ! 天下の宝物に何さらすんじゃゴルァ!!!!!」
兼続:
「拙者の手は軍配を握るためにあるのであって、そのような不浄なモノを触るためにあるものではありませぬゆえ。
それにしても…奥州の独眼流とやらは、こんなものの一枚二枚で、こうもキャピキャピ騒ぐものなのですな。では失礼。」
政宗:
(…兼続のヤロー!!!! いつかぜってーブチ殺してやる!!!!!)
このときから数年後に起こった関ヶ原の戦いに際し、政宗が直江兼続の軍勢に対して執拗なまでの追撃戦をしかけたのは、もしかしたらこのときの恨みを晴らそうとしていたからなのかもしれません。
★伊達男・世界へ?
1592年、豊臣秀吉は朝鮮出兵を決意し、諸大名に大動員令をかけました。
政宗:
「小十郎。このオレのところにも朝鮮出兵の赤紙が届いたぞ。秀吉の天下が固まって以来、戦らしい戦も無かったことだし、ココは一つオレたちも朝鮮で大暴れして、奥州の独眼流ココにありってことを見せ付けてやろうじゃないの!」
小十郎:
「お言葉ではありますが殿、残念ながら今回の作戦においては、前線基地のある九州勢が主役となり、我らの出番は殆ど無いことでしょう。この奥羽の地からでは連れて行くことの出来る兵の数も限られておりますので、我らは九州勢のサポートに徹することになるでしょうな。」
政宗:
「ぬぅ…それは悔しいのう。せっかくの大戦だと言うのに手柄を立てるチャンスが無いというのは面白くないぞ。」
小十郎:
「何をおっしゃられますか。此度の戦については九州勢に手柄を譲るにしても、我らは我らのやり方で、伊達家ココにありってことを見せ付けてこようじゃありませんか。」
政宗:
「ふっ…オレらのやり方と言うとやっぱりアレか? 分かったよ小十郎。此度の戦、オレらはいつものアレで皆のド肝を抜いてやるとするか!」
政宗には1500人の出兵要請が下っていたのですが、なんと!その1500人の軍装を、すべてキンキンラキンの豪華絢爛に着飾らせ、悠々と京都大阪を行進して行ったのでした。
沿道の住人:
「おお〜なんと鮮やかな一団だ…」
「きゃー政宗さまステキー!!」
「イヨッ!日本一の伊達男!」
政宗の軍勢を見た市民たちは皆その見事な軍装に見入ってしまい、政宗の軍勢が通過するところ、拍手喝采の大歓声が飛んだのでありました。
豊臣秀吉:
「政宗め、いつもながらやることが派手じゃのう。…でもこヤツ、いちいちワシの好みにピッタリはまったパフォーマンスで攻めて来よるから困ったものよw」
秀吉からもその軍装のセンスを褒められて、またも政宗はみんなのハートをがっちりキャッチしたのでした。なお、実際の朝鮮での戦においては、伊達政宗の軍勢が活躍したとの記録は残っておりませんけどねw
また、このときから、派手派手なカッコをする人のことを、「伊達男」と呼ぶことになったそうです。
★伊達男・はっけよい!
時は流れて…
秀吉の甥・殺生関白と呼ばれた羽柴秀次が謀反の罪で死刑となったとき、秀次とマブダチだった政宗も当然連座するかと思われたのに、何故かうまいこと無罪放免で逃れたり…
徳川家康の天下となった後、政宗の娘婿であった松平忠輝が謀反の罪で改易となった際にも、これまた自分は知らぬ存ぜぬの無関係で難を逃れたり…
この2件について、果たして政宗がどの程度関与していたのかは分かりませんが、政宗は油断のならぬ人物であったことは確かです。
でも流石の政宗も、時には兄として、時には友として政宗を支えてくれた軍師・片倉小十郎が天に召され、大阪の陣も終わって徳川の天下が完全に定まった後には、寄る年波には勝てぬのか、大人しく風流に生きていたようです。
ある日、政宗が江戸に登城した際、徳川譜代の臣・酒井忠勝とすれ違ったときのこと…
政宗:
「やあやあそこにおわすは酒井忠勝殿ではござらぬか。いざ、尋常に勝負!!!」
忠勝:
「へ? いきなり何ですか伊達殿? 勝負って…?」
政宗:
「なんでも忠勝殿は徳川譜代随一の怪力の持ち主と聞いておる。ならば一つ、この政宗と相撲の一番でも取ってみようではございませぬか。いざ!いざ!」
そう言いながら政宗は忠勝にガップリ四つに抱きついています。
忠勝:
「…ってどうしてそうなるんですか! た、頼むからその手を離して!! 誰かこの変なオヤジ何とかしてー!!!」
近くにいた諸大名たち:
「おいおい政宗殿がまた何かおっぱじめたぞ?」
「イイ年コイて相撲ってw全くしょーもないオヤジだなあ。」
「…だがそれがいい☆」
「忠勝空気嫁!」
いつの間にやら江戸城に詰めていた諸大名が二人の周りを取り囲み、この政宗の奇行の結末にワクワクテカテカしていたのでした。
忠勝:
「いい加減にせんかこのアホジジイ! どりゃ〜〜〜〜!!!!」
どさっ!ごろごろごろ…ばたんっ!
政宗:
「ぐほっ!」
忠勝がちょっと本気で力を入れると、政宗はあっけなく投げ飛ばされ、庭まで転がり落ちてしまったのです。
政宗:
「いやはやまいった! さすがは忠勝殿。そなたのような勇者がいれば、徳川の天下も安泰よのう。はっはっはっ!」
諸大名:
「これがかつて奥州の独眼流と呼ばれていたお方とはw」
「伊達殿も耄碌されたものだw」
「いやはや人間、歳はとりたくないものですなあw」
「それでもさすがは天下の伊達男、笑いのツボは心得ておることだw」
この政宗のあっけらかんに無様な結末に、集まった諸大名は笑い転げたのでした。
政宗:
(これでよいこれでよい。昨今の幕府の大名取り潰し政策は日増しに激しくなっておる。たまにはこうしてバカやって野心の無いところを見せておかねば、いつ幕府に目を付けられるか分からんからな。…小十郎…見ていて、くれたよな?)
★ 伊達男よ永遠に・・・
更に時は流れ…
家康、秀忠の跡を継いだ徳川家光が第三代将軍に就任したとき、家光は江戸城に全ての大名を集め、こう言い放ったのです。
家光:
「我が祖父家康公、父の秀忠は、かつてはそなたらと同輩の大名であったときもあった。だが余は違う。余は生まれながらの将軍なのだ!心して奉公するがよい! そのうえで余に対して不満があるものは今すぐ国に帰って戦の準備をせよ。即刻叩き潰してやるぞ!」
この家光の「生まれながらの将軍」発言に、諸大名はどよめきました。
諸大名:
(おいこの三代将軍なんかヤバくねーか?)
(そりゃ逆らおうなんて気はねーけどさあ…フツーここまであからさまか?)
(いつでも叩き潰すとか言ってるけどマジ?もしかして今以上に取り潰しの雨あられが降り注ぐんじゃねーだろうな?)
そんなふうにちょっとヤバめの発言に一同みんなドン引きしている中、政宗はすっくと立ち上がり、高らかに宣言したのです。
政宗:
「我らもとより、異存などあろうはずがございません。家光様のためなら、たとえ火の中水の中、いつでも何処でも突っ込んで行く所存にございます。…そうだろ、お前ら!?」
諸大名:
(あの政宗が言うんじゃあしょうがないよな)
(そうだよな。これからはオレらみんなで幕府を守り立てていかないと!)
諸大名:
「おー!」
「我らの心は一つ!」
「家光様に一生付いて行きますぜ!」
こうして家光の第三代将軍就任の儀は大成功に終わり、政宗は外様大名の身ながらも、特に将軍謁見の際にも帯刀を許されるほどに家光に気に入られることになったのでした。
1636年5月24日…そんな政宗にもついに最後の時が訪れます。
「曇りなき心の月を先だてて浮世の闇を照してぞ行く」
享年70歳。江戸の桜田藩邸にて天寿を全うしたのでありました。
× × ×
さてさて、遅れて来た英雄・伊達政宗の物語、いかがでしたか?
戦国大名多しと言えど、国取りや戦のエピソードを一つも交えずとも、ココまで面白く絵になる男は他にはいないのでしょう。
政宗があと20年早く生まれていれば天下を獲れていたか? そんなのどうでもイイですよね。たとえ天下は獲れずとも、伊達政宗は戦国一の伊達男だった。それでイイじゃないですか☆
伊達政宗物語 〜戦国一の伊達男〜 完
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