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疾(はや)きこと風の如く、徐(しず)かなること林の如く、侵(おか)し掠(かす)めること火の如く、動かざること山の如し
風林火山の旗の下、戦国最強と謳われる騎馬軍団を率いて天下を窺い、織田信長をもビビらせて、徳川家康に至ってはウ○コまでチビらせてしまった男、武田信玄。
戦に強いのは勿論のこと、内政・外交・謀略と、全ての面において天才的で、あと10年長く生きていれば天下を取っていたと言われているのも、あながちハッタリでもありません。でも戦に強く、内政に長けて謀略を得意とする程度では、戦国最強の名は貰えません。
信玄の持っていた、もっと本質的な戦国大名としての強さとは?
それでは、物語の始まりです。
>>> 武田信玄物語 〜果て無き欲望〜 <<<
★天才少年
武田信玄は甲斐(山梨県)一国を治める名門・武田家の嫡男(跡取りになることを約束された、正妻の子のことを言う)として生まれました。
有名所の戦国大名の中ではやや年長組で、上杉謙信の9つ年上、織田信長より13年上となります。参考までに、戦国時代のターニングポイントとなった1560年の桶狭間の戦い時における関東甲信越近辺のメジャー大名の年齢は以下のとおりね。
北条氏康 45歳
今川義元 41歳
武田信玄 39歳
上杉謙信 30歳
織田信長 26歳
羽柴秀吉 24歳
徳川家康 17歳
武田勝頼 14歳
それにしても、昔の人って本当若い頃から活躍しているモンだよなあ。なお時代は下って幕末だと、坂本龍馬の享年は33だし、吉田松陰が松下村塾なんてやってたのは25歳のときでっせ(^^; 武田勝頼が散ったのと同じ37歳に間も無くなろうかという自分はこんな年になっても一体なんなんだろなと情け無くなるね(><)
・・・って話がそれましたごめんなさいw
信玄少年(※面倒なんで名前は終始、信玄で統一します)が13歳のとき、今川家に嫁いだ姉が、実家にたっっくさんのハマグリを送って来てくれました。信玄少年がお付の者にその数を数えさせてみると、ハマグリは全部で3700個だったとのこと。それを確認した信玄少年は、そのハマグリを庭に山積みにさせ、武田軍団歴戦の勇士たちを呼び寄せます
信玄少年:
「このハマグリ、全部でいくつあると思う? たくさんの戦場を見てきたお前らなら簡単に当てられるだろ?」
歴戦の勇士たち:
「・・・10000くらい?」「いや15000!」「なんの!20000はあるだろう!」
信玄少年:
「残念!正解は3700。なんだなんだ歴戦のお前らですらこの有様か。これなら5000の兵を揃えれば、何とでも言うことが出来るな。」
歴戦の勇士たち:
(なんと凄い若君だ。これは武田家の未来は明るいぞ!)
信玄少年は若いうちからその行く末を大きく期待されました。
★親父?なにそれ?
武田信玄の父、武田信虎。彼は戦には滅法強いけど、領内には重税を課しながら、家臣には容赦なく無茶な戦ばかりをさせると言う、まるで武田勝頼のような人でした。
20才になった信玄:
「最近はオヤジに不満を持っている家臣や豪族が多いけど、もしかしてこれチャンスだったりするのか? ちょっと家臣達にアンケートとってみようかコッソリと。おーい信方ちょっとこーい。」
信玄お付きの爺:板垣信方(いたがきのぶかた)
「ははっ、お呼びでしょうか若。」
信玄:
「最近、オヤジの評判があんまし良くないようだが・・・お前だからぶっちゃけ言うけど、オヤジよか俺が大将になった方がイイと思わんか?」
信方:
(ビクっ)
「な、何を言われるのですか若! 父上のことをそのように言われてはなりませぬ!」
信玄:
(コイツ今ビクっとしたよな)
「なーに心配せずとも、お前の本心は俺の心の内だけに秘めておくって。俺はお前だけは信頼しているからこそ、こんな話をしているんだぞ。それにこの武田家は、いつかは俺が跡を継ぐことになるんだし。俺にだけは本当のことを言っておけっての。」
信方:
「そ、そこまで申されるのなら・・・実は拙者も最近の信虎様にはついていけませぬ・・・」
(信玄:父の側近の信方がこの有様なら行けそうだな)
えてして嫡男付きの爺などと言うのは、主君が最も信頼する家臣が任じられるものです。その家臣団のトップとも言える信方の真意を確認した信玄は、次から次へと家臣達を呼び出し、尋問して行きます。
信玄:
「・・・と言う訳で父に代わって俺が武田家の主になろうかと思うんだが・・・ちなみに信方も賛成してくれているぞ。」
家臣団ナンバー2にして爺その2の甘利虎泰(あまかすとらやす):
(板垣殿が裏切るんだから俺が裏切っても問題無いよな。)
「拙者も若に付いて行きまする」
・・・・・・・
信玄:
「これは信方と虎泰もバックアップしてくれている話なのだが・・・」
その他家臣某:
(ナンバー1とナンバー2がその有様なら信虎様はもうダメだな)
「某の未来は若様とともにあります!」
こうして信玄は上から順繰りで家臣達を説得?して行き、その殆どが味方に付いたのを確認したところで、父信虎に対面します。
信玄:
「オヤジ悪いんだけどさあ、もう甲斐から出てってくんない? ぶっちゃけアンタ評判悪いから。」
信虎:
「あぁ〜ん? キサマ〜! 親に向って何だその口の利き方は! おい信方、虎泰!コイツに何とか言ってやれ!」
信方&虎泰:
「それはこっちのセリフです。我ら家臣一同、若様に付いて行くことに決めましたので。」
信虎:
「謀ったな息子〜!!!!!」
こうして武田信虎は国外追放処分を受け、信玄が武田家当主となりました。
信玄:
(やっぱこういうことやるなら、上から切り崩すべきなんだな。信方がやるなら俺もって連中のなんと多かったことか・・・)
信玄は20才にして早くも、人間組織の脆さと切り崩し方と言うものを実地に学び、実践していたのでした。
★妹?なにそれ?
甲斐一国を手中に収めた信玄は、弱小豪族の割拠する信濃に進出します。とりあえずの目標は甲斐から信濃への玄関口、諏訪地方です。
信玄:
「諏訪地方攻めたいんだけど、あそこの豪族・諏訪頼重って、信虎のオヤジが俺の妹差し出して同盟してたんだっけ?・・・でもそんなの関係ねえwそんなの関係ねえw いやむしろ油断してて丁度いいくらいだろ☆」
こうして信玄は諏訪攻めを開始するのですが・・・いきなし力攻めするようなバカなことはしません。とりあえず忍(しのび:スパイのことね)を放って諏訪家の内情を探ることにします。
信玄:
「えっとなになに? 忍からの報告によると、諏訪一族の1人、高遠頼継が当主の頼重に不満を持っているって? よし、それなら一丁煽りを入れてやるか。」
信玄より高遠頼継殿へ:
「バカ殿の諏訪頼重は諏訪地方を治める器じゃないですよね。頼継殿の方が諏訪一族の主にふさわしいと思いますよオレは。
ってことで、もし頼続殿が諏訪頼重を攻めるなら協力しますよ。頼継殿だけでも諏訪頼重ごとき弱者に負けるはずありませんけど、オレと一緒ならもっと安心でしょ。その代わり、諏訪頼重を倒したら、オレにも諏訪地方の一部を譲ってくださいね。」
高遠頼継:
「そうだよな諏訪頼重なんて弱いよなアホだよな俺が負けるはずないよな☆ しかも信玄殿も手伝ってくれるってんなら完璧だろw 諏訪一族の次期当主はこの俺だ!」
こうして煽りに乗った高遠頼継は、信玄と共に諏訪頼重を攻め、見事勝利し、頼重を捕らえます。
諏訪頼重の妻(信玄の妹):
「お願い兄さん、何とぞ夫頼重の命を助けてやってください。」
信玄:
「却下。ヘタに生かしておいて後で仕返しされたりしたらイヤだから死刑。」
信玄の妹:
「酷いわ! 兄さんが欲望のままに勝手に諏訪の地を荒しに来ただけじゃないの! 夫がいったい何をしたって言うの!?」
信玄:
「諏訪の地に住んでいたのが悪い!」
信玄の妹:
「いやああああああ!!!!!!!」
残念ながら妹の願いは届かず、諏訪頼重は処刑されました。
信玄:
「さーて邪魔者諏訪頼重を倒したことだし・・・よし!次は高遠頼継の番だな。」
高遠頼継:
「ちょ、それ酷いっしょ信玄殿!!!!」
信玄:
「お前らバカだよなあ・・・仲違いなどせず一族一丸となっていれば、オレとてそんな簡単に手出し出来なかったのにな」
高遠頼継:
「ぎええええええ!!!!!!」
高遠頼継が攻め滅ぼされたのは、諏訪頼重が殺されてから2年後のことでした。
★父の敵? なにそれ?
さてさて話は少し遡りますが、殺された諏訪頼重には12才の娘・梅姫と、まだオムツの取れない息子・寅王がおりました。
信玄:
「梅・・・おお、なんと美しい娘だ・・・」
梅姫:
「近寄るな父の敵!けがらわしい!! さあ早くわらわを殺し、父の元に送るがよい!!!」
信玄:
「オイオイそんなこと言ってイイのかい? 寅王の命と今後の諏訪家の運命は、梅ちゃんの態度にかかっているんだぜ?」
梅姫:
「・・・わらわが降れば、寅王には手を出さないと・・・約束するのだな?」
信玄:
「もちろんだ。寅王成人の暁には、諏訪家再興を許そう。」
(んなわけねーだろ。梅ちゃんさえモノに出来れば寅王なんてどーでもイイっての)
梅姫:
「う、ううう・・・・ならば仕方あるまい・・・好きにするがいいこの外道がっ!」
(信玄:ぐっへっへ〜)
こうして梅姫は信玄に側すことになりました。梅姫は諏訪御料人と呼ばれることとなり、16才のときにあの四郎勝頼を生みます。
なお、諏訪御料人は心労のためか25才で亡くなってしまい、また、寅王がその後、諏訪家を再興したと言う話は伝わっておりません・・・それどころか、いつ何処で何才で死んだのかも分かっておりません・・・
★男だっていいじゃないw
暗い話ばかりなのもなんなので、微笑ましい話の一つでも。
信玄は何も美女ばかりを愛していた訳ではありませんw
ココで武田信玄が「男!」への浮気の言い訳として「男!」に対して出したラブレターを紹介しましょうw
なお、この手紙は現存しており、以下は原文及び、その現代語訳ですw
一、弥七郎にしきりに度々申し候へども、虫気の由申し候間、了簡なく候。全くわが偽りになく候。
一、弥七郎伽に寝させ申し候事これなく候。この前にもその儀なく候。いはんや昼夜とも弥七郎とその儀なく候。なかんづく今夜存知よらず候のこと。
一、別して知音申し度きまま、急々走り廻ひ候へば、かへって御疑ひ迷惑に候。
この条々、偽り候はば、当国一ニ三明神、富士、白山、ことには八幡大菩薩、諏訪上下大明神、罰を蒙るべきものなり。よって件の如し。内々宝印にて申すべく候へども、甲役人多く候間、白紙にて。明日重ねてなりとも申すべく候。
七月五日 晴信(花押)
春日源助どの
(現代語訳)
1つ、今まで弥七郎に言い寄ったことはありますが腹痛だなどと言って断られました。
1つ、弥七郎を伽(とぎ)に寝させたことはありません。この前にもそのようなことはありません。もちろん昼夜とも弥七郎とそのようなことはありません。まして今夜など思いも寄らないことです。
1つ、特に貴方と特別な仲になりたいと色々手だてを巡らすと返ってお疑いになり困ってしまいます。
このことに嘘があれば、当国の一二三大明神、富士、白山、殊に八幡大菩薩、諏訪大明神の罰を蒙るでしょう。本来なら宝印(熊野牛王宝印の判紙)に書くべきだが、甲府の役人の目がうるさいので、白紙に書きました。明日にでも重ねて正式の紙に書きましょう。
残念ながら、この手紙がどのようなシチュエーションで書かれたものかは分かりません。でもとりあえず、弥七郎ってのは美童小姓の1人であり、ラブレターを貰った春日源助くんが絶世の美少年だったことは伝わっております。そんでもって本文中に度々出手くる「候」ってのは、「です、ます」調の敬語で、「花押」ってのは、正式文書に押す角印みたいなモノなんで、信玄がいかに源助少年を愛していたかが分かりますねw
なお、この春日源助少年は、後に高坂昌信と名乗り、武田二十四将の1人として信玄を支え、後の世において山県昌景、馬場信房と並ぶ「武田四名臣」の1人に数えられることになります。信玄の愛した源助少年は、決してただ美しいだけの少年ではありませんでした。
★負けたってイイじゃない
諏訪地方を制圧し、勢いにのる信玄は、後に武田晴信被害者の会:会長となる上田地方の村上義清を攻めますが、ココで生涯初と言っていい程のメッタ負けを喫します。
この戦いで筆頭爺の板垣信方と次席爺の甘利虎泰も討ち死にし、信玄は力一辺倒で押そうとした自らの行いを多いに反省し・・・って何処かで見たような展開ですが、ココからが息子の勝頼とは違います。
信玄:
「こういう日に備えて、ケガに良く効く温泉を沢山見つけて整備しといて良かったぜ。おかげで負傷者の治療も早めに済んで、すぐにリベンジに行くことが出来るぞ。でもこのまますぐに攻め込むんでは芸が無い・・・そうだ! おい昌景、信房、ちょっと来い、ゴニョゴニョ・・・」
昌景&信房:
「なるほど、それは使えるかも知れません。早速忍を放ちましょう。」
昌景と信房は、上田地方の村上義清とは別方面のライバル、上諏訪地方の小笠原長時の城で噂話を広めます。
小笠原長時:
「なに?村上義清に負けた武田信玄の軍勢が、ケガ人続出で立ち直りの見込みが立たないって? よし!今がチャンスだ!甲斐に攻め込むぞ!」
信玄:
「ひっかかったなバーカバーカwww 上諏訪は山深くて自分から攻め入るのがダルくてどうしようかと思ってたけど、向こうの方からまんまとやって来やがったぜ☆」
小笠原長時:
「おい! 武田軍全然元気そうじゃんかよ!! うわー話が違うー(><)」
こうして武田軍団ケガ人続出の噂話を信じてまんまとおびき出された小笠原長時はボッコボコにされ、後に結成される武田晴信被害者の会のメンバー入りを果たすことになります。
★戦では勝てずとも
上諏訪地方を奪った信玄は、自分に初黒星を付けた村上義清へのリベンジを果たそうと、再び上田地方に出撃しますが、なんと!返り討ちにあってしまいます(^^; (詳しくはこちらを)
歴史の影に埋もれてマイナーだけど、実はこの村上義清って人は凄いんです。武田信玄はその生涯において70回くらいの戦をやっており、そのうちで完敗と呼べる負けは2回しか無いのですが、その2敗とも村上義清が付けた黒星なんですから。
信玄:
「ちくしょーまた負けたー!・・・悔しいけど、戦に関してはオレより義清の方が上だな認めざるを得まい。
でもな義清、オレはこんな日が来ることに備えて金山開発をしっかりやっておいたんだ。戦では負けたが、カネの力でなら負けんぞ!
ってことで出番だ昌景!! いいか、ザコじゃダメだぞ、狙うならケチなこと言わずにナンバー2からだ!」
昌景は村上軍団ナンバー2の元に赴きました。
昌景:
「貴殿が村上軍団ナンバー2殿でござるな? 貴殿の大将、義清殿は誠に強い。だがいかに強い義清殿とて、甲斐にまで攻め入るほどの力は持ってはおるまい。」
ナンバー2:
「確かにこちらには攻撃を仕掛けるほどの力は無いが、キサマらが何度攻めて来ても、我が殿は全て撃退してみせる。いくらでもかかって来るがよいさ。」
昌景:
「心配せずとも何度でも攻めてやるぞ。こっちにはコレがあるからな。(ジャラ・・・)」
ナンバー2:
「お、黄・・・金!?」
昌景:
「こう言っては何だが、我らをいくら撃退しても、おヌシらいつもタダ働きだろ? こちらの領土を奪っている訳じゃないし、それに義清殿は戦は強いが貧乏だからな。あまり米の取れない上田地方じゃあロクに恩賞が出せないのも仕方の無いことだが・・・(ジャラジャラ・・・)」
ナンバー2:
「ええい、我ら金は無くても心は錦だ! キサマ等銭ゲバ共と一緒にするな!!! オマエらはライブドアか!!!信玄はホリエモンか!!!!」
昌景:
「なあナンバー2殿・・・貴殿も我らの仲間にならんか? したればこれは全て、貴殿のものじゃ。(ジャラジャラジャラ・・・)」
ナンバー2
「こ、この俺を見くびるな! カ、カネで主君を売るような男と思うでないぞ!!!」
昌景:
「我が君は決して恩賞は惜しまぬお方。今後も手柄を立てれば立てるだけ、黄金が手に入るぞ?(ジャラジャラジャラジャラ・・・)」
ナンバー2:
「そ、そなたの言うことは本当なのだろうな? 本当に、その黄金が・・・って俺は決して金で動いた訳ではないぞ! 無駄な戦で民を苦しめたくないから降るんだからな! か、勘違いするで無いぞ! 黄金は関係ないんだからな!」
ナンバー2は上田の民のために?晴れて武田軍に寝返りました。
なお、武田信玄は金山開発のみならず、治水技術の研究でも全国最先端を行き、信虎の代には貧しい山国だった甲斐の国は、今や有数の金持ち国となっていたのです。
村上軍団の豪族たち:
「ナンバー2が寝返ったんだから・・・オレ達も裏切ってイイよな?」
「てかやっぱ、世の中カネだよカネ!!」
「それに歯向かう者には鬼の信玄も、身内にはすげえ気前イイって聞くぜ?」
「義清さまゴメンwwww」
村上軍団の豪族たちは次々と武田軍に寝返って行き、村上義清は戦らしい戦もせぬまま居場所を失い、上諏訪の小笠原長時らと共に武田晴信被害者の会を結成し、越後の長尾景虎の元に逃げて行きます。ココから宿命の対決が始まったのは上杉謙信伝で述べたとおりです。
それにしても確かに、こりゃあ被害者の会結成されるほど恨まれても仕方ないよな信玄w
★使えるモノは使っとけ
それから色々ありました。上杉謙信と川中島で大激戦を繰り広げたり、息子を無理矢理自殺させて三国同盟を破ったり、謙信に塩送って貰ったりしながら今川攻めを始めたのは、過去のシリーズで述べたとおりです。
信玄:
「ウチの甲斐から今川領の駿河・遠江(伊豆半島を除く静岡県)を挟んだ丁度向こう側に徳川家康ってガキがいるな。コイツ使って向こう側攻めさせて揺さぶっておけば、今川攻めも楽になるだろ。おーい信房、ちょっと徳川行って話つけてきてくれー」
徳川家康は、もともと今川義元の配下にいたのですが、桶狭間の戦いで今川義元が死んだとき、ドサクサに紛れて旧今川領・東から駿河・遠江・三河のうちの三河(愛知県東半分)を奪い、独立していたのでした。
家康:
「確かに俺1人で今川を攻めるよりは、挟み撃ちの方が有利である。この話にはノっておいて損はあるまい。」
駿河・遠江の今川家が武田・徳川に両側から圧迫され、駿河は武田家のもの、遠江は徳川のものとなったのは、桶狭間の戦いから10年後のことでした。
信玄:
「駿河も無事手に入ったことだし、次は徳川家康の番だな。」
・・・こういう人なんです信玄って。
★ 天下人に・・・オレはなる!
桶狭間の戦いから12年・・・詳しい経緯は省きますが、政界中央では織田信長が京を制圧して足利将軍を手中に収め、天下人がごとく振舞っておりました。
しかし、将軍・足利義昭は、自分が織田信長の操り人形になっていることが気に入らず、戦国最強とも言われるまでに強大となった武田信玄に上洛要請をしたのです。
足利義昭:
「天下無双の信玄殿。織田信長がクソ生意気なんで、京まで来てブッ潰して貰えません? したれば信玄殿には副将軍・室町幕府ナンバー2の座を差し上げましょうぞ。」
信玄:
「つい最近まで、オレへのお中元お歳暮年賀状と欠かして無かった織田の小僧がエラくなったモンだな。天下人には信長ごときよりもオレの方が相応しいだろ常識的に考えて。よし! 将軍の要請に応え上洛するぞ!」
信長が信玄に対して異常なまでに気を使っていたのは本当で、信長はことある事に使者を送り貢物を贈り敵対しないようにとしていたのですが、ココに来て両者の対立は避けられないものとなっておりました。
こうして信玄の上洛作戦が始まり、30000の軍勢が甲斐から京都への第一関門、徳川家康の三河に到着します。
家康:
「ついに来たか武田信玄! でも正面から戦って勝てる相手ではないし・・・ココは城に篭って迎撃するしかあるまい。」
信房:
「お屋形様、家康めは浜松城に篭ったまま出て来る気配がありませぬが、如何されましょう?」
信玄:
「我らの目標は京だ。あんなザコは放っておいて先を急ぐぞ。」
信玄は浜松城の目の前を悠々と素通りして行くのですが、
家康:
「なんだと信玄め! 我が城を目の前にしながらガン無視だと!? ええいナメくさりよって・・・これでは領内の豪族達に示しがつかん!全軍、武田軍を追うぞ!!! 後ろから襲い掛かれば少しは勝負になるはず! 例え負けたとしてもナメられっぱなしよりかはマシだ!」
家康は15000の軍勢で追撃して行きました。
昌景:
「来るか家康! それなら武田騎馬隊侍大将、赤備えの山県昌景が相手をしてやろう! 追って来たこと死ぬほど後悔させてやるぞ。・・・もっとも、その首が繋がっているかどうかは分からないがな。(ニヤリ)」
なんと!浜松城を素通りしようとした信玄でしたが、家康の出撃を確認すると一瞬にして陣形を建て直し、徳川家康に真っ向から襲い掛かって来たのです!
家康:
「なんだと!? もう陣替えが終わったと言うのか早すぎる! 後方から追撃すれば勝負になるかと思っていたのに、これでは逆にこちらが奇襲を掛けられたようなモノではないか!!」
昌景:
「キサマごときが武田軍団に歯向かおうなど1億光年早いわ! それ、蹴散らせ〜!!」
家康:
「なんと言うことだ、まるで相手にならん!!! 全軍退却〜〜!!!!」
兵力で下回っているうえに、先手取ろうとしたはずなのが逆に後手を引き、戦闘そのモノでもまるで歯が立たず、家康は全くイイとこ無しに命カラガラ浜松城に逃げ帰りました。
家康:
「た、助かったのか・・・ってなんかケツに妙に気持ち悪い感覚が・・・」
家康の家臣:
「殿、なんだかにおうんですけど・・・」
なんと家康は、あまりの恐怖に、馬上で○ンコ漏らしていたのでした(^^;
なお、家康はこのとき、すかさず画家を呼び寄せて恐怖におののく自分の姿を描かせ、その姿を生涯の戒めとしたそうです。また、家康はココまで自分をコテンパンにした信玄のことをむしろ尊敬し、その戦っぷりや領国経営術を真似、生涯の心の師としました。
信玄:
「オレは小細工無しに正面から戦っても強いんだぜ?」
★落ちた巨星
家康をフルボッコにした信玄でしたが、その後間も無く病気となり、三河の地に倒れます。
信玄:
「源四郎・・・明日には瀬田に武田の旗を立てよ・・・」
※瀬田は京都、源四郎は山県源四郎昌景
武田信玄、享年53。京へ向う志半ばにして息を引き取りました。
「大ていは 地に任せて 肌骨好し 紅粉を塗らず
自ら風流」
× × ×
戦に強いのみならず、金山開発や温泉の発掘、平成の現在に至るまで堤防の残る治水事業と言った内政手腕、敵の敵を探し出し味方に付ける嗅覚と外交力、その全てに飽くなき才能を発揮した武田信玄。でも信玄の一番凄い才能とはそのような表面的なものでは無く、その果て無き欲望の強さと、容赦無き節操無きことを平気でやれる人間性だったのでは無いでしょうか。
「人は城、人は石垣、人は堀。情けは味方、仇は敵なり」
そんな信玄がこんな句を詠んでいたのだから面白いものです。
父を蹴落とし、息子を葬った信玄なればこそ、人と人の結びつきがいかに大事なものなのかを、誰よりも知っていたのでしょう。
− 武田信玄物語 〜果て無き欲望〜 完 −
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