解 説 戦国という時代


北条・武田・上杉を中心とした関東甲信越の英雄伝をひとまず書き終えたところで、戦国と言う時代に対するアタシ流の解釈をちょっと書いてみようかと思います。
なお、アタシは本職の歴史学者ではありませんし、専門家の間でも色んな意見があるところなんで、そのへんはご了承くださいまし。


★豪族って?

今までの物語において重要なキーワードとして度々登場したこの豪族って存在なんだけど、簡単に言えば、小大名・零細大名のことと思って貰えればおおむね間違い無いな。正式には国人(こくじん)と呼ぶのが正しいです。


★大名って?

戦国時代中期までの大名ってのは、江戸時代の殿様とか将軍様なんかとは違い、泣く子も黙るエラいエラい独裁者って訳では無いことは今までのシリーズ読んでて分かって貰えてると思います。大名の地位とは、国内に数いる豪族達の盟主以上のものでは無く、大名が何かしようにも、他の豪族達の支持を得られなければ何も出来なかったのよこれが。だってあまり無理なことをさせようとすれば、武田勝頼物語における長篠城の奥平信昌みたく、「だったら隣の大名に鞍替えすっぞゴルァ!」ってなっちゃうし、あるいは回りの豪族たちを巻き込んで、別なリーダー立てられちゃう可能性もあるからね武田信玄物語における信虎みたいに。武田信虎については、甘利虎泰、板垣信方と言った「豪族」たちの支持を失ったからこそ追放され、逆に武田信玄は、豪族たちの支持を得られからこそ、クーデターが成功した訳だ。


★忠誠の対象

武田信虎を簡単に裏切った甘利虎泰や板垣信方なんだけど、決して不忠義者と言う訳では無いぞ。何故なら彼らの忠誠の対象はあくまで「武田家」であり、武田信虎個人では無いんだからな。「武田家」と言う枠組みで考えれば、乱暴者の信虎が主君でいるよりかは、英明な信玄が主君の方が武田家の将来のためには良いと言う判断なのよ。
だからこそ、戦国大名は「家」に対する忠誠を誓う家臣では無く、自分個人に忠誠を尽くす家来はノドから手が出るほど欲しい訳だ。そんな家来を作るためにはどうすればイイか・・・それには武田信玄における春日源助少年みたいな関係を作ることが、一番手っ取り早くかつ、絶対の信用が置ける方法だった訳なのです(笑)
こう言った「家」に忠誠を尽くす家臣と「主君個人」に忠誠を尽くす家臣の争いってのも、戦国時代には数え切れないくらいあったことは言うまでも無いぞ。・・・ってこれは現代社会でもいくらでもあるな。

★消えた豪族たち

でもそんな戦国時代の主役とも言える豪族達だけど、戦国時代も末期になるにしたがって、その存在は消えて行くんだよ。って言うか、豪族がいなくなったときってのが戦国時代の終結だったと言ってイイのかもしれないな。
この現象については、小学校の歴史の教科書に載っていた、織田信長の楽市楽座、豊臣秀吉の検地と刀狩、徳川家康の参勤交代、これらの政策が重要な意味を持っているんだ。

★中間管理職

戦国時代における戦国大名・豪族・農民の間での年貢の流れは大まかに言うと、

農民 → 豪族 → 戦国大名

って感じで、農民達が作った農産物をとりあえず豪族が取り立てて、そこから戦国大名に献上するって流れだったんだ。
でもそれだと、豪族たちと農民の繋がりが強くなって、戦国大名からすれば領土の統治がやりにくいんだ。たとえば武田勝頼みたく、臨時税とるぞよこせやーって取り立てようとしても、その間に豪族を介さなければならないんで、まずは豪族を説得しなきゃならないからな。そういう不便をズバリ解消したのが織田信長だったんだ。

★流通改革

織田信長は、それまで中間管理職みたいな役割を果たしていた豪族達を中央の城下町に集めて住まわせて、農民は自分が直接支配し、年貢の流れを、

農民 → 信長 → 家臣に分配

ってふうに改革した訳さ。
もっともこれは、信長に限らず、ちょっと先進的な大名はそれぞれみんな試みてたことなんだけど、みんな信長ほどにはうまく行かなかったんだ。なぜ信長はうまく行ったのか? そこに出て来るのが楽市楽座政策なんだな。

★参勤交代

今までの戦国大名がなぜ城下町に家臣を住まわせる政策が完璧に出来なかったかと言うと、豪族達にとって城下町に行くメリットが少なかったからってのが大きい理由だと思う。
そこを織田信長は楽市楽座政策を取ることによって城下町を発展させ、呼び寄せられた豪族たちも楽しく贅沢に暮らせる環境を作った訳なのさ。
・・・で、そうやってお金持ちの豪族たちを誘致すれば、この城下町は儲かる!って商人たちもこぞって城下町にやってくるし、こうして信長の城下町はどんどん発展して行き、農業のみならず商業からのアガりも入るようになったんだ。
この豪族たち呼び寄せ計画ってのが、後の参勤交代制度に繋がっております。参勤交代って学校では「大名にお金を使わせるため」って習っていたかと思うけど、そもそもの原型ってのは、豪族たちと農民の切り離し政策から来ていたんだな。検地ってのも、この直接税取立てへの変革過程で行われたものね。

★刀狩り

当時の農民って、今で言うところの専業農家ってのは殆どいなくて、大概が兼業農家だったのよ。何と兼業してたかって言えば、それはズバリ武士との兼業w ちょっとエラい武士ならともかく、足軽と呼ばれる連中の殆どは、野良仕事の合間に戦に行くという兼業農家だったのさ。だからこそ、長篠の戦いでメッタ負けした武田勝頼が失ったものは単純な戦闘力のみならず、農業生産力でも大打撃を受けてしまったからこそ大変なことになったんだわ。
だったら武士と農民をハッキリ分けとけばイイじゃんって考えて、それをキッチリ実践できたのが、これまた織田信長だ。豪族同様、専業の武士ってのを城下町に住まわして養成することに成功させたのよ楽市楽座で培った経済力でね。
・・・で、その政策の集大成が豊臣秀吉の刀狩だったのさ。刀狩ってのは一揆の防止や身分制度うんぬん以前の話で、武士と農民の区別をハッキリさせる必要があったからこそ行われたものだったんだな。また、検地を行っていたからこそ、刀狩をすることが出来たって言う側面も勿論あります。

こうして、それまで土地本位で張り付いていた武士と言う存在が、検地・刀狩以降は城に張り付く存在となったんだ。だからこそ、秀吉の時代になってからは、頻繁に大名の国替えが行えるようになったのさ。それまでは「一所懸命」だった武士たちが、土地という呪縛から離れて行く過程ってのが戦国時代だったんじゃないかと、アタシ的には思っております。

★そして江戸時代へ

さてさて、武士と農民をハッキリ分けることにより、農民は農作業に、武士は戦争に、それぞれ集中出来るようになり、戦国大名同士の争い(って言うか信長・秀吉の天下統一事業だな)は、急速に収束されて行きます。
それから色々あって、天下は統一される訳だけど、ココに来て一つ大きな問題が出て来たんだ。そうした方が有利だからと育成された、専業の武士達の働き場所が無くなっちゃったんだよな。だったら昔みたいに農民に戻ればイイじゃんって言えれば楽なんだろうけど、世の中そう簡単なものでは無いらしくてなあ、大量の武士達の失業問題が発生しちゃったんだわ。
この問題によって引き起こされたのが、秀吉の朝鮮出兵だったり、大坂の陣、島原の乱、由井正雪の乱だったりして、果ては幕末にまで影響してるんだから歴史ってのは面白いモンだよw 例えば坂本龍馬と新撰組・・・この人たちにはどちらも戦国末期の失業軍人の末裔って共通点があって、その怨念が時空を超えて、時代を動かす原動力となって行ったんだな。

ってことで、楽・日本史演義・戦国の巻〜北条・上杉・武田編〜は、ひとまず終了です。
次回予告w 〜大まかな流れが分かる幕末伝〜 どうぞお楽しみに☆


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