|
イイクニ作ろう鎌倉幕府@1192年…日本史大好きな筆者ですが、これが最高傑作に覚えやすいゴロ合わせ年号だと思っております。
でも実際に鎌倉幕府が1192年に設立されたのかと言えば、実のところ話はそう単純なものではありません。この物語の主人公・源頼朝とその仲間たちは、「武士」にとってのイイ国を作ろうと、次々と現れるとライバルたちを倒しながら少しずつ少しずつ、後に鎌倉幕府と呼ばれることになるその組織を作り上げ盛り立てて行ったのです。
イイ国作ろう鎌倉幕府…この物語では自分たちにとってのイイ国を作ろうと奔走した武士たちが、いかにどのようにその権利を拡大し勝ち取って行ったのか、そんなお話を語って行こうかなと思います。
★エピソード0 保元の乱
藤原氏が自らの娘を天皇に嫁がせ、その娘が産んだ子を天皇に添えて外祖父となることによって天下を牛耳った平安時代も末期になると、今度は天皇を引退した「上皇」が、藤原氏の影響が比較的弱そうな皇子を皇位につけ、自分は大御所として権勢を振るう「院政」を行うことにより藤原氏から天下を奪い返します。
この院政体制でもっとも大きな権力を握ることに成功したのは、「ワシの思う通りにならないモノは、双六の賽の目と賀茂川の洪水くらいなものだ」と豪語した白河上皇なる人物なのですが、この白河上皇が、自分の思い通りに権勢を振るうためにかなり無茶苦茶な天皇人事をやってしまったがために、白河上皇が亡くなった後は、量産された上皇たちの間で「白河上皇の跡を継いで院政を行うのはこのオレだ!」とケンカを始め、更にその上皇同士の争いに藤原氏内部での主導権争いも加わって、天皇家と藤原氏を真っ二つに割った戦い、「保元の乱」が勃発したのでした。
この争いの主役になった崇徳上皇と後白河天皇は、それぞれ源氏や平氏と言った武士団を雇って武力衝突します。もちろんこの源氏と平氏の間でも、それぞれの一族の党首の座を争って各派に分かれてしまったことは言うまでもありません。
この保元の乱のことだけを書いても一本の物語が書けてしまうほどに面白いエピソード満載なのですが、ココはその辺全部を省略して結論だけを書くと、後白河天皇、源義朝、平清盛の3人が勝者となり、それぞれが天皇家、源氏、平氏の主となることに成功しました。
★エピソード0−2 平治の乱
保元の乱が一段落すると、今度は源義朝と平清盛の間で、どっちが武士のナンバー1なのかと言う争いが起こります。
もっともこれは結果としてそうなっただけのことなんですよね。この平治の乱、当初は保元の乱だけでは今ひとつ決着しなかった藤原氏内の主導権争いに、それぞれが源義朝、平清盛を味方につけて争ったと言う戦いだったのですが、この二つの乱を通じて武士たちに「藤原氏なんてオレ達がいないと結局何もできねーんじゃん」と言う思いを大きくさせて、今まで貴族の番犬のごとく使われていた不満を爆発させることになったのです。
…で、結果としてこの乱を制したのは平清盛であり、清盛はかつての藤原道長や白河上皇に負けず劣らずの権力を握ることになったのでありました。
さてさて負けた方の源義朝なのですが、落ち延びていく途中で味方の裏切りに会い惨殺され、同じく戦死した兄の義平・朝長を除く息子たちは平氏に捕らわれることになったのでありました。
この物語の主人公となる義朝の3男・頼朝はときに14才。兄たちが死んでいたために現時点においては源氏の「棟梁」とも言える立場でした。清盛は当然その首を刎ねようとしたのですが、清盛の義理の母・池禅尼なる人物が「頼朝は死別した息子にそっくりだからどうか助けてやってほしい」などというウザい嘆願をしたがために、頼朝は死一等減じられて伊豆に流罪となったのでありました。
また、この物語において重用な役割を果たすことになる源義経はときにまだ2才。幼子とは言え義経も殺されてもおかしくは無い状況だったのですが、母親が絶世の美女であったがために死刑を免れ、鞍馬寺に預けられることになったのでした。
土地も部下もその全てを失った罪人の子・頼朝…寺に預けられた何も持たない乳飲み子の義経…当時日本で一番の絶大なる権力を握っていた平清盛が、まさか後にこの兄弟に自分の一族を滅ぼされることになるなどとは夢にも思っていなかったことでしょう。
★プロローグ 以仁王の令旨
保元の乱に勝利して朝廷の実験を握り、その後院政を敷くことになった後白河法皇(※法皇とは、出家して天皇を引退した人のこと)でしたが、その後の平治の乱において権力を握った平清盛にその存在を圧迫されます。やがて平清盛は自分の娘を嫁がせた高倉天皇を即位させ、さらに引退させて上皇としたうえでその二歳の子供・安徳天皇を即位させることによって、自分は天皇のお祖父ちゃんと言うことで権勢を振るうという、正に藤原摂関政治のようなことを始めます。
そのように無茶苦茶な人事を発せられると、当然そのとばっちりを受けて冷や飯を食うことになる人間も出てくるわけで、その中の一人に以仁王(もちひとおう)という人がおりました。この以仁王…後白河法皇の息子ではあるのですが、この清盛のありえない強引な人事のために天皇になれる可能性が完全にゼロになってしまい、怒り心頭いつ爆発してもおかしくない状態に陥っていたのです。
そこに目を付けたのが源頼政なる人物です。この頼政は、平治の乱の折に平家方に味方して清盛の信任も得て、清盛政権の中ではなかなかの地位をキープしていたのですが…
頼政:
(最近は清盛の強引なやり方に不満を持つヤツで溢れておるわ。特に諸国には源氏の残党や支持者もまだまだ残っているようだし、清盛人事に不満タラタラな以仁王を抱きこんで反乱を起こせば、もしかして清盛政権くつがえせるんでね? そうなったら以仁王を天皇に添えてやってオレが関白なり太政大臣になって天下を握る!…うーん完璧だw)
こうして天皇になりたい以仁王と天下人になりたい源頼政は結びつき、世に言う「以仁王の令旨」が諸国の源氏に向けて密かに発せられたのでした。
※令旨とは、皇子の出す命令書のこと。天皇の出す「綸旨」、上皇の出す「院宣」などに比べれば3枚も4枚も格が落ちる。
以仁王より:全国に散らばる源氏諸君へ
「おまいら最近平家が調子ノリすぎでムカつくだろ? ハッキリ言ってオレはムカつく。だからおまいら源氏が一丸となって平家を倒すために立ち上がるのだ! さあ兵を挙げろ! おまいら源氏の手で、平家を滅ぼすのじゃー!」
この以仁王の令旨こそが、壮大なる平家追討と武家政権確立の物語の幕開けなのでした。
第一話へ続く
|