プロフィール
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名前 滝本 裕(たきもと ゆたか)
生年月日 196*年10月19日(ちょっとだけ隠してミステリアスにしてみました)
出身地 東京都足立区
血液型 A型
星座 てんびん座
あだ名 タッキー(ジャニーズファンの皆さん、怒らないように)
ポッキー(なぜこう呼ばれるようになったかは語ると長いのです)
ゆう(音楽業界ではこの名で呼ばれることが一番多いです)
趣味 音楽に関する事全般(ま、当たり前ですが)
インターネットでお買い物など
格闘技観戦(最近は会場に行かずテレビばっかりだなあ)
色々な知識を吸収する事
料理(たまにしかやらんけど)
映画鑑賞(もっぱらレンタルDVDですが)
ダイエット(趣味なのかよ(笑)>自分)

●音楽略歴
幼稚園の時にオルガンを習う。小学生に上がってからはピアノ。けれど練習嫌いがたたって全く上達せず。小学校高学年(もしくは中学に入った頃かも)の時、姉の影響で当時大ブームだったYMOを聞き始める。そして初めてテレビで彼らのライブを見て衝撃を受ける。

「ド、ドラムがステージ最前列中央にセットされて、しかも歌いながら叩いている!?」

というわけで一番目立っていたドラムに心をわしづかみにされピアノからはきっぱりと足を洗う。とりあえずドラムの知識が無かったので訳も分からず近所のレコード屋で1セット300円のスティックを買い求め家の中をところかまわず叩きまくるという生活が始まる。(家族はいい迷惑だったに違いない)

姉が高校で軽音楽部に入ってからは数々の洋楽情報が家に流れてくるようになり、必然的に自分も洋楽(特にハードロック)ばかりを聞くようになる。(当時のアイドルはコージー・パウエルとイアン・ペイス)また中学生の分際で姉の高校にもちょくちょく出入りしては先輩達の演奏を羨望の眼差しで見ていた。(現在Dogschoolで活躍中の井上日徳氏は姉の先輩であったため実はこの頃すでに出会っているのだ)

中学3年の時にまたまた姉情報で初めてカシオペアを聞かされそれまでのロックとは全く違う衝撃を受けテクニカルなプレイにも目覚める。時を同じくしてドラムマガジンが創刊され、そこからドラムに関する知識を少しずつ増やしていく。

高校に入り軽音楽部で自分にとっての初めてのバンドを組む。テクニック的に難しい曲は出来なかったためバンドでは主にロックばかりをやることとなる。初めてバンドでコピーした曲はJourneyのWho's Crying NowとRainbowのI Surrenderの2曲。(今は無き秋葉原のLAOXのスタジオにて初音出し)悲惨な出来ではあったが満足感の方が大きかった。

大学に進学した後も軽音楽サークルに所属し3バンド掛け持ちでドラム叩きまくりの生活を送る。(ドラマーは慢性的に人手不足だったので引く手あまただったのだ)調子に乗って学校外でもバンドを3つほど掛け持ちし毎日どこかしらのバンドでドラムを叩いているという音楽三昧の生活を送る。おかげで勉強の方はさっぱりとなったが…。

そして大学3年の時高校時代の友人から運命的にバンドの誘いを受ける。最初は時間が無いと断ったが粘られてバンドのヘルプドラマーということで承諾。思えばこの決断が今までズルズルと続く音楽地獄への入り口だったわけである。(^^)そのバンドが後にデビューする事になる「Les VIEW(レビュー)」というバンドであった。

ちなみにバンドで最初にやったことは写真撮影(笑)。普通スタジオに入って音出すのが先だろと思ったがまずビジュアルから入るあたりがやはり他のバンドと目の付け所が違ったわけである。おりしもバンドブームが到来していたこともありLes VIEWは着実に動員を増やしていく。当初四ツ谷の4Valleyというライブハウスを拠点としていたが渋谷のEgg-manにも進出。そこで当時シンコーミュージックのプロデューサーであった小山田氏に見初められデビューとなる。

デビューまでは順風満帆であったがデビュー後は周囲の期待もむなしく散々であった。CDは売れない、動員は増えない。音楽以外にも精力的にキャンペーンに動き、雑誌の取材を受け、テレビにも出演し、ラジオ番組などもやらせてもらったがどれも決定打にはならず。結局3年間でLes VIEWは活動を終える事となり、メンバーもそれぞれの人生を歩む事となった。

その後は一人のフリーのドラマーとして色々な現場でさまざまなアーティストの方達をサポートしつつ現在に至る。でもそのフリーの時代がすでに15年にもなることを思うとちょっと感慨深いものがある今日この頃なのである。


…って、全然音楽略歴じゃね〜じゃん(笑)>自分