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小牧・長久手の戦いにおいて訳の分らぬままいつの間にやら敗者となっていた徳川家康。名目上とは養子といえ、次男を実質上の人質として秀吉に差し出し、いちおう秀吉と和平を結んだ形とはなっていたものの、その腹のムシは全然おさまっておりません。近いうちに秀吉に復讐してやる!! 家康はそう心に誓い、着々と軍備の増強に励んでおりました。
★神速の秀吉
家康:
「ようやく小牧・長久手の傷も癒えた! これでいつでも戦に出ることができるぞ! さてあとはどのタイミングで戦をしかけるかだが・・・半蔵よ、紀伊(和歌山県)の雑賀衆、四国の長宗我部元親の動きはどうなっておる?」
半蔵:
「そ、それがただいま入った情報によりますと・・・どうやら雑賀衆は秀吉に降ったようです。」
家康:
「ブーっ!!!!!!」
数正:
「なんと! 雑賀衆と言えばあの織田信長様でさえも手を焼いた戦国最強の鉄砲集団!! それがこうもアッサリ降ってしまうとは・・・秀吉とはいったいどんな化け物なのですか!?」
家康:
「我らが軍備の編成やら兵糧の確保やらとやってる間にそこまでやってのけるとは・・・ええい秀吉めっ!!」
数正:
「殿・・・どうやら我らは秀吉の力量を甘く見すぎていたのではないでしょうか? このまま秀吉と対立を続けていたとて、とても勝ち目は無いのでは・・・」
家康:
「バカを申すな数正! 信長様の下でちょこまかと走り回っていた猿風情の家来になるなどワシはまっぴらごめんだ! 三河武士の意地にかけても絶対猿などには負けんぞっ!」
半蔵:
「そ、それより殿・・・実は我が領内でも少し面なことが起こっておりまして・・・」
家康:
「なんだなんだ雑賀衆の話だけでもやっかいなのに、まだ他にも何かあるのか!」
半蔵:
「上田(長野県中央部)の真田昌幸めが我が徳川の下を離れて上杉家とよしみを通じたもようです。」
真田昌幸とはあの真田幸村の父親です。昌幸は長野県上田地方の小領主で、もともとは武田信玄に仕えておりました。その武田家を滅ぼした信長までもが本能寺に倒れると、その遺領を巡って北条、上杉、徳川が争いを始めたのでした。昌幸はその3者の間をのらりくらりと立ち回り、結局徳川家に仕えることになったのですが、その徳川家とちょっとしたいざこざがあり、家康に対して不満を持っていたのです。
家康:
「なにっ!真田が裏切っただと!? ええいこしゃくな生意気な! せいぜい2000程度の兵力しか持たぬクセに身の程知らずがっ! 元忠よ。おヌシに7000の兵を与える。秀吉と戦う前のウォーミングアップと思ってヤツらを血祭りにあげてまいれっ!」
家康の側近・鳥居元忠:
「ははっーっ! 必ずや真田昌幸が首級、持ち帰りましょう!」
★5万石と100万石と
こうして始まったのが第一次上田合戦と呼ばれる戦いです。真田軍に対して3倍もの兵力をもってして余裕のつもりで臨んだこの戦だったのですが、なんと!家康軍は初戦でフルボッコのメッタ負けを喫し、その後も真田軍優勢のまま信濃に釘付けにされてしまったのでした。
家康:
「ま、まさか、我が精鋭が真田の小勢ごときにあしらわれてしまうとは・・・真田昌幸恐るべし・・・」
一方、家康軍が信濃において真田と小競り合いをしている頃、秀吉はどうしていたかと言うと・・・
半蔵:
「大変です殿! 四国の長宗我部元親、越中の佐々成正が秀吉に降ってしまいました!」
家康:
「はあっ!? なんなんだその秀吉軍の進軍スピードは!!」
家康がたかだか5万石そこらの土地を取り損ねている間に、秀吉は100万石近い国々を制圧していたのでありました。
数正:
「殿・・・もはや我らと秀吉の力の差は歴然としております・・・ここはもう大人しく秀吉に従うしかないのではないでしょうか・・・」
家康の近衆A:
「な、何を申されるか数正殿っ! 貴公は三河武士の意地を何と心得るっ!」
家康の近衆B:
「そんな臆病風に吹かれるなど、それでも貴公は三河武士かっ!」
家康:
「数正・・・おヌシの言いたいことも分からんではない・・・だがの数正・・・男には絶対捨てられない曲げられないものがあるのだっ!」
数正:
「・・・・・・・・」
(そうは言っても、勝てないのものは勝てないんだってことが皆分からんのか!? そうしてムダな戦をすることによって困るのは我らであり領民だってことが分からぬのかっ!? なぜみんな冷静に物事を考えられないんだっ!?)
★疑心暗鬼
家康の率いる三河武士団は良くも悪くも純粋です。言い方を変えれば脳筋バカの集団です。そんな武骨一辺倒な三河武士にとっては、一戦も交えずして秀吉に降ることなどとうてい我慢の出来ないことでした。その中で数正のように冷静な判断を下せる人物は極めて少数派だったのです。・・・で、人間集団というものは、こういうシチュエーションに遭遇した場合、どうしても積極論の方が幅を利かせ、押せ押せな空気が場を支配するようになるものです。
やがてそんな頭に血が上った状態の三河武士たちの間では、数正は秀吉と内通している!だから降伏臣従ばかり口にするんだ!と、そんな噂が流れるようになりました。
家康:
(最近、数正の悪口ばかりが聞こえてくるが、数正は数正なりの考えを述べているだけのこと。数正がワシを裏切るなどと、そんなことあるはずなかろうに・・・だいいち数正はワシが今川家の人質時代からの側近で、桶狭間の戦いをきっかけに今川家から独立した際には、命がけで今川家からワシの妻子を奪還してきたのだぞ? 徳川家の筆頭家老にして外交のすべてを取り仕切らせるほどに重要している数正が、まさか秀吉と通じているなどと、そんなことは絶対にありえんわい。)
家康が思案にくれていると、半蔵が血相を変えて飛び込んできました。
半蔵:
「た、た、た、大変です殿!!! か、か、か、数正殿が!!!!!!!」
家康:
「数正がどうした半蔵!? ま、ま、まさか!?」
半蔵:
「徳川家を出奔し、大阪城に向かった模様にございます!!!!」
家康:
「な、なんだってー!!!!!!」
半蔵:
「数正殿が秀吉方に寝返ったということは、わが軍の軍事機密はダダ漏れです!」
石川数正は徳川家の中枢にいる重臣中の重臣です。徳川軍団の作戦や戦法、陣立てに熟知していることはもちろん、武器の在庫状況、兵糧の蓄え量などといった徳川軍団の真の戦闘力も全て把握しているのです。そんな人物が敵に回ってしまったのですからたまったものではありません。また、家康の側近中の側近が寝返ったということに対する精神的動揺も甚大なものでした。
家康:
「こうなっては我が軍の編成や軍法を1から練り直さねばなるまい。今のままでは秀吉と戦おうにも戦いようがない・・・」
こうして徳川軍は今までの軍制を改めるという、まことやっかい膨大な役務に追われることになったのでありました。
さてさて、数正が秀吉と内通しているという噂はいったい誰が流したのでしょう? また、数正はいったいなぜ徳川軍を出奔したのでしょう? 消極論を唱えているうちに徳川軍内での居場所を失いつつあったから? それとも自分が秀吉側につくことによって徳川軍が混乱して戦闘不能になることを見越したうえでの行動だった? その真相は分かりません。とにかくこの石川数正の寝返りにより、徳川軍の戦機が多いに遠ざかってしまったのでした。
★トンでもない贈り物
家康がそうこうアタフタしている一方、秀吉は朝廷工作を進め、武士としては初めてとなる、関白就任を成し遂げていたのです。
関白と言えば天皇の代理人とも言える最高の地位です。武士の長、幕府の長である征夷大将軍よりもエラいのです。すなわち秀吉は、位人身を極めた日本で一番の存在となったのです。
家康:
(なんなんだこの秀吉の行動速度はありえんだろ!!! さすがにココまで差を付けられてしまったのでは、さすがにもう秀吉に勝つのは無理だ・・・だが今さらノコノコごめんなさいしに行くのもカッコ悪いものよのう・・・だからと言ってこのまま臨戦状態のままでイイかと言えばそれも微妙だし・・・ええいどうすればよいのだ!?)
家康が今後のことについて悩んでいると、家康の下に秀吉からトンでもないものが送りつけられてきたのです。
???:
「聞けば家康殿は若いときに正妻の筑山殿を失われてから今の今まで独身やもめ暮らし※とのこと。それでは何かとご不自由であろうかと、家康殿に嫁いで色々世話してまいれと兄秀吉に言われてやって来ました。名を朝日と申します。どうぞよろしく。」
※独身とは言っても側室はおります。
家康:
「ま、まじっすか!!!!」
なんと!秀吉は当時人妻をやっていた妹の朝日姫(44歳!)を無理矢理に今の旦那と離縁させて、家康を懐柔するための人身御供として送り込んで来たのでした。ちなみにこのとき家康は45歳。つり合いが取れていると言えば取れていると言えるでしょう。
・・・で、家康としてはこの申し出を断ることは出来ません。家康の置かれた立場から考えてみると、朝日姫を送り返すということは、自分に対してココまで譲歩してくれた秀吉の面目を丸潰れとす行為、即ち表だった敵対行為とみなされるのです。
家康:
(これで秀吉とは晴れて義兄弟の間柄と言うことになってしまったではないか・・・っていうかそこまでするか秀吉よ・・・いよいよワシも年貢の納め時かのう・・・)
ココまで来ると、流石に頑固頑迷な三河武士団の間にもあきらめムードが漂い、秀吉に対する敵意も薄らいでおりました。それでもやはり、皆の間にはまだ少し今までのわだかまり心理的抵抗が残っており、秀吉への完全臣従を決意するにはもう一押しの何かが必要でした。そんな三河軍団へのトドメの一撃とも言える来客があったのは、朝日姫の輿入れから3か月ほどが過ぎてからのことです。
???:
「あんれま〜あなたが徳川家康さんですか〜まあまあイイ男だこと。娘が大変お世話になっております。朝日の母でございます。娘は元気にしておりますかね? 家康さんにご迷惑をかけていなければイイのですが・・・」
家康:
「お、お、お、大政所様!?」
なんと!秀吉はまだ煮え切らない態度でいる家康のもとに、今度は実の母(大政所と呼ばれている)を、娘の見舞いと称する、事実上の人質として送りこんで来たのです。
家康:
(秀吉と言えば何よりも母を大事にしていると評判の親孝行者だ。そんな秀吉が命の次に大事であろう母親を送ってよこすとは・・・秀吉とはなんという男なのだ。自分に対する絶大なる自信があっての行為であることは勿論だが、こんなこと、このワシを信頼してくれなければ出来ることではない・・・もう分かった、ワシの負けだ。秀吉よ、お前がナンバー1だ。)
こうしてついに家康は、上洛して秀吉に臣従する決意をしたのでありました。
★華麗なる奇襲攻撃
あの小牧・長久手の屈辱の和平から2年が過ぎた1586年10月26日・・・2万の兵を引き連れて大坂に上洛した家康は、秀吉の弟・羽柴秀長の屋敷に宿泊しておりました。
家康:
「明日はいよいよ秀吉との対面だ。さてどのように話を進めればよいのやら・・・秀吉の機嫌を損ねてはならぬし・・・かと言って下手に出すぎてナメられてもいけないし・・・」
家康が明日のことを考えていると、何やら部屋の外からドタドタと騒がしい音が聞こえてきます。
家康:
「なんだなんだ騒々しい。明日は大事を控えているのだから少し静かにしておらんかい。」
家康がふすまを開けてみると、半蔵が泡食って走って来ているではないですか。
半蔵:
「と、と、と、と、殿! ひ、ひ、ひ、ひ・・・」
家康:
「またお前か半蔵。いつもいつも慌てふてめきよってからに。たまには普通の登場をしてみせんかい。」
???:
「まあまあまあ、この者のことをそう責めるでないわ。」
半蔵の後から威風堂々歩いてきた人物に声をかけられた家康がその姿を確認してみると、果たしてそこに立っていたのは、
???:
「やあやあ家康殿、こうして顔を合わせるのは何年ぶりになるかなあ? 相変わらずの壮健ぶりで何よりだ。」
家康:
「ひ、ひ、ひ、秀吉殿!?」
なんとそこには!供の者の一人もつけず、単身乗り込んで来た関白秀吉の姿があったのでありました。
秀吉:
「いやー明日は正式な対面となってしまうんで、タテマエの話しかできないからな。その前に家康殿とお互い身一つで色々語り合ってみたかったんだよ。お互い色々と誤解もあるだろうからなあ。ってことでとりあえず、まずは乾杯と行きたいのだがどうよ?」
家康:
「こ、こ、この家康のためにそこまでのご足労、気遣い、ありがたき幸せにございます。喜んでご相伴にあずからせて貰います。」
さすがの家康もこの奇襲攻撃には為す術がありませんでした。
家康:
(いかに絶対優位な勝者の立場とは言え、ついこないだまで自分の首を取ろうとしていた相手のところに、護衛も事前の根回しも無しにただ一人でやって来るなんて、ワシには到底できないことだ。こうして実際に顔を合わせてみて改めて分かったわ。やはり秀吉は紛れもない天下人よ。)
家康と秀吉は、二人きりで夜遅くまで語らいました。信長の元で共に戦った思い出を。お互いにベストを尽くしえた小牧・長久手の戦いのことを。そしてこれから共に作っていく、戦の無い平和な世の中のことを。
次の日大坂城において家康は、秀吉配下の大名万座の中で正式に秀吉への臣従を誓い、それを見た他の大名たちは改めて秀吉のその実力にひれ伏したのでした。
また、このとき家康は秀吉愛用の陣羽織を所望して、
「これからは関白様の手をわずらわせること無く、この家康が先頭に立って戦って行きます。」
とアピールし、秀吉と家康の会見は大成功に終わったのでした。
最大最強のライバル家康さえ下してしまえばもう怖いものはありません。秀吉は以下トントン拍子に九州、東北、関東を制圧し、見事天下統一を果たしたのでありました。
× × ×
さてさてさて、秀吉の天下統一物語、いかがだったでしょう?
我々は歴史の答えを知っています。最終的に秀吉が勝ったという結果を知ったうえで秀吉視点でその天下統一譚を追っていても、その勝利の方程式があまりにも完璧すぎるので、逆にその凄さが伝わりにくかったりします。野球における本当のファインプレーとは、処理の難しい打球を難しい打球だと思わせずに、何事も無かったように捕ることであるのと同じように。
秀吉のマジックがいかに奇想天外凄いものだったのか? それはむしろそのライバルたちの視点から見た方が、驚きビックリ度がよりよく伝わったのではないでしょうか。リアルタイムで秀吉の活躍を見てきたライバルたちは、きっと我々の何十倍何百倍も、秀吉の恐ろしさ偉大さを感じていたことでしょう。
天下人物語 ―完―
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