説明: 説明: 説明: 説明: 説明: 説明: 説明: 説明: 説明: 説明: 説明: 説明: 説明: 説明: 説明: 説明: 説明: 説明: 説明: 説明: 説明: 説明: 説明: 古沢英治社労士事務所案内へのリンクボタン

説明: 説明: 説明: 説明: 説明: 説明: 説明: 説明: 説明: 説明: 説明: 説明: 説明: 説明: 説明: 説明: 説明: 説明: 説明: 説明: 説明: 説明: 説明: え・ふるの視点 過去のストック

説明: 説明: 説明: 説明: 説明: 説明: 説明: 説明: 説明: 説明: 説明: 説明: 説明: 説明: 説明: 説明: 説明: 説明: 説明: 説明: 説明: 説明: 説明: home_46

INDEX

慣例クーリングの功罪

人員削減とリストラは別物

パワハラ防止の基本の「キ」

本当の成果主義とは

次のショックが怖い年明け

日本企業だけが働き過ぎ?

体裁を繕ったつけ

法治国家

落としどころ

速成の恐怖

隗より始めよ

固定給の変動化

火の粉の払い方

非正規は長い試用期間?

もはや非正規なしにはこの国は動かぬ

リストラという刀のあとさき

企業の生き残りと需要

雇用を守るには助成金しかないのか?

使いにくい変形労働時間制度

日本経済は死に体なのではないか

災害防止対策の要諦

本当の組合のあり方

垣間見えた管理方法

グローバル化はまず国内から

監督署は何を守ろうとしているのか

法を超える定め

縮小均衡の先にあるもの

五里霧中の日本経済

要求するなら代替案

労働者にならない働き人

制服は什器

これからのリストラ

外国人研修制度は外交問題

リストラはプロセスこそが大事?

リストラの優先順位

不況を乗り切る王道

副業なら仕事見つかるの?

国の新たな施策は間に合うのか

ワークシェアに潜む次なる格差助長

パンドラの箱の閉じ方

改正労働基準法のゆくえ

最初のボタン

名ばかり管理職とは

ヘルパーと会計

プロジェクトX悲劇

医師は労基法の守備範囲なのか

流用にはご用心

恥と残業申請

OHSASと本当の危険予知

管理職のために残業を減らせ

仕事の線引き

派遣法は欠陥法

新春に「人を使うということ」を考える

パワーハラスメン対策

コンプライアンスの要諦

格差解消には、現状直視が必要

石を投げれば店長にあたる

プラスの気概をもって

主張する前に礼節を持て

社内の行事で飲酒し、帰宅途中に事故にあったら

格差是正には労組もふくめた意識改革が不可欠

障害者の自立訓練とは

竜巻にも加害者を見つける必要

上司に気兼ねして残業を減らすという現実

エグゼンプションの先にあるのは?

雇用形態をめぐるいたちごっこ

相次ぐ「偽装請負」の摘発

労災における加害とは

行政の優先順位

暑い現場の過労死

ともかくリスクを認識する

賃上げが35歳だけ?

65歳以上の介護保険料、4月分から24%値上げ

NTTの年金減額却下

子どもの数を制限しない新扶養手当?

契約社員を甘く見るな

医療制度改革のこころざし

監督指導による賃金不払残業の是正結果

労災未加入中の事故に、ペナルティー強化

マクドナルド13万人賃金不払い事件

2007年問題 解決には労使の歩み寄りが必須

2005年政府税調報告書を読んで

「賃金制度の実態調査」で垣間見える企業の抱える矛盾

9割の会社が成果主義人事制度に「問題あり」

裁量労働制で万々歳となるには

プロジェクトXの舞台裏は、きれいごとだけじゃない

腰砕けの年金改革・今年度の目標達成厳しくなる

富士重工業 新人事制度を管理職に導入

新賃金制度導入相次ぐ

受動喫煙で初の賠償命令

年金改革法案の限界

派遣労働は選択肢なのか

賃金制度見直し相次ぐ

成長神話は幻想だったと肝に銘じよ

2004年度税制改正(与党大綱)

法改正、始まってからが正念場

年金積立金取り崩しには監視の目を

日産自動車、成果主義強化へ

雇用保険の基本手当日額マイナス変更

年金分割の前に実態を直視せよ

就職時のHIV検査は違法に思う

雇用保険制度の改訂は予定利率の変更に匹敵

医療保険統一は悪平等の始まり?

労災保険料率引き下げの真相は?

雇用保険の帳尻

総報酬制の未来は?

労災事故、世論が考えるトップの責任とは?

脆弱な根拠で不安ばかり煽る官僚

フレックスタイム廃止へ

年金物価スライド制の主旨とは

透明性のある審議会を望む

これでいいのか雇用保険改革

シックハウスで労災認定 

過労死認定が過去最多

日本型ワークシェアリングのゆくえ

心構えのシミュレーション

離職後の過労死と就職難

年俸制と総報酬制

理想と現実とのはざまで揺れる民間職業紹介

義務の乱発は問題の先送りにならないか

根拠のない運用基準で、扶養家族の座が脅かされている 

子ども看護休暇」のスタート

職場にはびこるいじめについて

社員を信じられない会社に鉄槌下る

過労死認定の現状

労働者代表の意見の重み

奨励金の抜本的見直しを

労働時間指導の真意

サービス残業の線引き

採用取り消しの和解金

不安を抱える労働者

統計に見る世相判断

「産休で賞与カットは違法」にみる社則運用の難しさ

どうなる健保組合

労働基準行政のゆくえ

労災保険と自賠責保険

リストラと司法

国が豊かになるとは

サービス残業解消の建議

21世紀型人事制度の胎動

保険証2001年4月から個人カード化へ

臨界事故のJCO東海事業所に両罰規定適用

政管健保保険料、大幅引き上げ確実か

雇用保険法改正

 

 

慣例クーリングの功罪 (2012.05.01)

 

 有期労働契約に対する法規制が改正された。改正のポイントは、有期労働契約が5年を超えて反復更新された場合に、労働者の申出により、期間の定めのない労働契約に転換させる仕組みを作ることである。また、「雇止め法理」を法定化すること、などがあげられていた。ただ、実際に民主党が作った法律は、かなり有名無実のものになってしまったようだ。

 非正規労働の議論の中心は、国際的に「入口規制」と「出口規制」でなければならないとされている。

 「入口規制」とは、有期労働契約を原則禁止にして、例外業務だけに認めるというもので、フランスなどが採っている政策である。一方、「出口規制」は、有期労働契約に利用可能期間を設けるもので、長期の反復継続という濫用を規制しようというやり方で、こちらのほうには「クーリング」という、契約をしてはいけない期間が盛り込まれるのが普通だ。

 さて、ホンダの栃木製作所真岡工場(栃木県真岡市)で約11年間、期間従業員として働いていた宇都宮の男性が、減産を理由に不当に雇い止めとされたとして、ホンダに雇用の継続確認や損害賠償などを求めた訴訟の判決で、東京地裁は217日に請求を棄却した。

 男性は199712月から自動車部品の生産ライン管理を担当し、1〜3カ月の短期間で雇用を更新され、200812月末に雇い止めとなったという。この間、毎年1回、若干の空白期間が設けられていたらしい。

 この「若干の空白期間」が、クーリングに相当するわけだが、私の知っている限り、日本ではほとんどの企業が1週間程度しかこれを設けていない。それは雇用される側がクーリング期間中、無収入に置かれてしまうという事情を考慮してのことで、1週間程度が我慢の限界とみているからである。

 要するに、立法者の間で議論されているクーリングの趣旨は、現実の採用就労の場ではなんら効果を発揮していないのが実態である。もっと言ってしまえば、官が非正規労働者の低賃金化を指導している形になってしまっている。ことほど左様に、タテマエと現実とが乖離してしまっているというのが、日本の労働市場の現実なのだ。

 


人員削減とリストラは別物 (2012.04.01)

 

 事業の再構築をリ・ストラクチャリングというわけだが、再構築案なき人員削減がこのところ相次いでいる。原因は空前の円高という「通貨危機」である。政治家の目には今でも、自国通貨の価値が上がることが「良いこと」と映っているのかもしれない。もちろん通貨の価値が上がるということは、その国の国際的信用度が上がった考えられる面もあるわけで、その信用を作った大本が政治であると捉えれば、日銀や政治家が昨今の円高対策に、本気で乗り出そうとしないというのも、むべなるかなである。

 だが、このところの通貨高が本当に国の信用度を正確に反映しているなどと思っている経済人は、一人もいない。為替レートはかなり以前から、一部の投機家の思惑だけで動く「鉄火場」となりはててしまっているのだ。この部分を各国が協調して、正常化する方向に話をまとめなければ、自国通貨を低く誘導出来た、外交力のある国の一人勝ちとなってしまう。たとえば、ギリシャ危機に端を発するユーロ安で、ドイツは輸出が有利となり、空前の好景気に沸いている。米国と中国は、これを見習って自国通貨を安くすることに躍起である。

 さてひるがえって我が国はどうか。ポリシーのない政治家に「政治主導」というお題目を唱えさせておくのは、そろそろやめにしたほうがいい。

 


パワハラ防止の基本の「キ」 (2012.03.01)

 

 「職権を乱用したいじめ」とは、パワーハラスメント(英語では、workpiace harassmentという)のことである。パワーハラスメントが原因で自殺した方を労災死亡者として認め、「補償」していく道筋が出来つつあるというのは良い兆候ではある。しかし、「補償」はあくまでも不祥事に対する事後の穴埋めでしかない。パワーハラスメントを減らしていくという取組と、労災適用の緩和とは実はまったく次元の違う話なのだ。

 「職権を乱用したいじめ」が横行するのは、やっている本人に職権を乱用しているという意識がとぼしく、それこそが指導であって、自分の役職の職務遂行には必須のものであると信じ切っているということがあげられる。

 そもそもすべての職位には、もともとさだめられた権限の範囲というものがあるはずで、それは役職任命の際に、人事当局が本人にきつく申し渡して置くか、分掌規程などをもとに確認しておく必要がある。それをせずに前任者との引き継ぎだけでお茶を濁しているような組織だとすれば、なんのための役職任命なのか、組織の造り方そのものが問われなければならない。

 成果を上げるための組織づくりは、キーマンとなる職制一人一人に権利と義務を気づかせることから始めなければいけない。これが基本の「キ」である。

 


本当の成果主義とは (2012.02.01)

 

 日本には特別の勤務を指す言葉として、「当直」「日直」「電話番」などがある。どれも監視することが主な勤務とされていて、くだんの時間中にいざ何かことが起きた時だけ、「臨時の業務」が発生するといったイメージである。しかしあらためて考えてみると、これは労働の定義としては、かなりあいまいである。当直時間帯に通常以上の労働密度が恒常的に存在している救急病棟などはざらだと聞く。その逆に昼間の通常時間帯なのに、あくびをかみ殺すほど暇な職場というのだってありそうだ。

 一例を挙げれば巨大設備のコントロールルームに詰めている人は、通常に稼働している限り、決まりきったルーティンワークをこなしているだけだ。本当に居眠りをしてもらっては困るが、退屈な仕事であろうと容易に想像できる。だが、これを「日直」とか「宿直」と呼ぶことはまずない。あくまでも、これが通常勤務なのだ。

 東京電力福島第一原発事故が発生した際には、コントロールルームに詰めている面々が、操業以来初めてルーティンワークにない非常事態に直面した。だが、悲しいかな右往左往するだけで、奮闘空しく事故処理は後手に回り、みなさん御存じの通り、大変な結末を迎えてしまった。もちろん、あれだけの巨大地震と津波に襲われたのだから、すべてがうまく行くと考える方がおかしいのかもしれない。それはそれとして、彼らは「日直」でも「宿直」でもなかったから、空しく費やされた時間もすべて労働時間として処理されているはずである。

 以上のように見て来ると、これからは勤務時間のみで賃金を決めるという考えだけにとらわれていたのでは、働く者の不平不満が解消されなくなっていくような気がしてならない。そもそも、効率の悪い仕事の仕方をしている者が居残り残業し、それゆえに残業手当を貰い、手取りを増やしているというのは、矛盾である。

 もしも仕事をユニット(単位)として捕えられるのであれば、それをいくつこなしたかによって、賃金を決めるというのが、一番理にかなっているのかもしれない。それこそが真の意味での「成果主義」なのだろう。ただし現実には、何をユニットととらえるかという問題が発生してしまう。いまだに最低賃金が時間当たりで決められているのは、そんな理由からかもしれない。

 


次のショックが怖い年明け (2012.01.01)

 

 現在の世界的な景気の低迷は、直接的にはリーマン・ショックが引き金になっているとされている。もちろんリーマン・ショックの背景には、米国の行き過ぎた金融工学の活用があるのは周知の事実である。それは資金運用という範疇を超えて、金融投機と言ったほうがいいような博奕のテクニックで、実体経済とかけ離れたマネーゲームだった。その10年前に、日本はバブル経済の崩壊を経験していたのだが、このリーマン・ショックをうまくかわすことはできなかった。

 バブルがはじけ飛ぶと、虚像の需要は消えて貧相な実体経済が白日の下にさらされる。というわけで、「これほど多くの従業員はいらない」ということになり、リストラが横行することとなった。

 名古屋地裁で昨年11月、まさにその渦中に三菱電機名古屋製作所(名古屋市東区)で「派遣切り」にあった男女3人に対し、会社は慰謝料を支払うのが妥当であるという判決が下された。当時、日本中で派遣労働者が職と住居を奪われたが、派遣先企業のほとんどは責任を追及されていない。三菱電機にしてみれば、「どうして当社だけが」という思いがあるに違いない。くだんの派遣社員たちには悪いが、三菱電機も時代に踊らされた被害者と言えよう。

 結果がこうなるとわかっているのだから、企業は虚像の需要など期待せずに、実態だけを見据えて経営していけばいいわけだが、人間はそういうことは得意でないらしい。その証拠に、目下ヨーロッパではギリシャのバブルがはじけ、イタリアの経済も化けの皮が剥げつつある。一方の米国はTPPという大風呂敷を掲げて、自国に再びバブルを巻き起こそうと躍起になっている。ということは、近い将来にまちがいなくリーマン・ショック以上の激震が経済界を襲うことが予想出来る。その前に現れるつかのまの春は、もちろん見せかけに過ぎない。

 本来国も企業も、そんな時代の動きを良く見極めて運営しなければならないし、これからは個人も、あらゆる危険を想定して人生設計を見直す必要に迫られている。しかし「みせかけの春」のバブルが再燃すれば、私も含め多くの人々が、また浮かれ出してしまうに違いない。これは人類のサガなのか。

 


日本企業だけが働き過ぎ? (2011.12.01)

 

 携帯電話メーカー「ノキア」の日本法人で、大阪事務所長だった男性が在職死したのは過労が原因だとして、東京都大田区の妻が遺族補償年金などの支払いを求めた訴訟の判決で、大阪地裁が1026日に、不支給とした大阪中央労働基準監督署の処分を取り消した。

 男性は西日本地方の通信ネットワークの保守管理などを担っていたが2005年9月、接待先の居酒屋でくも膜下出血を発症し56歳で死亡した。男性は会社での会議後などに行われていたボーダフォンなど取引先の接待について週5回ほど出席し、酒も飲めなかったため、かなりの負担を感じていたらしい。またトラブル対応のため、24時間携帯電話の電源をオンにすることが求められていたというから、「業務上の負担」はかなりのものだったようだ。

 ひところは「外資系企業は処遇も福利厚生も日本企業の水準を大きく上回っていて、過労死などという言葉は、存在すらしない」と言われ、それが真実だと信じられてきた。しかし、実態はこの事例のようにお粗末なものらしい。

 ひるがえってみれば、「外資系」「純国産」の別なく、日本社会のありようが、過労を要求せざるを得ないほど競争社会になってしまっているということなのかもしれない。なにしろアイドルのAKB48にまで、「投票」という方法で競争を強いるようなお国柄なのだ。漏れ聞くところによると、そのAKBも海外進出が進み、ジャカルタにJKT48という女性アイドルグループが出来たとか。どうやら日本というのは、国を挙げて競争文化を輸出しようとしているらしい。

 それはそれとして、現在多くの国内メーカーが海外にその生産拠点を移している。タイの洪水でカーメーカーや家電大手が、軒並み生産の縮小に追い込まれたのは記憶に新しいところだ。工場の海外移転は、製品コストの過半を占める人件費を安く上げることと、関税障壁の低い国から第三国に輸出し、厳しい競争に打ち勝とうというのがその狙いだと思われる。

 そんな中で、日本ヒューレットパッカード社(HP)が、東京に製造拠点を移すという前代未聞の策をとった。これはまさに時代に逆行した動きというべきで、「?」がいくつもつきそうな戦略なのだが、海外から日本に製品を運ぶ物流コストを考えると、日本でこれまでの効率を1.5倍程度に上げて製造すれば、ペイできるという計算になるらしい。

 もっともその一方で、HP本体は採算の取れないパソコン事業を切り離すという話も出して来ている。けして未来はバラ色一色の話ではないようだが、注目したい動きではある。効率のノルマを課し過ぎて、日本HPの工場で過労死が多発しないことを望むばかりだ。

 


体裁を繕ったつけ (2011.11.01)

 

 法令というものは、人の行動になにがしかの枠をはめて活動を抑制しようというものである。ここでいう「人」には、法人も含まれる。活動を抑制されるということは、良きにつけ悪しきにつけ、自由な振る舞いが損なわれるという事である。ところが法人というものは、日常的な競争にさらされているわけで、法規制のギリギリのところで勝負を賭けなければ、生き残っていけないという場面が、少なからずある。これは私などがあらためて指摘するまでもないことだろう。

 東京の大手精密機器メーカーO社の社員が、社内のコンプライアンス(法令順守)窓口への通報で不当に配置転換されたとして、会社側に1,000万円の損害賠償などを求めた訴訟の控訴審判決で、8月31日に、配転を無効と認め、220万円の支払いを命じる判決が出た。

 この社員は、上司が取引先の社員を不正に引き抜こうとしていることを知って、2007年6月に社内窓口に通報したという。窓口の担当者が社員の名前や内容を、上司や人事部などに漏らしたため、営業職から3回にわたって別の部署に異動となり、新入社員用のテキストを使った学習をさせられるなどしたという。

 控訴審では、社員の上司が「内部通報に反感を抱いて、必要のない配転命令をした」と指摘し、内部通報による不利益な取り扱いを禁止した社内の運用規定にも反するとして「人事権の乱用」と判断した。また、同社の対応についても「通報窓口の担当者は秘密を守って、適正に処理しなければいけなかったのに、守秘義務に違反した」と述べた。

 法令順守の社内規定を設けるということは、規制の元になっている法令を、「当社は絶対に守ります。見ていてください」と世間に宣言したということである。これは会社を自縛自縄状態におくということである。ところが実際には、そこまで深く考えずに、世の中の流れに乗って「コンプライアンス規程」を設けたというところのほうが多いのではないか。導入の経緯がどうであれ、作ってしまえばその規程に手足を縛られざるをえない。

 この案件は、会社に言わせれば、「体裁で窓口は作ったけれども、正直にそんなことまでいちいち報告するな」ということになろう。そもそもヘッドハンティングというものは、水面下で進められることが普通で、それが足元の部下にばれていたというのはいただけない。部下もそれを手柄顔で通報するというのもいかがなものか。報道では「不正に社員を引き抜く」うんぬんとあるが、脅迫めいたことでもしない限り、ヘッドハンティング自体は違法でもなんでもないはずである。その証拠に本当に「不正」であれば、警察に告発されているはずである。

 この判決は社内規定の運用がずさんだったのだから、当の社員に賠償せよと言っているだけである。こういう判断が出るとなると、体裁だけで他社の社内規定を安易に取り入れるというのは、慎むべきであるということがよくわかる。

 


放置国家 (2011.10.01)

 

 コンプライアンスという言葉が我々の目に頻繁に触れるようになったのは、67年くらい前からではないか。記憶がかなり怪しくなって来ているが、乳製品の管理のまずさに端を発する食中毒事件が発生し、法令順守が声高に叫ばれ出したような気がする。生命を脅かすような事件が発生すれば、マスコミが問題の企業を標的にし、これでもかと叩くというのは、何も今に始まったことではない。かつての公害列島時代にまでさかのぼって例を見つければ、森永ミルク事件もカネミ油症事件もそうであった。ただし、それらの事件の際に「コンプライアンス」なる言葉が引っ張り出されたことはない。

 国は問題が発生すると再発防止のために、様々な法令を作り施行する。その数たるや膨大なもので、こう言ってはなんだが「重箱の隅をつつく」ような、変わり種の政令などもかなり含まれている。それらをお上の言う通り逐一守っていれば、問題は起こらないはずというのが、「法治国家」を標榜する今の官僚日本のタテマエということになる。

 だが、そうした枝葉末節の法令規則を実際の現場に浸透させるために、国はどれほどの努力を払って来たのだろう。

 現実には購読者のほとんどいない「官報」に載せただけ、という法令もかなりあるのではないか。いくら法令順守・コンプライアンスと拳を振り上げてみたところで、守るべき規則が何であるのか、はっきりと当事者が理解していないのでは元も子もない。これでは法治国家ではなくて、「放置」国家となってしまう。

 


落としどころ (2011.09.01)

 

 整理解雇にしても雇止めにしても、当事者になった方は、その翌日から働く場を失い、収入の道を絶たれるため、塗炭の苦しみを味わう。それを「不当」と感じれば、労働基準監督署や労政事務所などに、「不当解雇されたので、救済してほしい」と相談に行くということになる。ここで当事者が考えている救済とは、以前と同様の「雇用状態に戻る」ことなのだが、実際そんな形で決着を見ることはまれである。

 ほとんどの企業は、思いつきで人を解雇しているわけではない。人員整理をする場合には、相応の社内の手続きを踏んで、場合によっては稟議などまで通して決定している。こうなると、それを覆すことは社内秩序から言っても不可能に近い。そこで決着は「金」で、となるケースがほとんどである。

 ただこうなると、「金で解決する」ことを想定して、交渉に嘴を突っ込んでくる輩が必ず出てくる。それをある意味必要悪であると割り切ることが出来るのであれば、解決は可及的速やかに、金で行うしかない。さびしい話であるがこれが労働紛争の実情である。

 


速成の恐怖 (2011.08.01)

 

 新聞に折り込まれてくる求人ちらしの中には、職種の欄に「店長候補」「幹部候補」と書かれているものがしばしば見受けられる。同じ会社の求人でも、こう したものは他の職種に比べて給与が高いのがほとんどである。また、ハローワークなどでも、幹部候補として採用されるための「即戦力となる人材」を養成する 様々な講習を開いている。
 しかし、実際に企業が考える戦力とは、それこそ千差万別である。パソコンが操作できたり経理知識があれば、それだけで即戦力と言えるのか、という根本的 な疑問がそこにある。そういうことは、学生時代か余暇にでもしっかりと学んで身に付けておくべきことで、厳しい言い方をしてしまえば、近頃職安が求職者に 学ばせているのは、「大人の補習」と呼ぶべきものに過ぎないのではないか。学んだことで、就職が有利になるのではなくて、それまでの「出遅れ感」が解消さ れ、スタートラインにつけるのだと考えた方が実態にあっているような気もする。
 長年企業人事の第一線にいた経験から暴論を言わせてもらえば、「即戦力」とは「上司の命令にむやみに反論せず、とにかく結果を出す人間」のことであろう。
 無論ずっとそれでいけと言っているわけではない。入社後半年くらいたったら、上司と対等に口をきくように育ってくれなければ、管理職候補とは言えず、使 い捨てにされてしまう。速成栽培と言ってもいい「店長候補」という枠で入社するには、そういったた図太さと身替りの速さが必要なのである。
 歴史をひもとくと、大量の「店長候補」「幹部候補」を採用し、業容を瞬く間に拡大した武将に織田信長がいる。部下の内羽柴秀吉は生まれもっての図太さを 持ち合わせていたが、明智光秀にはそれが欠けていた。図太さ、いやずるがしこさを持っていないと自覚している者は、「店長候補」などには応募しない地道な 人生を歩むべきなのかもしれない。

 


隗より始めよ (2011.07.01)

 

 誤解を招くかもしれないが、お役所の非正規労働者の処遇管理は、結構いい加減なことが多い。これは公務員の多くが、「自分たちは企業に雇用されている労働者ではない」という自負を過剰に持っているからではないか。確かに公務員は雇用保険に加入していないし、労働者災害補償保険にも非加入である。厚生年金にも国民年金にも入る義務はなく、公務員共済という独特の制度に加入している。一般国民ではなくて「選良」だから、下々とは一緒になれないと言っているかのようだ。

 実際問題として公務員共済は、国民が加入している社会保険と同等以上の補償をしているのだが、これは社会保険に民間企業の福利厚生制度が上乗せされていると見るべきで、実際には名前だけが違うだけで同じ制度と考えたほうがいい。

 ところで昨今は、役所も緊縮財政のあおりで人員削減をしているので、正規職員がいなくなったところに、臨時採用の職員を入れ込むことが多くなった。こうした場合、臨時職員はなぜか共済年金には加入させてもらえない。ということは、厚生年金・労災保険・雇用保険・健康保険などにすべて加入させなければならず、当然だが労基法の縛りも受けることになる。

 いや厳密に言うなら、正規職員も日本で労働しているわけで、労基法の縛りからは逃れられないのだが、自分たちは超法規的存在だと信じ込んでいるのだから始末が悪い。ことほど左様に、我が国では法の番人が法の外にいるというへんてこな形が長く続いて来た。政治家が「安心安全」と声高に叫びたいのであれば、まずは、役所周辺で虐げられている人たちに目を向けなければいけない。

 


固定給の変動化 (2011.06.01)

 

 企業が利益を出すためには、経営コストを下げなければならない。売上が同じであれば、経費を削った分だけ、利益が出るという関係となる。もちろん人件費は、単なる経費ではない。しかし、人件費を売り上げの増減に合わせて、合法的に増減することが出来れば、利益は一定の幅で確保できるということになる。これまでは、そんなことが出来るのは非正規社員だけと思われていたが、ここに来て正規社員の非正規・派遣労働化という傾向が顕著になって来ている。

 今のところこの方針を明確に打ち出して、実行に移したのは、日本航空と全日本空輸の二社に過ぎない。日本を代表するこの二つの航空会社は、特に大震災後に利用客数が落ち込むなど、経営環境が著しく悪化している。そこで、無給休職を広く募ることで、一時的に人件費を削減しようという手法に打って出た。

 ただ両航空会社の使った手は、なんとなく中途半端である。確かに本人が自発的に手を上げれば、無給休暇という休み方を適用することは可能である。しかし、普通の勤め人ならば、最初に年次有給休暇という権利を行使したいというのが本音だろう。会社側は「災害復旧のボランティアを想定している」と説明しているようだが、だからと言って、あえて「無給にしてくれ」などと申し出る社員がいるとは思えない。それを使わせようというのだから、有形無形に圧力が掛けられるに違いない。うがった見方をすれば、これはパワーハラスメントの一種と判断されかねない、あぶない制度である。

 労働法に抵触するぎりぎりの手法がはたして、他の業界まで波及するものになるかどうか、注目しておく必要がある。

 


火の粉の払い方 (2011.05.01)

 

 ホームページでリストラ無料相談のページを開設していることもあって、「リストラされそうだ」というSOSメールを時折いただく。以前は「リストラされた」という事後相談が圧倒的だったのだが、近頃は「対象者にあげられたようだ」という事前相談が多い。もちろん相談は早いに越したことはない。早ければ勤め先を辞めなくて済む、という可能性は高まる。

 だが、残念ながら最終的な「退職勧告」を受けていなくても、すでに雇用関係が修復不可能になっているというケースが多い。そういう事例では多くの場合、長年にわたる嫌がらせを受けていたりする。これはリストラというよりも、パワーハラスメントのカテゴリーに入れられるべきかもしれない。ただ、先方はやめさせることを最終目的として嫌がらせを仕掛けて来ているわけで、やはり人員整理の一種ともいえる。

 要するに正式な「解雇予告」を受けていなくても、すでに会社はその人に辞めてもらうということを既定路線にしてしまっていることが多いのだ。こうなるとたとえ労働審判や裁判で、解雇を撤回させることが出来たとしても、会社に残って働くというのは難しいというのが現実である。

 現政権は、非正規労働者や派遣労働者の権利を手厚く保護する法案を通すと宣言している。しかし、それが実際のリストラターゲットになった人を救ってくれるという保証はない。ある日突然身に降りかかって来る火の粉は、払いのけるのがいいのか、それとも退職を甘んじて受け入れ(とりあえず火から遠ざかり)、賠償金を勝ち取る条件闘争を始めた方が得なのか。現実の局面では、そんな判断を迫られるものだ、と心しておいたほうがいい。

 


非正規は長い試用期間? (2011.04.01)

 

 自動車会社のマツダは、今年度から事務部門で働く派遣社員を直接雇用の契約社員に切り替えるという。東北関東大震災が発生してしまったため、実際本当に計画通り行われるかどうかは定かでないが、仕事の内容が契約で限定されている派遣社員の状態では、業務の遂行に柔軟に対応するのは難しいと判断したというのだが、今回はこれについて考えてみたい。なぜならマツダの取り組みは、今後の他社の雇用形態を占う上で、注目に値するからだ。

 雇用契約の形態を結果からトレースしてみると、「派遣社員」→「契約社員」→「正社員」という社内階層が浮き彫りになってくる。当然上に行くにしたがって会社との結びつきは強固となっていき、労働基準法で完璧に身分が保証されるのは、最後の「正社員」だけという形になる。これはあらためて考えてみると、少し不思議な話だ。

 これまで労基法では、不完全な身分(いつ解雇されるかわからないといった意味)の雇用者は、「試用期間中の者」しかいないとされてきた。これがあくまでも「公式見解」である。そして法で認める試用期間とは、雇用されてからわずか2週間しかない。逆にいえば会社側には、たった2週間で本人の適性や能力を見極めなければならぬという縛りがあった。これは実際問題としてほとんど不可能であり、会社は猫をかぶった社員(これを会社をむしばむ輩(シュガー社員という)に見事に欺かれ続けてきた。

 ところが派遣で3年、契約で3年という最長雇用期間をフルに活用すれば、人品骨柄まで十分に見極められる。その結果、「これはいいぞ」という者だけを正社員に登用していければ、社員の質は格段に高くなるはずである。

 そもそも6年間も非正規で勤めていれば、企業をとりまく環境も良く理解できているはずで、入社したころと現在とがいかに激変したかを身を以て知っているはずである。こうなると、当人の士気も相当下がってしまっている可能性が高い。結果として見れば、正規に登用されるのは一握りということになりそうだ。

 さてこのマツダの取り組みを、試用期間の長期化ととらえるか、それとも人材使い捨ての新しい手法と見るか。判断が分かれるところであろう。

 


もはや非正規なしにはこの国は動かぬ (2011.03.01)

 

 新潟県加茂市の私立高校で非常勤講師を務めていた女性2人が、1年契約で長年雇用されてきたのに一方的に雇い止めにされたのは不当として、地位確認などを求めた訴訟の判決で、新潟地裁が昨年12月、解雇を無効とする判決を下した。

 さて、正規職員(社員)は、非正規に比べてモラールが高いと信じられてきた。さらりと言ってしまえば、正社員にはもともと、ずば抜けた愛社精神や愛校精神があるものということになっている。しかし、本当にそうだろうか。

 正規社員がどんなに優秀な人ばかりでも、現場の大多数を占める非正規がいい加減な仕事をしていれば、その会社が提供する製品やサービスのレベルは低下してしまう。

 そういった意味では、モラールの高さは正規・非正規の別なく求められている、というのが現実だろう。

 教育の場においても、非常勤講師のやる気が常勤のそれよりも劣っているということであれば、迷惑するのは通っている生徒たちである。

 その一方で経営悪化を乗り切るために、人件費を減らさざるをえないという経営側のジレンマも理解できる。首を斬るとなると、労働法に堅く守られた正社員からというわけにはいかない。しかし、経営悪化を乗り切るための方策を、首切りしかないと思い詰めてしまったこと自体、はたして良かったのかどうか。

 ここからは門外漢の放言となってしまうが、生徒を集める工夫さえできれば、学校の収入は増えたはずである。

 


リストラという刀のあとさき (2011.02.01)

 

 昨年11月に大阪高裁で、「病院の当直勤務は割増賃金が支払われる「時間外労働」に当たる」という控訴審判決が出た。

 訴え出ていたのは、奈良病院の産婦人科の医師たちで、200405年の間、医師5人のうち1人が交代で夜間や休日の当直勤務を担当し、内産科医2人は2年間で各約210回、当直勤務に就いていたという。分娩に立ち会うことも多く、十分な睡眠時間が取りづらかったが、1回につき2万円の手当が支給されるだけで、時間外労働の割増賃金は支払われていなかったという。

 今更ながら、この判決で医師不足の実態をまざまざと見せつけられた思いがする。医師の絶対数、特に産科医の不足が、このような過酷な労働環境を作ってしまった元凶であることは間違いない。医学部教育の部分からメスを入れ、一刻も早く是正されるべきであると思う。

 それはそれとして、リストラを行った企業の多くで、この事例と似たりよったりの「正社員不足」が起こり、夜中まで帰宅できない正社員たちが増大している。費用削減の終着点にリストラと名付けたクビキリを置き、大ナタを振るった企業は多い。しかし、正社員を減らしても仕事の量がそれに見合って減っているという例はまれだ。結局、いったん契約を打ち切った非正規労働者がまたじわじわと増え出し、そうした未経験者を数少ない正社員が鵜の目鷹の目で監督しているというケースを良く目にする。

 もちろんほとんどの会社では、正社員たちに無理やり残業しろと命じているわけではないと弁明する。しかし、従前の品質レベルを維持するためには、目を光らせていなければならない。リストラされなかった正社員たちは、毎日眠い目をこすって長時間の勤務をこなさなければ、役目を果たせない。

 ことほど左様に、リストラという伝家の宝刀は、いったん抜いてしまうと、首を斬られた者も、残された者も泣かなければいけなくなる。覆水は盆に戻らない。いったん抜いてしまったリストラという刀は、もう鞘には戻せない。せめて残された正社員たちに過剰なしわ寄せがいかぬよう、勤務体制を見直すべき時が来ている。

 


企業の生き残りと需要 (2011.01.01)

 

 江崎グリコが昨年1115日、主力菓子のポッキー、プリッツなどを生産する北海道、東京都、福井県の3工場を、2012年6月までに順次閉鎖すると発表した。各工場を運営する子会社3社も解散し、埼玉県北本市に設立する「関東グリコ」の新工場に生産を集約するという。

 リストラは本来企業の事業再構築のことであり、従業員の解雇・首切りとイコールではない。しかし企業を「儲かる体質にする」には、コストの削減が必須である。コストの大票田は財務諸表を引っ張り出すまでもなく、人件費である。したがってそこにメスを入れれば、自動的に「人減らし」をせざるを得ない。これが巷間言われている「リストラ=首切り」の論理的バックボーンであろう。

 しかし、日本の企業があまねくリストラしてしまえば、失業者ばかりが巷にあふれてしまうことになる。失業者は自由に使える金が入って来なくなるので、物を買いたくても買えない。ということは、リストラで生き残った企業が生み出す商品やサービスには、手が出せないという事態になる。要するに、企業はリストラに精出すことにより、将来の需要の目を摘んでいるということになるのだ。

 グリコのケースを例に取れば、22%の正社員だけの雇用はかろうじて守ると表明している。8割弱の非正規従業員とその家族は、この会社の表明を快く思うはずがない。少なくとも工場があった周辺地域のグリコ製品の売り上げの落ち込みは、かなりなものになるはずである。

 リストラというのは、このようにして恨みを買いながら、企業という血も涙もない法人だけが生き残って行くという経営戦略である。この点だけは、経営者は肝に銘じておいたほうがよい。グリコのように全国展開している企業ならそれでもよいかもしれない。だが、需要が所在地の周辺に偏っているような企業の場合、リストラによって、いっきに需要が減り、息の根が止まってしまうということも少なくない。

 


雇用を守るには助成金しかないのか? (2010.12.01)

 

 雇用調整助成金を利用した会社のうち、いったいどれほどの会社が業績を持ち直したであろうか。「経営状況の厳しい中でも、雇用を守りたい」という企業を助ける、というのがこの助成金の建前・趣旨なのだと思うが、これを利用している企業の本音は違う。実際、リストラ計画をソフトに離陸させるための安全ベスト(ライフジャケット)、もしくは労働組合に対する「めくらまし」(煙幕)程度のものとして、使われている向きが強いような気がしてならない。

 もちろん民主党管政権も、この助成金がそういった使われ方をしている、という実態を知らないはずはないと思うが、はたしてどうだろう。

 私だけかもしれないが、最近の管総理の発言は、常に言葉が舌の上で空回りしている感がいなめない。領土問題がクローズアップされるたびに、相手の国の首脳と「戦略的互恵関係を確認した」と念仏のように繰り返すが、「戦略的互恵関係」とはいったいどのようなことなのか?私の不勉強のせいなのだろうが、さっぱりわからない。代表戦の際の公約では、「一に雇用、二に雇用、三に雇用」などと、語呂はいいが意味不明瞭なことを叫んでいた。それがこの助成金の要件緩和を指していたのだとすれば、羊頭狗肉のそしりはまぬかれまい。

 求職者に対し十分な雇用を確保するには、日本経済を好転させることが先決である。その手法としてどんなものが考えられるのか?

 「事業仕訳」は無駄の削減という意味はあっても、経済を活性化することとは相反しているようだ。といって、「政策=予算をつける」という公式は、長年自民党がやってきた手法である。それを声高に批判してきた政党が、そっくりそのまま踏襲することは出来ないというのが、今の民主党のジレンマなのだろう。看板に偽りありと支援者から愛想つかしされないためには、他の道を模索するしかあるまい。しかし、そんな妙案など本当にあるのだろうか。ことによると、この程度が我が国の現在の選良のレベルなのだ、と国民は肚を括る覚悟が必要なのかもしれない。

 


使いにくい変形労働時間制度 (2010.11.01)

 

 変形労働時間制には、対象となる期間が短いほうからいうと1週間、4週間、1ヶ月、3ヵ月、1年とある。実際にはもっと半端な期間で区切ってもよいのだが、たいていこんな区分を採用するところが多い。変形労働時間制はとどのつまり、対象期間を平均して40時間制を堅持できるかどうかというものであるから、対象期間が長くなればなるほど、運用の幅は広がる。ただし、対象期間別に上限時間が小さくなるという縛りが出てくる。

 この制度を使うためには、就業規則や雇用契約の段階で、「変形労働制を採用する」ということを対象者に伝えておかなければいけない。これが大前提となる。

 この夏、パスタチェーン「洋麺屋五右衛門」のアルバイト店員だった東京都内の男性が、運営元の日本レストランシステム(東京)に未払い残業代などの支払いを求めた訴訟を起こし、東京高裁で、会社側が業務の繁忙度に応じて勤務時間が変わる「変形労働時間制」を違法に運用したと認めることなどを条件に和解が成立した。

 違法に運用したというのは、具体的には就業規則に変形労働時間を採用するという記述がなかったということらしい。早い話が、役所が定めた手続きをないがしろにしたということで、咎めを受けたということになる。

 だが、皆さんがお気づきのように、これは問題の表層を撫でているに過ぎない。なぜなら、「変形労働時間」という制度を隠れ蓑にした『強制労働』に対して、見て見ぬふりをしているからだ。

 そもそも「変形労働時間制」にしろ「フレックスタイム制」にしろ、日本の制度は規制ばかりが多く使いにくい。あたかも法制化するのに際し、なるべく使ってくれるなといわんばかりの煩雑さである。こうなってしまったのはなぜなのか?

 法律の原案を作った官僚のセンスのなさのためか?政治家が横槍を入れすぎたのか?

 はっきり言って、そのどちらもあったように思うのだが、ここで指摘しておきたいのは、圧力をかけたと思われる労働組合のスタンスである。

 連合をはじめとする労組側が、この法整備に対し、闇雲に労働時間を短くするように制度を難しくするよう要求したきらいがある。確かに医療関係者や一部の労働者は、今日も殺人的な長時間労働を続けている。だから、変形労働時間制導入にあたっては、それに拍車をかけるようなことがあってはならないと、強く訴えたのだろう。しかし、圧力もかけすぎるとおかしなことになってしまう。現行の変形労働時間制は、あたかも木綿針の穴に毛糸を通すような制度で、法令通りまともに運用するのは極めて難しい。

 難し過ぎる制度は利用されず、違法運用の温床となる。仏造って魂入れずとは、まさにこの手のことをさしていると思うのだが、変形労働時間制に関しては、「船頭多くして船が山に登ってしまった」と言うべきかもしれない。

 


日本経済は死に体なのではないか (2010.10.01)

 

 トヨタ自動車が、3月末に約2,300人だった期間従業員を7月末に約1,800人にまで減らしたという。新興国市場の成長や環境対応車の好調で人員を増やしてきたが、9月末でエコカー補助金が期限切れとなり、販売の落ち込みが想定されるため布石を打ったということらしい。

 トヨタの期間従業員は2005年の約1万1,600人が最多だったという。世界的な不況で自動車販売が落ち込んだため08年6月末に新規採用をいったん取り止めて、風向きが大きく変わった。エコカーの販売が持ち直し、0910月から採用は再開されたのだが、わずか一年足らずで特需は終わりを告げた。トヨタは10月の国内生産台数を9月までに比べて約2割減産する計画で、採用も慎重に対応する構えだ。

 このところ政府の発表する統計や指標の信頼性が揺らいでいる。一国の総理が続投にこだわれば、自らの実績によって世の中が良くなったと喧伝したくなるのは当然であろう。それで民主国家でない国においては、統計の数値などに小細工を加え、あたかも国家の経営がうまくいっているかのように国民を騙そうとする。独裁国家と言われている国は、例外なくその手の国内向けの「情報戦略」を練っている。

 しかし、「日本は世界に冠たる民主国家」だ。だからそんなことはないと、一刀両断したいところだが、本当にそうだろうか。

 政権交代するまでの自民党政府は、ここ数年、ことあるごとに景気が上向いてきていると言ってきた。まっ、確かに今ほど悪くはなかったが、少なくとも筆者は、その恩恵に浴した記憶がない。

 管民主党は、「最少不幸の社会をめざす」そうだが、景気を上向かせないで、どうやって雇用を生み出そうというのか。そもそも「素晴らしい国」というのは、行政運営のプロ集団である官僚を排除し、素人集団のにわか政治家に任せることによって生み出されるのだろうか。わたしは「政治主導」という言葉が嫌いである。だいたい太平洋戦争だって、細かく見ていけば、政治家が主導していたではないか。官僚はそれに唯々諾々と従っただけである。

 まあ、それはそれとして、敬老の日が過ぎたばかりだから言うわけではないが、世界一の長寿国と胸を張っている国で、100歳以上のお年寄りがこれほど行方不明になっているというのは、どこかおかしい。それで今年の敬老の日には、自治体の長がわざとらしく花束などを持って、長寿者のお宅を訪問している映像が随分と茶の間に流された。これは私がひねくれているのかもしれないが、テレビの中の高齢者は、皆迷惑顔だった。花束よりも「明るい未来」を示してくれというのが、長寿者の本音なのではないか。「ここまで生きて来て本当に良かった」と臨終の場で笑って死ねる社会を目指すのが、政治家の仕事ではないかという気がする。

 トヨタの期間従業員は2005年を100%とした場合、なんと15%に減らされてしまった。15%減らしたのではなくて、85%が辞めさせられたのだ。不況は85%の人の未来を消失させてしまったのだ。これが偽りのない実態で、経済の活力がそれだけ落ちていると考えたほうが良い。人体であれば85%もダイエットすれば死んでしまう。もはや日本経済は死に体なのかもしれない。

 


災害防止対策の要諦 (2010.09.01)

 

 ほとんどの企業で月に一度の安全委員会を開いている。これは労働安全衛生法に基づいた企業の義務であるから、当然といえば当然なのだが、それが有効に機能しているかというと、甚だ疑問である。

 少し規模の大きな会社になると、会議の席上で各部署から順繰りに、発生した災害やヒヤリ・ハットの報告を行なわせていることが多い。まず現状を把握しようというのは、けして悪いことではない。

 しかし、その報告の仕方いかんで、貴重な生データに蓋をしてしまうということもある。

 災害の発生には、ハード面の要素(設備の不備など)とソフト面の要素(注意喚起の不足など)とが必ずある。ハード面に関しては、設備設計の段階で、不測の事態に直面しても安全側に倒れるように配慮してあることが好ましい。それが費用上無理、またはすでに老朽化している設備であるという場合、次善の策としてソフト面で指差呼称などを徹底し、カバーする。だがあくまで、優先順位はハードが一位でソフトが二位でなければならない。

 ところがどうしたわけか、安全委員会では「○○さんの不注意により、どこそこで転倒し云々」という報告を聞くことが多い。もはや、ハードの対策は徹底的ななされているというのであれば、まあ仕方がない。しかし、本当にそうなのか?ハード面の不備を指摘すると、経営陣から睨まれるというような雰囲気があるのではないか。それでとりあえず○○さんを犯人に仕立て上げているだけなのではないか。 だとすれば、これは一種の保身である。発表者に自覚はないのかもしれないが、わが身かわいさで、事実を捻じ曲げて報告しているのだ。

 これはつい先ごろ問題となった、100歳以上の高齢者の所在確認を見ていてもそうだ。100歳以上の高齢者に、慶祝品を出していない市町村はあるまい。それを手渡す相手がいなければ、その時点で所在確認は出来るはずだ。これがハード面の「押さえ」なのだが、その仕組みを担当者ベースで勝手に解除してしまい。これほどの所在不明者を出すはめになった。これも一種の災害であろう。役所の発表において、「親族の言葉を鵜呑みにしてしまったため」と口を揃えて言っていたのは、親族を犯人に仕立て上げたただの責任逃れで、「注意が少し足りませんでした」とソフト面のことでお茶を濁しているだけにすぎない。

 一旦ソフト面の問題であると捉えてしまうと、問題は水面下に沈んでしまう。折角泥の沼からブクブクと泡を立てて、浮かび上がってきてくれた問題なのに、見たくはないからとわざわざ頭を叩いて、水底へ沈み込ませることはあるまい。

 「他山の石」という言葉がある。これは起きてしまった事故・不祥事を、分析してみようという目で見るということだ。

「過失は本人にある」と決め付けて口を拭っているような組織では、類似災害・類似の不祥事は絶対になくならない。

 


本当の組合のあり方 (2010.08.01)

 

 マツダ労働組合(約2万人)が7月5日の臨時大会で、期間従業員を組合員として受け入れる決定をした。共済や福祉サービスなどを提供するほか、正社員と同様に待遇改善に取り組むという。期間従業員の組合員化は、国内自動車メーカーではトヨタ自動車労働組合に次ぎ2例目だという。

 圧倒的多数の日本の労働組合は、企業別組合である。単組を業界ごとに束ねた産業別組合という「上部組織」もあるが、それが日常的に泥臭い組合活動をしているとは到底思えない。

 労働組合は本来、組合員と雇用主との間で生じた労働トラブルに対し、労働者の権利を守るべく団結して行動する組織である。当初から労使間には、トラブルが発生すると想定されていたというわけで、これは資本主義が歴史的に抱えている矛盾であろう。

 人間は皆平等というけれど、雇用主・資本家と一個人の労働者とが、個別の労働問題について、対等の立場で話し合うことなど、所詮不可能である。そこで、労働者側に団結権が認められているわけだ。なのにほとんどの企業内組合は、闇雲に賃上げや処遇改善のために拳を突き上げるだけである。こんなことばかりやっていては、個別労働契約が切り下げられていく一方なのにである。

 労使が平等の立場で話し合うというのは、双方が責任ある提案をしていくということにほかならない。「要求貫徹」も「条件切り下げの押し付け」も、戦術なのかもしれないが、やはり的が外れているようだ。

 期間従業員を組合に加入させるという事は、組合費を徴収するということだから、費用に見合った活動をしなければ、組合は存在価値を疑われる。徴収した組合費を使い「レクリェーション」でお茶を濁すというようなことがあってはならない。

 本件とは無関係であるが、先日マツダの元期間従業員が同工場内で車を暴走させ、従業員を殺傷させるという事件が発生した。わずか八日間しか働いていない者を、「元従業員」という肩書きにして報道し、いささかの疑問も感じないマスコミの感度も「変」だが、この事件で期間従業員の組合員化が沙汰やみになることが懸念される。

 


垣間見えた管理方法 (2010.07.01)

 

 運送大手のヤマト運輸(東京)徳島主管支店(徳島県松茂町)が、有給休暇の賃金を労働基準法で義務付けられた労使協定を結ばずに算定していたとして、徳島労働基準監督署から4月20日付けで是正勧告を受けていたという。

 時間外労働の算定基礎賃金や有給休暇の算定基礎に、「標準報酬月額」を使う事は法で認められている。ただし、それを採用する場合には、労使協定が前提となり、平たく言えば労働者側が納得しなければだめだよということである。そのことをヤマト運輸の労働組合が、このことを記載した就業規則作成時に、指摘したのかどうかはわからない。

 同社労組関係者は、標準報酬日額で算定した場合、繁忙期の実態が反映されないケースなどがあり、労働者側に不利になる可能性があると主張したというが、果たしてその点だけにスポットライトを当てて良いのかどうか。筆者は会社側が労務費圧縮のために、標準報酬月額を採用したとは考えにくいような気がしてならない。

 コンピュータで給与計算する場合、その基礎値をどこから引っ張ってくるかという「技術的な問題」に直面するものだが、仮に給与カットなどをした場合であっても、標準報酬月額は原則として一年固定だから、労働者側は残業するたびに、高い算定基礎値の時間外割り増しを受け取れる。その点だけ切り取ってみると、得じゃないかということになる。同様の事は賃下げという局面でも起こり、平均賃金よりも標準報酬月額は、仕組みの上から最短でも四ヶ月は高止まりするということになる。ということは労働組合は、右肩上がりの賃金のみを想定しているということらしい。

 わたしは、会社が標準報酬月額を用いていたというのは、年間の労務費の予算実算管理がやりやすくなるというメリットがあったからではないかと考えたい。標準報酬月額というのは、瞬間風速的に増減を繰り返さないため、予算の基礎数値としては好ましい。

 今回の是正勧告は、単なる手続きミスの指摘である。そのため労使協定を結べばそれで問題は解決するが、今度の指摘で、ヤマト運輸が予算実算管理を厳密にやっている会社であるということが垣間見えた気がする。

 


グローバル化はまず国内から (2010.06.01)

 

 中国人技能実習生5人が、受け入れ先の清掃会社に対し、未払い賃金や解雇による損害など計約1,000万円の支払いを求めた訴訟の控訴審判決(2審)で、名古屋高裁が325日、計約900万円の支払いを命じた。会社側の控訴は棄却された。

 5人は三重県四日市市の清掃会社の縫製部門で自動車のシートカバーの縫製作業などに従事し、規定時間を超えて作業に従事させられた上、1時間の超過勤務あたり300円の手当しかもらえず、07年9月に解雇された。

 裁判長は判決理由で(本案件は)「会社側(の都合)による解雇にほかならない」とし、一審判決の「解雇ではなく、退社について実習生と会社側の合意があった」という認定を退けた。

 「労働者でない外国人研修生を採用すればオトク」という間違った概念が、この判決によって払拭されることを望みたい。そもそも外国人研修制度には、「研修」に名を借りた低賃金労働者の「輸入」なのではないかという疑いが最初からあった。外国人であろうとなかろうと、その国で働いて生活していくということであれば、最低生活を営める「最低賃金」は保証されなければおかしい。それ以下の水準で「可」としてきたというのは、言い方がきつくなるが、外国人を蔑視してきたということになるのではないか。

これは何も最近始まったことではない。太平洋戦争の際に、一部の軍関係者は外国人を徹底的に差別し、蔑視するという政策をとった。そうしたものが日本の現代社会にまで地下水脈のように脈々と続いていたのかもしれない。

 グローバル化という言葉は、近頃使われなくなってきたが、国境を越えて活動している企業はますます増えている。「郷にいっては郷に従え」こそが、グローバリズムの基本であるということを胆に銘じておきたい。

 


監督署は何を守ろうとしているのか (2010.05.01)

 

 自社従業員の死を会社が労働災害ではないと突っ張るというのは、企業の立場を考えれば、ありえないことではない。

 しかし、労働基準監督署が労災保険の請求を退ける意図が私にはわからない。労災保険の適用を門前払いするということは、死んだ人は会社の仕事と無縁の理由で死んだのだ、と公的に認めたということになる。そういうことを第三者の立場である役所が証明するのは、本来極めて難しいはずである。

 そもそも役所が集めた資料の大半は、会社から提出されたものであり、そこから労災非認定という結果を導き出すことは、ある意味容易である。しかし、であるとすれば、監督署はいったい誰を・何を守ろうとしているのか?

 労災認定されれば労災保険がおりる。だから労災と公に認められたからといって、会社がすぐに金銭で遺族に対し賠償する義務を負わされるというわけではない。そう考えると、監督署に企業を守る意図があるとは思えない。どんな役所でも、つまるところは国民の権利と財産を守らなければ嘘だ。労災保険の収支を黒字化するために、請求を退けているようなことはないと思うが、不信感は残る。

 


法を超える定め (2010.04.01)

 

 去る223日、水戸市消防本部の職員に休日勤務手当を誤って支給したとして、市が6人に返還を求めた訴訟の判決で、水戸地裁(窪木稔裁判長)は、市が「振り替え休」の解釈を誤ったとして、職員らに請求通り計約80万円を返すよう命じた。

 訴状によれば、市は200205年度、285人に休日勤務手当を誤って支給したため返還を請求した。しかし6人の職員がこれに応じず、この6人にそれぞれ約5万〜約17万円を求め提訴していた。

 市は隔日勤務の消防職員に4週間に8日の「週休日」を設定。休日勤務手当を支給できるのは (1)祝日 (2)年末年始休 (3)祝日が週休日と重なった直後の勤務日(振り替え休)―に勤務した場合、と条例で定めていた。

 しかし、市は「年末年始休が週休日と重なった直後の勤務日」に勤務した場合も休日手当の対象となると解釈し、手当を支給していた。

 労働基準法には「休日勤務手当」を支給せよなどという定めはない。あるのは、労働基準法第37条の法定労働時間を超えて労働させた場合には割増率25%以上、法定休日に労働させた場合には割増率35%以上、深夜に労働させた場合には割増率25%以上の割増賃金を支払わなくてはならないという条文だけである。したがって、水戸市が条例で定めていたのは、法の水準を超える処遇である。

民間企業の場合は、このように法を超える定めは、労働組合の要求により労働協約や労使協定で決める場合が多いが、もちろん会社主導で就業規則に書き込むという例もある。

 処遇を良くすれば、それだけ良い人材を集められる可能性が出てくるわけで、また働いている人たちのやる気も増す。ただし、忘れてはならないのは、一旦決めた基準はそう簡単に下方修正出来ないということである。

 決められた処遇を下げることを「不利益変更」と呼ぶ。不利益変更を行なうためには、原則として該当者の同意が必要となる。

 この例では、不利益変更ではなくて、解釈の間違いであったとして押し切ってしまっているが、条例の表現が誤解を招きやすいものであったという批判はまぬがれないだろう。手当の額が35%を下回っていれば、条例自体が労基法に抵触していたということになるが、そういう報道は皆無だったので、休日勤務手当とは公務員だけに認められる割増以外の付加給与ととらえるしかない。これも数ある既得権益の一つなのかもしれない。

 


縮小均衡の先にあるもの (2010.03.01)

 

 会社更生法の適用を申請した日本航空が1月22日、3,000人弱の特別早期退職の募集などで来年3月末までの約1年間に、グループの従業員数を1万5,000人程度減らす方針を固めた。同社の再建を支援する企業再生支援機構と策定した経営再建計画案に盛り込まれたことで、日航のリストラは本格始動することとなった。

 日本一処遇水準の高い会社といわれた企業が、どのように再生していくのか。余剰人員が本当にいるのだとすれば、その方々の解雇は致し方ないとしても、残された者の処遇の行方は気になる。

 もちろん、日航の場合は国がバックアップしているリストラであるから、解雇される人たちにも、手厚く再雇用の機会が与えられるに違いない。

 それにしても、「リストラ」と言う言葉が社会に定着して、すでに十年以上も経っているのに、見事再生したという例をほとんど聞かないというのはなぜか。確かに瞬間風速的には、「日産がV字回復」したなどという報道がなされたこともあったが、今思えばあれは、あくの強いカルロス・ゴーン氏にマスコミが撹乱されただけのことだったようだ。

 いつしか日本の「リストラ」は、首切りの異名となってしまった。企業を支えているのは人である。働く人が一人もいない企業というのは、ペーパー会社であり、犯罪の温床である。生きている会社には、生きている人がたくさんいなければならない。そう考えてみると、首切りは会社の生命力を弱める手法の一つである。

 そんなきれい事を言っても、仕事がないのだから仕方があるまい、と言われてしまえば返す言葉もないのだが、縮小均衡を狙っていって、はたして企業の再生は出来るのか。浅学の私には、明るい未来が見えてこない。

 


五里霧中の日本経済 (2010.02.01)

 

 昨年の政権交代によって、労使の立場が完全に逆転した。連合をはじめとする労働組合の多くが押す政党が、政治の主導権を握っている現状である。これまで彼らは、経営者の判断手腕の不手際を、ことあるごとに批判してきたわけで、単純に考えればこの政権交代によって、日本の景気は一気に上向くということになる。しかし、世の中はそんなに甘くはない。

労働者の要求が、以前に比べるとずっと通りやすくなっているというのは事実であろうが、要求が通った後に、多くの会社が倒産してしまっては、「角をたわめて牛を殺す」ということになりかねない。

 なにやら今の民主党を見ていると、「牛が死んだなら馬を連れてくれば良い」などといった詭弁を弄しそうだが、現実の局面では、この手のレトリックは何の助けにもなるまい。日本の周りには、鼻をつままれてもわからないような深い霧が立ち込めている。じっと立ち止まって霧が晴れるのを待つか、それとも強力なフォグランプでもつけて前進するのか。この春、それぞれの企業が岐路に立たされることになる。

 


要求するなら代替案 (2010.01.01)

 

 昨年の11月、NTT東日本の60歳定年制は、定年後の雇用確保を義務付けた改正高年齢者雇用安定法に反するとして、一昨年3月に定年を迎えた男女10人が、社員としての地位確認と退職後の給料支払いを求めた訴訟の判決で、東京地裁が請求を棄却した。

 NTT東は2002年、再雇用制度を廃止し、51歳以上の従業員に対し (1)グループ会社に移り、給料減額の代わりに60歳定年後も再雇用 (2)会社に残り、60歳で定年退職―のいずれかを選択させる制度に改めた。

 原告の10人は60歳を迎えるまで選択の機会が3回あったが、いずれもそれを拒否したため、一昨年3月で定年退職を迎えていた。

 公的年金の満額支給は65歳からである。そのため還暦間近のサラリーマンは、まず全員が「給料を減らさずに65歳まで勤められたらラッキー」と考える。しかし、現実は厳しい。定年延長や再雇用で、従前の給料が百パーセント保証されるといったケースは、滅多にない。

 それでもこの不況の中で、65歳までわずかでも給料がもらえるのなら、とほとんどの人が働いているというのが、今の日本の現状だろう。

 本件は、黙っていてもこれまで通りの条件で65歳まで雇用するのが義務だと言わんばかりにがんばったのだが、一般の民間企業から見ると、やはりNTTの職員は特殊で、考えが甘いというふうに受け取られてしまうのではないか。

 もちろん、65歳まで同一条件で雇用できるのなら、それに越した事はない。しかし、それはそのまま労務費がかさみ、収益を圧迫するということを意味する。

 訴えを起こした人たちは、それについてどんな代替案をお持ちだったのか。もしも「それは会社が考えればいいことだから知るものか」といった認識であったとしたら、困ってしまう。権利を主張するには、しっかりとした代替案まで考えていなくては、横車押しで終ってしまうのではないか。

 


労働者にならない働き人 (2009.12.01)

 

 一生懸命働いているのに「労働者」とされていない人たちが、実はかなり存在している。

 当ホームページの「視点」でも、再三採りあげている「外国人研修生」もその一つだが、いっこうに改善されるきざしはない。

 それどころか最近では、研修生と類似した制度が出来てしまった。これは一般に「外国人介護師導入制度」と呼ばれているもので、日本政府はインドネシアとフィリピンから介護施設の人手不足のために介護師の卵を多数来日させている。

 この制度成立の裏には、日本国政府と相手国政府との間で、さまざまな条件の綱引きがあったと聞くが、門外漢の私には、入国管理法をいじりたくないためにやった方便のように思えてならない。それはそれとして、こういった外国人労働者以外にも、労働者でない「働き人」は結構いる。

 例えば、ボランティアで公園の草刈をしている人たちが、草刈機で腕を切断しても、「労災」として認められる可能性は低い。一部のNPO法人の職員も、労働者ではないとされている。

 極論してしまえば、ボランティアで消費者からの苦情を熱心に聞いている人が、過労で倒れても補償はどこからももらえないのだ。

 労働者災害補償保険は、正規従業員でない派遣社員にも、パートにもアルバイトにも適用される。一見すると、死角はないように思えるのだが、上で見たような「労働者にならない働き人」には適用されない。

 こう見てくると、「雇用」という形態にこだわっている労働者災害補償保険という仕組み自体に、致命的な欠陥があるのではないかとも思えてくる。本当に必要なのは、雇用契約を結んだ労働者だけではなくて、「働き人」全員が安心して暮らせる社会基盤の整備なのではないのか。雇用契約を結んでいても、仕事をしていない人はいくらもいる。

 真心をもってまじめに働いている人が幸せになれなければ、本当に豊かな社会とは言えない。

 


制服は什器 (2009.11.01)

 

 賃金を不当に減額したとしてタクシーの元乗務員ら10人が、「大阪エムケイ」(大阪市)に未払い賃金など計約9100万円の支払いを求めていた訴訟の判決で、大阪地裁が9月に、9人に付加金を含めた計約5590万円を支払うよう命じた。なお、残り1人については、時効を理由に請求を退けているという。

 訴状によると、同社は乗務員の同意なしに「その他控除」などの名目で賃金をカットし、「休憩を多く取っていた」として時間外や深夜勤務手当も一部しか支払っていなかった。また、裁判の中で会社は、「制服代を差し引いただけ」と主張していた。

 エムケイタクシーは格安料金でタクシー・ハイヤー業界に殴りこみをかけた会社で、ドライバーの高級ホテル並の礼儀正さで一世を風靡した。ただし、この判決と前後し、経営危機が表面したということもあって、 この事案についての情報は、ほとんど公開されていない。

 そこで今回は、あくまでも一般論を述べたい。 それというのも、「制服」「ユニフォーム」の代金を賃金から天引きしたい、という相談をしばしば受けるからだ。相談者のほとんどは接客商売であり、「制服」とはいえオーダーメードの立派なスーツ形式というケースが多い。中には、一着3万円は下らないと豪語する会社もあった。たしかにこれだけ高額になってしまうと、会社は着用する本人から金を貰いたくなるに違いない。

 しかし、値がはるから従業員に負担させるというのは、いささか筋違いであろう。なぜなら、どんなに高価なスーツであっても、それをプライベートに着る事は出来ないからだ。いくら航空会社の客室乗務員の制服がステキでも、それを着て休日に街に出歩く人はまずいない。

 そもそも会社の看板である「ユニフォーム」を着て、公序良俗に反する振る舞いでもされたら、会社は大変なイメージダウンになってしまう。当人の不注意で汚してしまったとか、破いてしまったというようなケースで、実費弁済的に金を貰うということまでを否定するつもりはないが、「制服」はあくまでも、勤務・営業のために必要な什器備品と捕らえておいたほうが良いのではないか。したがって、必要最低着数は、無償で「貸与」するのが適当と思われる。

 もっともかつての某地方自治体の職員のように、二年に一度、通勤用の「私服」を誂えてもらっているというのなら、話は別である。こうなると、服の代金うんぬんより、その制度そのものが無駄であろう。

 


これからのリストラ (2009.10.01)

 

 三洋電機が826日に、間接部門の全社的見直しや不採算事業のリストラで2009年度中に約1,000人を配置転換し、希望退職者も募集する、と正式に発表した。退職者数はあらかじめ設定していないが「数百人規模の応募は免れない」(関係者)という。リストラはコスト削減と収益性の向上が目的で、パナソニックの子会社となる前に、経営体質を改善する狙いがあるとみられている。

 昨年(2008)秋から始まった世界的景気後退は、おそらく戦後最大のものになると思われる。企業も政治も、これまでは「経済は永遠に拡大し続けても良いのだ」という前提に立って進められてきた。そのパラダイムを堅持し続けることが、果たして可能なのかどうか。とりあえず日本国民は830日の総選挙で、政治についてはパラダイムシフトをするべきとの判断を下したわけだが、ことによると企業も、これまでの延長線上で経営管理をしていてはまずいのかもしれない。といって、需要の総体が縮小していくことを前提にして、経営戦略を立てるというのは、かなり難しい。

 三洋電機の場合、枝葉の整理はすでに一巡しているので、次はいよいよ本体をスリム化して乗り切ろうというのだろう。が、このやり方はあくまでも、従来型の思考の延長線上にあるようにしか思えない。「無駄」を徹底的に排除していけば、やがて浮上すると考えるのは、過去のパラダイムである。究極のリストラはカール・マルクスが「資本論」で述べているように、企業の数を減らすということなのかもしれない。

 


外国人研修制度は外交問題 (2009.09.01)

 

 外国人研修・技能実習制度で来日し、和歌山県白浜町の縫製業者3社で働いた中国人女性10人が、「管理費」名目で給料から違法に徴収されたなどとして、約3,550万円の損害賠償を求めた訴訟で、和歌山地裁田辺支部は業者側に計約3,100万円の支払いを命じたという。

 実習生らは、中国の送り出し機関に対する管理費名目で、月2万〜2万5,000円を給料から天引きされていて、長時間の残業や休日出勤に対する賃金も正当に支払われていなかったらしい。

 外国人研修・技能実習制度は、日本が人手不足のときに作られた制度である。そのため直接的に、そういう表現はしていないものの、「安い賃金で使える労働力」を外国から引き入れようというホンネが見え隠れしている。これを「外国人臨時雇用制度」とでも名付けていれば、最初からトラブルは少なかったのではないか。

 そうしなかったのは、もちろん人類は皆平等で差別をしてはならないという「人権尊重」の考え方もあろうが、「単純労働する外国人」には入国ビザを出さない、という外務省の方針があったからではないか。

 もちろんこれは一省庁の考え方というより、日本国としての方針である。しかしこの件に関して、国会が真剣に議論したという話は寡聞にして知らない。

 さて、衆院選挙も終わり、いよいよ新議員の登壇が始まる。哀しいかな外交という重要課題は、政局重視の政治環境の中で、この国では60年間一度も議論されてこなかった。今度の国会では、これを大いに議論して欲しい。

 本件では裁判所が、研修生であっても労働者だとはっきりと認めている。それはまあ良いとして、肝心のビザ問題はどう解決するつもりなのか。それは裁判所の管轄外である、と言われてしまえばそれまでだが、それでは堂々巡りであろう。

 


リストラはプロセスこそが大事?(2009.08.01)

 

 5月22日甲府地裁は、山梨県甲斐市の半導体製造装置会社Mと関連会社Mエンジニアリングに、不況などを理由に解雇された元従業員5人に対し、賃金など計約400万円の支払いを命じる決定をした。

 その際の判断はこうである。

 「経営状況はきわめて悪化し、人員削減の必要があった」が、5人を解雇した後も余った人員を違う部署に配置換えするなど、解雇回避策を取っていたと指摘し、「(5人解雇当時の)解雇回避努力は十分であったとは言えない」。

 要するにこの裁判では、リストラ解雇に到るまでのプロセスが問題にされた。これは整理解雇の4条件のうちの一つが争われたということである。私が知る限り、この実施手順について、ここまで厳密に判断されたことはなかったと思う。

 安直に言ってしまえば、「給料はカットしました。希望退職の募集もしました。でも経営が立ちゆかないので、整理解雇に踏み切りました」といった程度でも、解雇権の濫用ではないと認められていたはずである。

 ところがこの判決では一転して、解雇した後の余剰人員を「さらに解雇するのは忍びないので」配置換えで対処したという「手法」が、問題とされている。この段階で配置転換するのでは、「順番が逆じゃないか」と言っているわけだ。

 なるほどお説ごもっともで、指摘は正しい。が、そんなことを杓子定規に振り回せば、余剰になった人間はすべて辞めさせなければダメということになってしまう。そっちのほうが、よほど問題だという気がしてならない。 このあたりの判断は裁判長によって分かれるはずで、今後法廷でどんな議論がされるのか、気になるところである。

 


リストラの優先順位 (2009.07.01)

 

 正社員の整理解雇は、思い立ったからといってすぐには出来ない。いや、すぐにやってはいけない。合法的に行うには、幾つかの決まったステップを踏まなければ「解雇権の濫用」として訴えられる。そのステップは残業の削減から始まって、昇給の停止、賞与の減額など細々と分かれているのだが、非正規雇用者の契約解除もその一つである。

 これはいわゆる「雇止め」のことで、早い話が役所も労基法に合致しているかどうかを判断する場合、当然のごとく正社員と非正社員を区別(ある意味では差別)してきた。これが「格差」の助長につながったという面は、否定できないのではないか。

 ところで「正社員」「嘱託」「臨時」などといった社員身分は、元来は社員と会社との密着度を示すものであった。正社員になるためには、将来の幹部登用を想定して難しい入社試験を通らなければいけないが、臨時社員なら簡単な面接だけで入社出来てしまう。

それが派遣社員となると、そもそも派遣会社に登録された段階では、どこの会社で仕事するかわからない場合が多い。要するに、社会人としてスタートラインに立った時点では、愛社精神など持ちようがないのだ。

 ところが不思議なことに、「雇止め」が取りざたされるようになると、突然「まじめに働いてきたのだから、正社員と同じに手厚く保護」してもらうのが当然の権利であるという論調一辺倒になってしまう。気持ちはわからないでもないが、これはいささか乱暴な主張なのではないか。それを正当と認めてもらうには、入り口の狭さも一緒にしなければ、不公平な気がする。

 もちろん、派遣や非正規に「なりたくてなったんじゃないよ」という声もあるだろう。が、本来の手続きを経ずに入ってきた社員を、正社員と同等に扱うというのは、会社としても労組としても抵抗があるに違いない。

つまるところ、学卒定時入社制度というのを残しておいて、正規・非正規をいっきに同一にせよという議論は無理があるのだ。このあたりは、教育界と財界とが手を取り合って解決していかなければならない問題であろう。

 


不況を乗り切る王道 (2009.06.01)

 

 新日本製鉄が4月1日、全国5カ所の生産拠点で月に1〜2日の一時帰休を実施している。これは自動車向けなどの鋼材の生産が落ち込んでいることに対応するためのもので、同社の一時帰休は、2000年以来9年ぶりであるという。

 昨年秋の派遣切りに始まり、この春には雇止め、希望退職、整理解雇と打ちたくもない人員整理策を打ち続けた企業も多いと思う。こうした流れを受けて、全国のハローワークには求職者があふれ、連日長蛇の列が出来ている。

 労務費こそ最大の固定費であるという観点に立てば、決算対策として人件費のカットは必達ということになってしまう。これからの季節は株主総会を乗り切るために、より一層人員削減の話が出やすくなる。

 どうやら今度の不況は、一年以上続きそうな気配なので、来年3月末の決算まで視野に入れれば、真剣に人員削減を検討する企業が多くなりそうだ。だが、雇用を「費用」の側面だけから捕らえていると、足元をすくわれる。

 いまさら基本の「キ」を引っ張り出すのは面映いが、企業の経営は、「ヒト」「モノ」「カネ」を有効に回すことで、成り立っている。もともと今回の景気失速は、「カネ」が「カネ」を生み出すこともあるのかいな?と疑心暗鬼になったサブプライムローン問題に端を発している。もちろんそんな手品のような方法はあるはずがなく、手持ちの資産が自然と増えているように見えたのは、いつか来た道の幻想(バブル)でしかなかった。

 企業が持っている3枚のカードの内、「雇用」というカードを切るということは、個々の従業員が苦労して身につけた技術やノウハウまで、すべて社外に放出してしまうことである。当たり前の話だが、「モノ」と「カネ」だけあっても、企業は再生できない。

 だったら思い切って発想を変えて、「モノ」と「カネ」のほうを一部休ませるというのはどうだろう。そういった意味では、新日鉄が採用する「一時帰休」は、オーソドックスではあるが、やはり王道というべきだ。このやり方で凌げれば、再生局面になったとき、回復が早い。

 そうはいっても、「待てば海路の日よりあり」と鷹揚に構えていられるか!とのお叱りを受けそうだが、V字回復だけがリストラではないと思う。

 


副業なら仕事見つかるの?(2009.05.01)

 

 日産自動車が、3月から全社員に対し副業を認めた。三菱自動車の水島製作所(岡山県倉敷市)が、昨年暮から独自の判断で一部社員に認めたことはあったが、このように堂々と公表するにはまだ珍しい。もっとも自動車業界以外では、東芝や富士通の半導体子会社のほか、日本航空でも休職期間中の社員の副業を基本的に認めている。どうやら大手企業は、ここにきて社内規定の見直しによる「副業容認」の方向に一気に動く気配である。

 しからば、なぜ今「副業」なのか。

 このところの不況で、大手といえども受注が取れない日々が続いている。平たく言えば仕事が暇になってしまっているわけで、残業削減は当たり前、一時帰休も毎月何日かは行われているといった現状である。勢い、従業員の手取り収入は減っている。

 副業容認は、自社で支払う給与が減るから、その分別の仕事を自ら捜して稼いでくれということである。実態はそんな会社にとって虫の良い話なのだが、聞きようによっては、従業員側に立ったきめの細かい社内規定の改訂をしたようにも受けとれる。ここは是非とも、眉に唾して、行く末を見極める必要がありそうだ。

 そもそも「副業の禁止」というありふれた就業規則の文言自体、社員のプライベート時間帯の行動を縛るものであり、人権侵害の疑いがあるのでは、と以前から問題視されていた。

 たとえばである。ある従業員が仮に八百屋の息子であったとする。この八百屋が繁盛していて、会社の残業がなかったりすれば、彼は帰宅後に家業を手伝って店に立ったり、配達に行ったりするに違いない。この行為は親孝行として褒められるべきことで、「禁止」されるいわれはない。

 要するに就業規則上の「副業の禁止」というのは、同時に二つの会社に籍をおくことを禁止していたに過ぎないのだ。確かに8時間労働を毎日二つの会社で行っていれば、疲労困憊してしまい、遠くない将来に過労死を招いてしまうかもしれない。これではいただけない。

 このように副業の禁止を、「労働者の健康保持のための規程」であると限定的にとらえれば、ワークシェアリングのように就業時間を短くしたり、一時帰休で休業日が増えたりしている場合には、就業時間以外に働く事は、もともとなんら問題ないはずである。それをもったいをつけて、いちいち会社に届け出て云々などというのは、会社の思い上がり以外のなにものでもない。

 そもそも、これだけ世界中が不況に陥っているのだから、都合の良い副業など簡単に見つかるかどうか。副業を認めた企業のホンネは、どんな仕事が世の中で求められているのかを知りたいだけということなのかもしれない。

 


国の新たな施策は間に合うのか (2009.04.01)

 

 「雇用崩壊」と名づけられた目下の状況を、真正面から受け止めている国の施策は、今のところこの「雇用調整助成金」しかない。しかしこれは、余剰人員を休ませて、その間の休業手当等を助成するという「受け身」の制度であり、所詮景気が良くなるまでの「つなぎ」の仕組みでしかない。不況が長引けば、有休で休ませる体力さえないという企業が多くなり、申請したくても出来ないということになりかねない。

 銀行を始めとする金融機関が、このところメーカーに対して運転資金の貸付条件を厳しくしているようだ。金主に「今の人件費を減らさない限り、つなぎ融資は出来ません」とそっぽを向かれてしまえば、雇調金をもらいたくても、従業員の首を切らざるをえなくなってしまう。なぜなら、労基法の縛りがあって、無給で自宅待機させるわけにはいかないからだ。本来労働者の権利を守るべき法律が、意外なところで足かせとなってしまうわけだ。

 そんなことにならないためにも、国は一刻も早く、金融機関に公的資金を注入しなければならない。そして注入した金は、すぐに融資先に流さないといけない。ところが肝心なときに、日本の政治は死に体である。どうなる日本!まさに切歯扼腕の心境である。


ワークシェアに潜む次なる格差助長 (2009.03.01)

 

 ワークシェアリングとは、たとえば今まで一人でやっていた仕事を二人の作業員で分け合うことである。したがって一般には、「分け合える=途中でバトンタッチできる仕事」にしか適応できない、と考えられている。そのためワークシェアできるのは、現業部門のみという考え方が根強い。

 今回の不況においては、日本経団連が「雇用を守るにはワークシェアも、有効な選択肢の一つ」と表明し、このところ取り入れる企業が増えてきている。ただし、この製造現場の従業員のみを対象にするしかない、という常識の一線を越えた企業は、まだほとんどないようだ。

 しかし、こうした固定観念にとらわれていて本当に良いのだろうか。ワークシェアの対象になった者は、それだけ収入が減ってしまうわけで、事務部門や営業部門で働く者とは、自然に賃金格差が生じてしまうことになる。それを「不当」と感じても、緊急避難的な処置なのだと説得されれば、これに協力しないわけにはいかず、対象者は会社存続のために忍従するしかない。

 だが今般の不況は、誰が言い出したのかしらないが、「百年に一度」のものらしい。これを書いている時点で、信用収縮に端を発した不況の突破口はまったく見えていない。そんな中で、現業のみのワークシェアリングが長期化すれば、今度は正社員間に収入格差が固定化してしまいかねない。これに対する不満は当然組合にぶつけられることになる。

 冷静に考えてみれば、製造現場だけに痛みを押し付けるという考え方は、やはりもともと無理があると思う。労組はワークシェアの対象から漏れた職場に対しても、痛みを分かち合う制度を導入すべきと団交の場で表明すべきである。「春闘」を単に要求をごり押しするだけの場であると考えていると、日本経済は二度と浮かび上がれないような気がする。

 分配はある一定水準まで景気を浮揚させたあとでないと、国際競争力がそがれることになる。社会主義や共産主義の国を目指すという確固たる思想がある組合なら別だが、労使協調路線を標榜するならば、ここは一致協力して産業界を立て直すしかない。

 ちなみに2月5日、自動車会社のスズキが非現業部門を含む全社でのワークシェアリングを実施すると発表し、トヨタも米国工場で採用することを表明した。

 


パンドラの箱の閉じ方 (2009.02.01)

 

 法的に派遣社員から直接雇用へという流れが作られたのは、平成16年の派遣法改正からである。だが皮肉なことに、この法改正によって期間限定だったものの、製造現場への派遣が門戸開放されたことで、派遣社員は爆発的に増えてしまった。昨年秋から表面化した「派遣切り」問題は、直接の引き金は世界金融不況であるかもしれないが、その素地は法改正時にすでに作られていたというべきだろう。

 ワーキングプアーを無くすには、労働者はすべて直接雇用それも正社員とするべきである。これを実現するためには、国際競争力の低下など様々乗り越えるべき困難があるのだが、とにかく正論ではある。そこで昨今では国会でも盛んに議論されている。無責任に正論を振り回し善人面するのはどうかと思うが、まあそれはよしとしよう。ここで触れたいのは、派遣社員と雇い主の関係についてである。

 当たり前のことを書くが、派遣社員は派遣元の会社に雇用されているわけで、雇用関係のない派遣先と「団体交渉」するというのは、本来筋違いである。雇用身分変更にまつわるそこらあたりのプロセスに、まったく無頓着な手続法であるという点だけみても、現行の派遣法には大きな欠陥があると言わざるをえない。そのあたりのところを派遣先の労組はどう考えているのか。年末年始にあれだけ「派遣切り」が話題になったのに、派遣先の労組が救済の声をあげなかったのは、筋論から言えば間違いではない。

 だいたい組合員である正社員の厚遇を維持したまま、その適用を広げるなどという事は即労務費アップに繋がってしまい、企業経営としては不可能である。そのために派遣というグレーゾーンの労働者を導入し、企業はしのいできたという歴史があるのだ。

 言いにくいことだが、高額消費財を買ってくれる正社員の厚遇は、非正規によって支えられてきた。政治家も行政もそのあたりの事情は知っているのだろうが、皆見てみぬふりをして、定額給付金を一律給付してお茶を濁そうとしている。当然給付金の使い方も二極分化することは明らかで、景気浮揚のために必要な耐久消費財の消費に金を使うのは、一部の正規労働者だけであろう。これでは景気など上向くはずがない。給付金は要するに世界的景気後退生き残り戦の前の塩まきという儀式でしかない。

 「ワークシェアリング」というやり方が再び脚光を浴びているが、これは作業者の人数を固定しておき、仕事量が少なくなったときに、一人当たりに配る作業量を減らして調整するという手法だ。悪くはないと思う。だがこの考え方は、ワーク=単純作業 と決め付けているようなところがあって、根底には職種蔑視が潜んでいる。複雑な業務や専門職はとてもじゃないが「そう単純には分けられない」というわけだ。だが、本当にそういうものなのだろうか。

 今後おこるであろう失業者の爆発的増加を抜本的に防ぐには、連合などの労働組合団体が、正社員の一律賃下げによる正規雇用者の拡大を表明するしかないのではないか。言ってしまえば全業務のワークシェア化である。しかし、毎年賃上げを求めてきた組合にとって、これは方針のコペルニクス的大転換となる。

 身銭を切るのは誰しも嫌なものだ。正社員の処遇を下げるのなら、先に経営者や管理職の給料を下げろという主張も出るだろう。こうなるとたとえ物価が多少下がったとしても、社会は猛烈なインフレ状態になってしまう。本格的な恐慌の到来だ。

 現行派遣法は、そういった難しい問題をすべて棚上げにして成立したものなのである。その結果、処遇の高い正社員労組と処遇の低い派遣労組とが並立するといったおかしな状況が多くの企業で発生してしまっている。

 派遣という労働形態を公認してしまった段階で、優秀な官僚たちはこうした混乱が起こる事をすでに予想していたはずである。一度開けてしまったパンドラの箱をどう閉じるつもりなのか。行政当局の手腕が問われる。

 


改正労働基準法のゆくえ (2009.01.01)

 

 改正労働基準法が2008年12月5日の参院本会議で可決、成立した。施行は2010年4月の予定だという。

 改正法で目新しいのは、時間外労働に対する賃金の割増率(現行25%以上50%以下)が、月60時間を超える部分が「50%以上」となること。また年次有給休暇の取得を促進するために、労使協定締結を条件として、5日以内の有休を1時間単位で取得できるようにすることなどである。

 改正法の施行は1年以上先である。そのため深夜割増と時間外割増との関係など、まだ不明なところも多い。だが、時間外の割増率の変更にしても、有休の付与方式の変更にしても、労務費のアップ・人事管理費の増加に繋がることだけは間違いない。

 これらの費用増を最小限にとどめるには、場当たり的な対策ではなく、真の意味での業務効率アップを図らなければだめだろう。ところがあいにく、目下の日本経済は金融恐慌の様相を呈していて、需要縮小により人余りというスパイラルに入ってしまっている。企業の多くはすでに残業をゼロにし、それでも仕事がないため一時帰休を実施している。役所の調査資料には、これも「改正法の先取り」と集計されるのかもしれないが、単に仕事がないためである。派遣労働者や期間工にいたっては、有給休暇の権利が発生する継続勤務6ヶ月を目前にして、雇止めされてしまったというケースも珍しくない。

 日本だけに限ったことではないが、自由主義経済システムは需要が拡大基調になっていないと安定しないというアキレス腱を持っている。今から20年以上遡れば、社会主義管理経済という、別の経済システムがあると信じられていたが、それを主張し推進してきたロシアや中国も、すでにあれは幻想だったと認め、自由主義経済の一員に組み込まれてしまっている。そのため今のところ、自由主義経済のほか選択肢はない。言ってみれば、世界経済全体が袋小路に入ってしまったような按配である。

 仮に法律施行時まで、残業ゼロで臨時休業が頻繁に起こるような今の状況が続いていれば、改正労基法が始まっても、ほとんどの企業がそれほど痛みを感じないと思われる。しかし、法律の基準が難なく守られても、企業の大半が死に体になってしまっては、「手術は成功したが、患者は亡くなった」ということになりかねず、本末転倒である。

 財界は今の不況は来年いっぱい続くだろうと見ている。この時期の法施行ははたして適切なのかどうか、硬直した官僚のやり方に疑問を呈する年明けとなってしまった。

 


最初のボタン (2008.12.01)

 

 コンプライアンスという言葉が盛んに使われだしたのは、おそらくここ四、五年のことだと思う。カタカナで書くと何かとても新しい概念のように感じるが、漢字で書けば「法令遵守(順守)」である。法人たるもの(および、社会人たるもの)は、法律に従って行動せよということで、法治国家としては当たり前のことである。

 だが、悲しいかな法律というのは増えることはあっても、減ることは滅多にない。わが身を振り返ってみても、仕事に関連する法律がいったいぜんたい何本あるのか、数えたことすらない。プロなのだから、しっかりせよと叱責されれば、誠にその通りでぐうの音もでない。それにしても法令の条文というのは、何度読んでも頭に入らない。こちらの脳みその品質に難があるのだろうが、ことによると理解しにくいように作っているのかもしれない。作家の五木寛之氏はポーランドの歴史の本を読むとすぐに眠くなると言っていたが、私の場合は日本の法律の専門書のほうが、よほど深い眠りに誘う。まことに不可思議な現象である。

 ところで派遣法が改正されて3年がそろそろ経過する。これまでは偽装派遣や二重派遣・派遣不能業種への派遣などが摘発の中心であったが、いよいよ本丸の「派遣→社員化」に対する摘発が始まる。今後は派遣元の業者だけでなく、派遣先まで罰せられるのだから、おちおちしていられない。

 この件に関して、すでに相当勉強している企業もあるようだが、派遣業者そのものが、労働者派遣法をほとんど読んでいないというケースは結構ある。熟知した上での法違反は脱法行為で、知らなければ単なる違法行為となる。だったら、捕まるまで知らぬ存ぜぬで済ましてしまえばいいという企業も多いのだ。が、そう世間は甘くない。知らなかったので無罪放免されるということなら、監督署はいらない。

 こんな言い逃れを防ぐためにも、最初のボタンをしっかりとかける仕組みが必要である。株式会社であれば会社を設立するには登記が必要なわけで、それを受理する法務局である。ここで業種ごとのコンプライアンスリストを作り、手渡すといったサービスをしてもらえば、もはや言い逃れはできないわけで、すべて脱法行為ということになる。今の国のやり方は、一度手づかみした魚を何もせずに川に放流し、その後に釣りに出かけているいるようなものだ。手づかみした魚は、まずそれぞれの養魚池に分けて放流しなければならない。それが法治国家というものだろう。

 同様のことは企業内でも言える。配置転換を行うなら、おのおのの部署がかかわっている法令や基準にどんなものがあるのか、きちんとリストアップしておく必要がある。そうでないとコンプライアンスはただのお題目となってしまう。今年相次いだ食品偽装事件や賞味期限の付け替え問題なども、これを徹底すれば何割かは減るはずである。

 違法行為を派手に摘発して、民衆のさらし者にして諌めるのも一つの方法である。たしかに江戸時代の刑罰は、ほとんどが見懲り刑で「のこぎり挽き」や「引き廻し」などいかにもおどろおどろしい刑で、民衆を善導しようとした。今は市民の目のかわりをマスコミが担っているわけだが、この方法でどこまで違法行為が減るかはわからない。

 21世紀の現代は、やはり事前に遵守すべき法律や法令・ルールを教えることで犯罪を減らすという王道に戻るべきなのではないか。犯罪はおこる前に、未然に防ぐことのほうが望ましいと思う。

 


名ばかり管理職とは (2008.11.01)

 

 「名ばかり管理職」は今年の流行語で、残業が支払われていない中間指導職がこぞって「俺も名ばかりだ」と声をあげているような今日この頃である。

 8月の終わりに大阪高裁で、姫路市の信用金庫で支店長に次ぐ「代理」職を務めた方が、「名ばかり管理職」だったことを認められ、解決金500万円で和解せよという勧告が出された。

 この方は2003年4月から05年12月に退職するまで支店で代理を務め、その間の残業代は支払われなかったという。この支店の管理職は支店長、代理、調査役の3名で、調査役には残業代が支払われていた。

 1審の神戸地裁姫路支部では、勤務時間に自由裁量がなく、部下の人事評価もしていないことを挙げ、「管理監督者に当たらない」と判断されており、これを受け入れた和解のようである。

 ところで、金融機関ではかなり昔から営業の便宜をはかるために「支店長代理」といった肩書きを乱発してきたように記憶している。

 そういうことを踏まえると、営業戦略としての体裁だけの肩書きなのか、それとも名ばかりの管理職であったかは、安易には線を引きにくい。

 そもそも「名ばかり管理職」に関しては、具体的な事案をさばきながら、ガイドラインを作り上げていくという段階である。

 この事例では、@勤務時間に自由裁量がない A部下の人事管理をしていない の二点が判断基準となったようである。

 この後、99日に厚生労働省は、「小売・飲食業等のチェーン店における店長等が労働基準法の「管理監督者」に該当するか否かの判断に当たっての特徴的要素」というものをとりまとめ、都道府県労働局長あてに通達している。

 それを見ると、判断要素は大雑把に言って「職務内容、責任と権限」「勤務態様」「賃金等の待遇」の3つとなっており、次のような用件に該当する場合などは、管理監督者性を否定する重要な要素となり「名ばかり管理職」の疑いが濃いと判断されている。

(1)パート・アルバイト等の採用・解雇に権限がない

(2)遅刻・早退等により減給または人事考課で不利益な取扱いを受ける

(3)時間単価に換算した賃金額が店舗所属のパート・アルバイト等の賃金額に満たない

 おそらく今後も、これに付け加わるものも続々と出てくるのだろうが、現在のところは、判例によって判断が微妙に異なっているいるようだ。やはりこれからガイドラインが作り上げられていく段階であり、まだまだ鵜呑みにはできないのだが、「体裁管理職」と「名ばかり管理職」を同一と見てよいのかどうかも、この際議論して欲しい。

 


ヘルパーと会計法 (2008.10.01)

 

 管理会計では労務費の内、正社員の基本給などは「固定費」として捉えるが、残業手当や休日手当などは、「変動費」として考える。これはこれらの数値が、売り上げの増加と正の相関関係があるためで、平たく言えば二つの数字は正比例して増える。問題はその増加割合・比率で、売上の増加率よりも変動費の増加率のほうが高ければ、原価率が高くなってしまい、売っても売っても儲からない。そこで効率化によって、残業や休出をせずにアウトプットを増やす方法を、様々模索するわけだ。

 近頃の量販店には、「ヘルパー」と呼ばれる社員ではない社員が多く配置されていて、これが労働局から摘発される事件が相次いでいる。ヘルパーの多くは派遣社員で、そもそもは量販店に商品を納めているメーカー側で働いていたのだが、商品の販売促進のために、勤務先をこちらに変えられたといったケースが多い。当然のことだが量販店側は、ヘルパーに自社の制服を用意し、また出勤日も自社のカレンダーを渡し、これに従うよう命じる。しかしこれが問題で、メーカー派遣のヘルパーに店側が直接指示すると、メーカーの労働者供給とみなされて、職業安定法に抵触してしまうのだ。

 上で説明したように、ヘルパーというのは管理会計重視の経営環境の中に咲いた、一つの「あだ花」である。ヘルパーによって売上げが伸ばせれば、変動費はアップしないわけだから、利益率は格段に良くなる。だいいちヘルパーの費用は相手持ちだ。自社の「労務費」には計上すらしなくて済む。たとえそれが労働法上違法であったとしても、使わぬ手はない。なにしろ血のにじむような工夫をせずに利益が出るわけで、企業にとっては「濡れ手で粟の一掴み」というような感じである。確信犯の企業も多いに違いない。

 ここにきて急にクローズアップされ出した「ヘルパー問題」だが、実は店頭販売主体の業界では、このようなメーカーからの販売支援は、以前からあたり前のように行われてきた。

 皆さんも経験があるだろうが、スーパーの入り口でミニスカートのキャンペーンレディに小さな紙コップに注がれた飲み物を渡されることがある。もちろんあの女性がスーパーの社員であるはずはない。もっと卑近な例では、精肉売り場で焼肉の実演販売をしているのは、たいてい業者から派遣されたオバチャンたちである。

 また家電量販店などでは、扱っている品目がどれもハイテクだから、店の販売員に質問しても、パンフレットに記載されている以上の回答は、期待できないという事情もある。メーカー各社は自社製品に精通した人間を営業の最前線に常駐させて、積極的にPRにつとめなければ商品がさばけないのだ。ちなみに我が家の液晶テレビも、そういうメーカー派遣の人から買った。

 しかし、ヘルパー=店の売り上げ増 とは限らない。量販店側にしてみれば、強引に一社の製品だけ売られては困るのだ。そのメーカーの製品が気に入らないのなら、隣の商品を買ってもらえば良いわけで、ヘルパーに対して、「あまり自社製品の良いところばかりを強調しないで、よその会社の物も売って下さい」と注意を与えてしまいたくなる、というのも人情として十分理解できる。

 それを、職業安定法を持ち出して労働基準監督官がひっくくるというのは、ある種の公権力による営業妨害ともとれる。

 考えてみるに、これは現行の商慣習が、今の競争社会体制に合致しているかどうかの問題であり、目に余るというのなら、通商産業省が乗り出して流通を整理するなどの抜本改革が必要である。 現行の「派遣法」が出来損ないの法律であるというのは、すでに明らかなのに、それを振りかざして、法令の「実績」をあげようとする今の厚労省の取り組み姿勢は、省益だけを考えた行動というほかなく、日本の景気に水を差すだけだ。

 というわけで、役人が締め上げるだけでは、この問題はなくなるまい。逆に言えば、本当に企業体力をつけたい企業は、今日からヘルパーの費用を正々堂々と労務費に付け替えて経営分析をしておくべきである。国はいっそのこと、会計法から変えてみたらどうだろう。

 


プロジェクトXの悲劇 (2008.09.01)

 

 2006年1月に「虚血性心疾患」のため愛知県豊田市の自宅で亡くなったトヨタ自動車チーフエンジニアの男性=当時(45)=について、豊田労働基準監督署が7月8日、長時間の残業などが原因だったとして男性の労災を認め、申請していた遺族に通知した。

 男性は「カムリ」ハイブリッド車開発プロジェクトの責任者で、米国への出張も多く休日出勤もしていたという。労基署が労災を認定したことについて、トヨタ自動車は「決定を真摯に受けとめ、労災の防止、社員の健康管理に今後とも努めていきたい」とコメントしている。

 NHKの人気番組プロジェクトXはすでに放送を終了しているが、企業の最前線では今この時点でも、さまざまなプロジェクトが現在進行形で動き続けている。トヨタ自動車にとって、カムリという車種はアメリカ大陸のベストセラーカーで、カローラと並ぶ経営の柱となっている車だ。またハイブリッド技術といえば、いまや同社の金看板である。したがって、カムリのハイブリッド化は社運をかけた一大プロジェクトであり、その責任者に選ばれたということは、大変な名誉であったろう。大きく言えば、男性は日本の車産業発展の歴史に足跡を残すようなポジションに上り詰めたと言っても過言ではない。しかし彼は、華々しい足跡を残すことなく、「産業戦士」として名誉の戦死を遂げてしまった。まことにもって残念である。

 物事が革命的に変わるときには、計り知れないパワーを必要とする。それはミクロ的に見れば、その事案に携わる一人一人が発揮する力の集積に他ならないわけだが、おざなりの作業では現状をブレークスルーすることは出来ない。「情熱」を持って、アドレナリンを搾り出して取り組まなければならない。

 しかし、情熱を傾け死力を尽くして課題に取り組んでいると、いつの間にか真の危険水域に踏み込んでしまうことがある。要するに仕事に熱中しすぎて、死線を越えてしまうわけだ。法律による規制だけで、この手のトランス状態をコントロールするのは、まず不可能であろう。チームの加熱しすぎは、プロジェクトマネージャーのパーソナリティーによって解決するしかない。

 その意味では冷たいようだが、カムリhのリーダーに及第点を与える事は出来ない。男性の死を無駄にしないよう、自動車メーカーはこの「管理の要諦」を胸に刻んでおくべきかもしれない。


医師は労基法の守備範囲なのか (2008.08.01)

 

 日本の医師不足は深刻である。従事者が少ないゆえ、先生一人一人に負担がかかっているようだ。これは一見すると一般企業の正社員と同じ構図のように思える。背負わされた膨大な仕事をこなすためには、長時間労働するしかない。しかしそれをすべて残業時間として認めてしまえば、労務費が膨れ上がって病院が労務費倒産ということになりかねない。というわけで、病院経営者が「名ばかりの管理職」という禁じ手を使ってしまったというシナリオだ。だが、ちょっと待ってほしい。

 医師不足は本当に経営のスリム化(リストラ)で生じたのだろうか。国は20年以上前から、医師数の抑制を図ってきているのだ。その理由は「医療教育機関の問題」などと説明されているようだが、これはマユツバである。とどのつまりは、医師が増えすぎると一人当たりの収入が減ってしまうので困るといった、医師会側からの圧力があり、開業医の意向が強く反映されているらしい。言ってしまえば、「利権」がらみで生じた人手不足という側面が強い。

 同様な事例は法曹界にもある。10年ぐらい前から、「日本の裁判が異常に長いのは、裁判官や弁護士、検事が少ないからだ」という主張が大勢を占め、雨後のたけのこよろしく、法科大学・法科大学院がどっと増えたのはご承知の通りである。それで、このところ弁護士の数が年々増加しているのだが、この夏弁護士会はこうした弁護士の「濫造」を続けていると、レベルが下がってしまうので、法曹人口を絞るべきだと緊急提言した。弁護士の数が増えても、訴訟件数がそれとリンクして増えるということはないから、一人あたりの件数が減ってしまい、収入が下がったということがその背景にあるようだ。

 「客観的にみて」不足していても、その不足によって、利益を得ている人がいるというのが、現実の社会である。不足を解消するということは、利権が失われることにほかならない。独占企業が高収益を得やすいということを思えば、このからくりは誰にでも納得できる話だろう。まあ、この話はここで止めておく。

 ここで問題にしたいのは医師という職業が、労働者にあたるかどうかという点である。

「残業手当も支払われていない名ばかり管理職」の医師と耳で聞けば、なにやら同情したくもなる。だが、そのほとんどはメルセデスベンツなどの高級車で通勤し、要塞ともみまごう大きな一戸建ての住宅に住んでいる。こうした現実も忘れてはならない。他の業界でこんな「労働者」はいるだろうか。「命を預かっている仕事なのだから、給料が高いのは当然だ」と反論されてしまえば、ぐうの音も出ないし、「開業医に比べれば、月とすっぽん」という主張もあるだろう。しかし、たとえばタクシーの運転手だって、人の命を乗せて走っている。

 それとはまったく別の尺度で、医者になるのには大金を掛けざるをえないのだから、それを取り戻すためには高給が保証されなければ不公平という考え方もある。なにやらもっともらしいが、それを認めてしまえば、音楽家のように小さい頃から金を掛けても、食っていくのがやっという職業が存在しているのが「ヘン」ということになってしまう。あんたは年がら年中サイフの中身を気にしながら暮らしている貧乏人だから、金持ちの苦労がわからないのよと言われてしまえば黙るしかない。

 ただし、金持ちにだって「過労問題」があるというのは認める。いや、収入が多いということはそれだけ長時間働いていると考えるべきで、疲れているのは間違いないだろう。しかしそっちは医師の場合、自分の専門分野であるわけで、純粋に健康管理の問題として議論されるべきである。それを「残業手当を支払ってもらっていない」と主張するのは、問題のすりかえのように思えてしまう。医師という職業を、労働基準法の労働者の網の目で捕らえようとしていること自体、的外れではないのか。

 


流用にはご用心 (2008.07.01)

 

 製造現場の第一線は創意工夫であふれている。カイゼンするためには、柔らかあたまの発想が必須だから、新製品や新工法の研究開発の現場では、日常的に様々な家庭用品が、あっと言うような使い方で利用されている。

 たとえば自動車のブレーキを鋳造する際には、鉄を溶かす溶解炉に小麦粉(フラワー粉)が投入されている。それによってダクタイル鋳鉄という、硬くて緻密な鋳物ができるからだ。また、ガラス瓶の再処理工場の金属コンベアは、固形の洗濯石鹸ですべりを良くしている。

 こうした部外者から見ると奇想天外と感じられるノウハウの多くは、現場担当者の工夫の賜物である。もちろんこの手の技術は門外不出となっていることが多いので、世間にはあまり知られていない。

 さて、去る4月8日、1993年に死亡した東京の男性を、足立労働基準監督署が労災認定した。時計用精密部品を加工する際に、アスベスト(石綿)を含んだベビーパウダーを吸い込み、中皮腫を発症したというのがその理由である。時計部品とベビーパウダー?と首を傾げたくなるが、時計の軸受け部品の際に大量のベビーパウダーを使っていたというのだから、これも作業改善の一つだったのだろう。

 今更言うまでもないことだが、世の中に存在するものは、想定していない使い方をすると、思わぬ副作用が出てしまうことがある。米国ではインフルエンザワクチンが変質しないように、市販の「防腐剤」を入れるというカイゼンを行っていて、それにより子供の自閉症が増えたというデータもある。日本でも多くの医療機関で血液検査器具を使いまわすという「カイゼン」をしていたことが分かって、さきごろ問題となった。

 この労災認定もその類と考えて良い。そもそもベビーパウダーというものは、時計部品の製造会社に資材として納品されることまで想定された商品ではない。だから「流用」は絶対だめだなどと言っていては、カイゼンが滞ってしまう。ここはやはり、それを資材として購入するようになった段階で、会社のほうが労働衛生的な判断を働かせて、埃が舞うようだったらマスクを支給するといった「配慮」をするべきだった。家庭用品=安全ととらえてしまった管理部門の安全感度の低さが、問題の根本にあるような気がする。

 


恥と残業申請 (2008.06.01)

 

 同一労働は同一賃金にすべきとのスタンスに立てば、賃金の高は労働の成果によってのみ決まるとしなければ変だ。だがご承知の通り、現実には労基法の縛りもあって、賃金特に時間外労働は労働時間によってのみカウントされ、支払われている。というわけで、効率的に所定時間内に仕事を仕上げた優秀な人たちよりも、のんべんだらりと仕事をした連中のほうが、賃金総額が多いというおかしな現実が生じてしまっている。

まっ、そのことは別の機会に論ずるとして、ここでは労働時間の「適性」な把握の仕方について考えてみたい。

 誰でも知っている「タイムレコーダー」は、時間を馬鹿正直に記録するだけの機械だから、これこそ時間管理の決定打だと思うかもしれない。しかし、その設置場所や台数が問われる場合もある。大きな工場などでは、更衣室の前にレコーダーを設置し、そこで打刻してからユニフォームに着替え、おもむろに自分の持ち場に行くというところも多い。メーカーなどでは配属場所に着くまで、20分以上かかるなどといったケースはざらであろう。帰宅時は汚れた手などを洗い、逆の手順を踏んで戻って繰るわけで、打刻時刻だけを鵜呑みにすれば毎日30分近くの残業代を払わなければいけなくなる。といって、各職場にタイムレコーダーを一台ずつ設置するというのも、現実的には厳しい場合も多い。そこで、というわけでもないだろうが、レコーダーをなくして自己申告にしている企業が結構ある。

 ところで、今年の3月17日に大阪大(大阪府吹田市)が、2005 10月から昨年9月までの2年間で同大医学部付属病院の看護師を含む計 229人に総額約1億 620万円の未払い残業代があったと発表した。同大では残業時間を勤務管理簿に自己申告で記入する方式で、「特に残業を抑制するようなことはなかった」(人事課)と説明している。むろん私は、大阪大学がどんないきさつで、自己申告制度を導入していたのかは知らない。いきさつも理由も知らないのだが、時刻の計測が機械から個人の手に戻った途端、賃金の算定基準が仕事の質へと変容してしまうということは知っている。

 どういうことかというと、「あいつと同等の仕事をしているのだから、俺だけ残業申請してはまずい」というふうに変わってしまうのだ。いうまでもなくここでいう「あいつ」とは、仮想ライバルのことだから、自分よりも優秀で仕事も早い。こうした心理の根底には、日本人独特の「恥」の意識があるように思う。ちょっと乱暴だが、日本の高度成長はこうした個人の「恥」の意識に支えられてきたと言っても良いだろう。

 さて、昨今の教育現場を傍観すると、子供たちから「恥」の心を取り去ろうと躍起になっているようで心配である。「恥」を失ったら、この国などあっという間に先進国グループから脱落してしまうということを、教育関係者は肝に銘ずるべきである。国は本来評価すべき日本人の特性を、怠惰の方向にゆがめているように思えてならない。

 


OHSASと本当の危険予知 (2008.05.01)

 

 2003年の8月に山梨県の某製缶工場で転落事故が起きた。缶詰の缶は蓋を叩いて検査する。そのために検査員は、ベルトコンベアー上を流れていく缶を見下ろすような位置で作業しなければならない。この工場では作業場所として、高さ90センチの作業台を用意していた。被災した作業者は、どうやら勤務中に意識を失い、作業台から落ちて頭部を強打してしまった。不幸にもこの作業者は3ヵ月後に帰らぬ人となってしまった。無論労働災害である。

 この事故は死亡した作業者が派遣社員だったため、死亡者の両親は派遣元の人材派遣会社と派遣先の容器メーカーの両社に損害賠償を求めた。東京地裁で今年の2月にこの判決は出たのだが、裁判長は直接雇用関係がない派遣先の責任も認め、2社に計5100万円の支払を命じた。と、こういう観点で取り上げてしまうと、派遣元と派遣先の責任の負い方という点だけに関心が向いてしまうのだが、ここではあえて、『安全配慮義務』について考えてみたい。

 損害賠償を命じたくらいだから、むろん裁判長は両社に「安全配慮義務」が欠けていたと判断を下している。そのうち、派遣元に対してはそのものずばり、「転落防止の措置を取らなかった」点。派遣先については、「同社の機械・設備が設置された場所で作業が行われ、管理もしていたと指摘し、実質的に使用者と労働者の関係が生じており、安全配慮義務を負う」と指摘している。まあ、要するにこちらに対しても転落防止の対策をすべきだったということになる。

 わずか90センチの高さであっても、労働安全の上では「高所作業」という位置づけになる。OHSASのリスクマネジメントに従えば、こういう場合は転倒防止用の柵をとりつけるなどの物理的な対策が望まれるところだ。ただし、現実の現場では、そう簡単に対策が行えないケースも多い。

 ビールのコマーシャルなどで、中身が充填されたビンがものすごい速さで流れていく様を見たことがある方も多いと思う。実際の製造現場というのは、機械のスピードに人間が対応しなければならないという過酷な条件で回っている。ビンや缶を扱っている工場では、製品が川のように流れているのだ。その流れを止めずに検査し、場合によっては部品を取り付けなければならない。現場作業を実際に経験すればわかるが、これは文字通り目の回る仕事である。高所と目が回る作業という二つのリスクが重なっているのだから、これは危険である。

 これがもし通常作業でないとすれば、ヘルメットを装着させるなどし、作業者側への注意喚起でも済ませられる。しかし、恒常的なものであるなら、転落防止の柵を作るだけでは根本解決には至らない。作業性を考えるならば、製品と同じスピードで動く架台を設置するか、もしくは作業者の前に「製品たまり」が出来るような迂回路を作れば良いと思う。まっ、いずれにしろ設備の変更だから金がかかる。そのためここまでの対策を実際に行う企業はごくわずかである。しかし、実際に行えば安全と効率とが同時に手に入る。

 もっとも安全対策を全面的に設備に頼っていても、ゼロ災害は達成できない。人側の対策ももちろん必要である。それは作業者自身が意識的に取り組まなければいけないのだが、これは「どういった状態が危険か」という教育、ケーススタディを繰り返し行うことで身に付けるしかない。

 最初の問題に戻ってしまうが、そこで問題なるのが、社員教育のほとんどが正社員のみを対象に行われているという実態である。経営者にしてみれば、いつやめるともつかぬパートやアルバイトに、金を掛けて教育してやる余裕などないというのが本音だろう。が、少なくとも最低限の安全教育だけは行わなければならない。そしてどうせやるなら、身につく方法で教育をしてほしい。むやみに金を掛けろというのではない。危険を想像できる感性さえあれば、手法は工夫できる。これが本当の「危険予知」である。

 


管理職のために残業を減らせ (2008.04.01)

 

 多くのサラリーマンにとって、「管理職」に昇進するのは一つの目標であり、はっきりと目に見えた一里塚といっても良い。管理職になれば、部下を動かして大きな仕事をすることが可能になるし、収入もぐんと増える。したがって生活にもゆとりが出来、社会的なステイタスも手に入る。まさにいい事ずくめのはずなのだが、近頃はこれに関して、一筋縄ではいかなくなったようだ。

 会社組織に限らず大きな権限の裏側には、同じ大きさの責任がべったりと糊付けされている。最近はこの責任のことを、「課題」とも「ミッション」とも呼んでいる。この重圧に耐えきれず、うつ病になってしまう人も多い。

 さて、それについては別の機会に譲るとして、管理職の収入が部下の収入よりも低いという会社は結構ある。それは慢性的な長時間労働により、部下のほうに時間外割増がついていることが原因である。正論を振りかざすなら、こうした職場ではまずはじめに、残業を減らさなければいけない。ところが、言うは易く行うは難し。そんな場合は、次善の策として管理職手当の額を、最大残業者の残業手当以上に設定するしかない。

 日本マクドナルドが店長を管理職扱いにして残業代を認めないのは違法だとして、埼玉県内の直営店店長が未払いの残業代と慰謝料などを求めた訴訟の判決が、東京地裁で1月にあったのは記憶に新しいところだ。地裁は結局、直営店店長について「管理監督者には当たらない」としたのだが、マクドナルドは残業を減らす政策も、適切な額の管理職手当も支払っていなかった。そこで御用となったわけだ。

 しかし現下の経営環境で、管理職手当を野放図に上げてしまったら、労務費倒産になりかねないという声もあろと思う。となればやはり、最初に戻って残業を減らす方策を、経営幹部がまじめに研究しなければならないということになる。やり方はいろいろある。工夫することを忘れてはならない。

 


仕事の線引き (2008.03.01)

 

 トヨタ自動車の堤工場(愛知県豊田市)に勤務していたUさん=当時(30)=が 、2002年不整脈で死亡した。彼は製品の検査業務を行う品質物流課で、中間管理職として他部門との調整などを担当していたが、02 2月、工場で業務の申し送り帳を記入中に倒れ、約 2時間後に死亡したのである。妻の博子さんは遺族年金などの支給を申請したが、豊田労働基準監督署は 03 11月、「死亡直前の時間外労働は 45時間余にすぎず、過労死とは認められない」として不支給処分とした。その後博子さんは不服申し立てをしたが、それも退けられ、現在は労働保険審査会に再審査を請求中だという。

 原告側は、業務外とされている品質向上のための話し合いや新人教育などを含め、死亡前 1カ月間の時間外労働は約 144時間に上ったとし、合理性を追求した「トヨタ生産方式」の下で、疲労を蓄積させたとも主張している。

 品質向上のためのQCサークル活動を時間外勤務とみなすかどうかについては、いまだ定説がない。これはとどのつまり、働く人を性善説でみるか、性悪説で見るかが揺れていることによる。「わが社の社員は、全員品質を常に向上させたい」と考えているという見方に立てば、命令をしなくても自主的に品質向上の活動をするのが当然で、「それは業務とはいえない」という言い分になる。逆に命じなければ向上心など出て来るはずがないと考えれば、QC活動もすべて作業となり、イコール残業ということになる。もちろん、ほとんどの経営者は、労務費の関係もあって、前者のような社員ばかりであることを望んでいる。

 ところが現実の職場にはどちらのタイプの従業員もいる。筆者も経験があるが、仕事でも勉強でも、無理やりやらせられていると感じているうちは、面白くもなんともない。そのためか成果もほとんど現れない。それが、ある日なにかの拍子に、突然面白さに目ざめてしまうということがある。こうなると、ランナーズハイのようなものだから、もはや周囲の人がそこまでしなくてもというくらい、のめりこんでしまうことになる。

 はたしてこのような状態で、「過労死」してしまった場合、責任はいったいどこにあるのか。勝手にやった本人が悪いと切り捨ててしまって良いものか?たとえ命じていなくても、その人の手がけた品質向上で会社が多少なりとも利益を出したのだと考えれば、使用者責任は免れないと考えるほうが自然ではないのか。

 現在のように直前の残業時間だけで、労災であるかないかと機械的に判断させるのは、どこか片手落ちに思える。このあたりは、今後厚生労働省に再考を仰ぎたい。

 


派遣法は欠陥法? (2008.02.01)

 

 昨年12月に神戸刑務所(兵庫県明石市)が、業務委託契約に基づいて派遣された管理栄養士や事務員に対し、職員が直接業務内容を指示・命令する「偽装請負」をしていたとして、兵庫労働局から是正指導を受けたという。

 同刑務所は東京都内の人材派遣会社と業務委託契約を結び、2007年4月から同社が派遣した管理栄養士1人と事務員約 20人が勤務していた。

 同刑務所は、派遣社員に対して日常的に指示を出していたほか、契約時間外の会議出席を直接命じたりしていたという。また業務委託契約書には、時間外労働について、必要な場合は刑務所側が直接命じることができるとも定められていた。

 派遣された労働者に業務上の指示を直接出したり、労務管理したりすることは労働者派遣法で禁じられている。

 国や公営の仕事が「民営化」されていくのは、時代の流れなので仕方がない。郵政省のように組織全体がそっくり民間会社になってしまうケースもあるが、ほとんどの場合は「民間委託」という形で、部分的に民営化されていく。たとえばそれまで公務員がやっていた仕事を、単価の安い派遣社員にまかせるといったふうにだ。だが上司の意識としては、これは部下の入れ替えに過ぎない。したがってどうしても、今までどおりの忠誠心を相手に求めてしまう。

 これは至極当然なことで、民間企業でも正社員を派遣社員に置き換えたときにこういうことは起こる。そもそも「派遣社員は派遣元の指示に従え」というのは、現場の指揮命令系統を無視した建前論である。それを明文化してしまった現行の派遣法は欠陥法と言わざるをえない。建前と本音が乖離したまま放置すれば、所得格差を偏重するだけだろう。企業としては、派遣社員を順次「準社員→正社員」として直接雇用に変えていくより、目下のところ自衛手段はないのかもしれない。

 


新春に「人を使うということ」を考える (2008.01.01)

 

 水質プラント会社の浄水場所長として勤務した夫が、過重な業務が原因でうつ病になり、自殺したのに労災認定しなかったのは不当だとして、昨年11月、近畿在住で 40代の女性が国を相手に労災不認定処分の取り消しを求めた訴訟の判決が、大阪地裁であった。判決は「業務と自殺に因果関係あり」というもので、処分は取り消され労災認定されたのだが、この問題を考えてみたい。

 亡くなった夫は、浄水場の所長として近畿地方で勤務し、2002 9月以降は人事や営業などの仕事も兼務していたという。

 上司らに兼務は困難と訴えたが、上司らは「逃げてどうする」と答えたり、宴席で「何をやらせてもだめだ」と批判したりして、まともに取り合ってくれなかったという。そのため、同年11月、彼はうつ病を発症し 47歳で飛び降り自殺した。

 この稿では、法廷で問題にされた自殺と仕事との因果関係ではなく、上司が口にした「逃げてどうする」という言葉に注目してみたい。

 部下が「もう限界です」と申し出てきた時、あなたならどう対応するか?

 こちらに心理的な余裕があれば、親身になって相談に応ずるに違いないが、第一線の現場というのは、えてして上から下まで仕事量が多く、あっぷあっぷしているのが普通だ。そのため多くの上司は、とりあえずがんばってくれという希望を込めて、「逃げてどうする」「この程度のことに負けてどうする」といった類の言葉を返して、お茶を濁してしまいがちである。本音を言えば、こうした言葉は相手に対してというより、自分に対しての叱咤激励という面が強いのではないか。

 しかし、言われたほうはたまらない。最後のとりでであると信じ、満を持して打ち明けたのに、木で鼻をくくったような対応をされたのでは、絶望するしかない。なぜこんなことになってしまうのか。

 どうやら日本人は、「精神一到何事かならざらん」というのを、まだ心のどこかで信じている節がある。スポーツ観戦をしていて、ひいきにしているチームの形勢が相当悪くなっていても、気合で挽回できる信じ込んでいる人は多い。また現実にスポーツ界では、しばしばそういうことが起こるものなのだ。しかし、ビジネスの世界で、この公式が成り立つかどうか。その可能性は、限りなくゼロに近いのではないか。

 逆立ちしても実現不可能な課題を与えておいて、返す刀で精神論を述べるというのは反則である。これでは仕事を与えた側が、最初から現実逃避しているようなものだ。私は常々科学もまやかしの一種に過ぎないと思うのだが、それでも科学的に対処してくれたほうが、部下は救われると感じる可能性が高いのではないか。


パワーハラスメント対策 (2007.12.01)

 

 私の気のせいかもしれないが、労働界では近頃、「セクシャルハラスメント」よりも「パワーハラスメント」のトラブルのほうが多くなっているような気がする。たとえば10月に東京地裁で判決の出た某製薬会社社員うつ病自殺事件では、上司の係長から「目障りだ消えてくれ」「給料泥棒」などという言葉の暴力を恒常的に浴びせかけられていたという。また、盛岡の自動車部品販売会社で、「辞表を書け」「やる気があるのか」と営業部長から叱責されて自殺に追い込まれた事件が、やっと労災が認定された。不思議なのは、この手の「事件」が、受付窓口である労働基準監督署で、「労災ではない」と門前払いされてしまうことである。

 というのも、上であげた二例は裁判と保険審査会の違いはあるものの、労災の認定を争った事件なのだ。要するに訴えられたのは国であって会社ではない。したがって、法廷では国が会社に代わって上司の暴言について弁解をしている。

 国は労働行政として、この手の「社内のいじめ」(パワーハラスメント)について、根絶するよう指導推進している立場である。そういった観点に立てば、会社を弁護する側に回るという構図は、それ自体首を傾げざるを得ない。が、まっ、人というものは、立場が違えば、手のひらを返したような言動を吐く生き物だからしかたないと理解するしかないのだが、官僚が「暴言」を「指導である」としらじらしく言い換えるのには肝を冷やした。

 それはともかくとして、パワーハラスメントで問題にされるのが、もっぱら上司の暴言、言葉の暴力であるというのが気になる。くだんの上司に、「今後はこのような暴言を吐くな」と注意すれば、それで問題が片付くのだろうか。眼は口ほどにものを言うと言う言葉もある。暴力は言葉だけではあるまい。「窓際族」の多くは、昔から疎外されていると感じていたはずである。

 言葉遣いや人に接する態度というのは、学習によってある程度は変えられるかもしれないが、生まれ持っての性格はどうだろう?矯正の効果については、限定的に見積もらなければなるまい。とすれば、そもそもこういう人物を、部下を指導する立場につけたのが間違っている。そうなのだ極論すれば、こういうタイプの人を採用しなければ良いのだが、採用時にそれを判断するのは現実には無理だと思う。

 不祥事の謝罪会見を見ていると、多くの企業組織が「今後はこのようなことが内容、万全を期す」と言うが、役職任免基準にまでメスを入れなければ、本当の対策とは言えまい。さらに付け加えるならば、部下が三十代に入る前に、少なくとも2つ以上の職場を経験させ、いじめに対する耐性を付けておくというような試みも必要かもしれない。

 


コンプライアンスの要諦 (2007.11.01)

 

 組織にはそれぞれ、機密事項というものがある。メーカーであれば、それは新製品の仕様・スペックであったり、デザインであったりする。人口に膾炙しているのは「個人情報」で、これはどんな組織であっても、みだりに外部には漏らしてはいけない。

 さて、9月11日に松山地裁で、愛媛県警の捜査費不正経理問題を記者会見で告発した県警巡査部長が、報復人事による配置換えで精神的苦痛を受けたという訴訟の裁判があり、原告側の主張が認められた。裁判官は報復人事と当時の県警本部長の関与を認め、請求額全額を支払うよう県に命じたのだが、この件をタネについて少し考えてみたい。

 ニュース報道によると、いきさつは概略次のようなものである。

 原告の巡査部長は 2005 1 20日の記者会見で、1973 95年に勤務したすべての署で偽造領収書作成を依頼され、裏金づくりの手段になったと発表している。その後に拳銃所持を禁じられ、鉄道警察隊から通信指令室への異動を命じられたのだが、県人事委員会は昨年 6月、不服申し立てを認め、その後鉄警隊に復帰した。

 県警は指摘された事実を内部調査では確認できなかったとする一方、これとは別に 98 04年度の捜査報償費(県費)や捜査費(国費)で、計約 436万円の不適正支出を認め、県や国に返還した。

 と、こういうことなのだが、本件の報復人事は一体何に対する「報復」だったのか?を考えてみたい。

 警察の「メンツ」を潰されたという感情論を脇に置けば、やはり情報を許可なく漏洩したという点が、幹部の逆鱗に触れたのだと思う。

 しかし裁判結果からも明らかなように、それは本来隠すべき「機密」ではなかった。冷静に考えれば、組織内部の不正が「機密」であるはずはないのだが、胸に手をあてて考えれば、誰にでも不正や不適切な処理を見逃してしまった経験は、一度や二度はあるのではないか。そういうことが一度もないとすれば、よほど無責任に日々を送っているだけの人だと思う。

 自分がミスを犯してしまったとき、大きな声で「それを間違えたのは私です」「実は不適切なことを見つけてしまいました」と公言するのは、とても勇気がいる。もちろん一人一人が、その勇気を持つ必要があるのだが、出来れば幹部が、言い出しやすい環境を整えてやることも必要である。組織のコンプライアンスとは、つまるところそんな部分で守られるものなのではないか。


格差解消には、現状直視が必要 (2007.10.01)

 

 この夏行われた群馬県の知事選、その後の参院選挙では、多くの候補者が「格差是正」を声高に叫んでいた。9月末に行われた自民党総裁選でも、またこれがテーマとしてあげられていた。格差問題の元凶を○○であると決め付けることは難しいが、競争至上主義をその一つにあげても反論する方は少ないのではないか。政治家が共通して唱えるのは、「低い賃金はあげる」「労働時間は短くする」などといった耳障りの良いマニュフェストである。

 東京商工会議所が7月にこうしたマニュフェストに対して、冷や水を浴びせかけるような決議をした。その要旨は以下の3点にまとめられる。

1 賃金支払能力を無視した引き上げには反対!

2 労働時間の規制緩和を!「自己管理型労働制(日本版ホワイトカラー・エグゼンプション)」導入を可能にして欲しい。

3 労働者派遣法の規制緩和を!対象業務を拡大し、派遣期間の制限を撤廃すべき。

 一言で言えば、「格好のよいスローガンを叫ぶ前に現場を見てくれ」ということになろう。

 支払能力とは、企業の財布の中身のことである。これをのぞきもしないで、問答無用に「もっと払え」と迫るのでは、ヤクザと変わらない。労働時間の短縮問題だって、今の日本の生産効率(能率)は先進国中で最下位レベルなのだ。このまま時間ばかりを短縮してしまえば、国際競争の土俵にもあがれなくなる。

またワーキングプアーの製造元とされている派遣労働者問題にしても、いまだに適性を見てから受け入ることはダメとされていて、これではどんな人が来るか分からない。したがって賃金は安易には上げられないとなる。

こうした3つの要望が現場の声であると理解し、新政権では今後の労働行政の舵取りをしてほしい。


石を投げれば店長に当たる (2007.09.01)

 

 7月に紳士服販売大手の「コナカ」(横浜市)が、店舗所属の社員の約4割を、残業代支払いの適用を除外されている管理・監督者(店長)にしていたとして、横浜西労働基準監督署から指導された。

 発端は労組(全国一般東京東部労組コナカ支部)から出た話で、前々から「時間外労働などをさせているにもかかわらず、割増賃金が支払われていない」という不満がくすぶっていたらしい。

 これに対して、会社は「店長の職務の在り方や管理・監督者としての職務権限を再考するなど、必要な改善に取り組んでいきたい」とのコメントを発表した。

 労務費抑制=「大きな経営課題」と考えている企業の多くは、伸び続ける残業代が諸悪の根源と考えている。正規社員の基本給は、採用と直結していることもあって、同業他社の動向を睨みながら毎年多少なりともアップしなければならない。そのため、それをベースに割増される残業代は、黙っていても年々上昇してしまう。

 そこで「ある年数を経過した者は、すべて管理職にしてしまえば良いだろう」という安易な発想が生まれる。たとえ監督署に指摘されても、「うちの会社に3年もいるのは珍しい。役職をつけてどこが悪い」と開き直る会社が多い。このようにして違法なサービス残業が、水面下で広がっている。

 確かに使用者側の人間にしてしまえば、時間外割増手当を支払う必要はなくなる。ただし、それは残業を強いられる立場でなくなったからだ。名目だけの管理職が、延々と残業をしている事実があるとすれば、業務のやり方に無駄が多いという証しである。無駄を省いて残業そのものを減らすということが、残業代カットの王道であろう。そして、その王道を歩き通した組織だけが、必要人員の削減という果実を受け取れる。

 通常業務が安いコストで難なく回せてこそ、企業体力がついたということだ。残念なことに背広を新調するほどのゆとりもないが、「コナカ」の今後の対処には注目してみたい。


プラスの気概をもって (2007.08.01)

 

 経済指標は依然として、日本の景気が「いざなぎ景気を超えた」ことを示しているらしい。にも関わらず、ここに来て従業員を大幅に削減する企業が、増えている。この数年の間に、産業界のグローバル化は本当に進んでしまい、ちょっとした規模の会社なら、外国に複数の拠点を持っているのが当たり前となってしまった。

それにひとたび株式を公開すれば、どんな片田舎に本社を置いていても、すぐに外国の投資ファンドに株を買われてしまう。資金の国際化は、我々の想像よりもよほど先へ行ってしまっている。

 ところで言うまでもないことだが、売価に占める原価の割合を下げれば、利益は増大する。メーカーにしてもサービス業にしても、原価に占めるコストで最大のモノは労務費である。世界規模で考えれば、日本の労務費は高い。まるで三段論法だが、グローバル化した企業のトップが、日本の従業員を解雇したいと考えるのは、当然の流れなのだ。これが現在の「日本企業」の好景気を支えている経営テクニックなのだ。だがこれで良いのか。

 コスト削減だけに邁進するのは、売値が下がる一方と見ているからで、品質や機能のレベルが限界に達したと諦めてしまったことを意味する。これは成長を放棄したゼロサムの思考である。確かにゼロサム社会で生き残るためには、効率を際限なくあげなければだめだ。しかし、これでは働く人は報われまい。今産業界に必要なのは、新しい価値を付けた製品やサービスを作り上げようという気概なのではないか。「そんな夢みたいなことを言われても」というなかれ。たとえ心意気だけであっても、プラスサムの会社に脱皮すると宣言すれば、働く者にも好景気を実感しようという希望が出てくるはずである。


主張する前に礼節を持て (2007.07.02)

 

 過労自殺で労災と認められた案件の内、いったいどれくらいの件数が和解に持ち込まれているのか、浅学のため実態を把握していない。法廷というのは、物事に白黒の決着をつける場である。そのため労災事件の場合、発生した事故の責任が使用者側・労働者側のどちらにあるかが、どうしても焦点となってしまう。しかし、裁判は犯人の確定でケリがついても、遺族の気持ちはどうだろう。

2002 4月、自動車メーカースズキの社員が自殺した。

社員の両親はこれを、長時間労働によるうつ病が原因だとして同社に損害賠償を求め、訴訟になっていた。結局この裁判は5月14日に、同社が両親に和解金 6,000万円を支払うなどの条件で、東京高裁(一宮なほみ裁判長)で和解となった。

 この裁判、一審においては会社側に「安全配慮義務違反」があったと認めている。要するに会社がクロであると判定されたわけだ。

 その判決に会社側が納得できなかったため、当然という形で上告した。こういうことが続けば、遺族は何度となく法廷に引きずり出され、延々と法律論争に付き合わされることになる。

今回の東京高裁の和解勧告は、そうした法廷闘争は法曹関係者に利をもたらす()だけで、無意味であると判断したものだと思う。

その証拠に、会社が安全配慮義務違反はなかったと主張したままで、ピリオドを打つことを決めた。「なんだ、妥協じゃないか」と言うなかれ。被災者の母親は、「これで息子の魂も浮かばれる」と納得しているのだ。この点は注目に値する。

 昨今の日本人は礼節を忘れてしまっている。本当に従業員を大切にする企業ならば、責任があろうとなかろうと、労災被災者に対してまずは心から哀悼の意を示すはずである。犯人探しの前に、企業人は人間性を取り戻さなければいけない。

 折りしも、母子を殺害し無期懲役を求刑された元少年に、十人以上の弁護士がついて、法廷で主張を二転三転させているというニュースがあった。元公安調査庁長官の詐欺などを聞くにつけ、礼節をわきまえなければならないのは、まず法曹関係者ではないかと思う。


社内の行事で飲酒し、帰宅途中に事故にあったら (2007.06.01)

 

 社内の行事として開かれた飲み会に出て飲酒し、その後帰宅途中に地下鉄の駅の階段で転落死した男性が、3月に東京地裁で労災と認められた。

 判決によると、男性は 1999 12月、東京都中央区の勤務先2階で開かれた会議の後、午後5時ごろから6階で開かれた会合で缶ビール 3本、紙コップ半分ほどのウイスキーを 3杯飲んだ。午後 10 15分ごろに退社し、約 10分後、地下鉄日比谷線築地駅入り口の階段で約 18段下の踊り場まで転落。頭を強く打ち、病院に運ばれたが死亡したとのこと。

 労基署は 2000年に「通勤災害ではない」とし、労災保険の不支給決定をしていたが、このほどその決定が覆された。

 法廷では労基署は「会合は業務ではない。飲酒量も相当あった」と主張したが、裁判所は「酒類を伴う会合でも、男性にとっては懇親会と異なり、部下から意見や要望を聞く場で出席は職務。飲酒は多量ではなく、酔いが事故原因とも言えない。降雨の影響で足元も滑りやすかった」と判断した。

 結果だけをみると、「業務がらみで飲酒した場合、その後の帰路はすべて通勤災害としてカバーされるのか」と早合点されそうだが、そうではあるまい。

 そもそも判決では、「酔いが事故原因とも言えない」と指摘している。缶ビール3本、ウイスキー1.5杯の酒量は、個人的には少ないとは思えないのだが、アルコールに強いか弱いかは、この際棚上げにするしかない。

 要するに裁判所は、通勤途中で誤って階段から落ちたという事例であると解釈したわけだ。マイカー通勤の多い地方都市では、就業時間中に酒類が供されることはまずないと思う。しかし、それでもISOなどの認証が決定した後、「打ち上げパーティー」と称し席が設けられ、その場で形ばかりの乾杯を行うといった例はあると思う。

 まさかそんな場面では、正体がなくなるほど酔ってしまう猛者は少ないだろうが、開催される時刻などを考えれば、疲労がピークを迎えている者が多いだろう。ということは、帰りがけに不慮の事故に遭う確率は結構高い。

 そんな場合に労災(通勤災害)と認められるか否かを分けるのは、飲酒の量ではなくて、実は帰宅経路である。労災として認定されるためには、通常と同じ経路で帰宅中であったというのが必須条件となる。本件も通常通りの経路で地下鉄に向かったことで、遺族は救われたのである。仮に、2次会へ繰り込んだ後の被災であったら、補償はされなかったと思う。

 


格差是正には労組もふくめた意識改革が不可欠 (2007.05.01)

 

この春、ユニクロをはじめとする有名企業数社が、パート・契約社員を正社員に登用していくという方針を打ち出した。実際の事情は企業によってまちまちだろうが、対象となるパート・契約社員の勤続が長くなり、身につけた知識経験が見過ごせなくなってきたということは、総じて言えるのではないか。正社員枠で採用する新卒が、自社のノウハウをマスターし、利益を生み出せる人材に仕上がるのは数年後のことだから、その間会社は労務費的には赤字基調となってしまう。それが、パートの登用であれば、まさか同年齢の正社員トップの給料まで賃金を見直すはずはないから、支出は最小限に抑えられてロスが少ない。そんなそろばん勘定が働いたのだと思う。

 ところで、従業員の処遇格差を是正するには、採用時の「入り口」を一元化するのがもっとも手っ取り早い。逆に言えば、「正社員」「契約社員」「パート・アルバイト」といった雇用形態別の採用をしている限り、大なり小なり格差は残る。その上雇用形態というものは、採用する側にその意図がなくても、「社内身分」として固定化されてしまうので厄介である。例えばパートタイマーは正社員に頭が上がらなくなり、契約社員は自分の仕事に責任を持たなくなる。

 コストの大分を占める人件費の圧縮という面だけを捕らえれば、正社員はやはり減らしたい、と思うのが経営者として自然な気持ちだろう。実際ここ数年多くの企業が、第一線に立つ現場労働者を非正社員に置き換えてきた。ただしそのつけが、「ブランド」の失墜という形でやってきている。不二家も電力各社の原発も、トラブルの発生源は皆非正社員が担当していた作業である。

 もうお分かりだろうが、「社内身分」を残したままパートの時給を多少上げてみたところで、問題の根っこはなくならない。同じ企業内で同じように働く従業員が、一つの身分でどこが不都合なのか。原点に立ち返ってみる必要がある。

賃金を身分で決める必要などない。ましてやその「身分」はほとんど根拠のないものなのだ。業務貢献度によって賃金を決定するというスタンスさえ持てば、労務費は上がらないはずである。労働組合も組合員の給与を「既得権」と捉えていては、歴史に埋没せざるをえまい。


障害者の自立訓練とは  (2007.04.01)

 

 神戸市の社会福祉法人「神戸育成会」というところが、知的障害者の自立訓練の範囲を超えた「労働」をさせていた疑いがあるとして、神戸東労働基準監督署の改善指導を受けた。

 福祉施設である作業所は (1)作業収入は必要経費を除き障害者に全額工賃として支払う (2) 能力で工賃に差を設けない (3出欠や作業時間、作業量は自由で、指導・監督をしない―などの条件を満たせば、労働基準法など関係法令の適用外となり、障害者は「労働者」とみなされないことになっているという。

 この育成会は、知的障害者らが老人ホームのクリーニングを請け負う作業所など3施設を運営していた。各施設は、請け負った以上、ユーザーに迷惑はかけられないと、遅刻すると工賃を減額するなどの内部規則を設けて運営されていた。

 ところが、労基署はこうしたことが障害者の自立訓練の範囲を逸脱している疑いがあると判断したという。

 育成会は、障害者一人に対し年間約 25万円を支給していたという。ここで「働く」障害者は 1 7時間前後、月約 20日間作業をしていた。時給換算で149円はいくらなんでも低すぎる。無論兵庫県の最低賃金 683円を大幅に下回っており、「労働者」とみなせば、最低賃金法違反である。

 小林理事長は「規則はあくまで訓練で、教育の一環と考えている。工賃の支払いにも問題はなく、経験ある指導員を確保するなど諸経費がかかるのは当然」と話している。神戸東労働基準監督署は昨年 11月、育成会や運営施設を立ち入り調査していた。

 知的障害者の作業所の実態は個々様々で一概に言えないが、作業をしてしかるべき「対価」を受け取るということで、自分たちも社会で必要とされているのだと自覚できる人はいるはずだ。それが自立訓練の目的の一つであろう。

 しかし、体を動かして対価を得れば、それは労働と捉えたほうが、世間には通りが良い。だから自立のための職業訓練であっても、外部から見れば労働である。似たようなことは、「外国人研修生」事業にも当てはまる。世間的な尺度をあてれば、ほとんど労働であるのに、それを「研修である」と強弁し、役所に届け出れば安くつかえる。こういった誤った認識で、この制度を利用(悪用)してきた企業もあるやに聞く。

 そもそも、このように役所の定めた条件にあえば、「訓練」「研修」と呼んで良いとしたことが間違いではないのか。それに輪をかけて、労基法の適用除外としていることが問題である。これだったらいっそのこと、訓練・研修の際の最低賃金を、正規労働の8割とするなどと定めてしまったほうがすっきりする。そもそも訓練をしている障害者の中には、成果によって賃金に差をつけてもらったほうがやりがいが出ると考えている人がいたかもしれないではないか。モチベーションアップを最初から想定していない訓練というのは、障害者が

自立することを最初からあきらめていることになるのではないか。画一的な基準を押し付け、「指導も監督もしない」というのは、あまりにもおざなりである。

 


竜巻にも加害者を見つける必要 (2007.03.01)

 

 北海道佐呂間町を竜巻が襲ったのは、昨年11月7日のことである。トンネル工事事務所にいて、この竜巻に遭遇し、亡くなった9人について、北見労働基準監督署(北見市)は昨年12月18日、全員が労災死亡事故であると認定した。

まだ記憶に新しいところだが、この事故を振り返ってみると、死亡したのは、新佐呂間トンネル工事を請け負っていた大手ゼネコン鹿島などの共同企業体関係者で、鹿島社員橋本義信さん(52)=北海道恵庭市=ら 9人である。 9人は 11 7日午後 1 25分ごろ、佐呂間町若佐地区にあったプレハブの建設事務所にいた。 8人は 2階で会議をし、一人は 1階にいたという。

 仕事をしている最中に事故にあったわけだから、労働災害保険でカバーしてほしいと考えるのは、至極当然である。それが認められたものであり、真に良かったと思う。しかし、自宅に居て竜巻に巻き込まれて亡くなった人は、いったいどこが補償してくれるのだろう。

 それはそれとして、今回のケースを見直してみると、国は「プレハブにはもともと危険性が内在していた」ので、(そんな物を建てた会社側が加害者のようなものだから)保険を適用出来る、と考えているようだ。その証拠に、北見労基署は「工事現場で使うプレハブにはもともと危険性が内在しており、危険な環境だった」とコメントしている。

国の基本的な方針は、自然災害というものには加害者は存在しないのだから、通常は補償をする必要はない、と考えている。「保険」というのは、そもそも加害者(この場合は、プレハブを建てた会社)が支払うべき経済的損失を緩和するものでしかない。

しかし、日本は地震大国であり、津波大国、台風大国なのだ。万が一に自然災害にあった時も、国が補償してくれるという公的制度を作る必要があるのではないか。現在ある見舞金のような仕組みでは到底安心できない。こういう気配りが出来てこその「美しい日本」であると思うのだが、どうだろうか。

 


上司に気兼ねして残業を減らすという現実 (2007.02.01)

 

 連合総合生活開発研究所(連合総研、薦田隆成所長)の調査によると、賃金不払い残業をしている雇用者の 4割が、上司の対応等の雰囲気で残業を申請しづらいと考えているという。過去の調査と比較すると、上司への気兼ねが増加傾向にある半面、残業時間や手当に上限を設けているとの理由は減っているらしい。

 これは憶測だが、「上司の調整」、要するに「さじ加減」により、残業代を払わないというケースが減ったのは、監督署のサービス残業摘発キャンペーンの成果が出てきたのではないか。これは良いことに違いない。

 だが、第一線の管理職の立場に立って考えると、タイムカードだけに頼っていたのでは、「残業代が増えてしまうのではないか」という懸念がどうしたってぬぐい切れない。

 勢い、無意識のうちに「こわもて」で威圧するといった職場の雰囲気が出来上がってしまっているのではないか。労働組合や行政側は、こうした雰囲気を一方的に「良くないもの」と捕らえているが、それは労働者が皆んなまじめであるという「性善説」に立っているからであろう。ご承知の通り、実際にはそんなことはありえない。黙って周囲を見回せば、色々な人間が働いていることに気付くはずだ。

 もちろん、職場を無用にピリピリさせる必要はないが、管理職は「性悪説」と「性善説」の両面から部下管理をする必要がある。不払い残業が横行するのはよろしくないが、気兼ねするくらいの上司がいたほうが良いのではないか。


エグゼンプションの先にあるのは? (2007.01.01)

 

 過労死防止、過重労働の削減、時間外時間の規制というのが、ここ数年の労働行政の三種の神器である。にもかかわらず、過労自殺などはむしろ増加している。そこで残業代を支払わないルールを作れば、強制的に残業を減らせるだろうというのが、ホワイトカラー・エグゼンプションの発想である。

この制度は、一定の年収や休日の確保などを条件に、労働基準法の週 40時間の労働時間規制を除外するもので、労働者が自らの判断で労働時間を管理するため、残業代は支払われなくなる。現在、厚生労働省の審議会で議論が進められている。

これを導入すれば、中国や韓国、東南アジアに比べて割高になっている人件費を少しでも圧縮でき、国際競争力も取り戻せるという皮算用もあるらしい。

しかし、この発想、どこか短絡的ではあるまいか。仕事量が同じで、生産性や能率が一緒なら、残業代が払われようが払われなかろうが、長時間労働するしかない。残業削減のためには、生産性向上のほうが優先されなければならないはずだ。

それに、この制度が導入されれば、非管理職サラリーマンの年収はたとえば300万円程度で頭打ちにして良いなどと、公的に認めたことになってしまう。結果的に所得「格差」は縮まるかもしれないが、それはそのまま消費マインドの低下ということになるだろう。景気は失速するに違いない。

 厚生労働省はこれによって、労働者を守っているつもりかもしれないが、安易な法制化は日本全体を構造不況に引きずり込む危険をはらんでいる。もう少し大局に立った行政が必要である。


雇用形態をめぐるいたちごっこ (2006.12.01)

 

 この秋、実態は労働者派遣なのに出向を装い、派遣会社から労働者を自社工場に受け入れていたということで、日野自動車(東京)が、東京労働局から是正指導された。

 出向は企業グループ内での人事交流などを理由とする場合にのみ認められているが、派遣会社が営利目的で行うことは禁じられている。

 製造業への派遣は、1年以上経過すると派遣先は直接雇用を社員に申し込まなければならないが、出向であればこうした義務は生じない。これを逆手にとっての「出向」契約だったと思われる。

 派遣会社から出向させるとは、まさに雇用形態の盲点をついた感じだ。ただし、監督する側に言わせれば、これも新手の「偽装」ということになってしまうようだ。ここまで来てしまうと、カラスを白いと言い張っているようなものだから、監督する側と監督される側の見解は、まったくベクトルが違っている。

 少しでも労務費の安い社員を長く働かせなければ競争に勝てないという、メーカーの事情は痛いほど分かる。いくらデジタル時代になったといっても、技能の習熟には物理的な時間が必要だ。1年未満では技能の初歩も身につけられない。ところが役所は、「長く働かせる」ならば、正社員にしろと迫る。

 社員にすれば、賃金は跳ね上がってしまうし、「万が一」のときに辞めさせることも難しい。というわけで、こんな苦肉の策まで飛び出す始末だ。まさに官と民との、いたちごっことなっている。

 しかし、こうした空騒ぎで得られるものは何だろう。「偽装」によって、つかの間企業の競争力は、高まるのかもしれない。ただし、長い目で見れば、安い賃金で働かされ雇用期間の短い労働者が巷にあふれれば、日本の購買力はどんどん下がってしまう。それで良いのか。

 むろん、すべての従業員を高賃金の正社員にしろとまでは言わない。それほど体力のある企業は、今の日本では数少ないだろう。

 さりとて、法は法である。コンプライアンスの観点から、派遣を「出向」と言い換えたりすることは、現に慎むべきだ。社員の賃金ランクを細かく設定し、また万が一、解雇が必要となった場合には、予告期間を守るなどすれば、現行法内でもそれなりの対応は出来る。

 国も産業育成だけに目を向けず、消費者育成のための施策を、グローバルに打ち出す必要があるだろう。海外の安い労賃で作られた製品に対抗するために、「派遣業」「請負業」「研修生制度」などを次々に規定し、合法的に国内賃金を下げても良いというこれまでの政策は、明らかに間違っている。

 来年からはパート・アルバイトにも厚生年金強制加入の制度が導入される見通しだ。保険料が天引きされれば、手取りはますます減ってしまう。まずはパート・アルバイトの最低賃金を上げることが最優先だろう。賃金を上げた分だけ、責任を持って働いてもらう。そうすれば、正社員の過重労働が幾分なりとも提言されるはずだ。正社員の労働時間と賃金を引き下げ、非正社員に回すというダイナミックな指針を打ち出すことが来年以降の課題になろう。

 


相次ぐ「偽装請負」の摘発 (2006.11.01)

 

 このところ全国的に、派遣と偽った請負業者の摘発が相次いでいる。

 摘発(監督署の臨検・指導)を受けると、業者は「派遣先」に該当者を直接雇用させるという形で解決することが多い。

 たとえば、徳島県藍住町の自動車部品メーカー「光洋シーリングテクノ」の場合、製造工程を委託していた請負会社の労働者約 200 人のうち 59 人を、直接雇用すると発表した。

 光洋社の場合、請負労働者が加盟する労働組合が、「実態は派遣労働者と同じ偽装請負だ」として直接雇用を求めたことが、摘発の発端になったようだ。

 もっとも請負労働者が労組に加盟しているというケースは、まだまだ少ない。請負労働者が個別に、派遣先()の会社に対し、苦情を言うということは、力関係から言ってまずありえない。本来の窓口は、雇用されている請負業者の中になければならないのだが、「実態が違うじゃん」などといえば、即契約を打ち切られるというのが、現実だろう。

 今や日本のサラリーマンは、勝ち組と負け組に明確に分かれてしまったらしい。世に言う格差社会の始まりなのだが、雇用という側面だけに光を当てるなら、派遣・請負労働者やアルバイト・パートは間違いなく「負け組」と言わざるを得ない。

 光洋社の一件では、その「負け組」が労働組合を作って、「派遣先」の会社に要求を突きつけたという点で、エポックメーキングである。雇用関係から考えると、要求を突きつける相手が違っているように思えるが、今後、この手の「闘争」が多発するような気配が濃厚である。

 ところで、昭和40年代といえば、日本が高度成長の階段を急ぎ足で上っていた時代だが、その時期は過激な労働組合運動が行われた「赤旗」全盛の時代でもあった。経済の成長スピードが緩むのと歩調をあわせるように、日本の労働組合活動は年々低調となり、平成に入ってからはとくに、従業員の組合活動離れが著しいという。

 組合活動の本質を、「要求貫徹活動である」と割り切ってしまうならば、高度成長によって大多数の国民が中流意識を持ったのだから、闘争心がなくなっても当然である。21世紀になって、そんな一億総中流意識(この言い方も古臭くなったが)にほころびが目立つようになったのは、皮肉である。

 公的年金制度の崩壊問題にしても、公立高校必修科目未実施問題にしても、近頃は「シンジラレナイ」ことがしばしば起こる。政治の場で「自己責任」が叫ばれてからこっち、日本は国民全員が中流でいることを許さない国になったようだ。「格差」と「いじめ」とは同義語なのではないかという気がしてならない。

 ともかく、今後は全員加入の労働組合(ユニオンショップ)が、統一的に処遇を要求するだけで問題解決というわけにはいかなくなるだろう。同じ屋根の下で、同じ釜の飯を食って仕事をしていても、給料も福利厚生も月とすっぽんという人が多くなったのだから。

 こうなったら、同じ「境遇」に置かれている人たちが、臨機応変に自立的連帯を組むしかあるまい。ただし、その方法は残念ながら日本ではまだ見出されていないようだ。予想したくないことだが、一つ間違えば今の格差がそのまま、社会的階級となることだってありうる。そうなれば、中世の時代に逆戻りだ。

 近頃、狂気に満ちた事件が頻発しているのは、まさか暗黒時代の予兆というわけではあるまいが、世の中が物騒になってきたという実感がある今だからこそ、経営者も労組も、そして行政も、格差を広げない工夫をひねり出すべきだ。

 


労災における加害とは (2006.10.01)

 

 北海道内の炭鉱で働き、じん肺になった患者ら 229 人が、国に総額約 26 億円の損害賠償を求めた北海道新石炭じん肺訴訟で、原告のうち 121 人が 7月21 日、札幌地裁(笠井勝彦裁判長)で和解した。

 賠償金は一人当たり約 900 万〜 400 万円で、総額約8億円。その和解条項には、国による謝罪と粉じん対策に努めることなどが盛り込まれている。

 北海道新じん肺訴訟は 1940 90 年代に道内の炭鉱で働き、じん肺になった患者や遺族が昨年 10 月からことし3月にかけて順次提訴。昨年 12 月の第1回口頭弁論で、国は和解に応じる方針を表明していた。

 鉱山で働いていて、その後じん肺になった場合、現在ではほぼ間違いなく労災と認められると思う。労災は文字通り労働に起因した災害だから、会社は常に加害者という立場に立たされる。だが個別に見てみれば、会社が保護具を着けるように再三指導していたのに、本人ががんとしてそれを拒否したというような事例だってないことはない。しかし、こうした本人の「過失」があっても、よほどの故意でもない限り、労災保険は斟酌することはない。結果として規則(額面)どおり補償される。

 にもかかわらずじん肺訴訟のように、裁判に持ち込まれるケースが多いのはなぜか。

 理由としては、こうむった被害に対して、労災保険の補償基準が低いためということが考えられるが、それだけではなさそうだ。注目すべきは、どの訴訟も、国や企業に対して「謝罪要求」を突きつけていることだろう。

 「金は保険から支払われたんだから、それでいいだろう」とふんぞり返っていたのでは、物事は解決しないということかもしれない。今回の補償は、安全衛生基準を定めた国を相手に謝罪を求めた。実際には横一列に並んで頭を下げられても、被災者は「いまさら謝られてもなあ」という気持ちになるだけだと思うが、それは浮世のけじめというものだ。

 それはそうと、一部の特定化学物質やアスベストなどによる被害者も、この道を歩むことになるだろうと思うと、残念である。


行政の優先順位 (2006.09.01)

 

 8月から母の老人保健の保険証が切り替わったという通知をもらい、役場に行ってきた。実は前年、猫の額程度の母名義の土地を処分せざるをえなくなり、売却したためにそれが所得としてカウントされてしまった。そんなこんなで一年間法外に高い国民健康保険税を払わされるはめになり、母の自己負担は2割にされていた。通常、老人保健の自己負担は1割である。経済的な理由でたけのこ生活を選択しても、今の日本では容赦なく税金をかけられるのだと改めて思い知らされた。

 まあそれはそれとして…。

 ともかく母の場合、負担率がもとに戻される(1割になる)というので、出向いた。

 その際、我が家の手続きは単に新しい保険証をもらうだけだったが、国民健康保険の窓口周辺がなにやら騒然としていたので、耳をそばだてた。話の断片から察すると、原因は前年末の税法改正であるらしい。

 ご存知のように、今年2月の確定申告から老年者控除がなくなった。言い換えれば、平成17年度から税法が変わったのだ。そのため、前年同様に厚生年金のみで生活していても、課税所得が増えたとみなされる事態となった。それがために自己負担額が1割から倍の2割に跳ね上がった方々に、我が家と同様、「保険証が切り替わったから取りに来て」という手紙が送られ、こういう騒動になったというわけだ。

 厳密に言えば、ここ数年の公的年金はまったく前年と同額ではなく、逆スライドがかかって、金額は下がり続けている。その上、税金が余分に天引きされるようになり、介護保険料も上がった。そこへもってきて、追い討ちをかけるように、医者にかかるときの自己負担が2倍から3倍にされるというのだから、該当者にしてみればたまったものではない。

 行政側()は、「それでもあなたは他の老人よりも、年金をたくさんもらっているのだから仕方ない」という考えらしい。だが、考えても見てほしい。高齢者の日常は、いつ入院するかもしれないという不安と背中合わせであることが多い。ほとんどの老人は、月々の支出を切り詰めて、もしものときに備えているのだ。

 健康保険も厚生年金も国民年金も、公的保険である。「保険」という名前がついている以上、給付は制度の根幹となる「サービス」のはずだ。そのサービスの質を、財政難を理由に引き下げていくというのは、本末転倒ではなかろうか。

 行政側はそのようにしてむしりとった金で、出産育児一時金の額などを増額しているのだと胸を張るのかもしれないが、そんな金のばらまきで出生率の低下が止まるとも思えない。産科婦人科の医師は、看護師に診察をさせるほど、全国的に不足しているのだ。医師が儲かる地域に、勝手に診療科を決めて偏在して開業している現状こそ、なんとかすべきなのではないか。このたぐいの対策なら、なにも公的保険の原資を使わずとも、大学関係者とまじめに議論すれば改善できるはずだ。

 保険制度の中にある一時金もそうだが、国は保険料や税金を「集金マシーン」にして、助成金・補助金をばらまくだけの金権行政に、そろそろ決別したほうが良い。

 


暑い現場の過労死 (2006.08.01)

 

 6月15日に大分地裁で、金属加工販売会社の高温の工場で働いていて死亡した大分市の男性=当時(26)=の裁判が行われ、   裁判官はこれを過労死と認め、約 8,400万円の慰謝料を支払うよう会社に命じた。

 判決によると、死亡した男性は 2002 年5月から板金作業に従事。同年8月、勤務中に倒れ、心疾患で死亡した。死亡前1カ月の総労働時間は約 322 時間で、休日は3日だった。

 裁判官は、「冷房がない工場で、夏場に長袖の作業服やマスクなどを着用させられ、中腰の状態で、肉体労働を長時間続けさせた結果、死亡した」と指摘した。男性は直前の 13日間は休日もなかったという。

 約二週間休日が取れなかったということであり、作業環境も考え合わせれば、労災として認められたのは当然のことだと思う。しかし、裁判官の指摘に少し違和感を感じないでもない。

 死亡した男性の会社は、金属加工販売会社である。ということは、工作機械で金属を切削したり、溶接したりといった仕事をしていたに違いない。こうした現場においては、焼けたキリコが飛ぶので長袖の着用は必須である。また溶断などを行う場合には、ヒューム(金属蒸気)を吸い込むことを防ぐために保護具の着用も安全衛生法で義務付けられている。それだけでなく、もとより重いものを扱うのが日常の作業であるから、その格好で腰痛体操などもしなければならない。ものづくりの現場は、そんな作業環境のところがほとんどである。

 そんな実態を知ってかしらずか、裁判所が「着用させられた」と表現しているのが気に入らない。なるほど、そうした工場にあっては、冷暖房を完備する努力や工夫をしなければならないだろう。その意味では、会社側の「同じように働いていたほかの従業員は健康に問題がなく、男性が働き過ぎで死亡したとは言えない」という反論も少し安易過ぎるかもしれない。

 しかし、夏だからといって「クールビズ」の軽装で出来なければ仕事じゃないと決め付けられては困る。冷暖房の整った部屋でパソコンに向かっていれば済む、といった仕事ばかりではないのだ。そんな職場ばかりになってしまっては、産業立国日本の根幹が揺らいでしまう。

 生意気なことを言わせてもらえば、裁判所は、長袖やマスクといった表面的なことにとらわれず、作業時間の合間に適切な休憩時間を入れていたかとか、水分補給を定期的に行っていたかなどという科学的な指摘をして欲しかった。労働問題を裁く裁判官には、是非一度、製造現場の作業を経験してもらいたい。

 


ともかくリスクを認識する (2006.07.01)

 

 6月に死亡災害・重大災害発生状況が発表された。それによると平成17年の労働災害による死亡者数は過去最少を更新し1514人。重大災害は依然として高い水準にあるものの4年ぶりに減少したという。

  歩調を合わせるかのように、本年4月からリスクアセスメントの実施等の努力義務化、製造業の元方事業者による作業間の連絡調整の実施等を内容とした改正労働安全衛生法が施行されたところであり、厚生労働省としては、これらの対策の適確な実施等により一層の労働災害防止対策の推進を図りたいとしている。

 さて、目玉として挙げられている「リスクアセスメント」のことだが、これは「潜在する危険度の事前評価」とでも訳せばいいように思う。

 方式としては国際標準であるOHSAS18001方式と厚生労働省の示すOHSMSとが有名である。この二つには、まとめ方というか、いわゆる文書化の章立てに若干の相違がある。が、アセスメントのやり方としては大同小異、どちらもほぼ同じと考えて良い。

 実際にやってみると、最も迷うのが、危険度を数値化する作業である。今日では人事考課制度を導入していない企業を見つけるほうが難しいが、その際に評価者がもっとも頭を悩ますのは、「あいつのやったことに何点つけたらいいか」ということだろう。それと同様の苦労を味わう。考え方にもよるが、人事考課の場合、まだ成果が数値に出ている場合が多いので、やりようがあるかもしれない。

 リスクアセスメントの場合、未知の危険を数値化しなければならないのがいかにも苦しい。

 しかし、いったん重大事故が発生してしまえば、尊い命が失われてしまうのだ。転ばぬ先の杖で、多少点数の付け方に疑問を感じても、評価を始めてみるフットワークの軽さが必要があろう。でも「労災の大半をしめる交通事故の対策は、警察の仕事じゃん」などというなかれ、以外に多いのは、構内でフォークリフトに轢かれるといった「社内交通事故」なのだ。また、台車を押していて人のぶつかるというのも多い。自社のフォークリフトに激突痕があれば、物損だけであってもそれはもう立派な交通事故である。

 


賃上げが35歳だけ? (2006.06.01)

 

 今年の春闘でシャープの労使が合意した賃上げの対象が、モデルとされた「35歳の技能職社員」に限られていたことが 4月20日マスコミ各社から報道された。これは組合員約2万 5,000人のうちの約 1,100人にすぎず、ほかの年齢層や職種は賃上げゼロという異例の妥結だったということである。

 液晶テレビなどで好業績にもかかわらず、人件費の増加を避けたい経営側と、形だけでも賃上げの実績がほしいという労組側がぎりぎりの線で折り合った結果であると伝えられたが、違和感を感じたのは私一人でないと思う。 

 新聞各社は、「一部組合員から「不公平だ」と不満の声が上がっており、労組の存在意義が問われそうだ」と結んでいたが、はたして悪いのは労組だけなのだろうか。

 以前から賃金関係の統計資料の信憑性を疑問視する声はあった。特に業界団体で独自にまとめている統計資料には、同業他社に対する見栄(けん制)が混じり、基準内賃金に基準外の手当を加算するなどして、業界内での地位を保とうとする傾向が見られた。一方、公の「労働統計調査」などになると、「節税意識」と似たような感覚が働いて、低めに数字をはじいたりする。それにしても、今回のシャープのように、統計の指標年齢だけを賃上げするという話は初耳である。

 今の時代、「公平」「平等」を金科玉条にすべきだとは思わないが、人事担当者には独特のバランス感覚が必要なのではないか。それを放棄してしまっては、従業員の賃金数字を打ち込む単なるキーボードの操作係となってしまう。


65歳以上の介護保険料、4月分から24%値上げ (200.05.01)

 

 65歳以上の人が支払う介護保険料が、4月分から全国平均で1人月額4,090円となり、現行(3,293円)より24・2%も上昇する。(実際の徴収は、6月支給の年金分から天引きされる)

 原因は高齢化などによる利用者の急増だというが、これはすでに予測されていた事態で、厚労省は昨年の介護保険法改正ですでに給付抑制策を盛り込んでいた。今回の保険料の値上げは、この効果が焼け石に水だったということを示している。

 65歳以上の介護保険料は3年に一度改定することになっていて、悪いことに今年4月がそれにあたる。具体的な金額については、各市町村がサービス利用量の予測などをもとに金額を決めるが、新聞報道を見る限り、20%以上上昇する自治体が多い。

 利用者の急増を受け、厚労省は介護予防として軽度の要介護者向けの筋力トレーニングを4月から導入するなど、給付抑制に乗り出している。その効果を見込めば、06〜08年度の保険料は当初、3,900円程度になると想定していた。が、各市町村が利用者増などをさらに厳しく見積もった結果、初めて4,000円の大台を突破してしまった。なお厚労省は、12年度には4,900円に達すると推計している。要介護者は年金生活者である場合がほとんどだ、夫婦二人で月額換算25万円という厚労省の「モデル年金」をもらっている世帯ならいざ知らず、実際にはその半額程度の年金しかもらえない世帯が多い、介護保険料の急激な上昇により、年金の手取りが限りなくゼロに近づいていくのではないか。

 ちなみに、毎年改定される40〜64歳の保険料も、06年度は全国平均で今年度より5.6%高い1人月額3,964円(本人負担は半分)となる。

 介護というのは、本来個々にやり方が異なっていいものだと思う。そもそも以前は、年寄りの世話は家族がやるというのが当たり前だった。しかし中には、金を払って他人に任そうと考える人もいた。そのための民間の介護保険が一時流行したという記憶がある。親の面倒も見られないほど忙しく働けば、収入だって増える。「いくら金持ちでも親の面倒を他人任せにするなんて」と、その頃そういう人は「非人情」と陰口を叩かれていた。

 そんな一般民衆の価値観の中へ、官僚が勝手に「誰でも金は欲しいはず」というグローバルスタンダードを持ち込んでしまったような気がしてならない。老親をほっぽらかして働けば、収入が増えるのは当たり前だ。一般民衆も介護を他人に任せて働けば豊かになるんですよという論法である。

今の介護保険制度がそんな考えのもとに出来たというのは、まったくのガセである。当然もっと大所高所からの考えでプランニングされたに違いない。

 それにしても、保険料は上がり、サービスは低下する一方である。近頃の厚生労働省は「介護はやはりそれぞれの家庭ですべきだ」と声高に訴えている。介護保険にも、先行する他の公的保険同様、壮大な無駄が隠されていたということらしい。年金問題にしても、介護保険にしても、公的なものには頼れない時代になってしまった。なさけないの一言に尽きる。

 


NTTの年金減額却下  (2006.04.01)

 

厚生労働省は2月11日までに、NTTが経営悪化などを理由に、NTTグループの退職者約 14 万人の企業年金の給付減額を求めた申請について、認めないことを決めた。NTTは 2002 年度以降黒字が続いていることから、厚労省は「著しく経営が悪化しているとはいえない」と判断したという。

厚労省が退職者の年金減額の申請を認めなかったのはこれが初めてである。

退職者の年金減額の申請には、対象者の3分の2以上の同意のほか、将来の年金給付が困難となるような母体企業の経営悪化などが必要とされているという。NTTは退職者の約 87 %の同意を得て、05 年9月に厚労省に申請した。

さて、NTTグループ 69 社は、06 年4月に企業年金を確定給付型に移行した際、約 11 万人の現役の従業員については、長期国債の流通利回りに連動して給付額が決まる制度に変えている。一方、減額申請の対象となった退職者の年金の運用利回りは年率 4.5 %と 7.0 %となっていて、著しく平衡を欠いているため、一人月額1万円程度を減額する予定だったという。

 現在多くの企業が採用している企業年金は、退職金の原資を年金化した税制適格年金である。しかしこれについては、ベースになる法律が失効してしまうため、現在企業年金は急速に確定拠出型年金(いわゆる日本版401K)に移行されている。確定拠出型はいわゆる「変額年金」であるため、資金を株式市場で個人の責任で運用することになる。これが昨年秋から今年一月までの株価の上昇を支えてきたとも考えられる。しかし、証券市場にまったく縁のなかった人たちに、「これからは自主運用でお願いします」と言い渡しただけで、「401K」なるものが簡単に浸透するとも思えない。

 おそらくそんな「親心」もあって、NTTは新制度を国債利回りに連動した確定給付型年金としたのだと思う。いかんせんこの超低金利である。ゼロ金利政策はおいおい見直されるにしても、これから退職する人たちは先輩諸氏がもらっている年金額を知っているわけで、不公平感は拭い去れない。それで、すでに辞めてしまった方も、「NTT一族」なのだから、応分の痛みを感じてもらうのが当然というのが、会社側の主張だったと思う。

 企業年金というのは、元をただせば「退職金の年金化」である。とすれば、企業に全面的な裁量権があってしかるべきと思うのだが、現段階では、「年金受給者の既得権」が優先されている。ではどういう場合に既得権益を侵害できるのか。それは企業の経営が悪化したときらしい。このあたりの解釈には、景気が上向いてきたので「NTTなら儲かるはず」という先入観が入っているように思われるが、場当たり的な印象も否めない。もしこれがNTTからの申請でなければ通った可能性が高い。


子どもの数を制限しない新扶養手当? (2006.03.01)

 

NTTが1月 18 日、少子化対策の一環として、扶養手当の支給対象の子ども数を制限しない新しい給与体系を導入する、と発表した。

同社の扶養家族手当はこれまで、配偶者と扶養対象のゼロ歳から 22 歳までの子ども一人に対して支給していた。それ以上は子どもが増えても手当は増えない仕組みだった。4月以降は人数に応じて毎月の給与として手当を上積みし、人数に制限は設けないという。

同社の和田紀夫社長は記者会見で「一企業として日本の少子高齢化を防ぐために何ができるのかを考えて導入を決めた」と強調していた。確かに、子ども一人だけに手当を付けるという制度は、あまり一般的でないから、世間並みになったという点では納得できる。

ところで、大手企業ではこのところの成果主義賃金の導入に伴い、扶養手当を廃止するケースが増えている。NTTは新扶養手当を「少子化対策」の一環と主張しているわけで、そういう考えもアリということになると、追随する企業が出てくるかもしれない。

NTTグループ各社も、この4月からは人事・給与体系を見直し、より成果主義的な給与体系とする方針で、基本給与の算定方法では、年齢給を廃止し、成果を重視した体系とするという。新扶養手当の導入を考えると、このあたりはどうも微妙である。

 こう言っては身も蓋もなくなるのだが、NTTはやはり今でも親方日の丸企業なのだと思う。

 そもそもこれまではボーナスに扶養家族分の加算が存在していたというのだから、「民間」企業にはない、妙な発想があったということだ。

それにしても、扶養手当の支給基準を変える程度のことで、「少子高齢化」の歯止めになるだろうとは大言壮語である。この程度のことで記者会見してしまう感覚は、某政党の幹部となんら変わらない。

望むらくは、4月から導入されるという「成果主義的な給与体系」が、ユーザーを無視した効率化成果を推奨するものでないことを願う。これまでだって、午後5時過ぎにNTTに問い合わせすると、「時間外ですから取り次げません」と木で鼻をくくったような答えが返ってきた会社である。過剰ともいえる広告攻勢だけで業績を伸ばすのも考えものだし、サービスやメンテナンスはすべて外注というのでは、企業の先行きが不安である。


契約社員を甘く見るな (2006.02.01)

 

 ここ数年ほとんどの業界で、正社員の人数が減少の一途をたどっている。定年退職や自己都合退職による「自然減」を、新卒採用や中途採用で補充しなくなっているからだ。もちろん、その中には、仕事量が減ってしまい、人がいらなくなってしまったという深刻な事情を抱えている会社もあるだろう。だが、ほとんどの企業では、人手はこれまで通り必要と考えている。それを正社員ではなくて、契約社員や派遣社員で補っているわけだ。

 ここで気をつけなくてはならないのは、契約社員は臨時雇いであっても、自社の従業員に変わりはないということだ。派遣社員の場合であれば、同じ仕事をしていても別会社の従業員である。派遣社員と似たものに「外注契約」があるが、こうなるともはや自社の制服を着ていても、直接指揮命令をすることすらできない。

ネスレジャパングループのネスレコンフェクショナリー(神戸市)元契約社員の女性5人が、業務の外注化を理由に雇用期間終了前に解雇されたのは違法だとして、同社に地位確認などを求めて訴訟を起こしたのは昨年のことだが、2005年12月2日までに、大阪高裁(竹中省吾裁判長)において、ネスレ側が解雇を撤回し、解決金を支払うことで和解が成立した。

 ネスレでは、おそらくコストを抑制するために、契約社員から外注に置き換えるという「合理化」をはかったのだと思う。ただし、契約社員の期間満了を待たずにこれをやってしまったため、ひどく高いものについてしまった。

 「臨時雇い」なのだから、自由に社員を切れるなどということはない。人事戦略は常に先を読んで研究し、果断に進めなければならない。ネスレのやり方はいささか拙速すぎた。


医療制度改革のこころざし (2006.01.01)

 

 政府・与党は2005年12月1日の医療改革協議会で、高齢者の負担見直しなどを柱とする医療制度改革大綱を正式決定した。その骨子は以下のようなものである。

【骨子】

高齢者患者負担

 2008年度からの高齢者患者負担は原則として、以下の通りとする。

〈1〉65〜69歳は現行の3割に据え置く

〈2〉70〜74歳は現行1割を2割に引き上げる

〈3〉75歳以上は現行通り1割負担

低所得高齢者対策

70〜74歳の低所得者に配慮するため、住民税の非課税世帯など一定所得以下の層の自己負担限度額を据え置く。

乳幼児負担

一般より低い2割負担が適用されている乳幼児については、2008年度から、対象を現行の3歳未満から、おおむね6歳以下の未就学児に拡大する。

医療給付費の総額抑制策

5年程度の中期を含め、将来の医療給付費の規模の見通しを示し、医療給付費の伸びを検証する際の目安となる指標とする。

診療報酬

引き下げの方向で検討し、措置する。

 

医療制度改革だけでなく、政府の発表する「この手」の改革大綱は、出される都度たいてい「抜本的」「将来を見据えた」といった仰々しい前書きがつく。ところが、これまでその大綱の考え方が2年ともったことはないのではないか。たいていは次の国会か、次の選挙までに、徹底的に修正が加えられていく。

時代は動いていくものだから、多少の修正は致し方ないと思う。が、こういうことを繰り返していると、「狼少年」になりかねず、当局に対する信頼は薄らいでしまうと思う。

そもそも「1割から2割にする」などといった具体的な手法まで、「大綱」に含めるのはいかがなものだろう。政府・省庁としては、ここで具体的な数字をあげておかなければ、国会で野党に潰される恐れがあると考えているのかもしれない。それもわからぬでもないが、大所高所に立った方針を作り上げ、それを大綱と呼ぶべきではないのか。

たとえば、「高齢者に高負担を強いることは是か非か」「乳幼児を保護するのは、親の責任なのか、地域の責任なのか」といったことを明確にするだけでもしてもらいたい。方針がみえれば、全体を調整することが出来、あとで政策実施のための原資が足らなくなるといった問題も発生しにくい。このあたりは、企業の長期経営計画などを作る際にも、他山の石としてもらいたい。

 


監督指導による賃金不払残業の是正結果 (2005.12.01)

 

厚生労働省のまとめによると、平成16年4月から平成17年3月までの1年間に、全国の労働基準監督署が割増賃金の支払について、労働基準法違反として是正を指導した事案のうち、1企業当たり100万円以上の割増賃金が支払われた事案の状況は次のようになるという。

 是正企業数1,437、対象労働者数は169,111人、支払われた割増賃金の合計2261,314万円。企業平均では1,574万円、労働者平均では13万円。

 1企業当たり1,000万円以上の割増賃金の支払が行われた事案をみると、是正企業数は298企業(全体の20.7%)、対象労働者数は108,752人(全体の64.3%)、支払われた割増賃金の合計額は1886,060万円(全体の83.4%)。企業平均では6,329万円、労働者平均では17万円。

群馬県内でもサービス残業の是正勧告が相次いでいる。過去二年間に遡って支払いを命じられ、その額が2億円以上というケースも珍しくない。その多くが、長時間労働を強いられた従業員からの通報であるという点は心しておきたい。

経営者や人事担当者は、とかく労働基準監督署というのは敷居の高いところという思い込みがある。だが、案外日常的に苦情を言いに行っている人は多い。その中には、経営者に対して個人的な恨みを抱いていたり、被害妄想気味の人もいないではない。そのため監督官は、たった一人の「苦情」で臨検に踏み込むということは、まずない。逆に言えば、監督署から「残業管理の件で調査に伺いたい」と電話が入ったときには、すでに相当の証拠を掴まれていると考えたほうがよい。

ことここにおよんで、「当社は基準法通り支払っているので問題はない」などと、突っ張るのは禁物である。社長が知らぬうちに、一人の課長が部下に対して、「残業する場合は1時間でいったんタイムカードを押しなさい」などと、「変な指導」をしていた可能性もある。こうなると、管理責任は免れない。「臨検」を受けたら「間が悪かった」などと考えず、管理体制を抜本的に見直すべきだ。

 


労災未加入中の事故に、ペナルティー強化 (2005.11.01)

 

厚生労働省が、111日から使用者が労災保険に加入していない期間に労災事故が発生した場合のペナルティー(費用徴収制度)を強化すると発表した。(内容は こちら )

 今回の「強化」は、労災が発生してしまってから、「保険でなんとかしてくれないか」と駆け込んでくる未加入事業主が多いという現状に、とうとう役所が門を閉ざすことにしたということである。これで死亡災害や後遺症を伴う重篤災害が発生したりすれば、中小企業では経営が一挙に傾く可能性が出てきた。

実を言うと、現状でも労災保険に未加入の事業場で労災が発生した場合、その事業主が自腹を切って、被災者の医療費を全額負担していれば、黙認されてきた。「強制された労災保険に加入していない」という点では法違反であるが、事業主の責務を果たしているので、労基法の違反ではないという解釈が成り立つからだ。現実に零細企業では、そうした負担に供えて民間の傷害保険に加入しているところもある。

実際に未加入の社長さんに話を聞いてみると、「民間保険だったらこっちは客だから、災害が発生しても堂々と保険会社を呼びつけられるじゃないか」ということらしい。公的保険である労災保険の場合、労災発生の届出用紙(様式5号)を提出するだけでも気後れしてしまうそうだ。

現実にはそんな気遣いは無用なのだが、無災害を表彰している官庁が監督しているのだから、やはりプレッシャーはある。それが「労災隠し」の温床の一つとなっているのだが、役所はこうした自己矛盾には気づいていないようだ。

それはそれとして、労災保険の保険料率はきわめて低く、民間保険の掛け金と比べれば絶対に得である。経営リスク管理の観点からも労災保険への加入をお勧めしたい。


マクドナルド13万人賃金不払い事件 (2005.10.01)

 

 日本マクドナルドホールディングスに対して労働基準監督署が臨検に入り、勤務時間を30分単位で把握し、端数分を切り捨てて計算している会社の取扱いは違法であると指摘されてからしばらくたつ。7月1日、同社は社員やアルバイト計13万人弱の勤務時間を誤って算定していたとして、過去2年間に不払いとなっていた賃金を全額支払うと記者発表した。支払い総額は明らかにされていないが、少なくとも数億円規模とみられるとマスコミ各社は伝えていた。

 さて、 この事件が報道されてからというもの、企業の労務担当者の間では、「1分単位で賃金を支払っている企業などあるはずがない」という声が多くあがり、30分単位のマクドナルドのやり方で不適当というのならば、すべての企業が是正勧告を受けてしまうと、労基署の取締りのやり方に不満の声が出ている。

 マクドナルドは今回の対象者に適用していた就業規則を公開しているわけではない。また、労基署の「是正勧告書」も手元にない中で、迂闊なことはいえないのだが、一般論から言うならば、「労働時間=タイムカードの打刻時刻」となっていなくても、違法ではない。

 というのも、タイムカードの打刻行為を「出社時」と「退社時」としている企業が圧倒的に多いからである。

仕事を終えてからロッカー室などで着替えをすませ退社するまでの時間は、労務の提供がなされていないわけで、労働時間ではない。したがって、その時間については賃金を支払う必要はない。

 となると今回のマクドナルド賃金不払い事件の真相がおぼろげながら見えてくるきがする。

 まず、今回問題とされているのは「時間外時間の管理方法」ではない。ファーストフード業というのは、アルバイトやパートといった短時間労働者ばかりで回している職場である。「一日8時間を超える」法定時間外労働が日常的に発生する職場ではない。ということは今回指導の対象になったのは、所定内労働時間と考えられる。

製造業などの場合、工場自体は24時間連続操業をしていても、シフトを決めてそれぞれ「始業時刻」と「終業時刻」を、就業規則に明記しているはずです。であれば、従業員は始業時刻に間に合うように出社し、着替えを済ませて働き出す。したがって、タイムカードに打刻された時刻は通常あまり重要な意味を持たない。

ところが、この「始業」「終業」時刻の明記が、マ社ではおざなりになっていた、もしくは明記する風土がなかったのではないか。

「都合の良い時刻から働いてよい」となると、頼りになるのはタイムカードだけというわけで、万が一タイムカードを押し忘れたりすれば、タダ働きというケースだって生じてしまう。それに輪をかけて、事務の効率化で30分未満の端数は「切り捨て」とやってしまったわけで、従業員の不満が爆発してしまったと考えられる。

 「都合の良い時間だけ働ける」というのは、働く側にとっては便利なシステムである。その意味では、利便性が高いとても革新的な職場であったわけだが、それを日常的に運用するには、それ相応の革新的な管理システムを準備しておく必要があった。それをせずに、安易に従来型の給与システムで運用しようとしてしまったことに、この問題の根っこがあると思われる。


2007年問題 解決には労使の歩み寄りが必須 (2005.09.01)

 

 トヨタ自動車が7 16 日、厚生年金の支給開始年齢引き上げに合わせて、 60 歳の定年退職後の再雇用制度で働ける年齢を 2006 年度以降は、現在の「 63 歳まで」から段階的に「 65 歳まで」に引き上げる方針を明らかにした。改正の特徴は、再雇用年齢の上限を引き上げると同時に、工場で働く技能職に限定してきた定年退職者の再雇用制度を、2006 年度から全社員に拡大して適用することにある。トヨタはグループ企業での再就職も含め、希望者のほとんどの就労を確保する予定であるという。
 すでに一部のマスコミが騒ぎ出しているが、2007 年から始まる団塊の世代の大量退職に伴い、技術やノウハウの伝承に支障が出るのではという「2007 年問題」が叫ばれている。コンピュータが一斉に誤作動する「2000年問題」と同様、単なる杞憂という気もするが、リーディングカンパニーであるトヨタ自動車が動いたということで、波紋が広がっている。
 トヨタ本体の従業員数は約 6万 5,000 人。今後数年の間に団塊の世代が定年を迎えるため、同社の 2007 年度以降の定年退職者数は、現在の年間 800 1,000 人程度を大きく上回る規模になる見込みである。
 しかし、 「好調のトヨタだから採用出来る制度だ」という恨み節が、三菱自動車あたりからは聞かれそうである。

 「年金支給が65歳になってしまうのだから、希望者全員を再雇用してくれ」という国の「指導」は、虫の良い強制にほかならないが、トヨタがこれに二つ返事で応えたことで、事態は大きく進むことになった。

もっとも、人の雇用は「トヨタがそうしたから、右に倣う」というわけにはいくまい。辞めてくれるはずの人間を社内に抱えるためには、しかるべき仕事量が確保されていなければ、すぐに破綻をきたす。今の景気情勢の中で、トヨタに続いていけるのは、「勝ち組」になった一握りの企業だけであろう。

とどのつまり「負け組」は、役所から厳しい指導を受け、にっちもさっちもいかなくなるに違いない。「負け組」を含めて、65歳雇用制を浸透させるには、連合をはじめとした労働組合が、「雇用のためには、一律賃下げさえいとわない」とでも宣言しなければだめだ。しかし、そんなことは起こりそうもない。


2005年政府税調報告書を読んで (2005.08.01)

 遠い昔のことを言って恐縮だが、私は卒業研究で、石弘光氏の著書をベースに「ビルトインスタビライザー理論」を取り上げた。今思い返しても、引用の多い駄作であり汗顔の至りだが、まっ、とにかく不肖の弟子の末席にいたと思っている。

だから言うわけではないが、政府に取り込まれてからの石氏は変わってしまったように思う。もともとは、景気の動きを「自動的に制御する制度の設計」が得意だったはずなのに、今はもっぱら、財政赤字を埋めるための手法を検討している。「景気」や「民間活力」というものは、すでに先生の頭の中から消えてしまったとしか思えない。

課税の平等という観点からすれば、確かにサラリーマンだけが、いまだに「天引き」(源泉徴収)という方法を取っているのはおかしい。これは戦費調達を確実にするための方便として導入された「天引き」制度なのだ。それを、戦後の大蔵省が放置してしまったがゆえに、ややこしい問題になってしまった。

「変なやり方」を長年続けていると、トリマキはそれに合うように変態してしまうものだ。実際、今の税務署の体制では、すべてのサラリーマンが確定申告するのは到底不可能だろう。

大所高所の議論も大切だが、こうした細部の手続きの疎漏を見過ごしているようでは、変革はおぼつかない。企業の制度改革にも、同じ事がいえると思う。どうも昨今は、画龍点睛を欠くといった「新制度」の導入が目立つ。

 

※政府税調報告書の要旨は以下のようなもの

【サラリーマンの不公平感をなくす現行制度が不公平?】

 会社員や公務員のみなし経費にあたる給与所得控除は、「経費が適切に反映されるような柔軟な仕組み」への変更を求めた。ガラス張りの所得から源泉徴収される会社員の「自営業者に比べ不公平」との不満を受け、平均で年収の3割と手厚く認めてきた同控除を見直し、実際の経費を確定申告する「特定支出控除」の対象範囲を拡大するよう提言している。

【やはり短期退職金は課税へ】

退職一時金への課税を軽くする退職所得控除では、外資系企業を短期間で辞めた人などへの適用を「事実上の租税回避」と問題視し、短期勤務には認めない考えを示した。

【扶養家族関係は大打撃】

 家族関連では、配偶者控除について夫婦で過大な控除を受けている例を挙げ、事実上の廃止を打ち出した。扶養控除では、年齢制限の設定や高校・大学生がいる家庭に手厚い特定扶養控除も廃止を提言。一方、子育て支援へ、低所得者に恩恵が大きい「税額控除」の新設も検討課題とした。

【定率減税廃止】

 06年度税制改正で予定する定率減税全廃は、所得税・住民税合計で約1.6兆円の負担増となる。すでに決まっている06年1月からの半減に続く措置で、総額3.3兆円の負担増となる。

【住民税の変更】

 地方への税源移譲に伴う税率変更は、現在3段階の住民税の税率を一律10%にする方針を踏まえ、各人の負担総額が変わらないよう、所得税率を現行の10〜37%の4段階から5〜40%の5段階にする案を提示。住民税では、前年所得をもとに課税する現行制度を、所得税と同様に課税年の所得にかける「現年課税」にするよう提言した。

【その他】

 自営業者が家事関連経費を必要経費とする例にも触れ、記帳が不十分な場合は一定額しか経費と認めないなど事業所得課税の強化を提言した。

 高額納税者の公示制度は、個人情報保護法施行を受け「廃止を検討すべきだ」と明記した。来年にも実施する。

【結果】

 政府税調の言い分によると、見直し対象とした控除により、現在国の所得税収は05年度予算で「給与所得」が6.8兆円、「扶養」は1.7兆円、「配偶者」が0.7兆円など総額10兆円規模の減収(本来徴収できるということ)となっている。これは国の年間消費税収に匹敵する。これに地方の個人住民税を含めれば、金額はさらに膨らむ。石会長は「消費税(増税)の動向も見つつ、4〜5年かけて実施することになるだろう」と述べた。

 


 「賃金制度の実態調査」で垣間見える企業の抱える矛盾 (2005.07.01)

 

東京都では毎年、中小企業の労働条件等について実態調査を行っていて、今回は産業・就業構造の変動の中で、変わりつつある賃金制度と労使交渉の実態を調査している。結果の要約は以下のようなものである。

★成果主義賃金制度導入事業所は3割、年俸制導入事業所は2

★定期昇給制度は6割以上の事業所にあるが、半数は見直し予定

★賃金制度を見直したのは5割弱。見直し後の評価は労使とも不満足の方が多い

★人事考課・査定は7割の事業所で行っており、過半数はほぼうまくいっていると評価

 竹中平蔵氏が大臣となって「自己責任」という言葉を多用しだしてから、「成果主義」人事制度の導入は、いまや日本企業の流行となってしまった感がある。氏の持論は、誤解されることを承知で言ってしまえば、「弱肉強食」である。要するにパイの大きさが決まっていれば、強い奴がたくさん食べて、弱いものはそれに甘んじるしかないというもの。それでも、強いもののおこぼれが社会にあふれ出るから、「豊かになる」というものだ。トップランナー理論とも言う。これを民間企業に当てはめると、会社に貢献した者に対しては給与を上げて、そうでない者はどんと下げるべきだということになる。

もうお分かりだろうが、本来この手の成果主義を導入するには、労務費全体のパイの大きさを毎年機械的に算出し、多くのものが納得できる分配方式が確立していないと、辻褄があわなくなる。

 「定昇」制度がその会社に存在するということは、このパイが「年々定昇分だけは大きくなっていく」ということを約束(あるいは予測)しているわけだ。その原資を売上増で出すつもりなのか、はたまた合理化で捻出するのか、とにかく入社者と退社者の賃金の差が、入社者≦退社者 でない限り、右肩上がりを維持しなければ破綻してしまう。まっ、こんなことは現実には不可能といってよく、厳密に言えば、定昇制度を残した時点で、成果主義は「絵に描いた餅」となってしまう。

 もっともまずいのは、業績に貢献した人数よりも貢献しなかった人数の方が多いといったケースである。要するに賃金を引き下げられる者が多いということだが、これでもしも過去最高益をあげたと嘯いているようでは、その企業に明日はないと言えよう。このあたりの連動関係を、労使ともに納得できるよう作り上げる必要がある。


9割の会社が成果主義人事制度に「問題あり」 (2005.05.01)

 

 財団法人労務行政研究所というところが3月18日に、東証1部上場企業の人事・労務担当取締役と労組委員長を対象に「成果主義人事制度の導入効果と問題点」について調査した結果を発表した。

それによると、成果主義人事制度について、労使とも9割が「問題あり」と回答している。この制度が(曲がりなりにも)「機能している」と肯定的に捉えている割合は経営側7割に対し、労働側は4割にとどまった。

どうも色々な会社で話を聞くのだが、「能力主義人事」「成果主義人事」と頭につけなければ、流行に乗り遅れてしまうとなかば脅しのように強要しているシンクタンクがいるようだ。群馬の片田舎でもこうなのだから、大都会ではさぞかしかまびすしいことだろう。

別に「経験至上主義」に立っているわけではないが、証券会社系であろうが銀行系であろうが、シンクタンクの研究員というのは、実際の人事の現場で苦労した方というのは少ないようだ。にもかかわらず、人事制度のコンサルタントと称しているのは、米国流のやり方を完璧に習得しているということらしい。しかし、所詮は「物まね」しただけだから、導入するとこの程度のお粗末な評価となってしまう。

そもそも長年人事制度の改訂に携わってきた経験からいっても、「成果」だけを第一の基準にする制度というのは、どう考えても無理がある。成果というのは、人智を超えた要素、たとえば売上数などは、流行であるとか天変地異であるとかにかなり振られてしまうものなのだ。製造現場であれば、生産量の上限は受注数で決まってしまう。不良率などを目標にして、その低減を「成果」ととらえたにしても、もともとの不良率が高すぎたのであれば、本末転倒の評価ということになる。

そういう会社では、自社の管理職を一堂に集めてみればいいのだ。そこでその場で解決可能な何らかの課題を出してみる。本当に会社に有用な人物というのは、こんな場ではやはり突出するものだ。そんな直接選挙のような方法でも用いない限り、人材の真価などわからないのである。

人事制度はいうなれば「社内秩序」である。外部ノイズや流行だけで振られるような秩序では、従業員の支持はえられまい。


裁量労働制で万々歳となるには (2005.04.01)

 

 東京労働局労働時間課が、都内各労基署に届出のあった裁量労働制の導入事業場について、平成169月末現在における「導入状況と運用の実態」についてとりまとめ結果を発表した。

 それによると、

 企画業務型裁量労働制が、 253事業場、13,936

 専門業務型裁量労働制が、1,124事業場、53,279

 特に、平成161月から導入要件が緩和された企画業務型裁量労働制の導入について、平成161月〜9月末まで導入事業場(決議届の件数)が前年の同期間に比べ2.5倍に増加するなど大幅に導入事業場が増えている実態が明らかとなった。とくに、金融・広告業での導入が目立つという。

 裁量労働制を導入すると、対象者については原則として日々の時間管理が必要でなくなる。たとえば、「この仕事は月5時間程度の残業でこなせる」と使用者がみなせば、実際には10時間残業したとしても5時間の残業手当を支払えばそれで済む。その点では頭の痛い労務費の「圧縮」ができるわけだ。が、その人がどんどん効率をあげて、まったく残業をしなくなっても、5時間の残業代は支払わなければいけない。そうなれば、本当は御の字で、労使で「みなし時間」を短く設定しなおせばいいのだが、それは面倒ということで、「みなし残業」の時間は低く設定されがちである。そのため、実際の仕事量と乖離しているというので、しばしば監督署の指導を受ける。

裁量労働というのは、一人一人の「自己責任」で仕事の進捗を管理しろというのが趣旨だから、労働者にしてみれば、より早く仕事をあげてしまえば、働いていない時間外手当と時間との両方が手に入る。こうなれば、会社も社員も万々歳ということになる。

 しかし、こうしたメリットを享受できる人がどれほどいるのかわからない。それに上司が、そういう「優秀な人物」に反感を持ち、人事考課を低く付けるなどしてしまえば、結局優秀な人材を取り逃がすということにもなる。このあたりのところまで、労使で十分に議論した上で導入したいものだ。


プロジェクトXの舞台裏は、きれいごとだけじゃない (2005.03.01) 

 

 青色発光ダイオード(LED)を開発した中村修二・米カリフォルニア大サンタバーバラ校教授(50)が、かつて勤務していた日亜化学工業(徳島県阿南市)に特許権の譲渡対価を求めた訴訟は、今年の1月 11日、日亜側がすべての職務発明の対価として遅延損害金を含め約8億4,300万円を支払うことなどを条件に、東京高裁(佐藤久夫裁判長)で和解が成立した。

  昨年一月の地裁判決では、中村教授は日亜在職中の 1999 年に青色LEDの製造装置に関する技術を発明。日亜が特許出願し 1993年、世界初の製品化に成功した。中村教授が当時、会社から受け取った報奨金は2万円だけだった。
  日亜側は控訴審で

(1)対象の特許は製品化につながる数多くの特許の一つにすぎず、実際は使用していない

(2)十分な研修や設備投資をした結果生まれた発明で、企業の貢献度が高い

などと主張。

これに対し中村教授は「すべての製品に不可欠な基本特許で、会社の援助や指示なしに独力で発明した」として、控訴審では請求額を 201億円に増額していた。

 毎日同じ作業を繰り返していくというのは、結構つらい。そこで人間というのは、日々どこかに工夫をする。それは場合によっては、自分が楽をするためであったりするわけだが、これはメーカー勤務が長かった自分だけの癖なのかもしれないと思っていた。ところが改善壁というのは、どうもそうではないらしい。昨今では、ごみの分別収集といった現場でも、「日々改善」が叫ばれている。

さて、製造業というのは、日々「カイゼン」「改良」で追いまくられる。たいていの場合、それは些細な社内の改善提案で終わってしまうのだが、それだって、年間に換算すれば、数千万円の費用削減になって「経営に寄与」するということだってままある。もっと大きなものは、NHKのプロジェクトXに取り上げられて、関係者はほとんど英雄扱いとなるのだが、仕事である以上裏にはどうしたって金銭の問題が貼り付いている。

 話題になっている「青色ダイオード」というのは、聞くところによるとノーベル賞級らしいので、別格なのかもしれないが、発明を「経営に対する貢献度」というメジャーで計るというのはいささか引っかかるところだ。というのも、それは「業績主体の処遇制度」と極めて近くなってしまうからだ。貢献度の対価として、8億円というのはちょっと法外という気もするのだが……、いかがなものだろう。


腰砕けの年金改革・今年度の目標達成厳しくなる 2005.01.01

 

 社会保険庁が2004119日発表した48月の国民年金保険料の納付率(前払い含む)は34.6%であった。前年同期に比べ0.5ポイント改善したものの、今年3月の年度末目標である65.7%を達成するのは相当厳しい状況になっている。

 納付率とは、加入者が年度全体で本来納付すべき保険料のうち実際に納めた割合を示している。国民年金特別対策本部(本部長・尾辻秀久厚生労働相)では、社保庁が2007年度の目標としている納付率80%に達するよう、年度ごとに経過目標を設けることなどを確認し、地方の社会保険事務局でも個々に目標を設けるというが、年金改革初年度からの腰砕けはいかにも痛い。

 社保庁は目標達成に向けた行動計画として、「納付期限より1カ月前払いすれば保険料を割り引く制度を来春から導入」するという。これにより納付率は07年度までに9.2ポイント上がるとの皮算用だか、はたしてどうか。200410月から市町村に被保険者の所得情報を提供してもらう措置をとっているので、納付率は毎年2ポイント程度改善するとも予測しているが、これもはなはだ甘いといわざるを得ない。

 私は社保庁が満を持して「行動計画」を発表したと耳にし、いよいよ夜討朝駆けで保険料の徴収に汗をかく気になったのだと早合点してしまった。が、蓋を開けてみれば公費を使っての「割引制度」の導入!割り引くということは、それだけ徴収金額が減っても良いと是認したということにほかならない。そのツケは、しまいには国民にまわされることになる。これが現実であるということを国民は忘れてはいけないと思う。

 


富士重工業 新人事制度を管理職に導入 2004.12.01

 

  富士重工業が、2004101日より全管理職(非組合員)に対し新しい人事制度を導入した。今回の人事制度の抜本改定は13年ぶりに行われたもので、既存の資格制度の撤廃、年功賃金体系の撤廃、業績評価制度の徹底など、業務と業績に直接結びつく制度を狙いに、同社の中期経営計画FDR-1のテーマでもある企業風土改革を推進するためのものとされている。

  また、管理職以外の一般従業員(組合員)の人事制度についても、管理職の新人事制度同様の考え方に基づき、来春には改訂を予定しており、現在検討を進めている。

  スバルの富士重だからというわけではないか、人事制度を維持する流れは、自動車モデルの維持に似ている。膨大な開発費をつぎ込んだニューカーでも、一旦市場に投入してしまえば、年数を経るごとに古臭さが鼻についてくる。これと同じように、導入に踏み切った制度は、数年ごとに細部を変更していかないと、時代に合わなくなっていってしまうものだ。

マイナーチェンジを繰り返していれば、導入当初の統一されたポリシーがないがしろにされてしまうのは止むを得ない。そのため、矛盾が各所に露見してくる。こうなると、利用者である使用者側、労働者側の双方から、「こんな制度はダメ」と制度は見放されてしまう。車で言えば、いよいよ売れ行きが落ち込んで、モデルチェンジイヤーに入ったということである。

 理想を言えば、新制度を導入した翌年あたりから、現制度のポリシーの見直しを始めておくべきだろう。車で言えば次世代モデルの検討ということになる。こうしておけば、新旧制度の乗り換えはスムーズとなる。

新人事制度が定着し成功するか否かは、このように設計時の先見性の良し悪しで決まってしまうことが多い。他社の制度の評判が良いからといって、安易に移植してしまうと、この先見性がないため、大抵は失敗してしまう。

 


新賃金制度導入相次ぐ 2004.11.01

 

(1)富士重、管理職に新人事制度を導入=役割・達成度を賃金に反映

(2)武田薬品、職種別賃金導入へ  労組に提案、事務・製造は賃下げ

(3)NTT東日本、「実力社員」向けに年俸制を導入検討

 ここで取り上げた会社は、三社三様それぞれ違った思惑で人事制度にメスを入れようとしている。富士重工は管理職のモチベーションアップ、武田薬品は国際競争力をつけるための労務費の圧縮、NTT東は人材確保である。理由がこれだけ多様になったということは、それだけ景気の復調が本格的になった証拠と考えても良いだろう。

 労務費というのは、会社の費用の中ではかなりのウエイトを占める。これは財務諸表を覗いたことのある人なら、誰でも知っている。だから、この部分が圧縮できれば、成果は大きい。ただし、ご存知の通り人事制度の改定はパンドラの箱だから、一ついじり方を間違えれば、百鬼夜行の様相を呈する。

 口の悪いジャーナリストは、日本ほど「人事労務のコンサルタント」がたくさんいる国はないという。実際多くの「先生」方が東京に住んでいて、有名企業の多くはそういう「大先生」の言いなりになって、右往左往しているのが実態である。しかし、大成功しているという話はいまだに聞こえてこない。

 ここで取り上げた3社がコンサルタントを使っているかどうかは知らない。が、人事制度を改定する場合は、まず「どんな会社にしたいか」「どんな社内にしたいか」が明確にできていなければ、危険である。方針まで、コンサルタントに丸投げするようでは、最初から失敗であろう。


受動喫煙で初の賠償命令 2004.09.01

 職場での分煙を要求したのに改善されず、受動喫煙で健康被害を受けたとして、東京都江戸川区職員(36)が区に約30万円の損害賠償を求めた訴訟の判決で、東京地裁は7月12日、区の安全配慮が不十分だったとして5万円の支払いを命じた。
 たばこ被害をめぐる訴訟で賠償を命じた判決は初めてで、昨年5月に健康増進法が施行されて以降の禁煙・分煙の流れをさらに加速させそうだ。
 煙草という嗜好品は歴史的に見ても、国家権力との結びつきが濃厚だ。日本では明治時代には、「天狗煙草」などの民間煙草会社があって、莫大な利益を上げて新聞社(今の感覚では週刊誌)まで持っていた。この社主はその後国会議員(帝国議会議員)になったのだが、その後、会社は国に接収されてしまい、ご存知の専売公社の前身となった。専売公社は国策会社だったから、価格の大半が税金となってしまったのはいうまでもない。

煙草に含まれるニコチンには中毒性があり、一種の麻薬ともいえる。その強力な反復性を利用して税金を集めるということ自体、かなりいかがわしいのだが、その一方で国として「禁煙」を推進するといった今時の事態は、ある意味で茶番と言っても良い。本当に「煙草の害」を一掃するというのならば、現在売られている煙草をすべて販売禁止にするか、ニコチンのない煙草の開発を「日本たばこ」に命ずべきだろう。そういう方向に話が運んでいるというのは聞いたことがない。

そもそも管轄省庁である厚生労働省の入っているビルが禁煙になったのは今年からだという。「科学的な根拠」と「慣習」とは利害が一致しないことが良くある。私はタバコを吸わないが、現在のようにすべてを「政治決着」で済ますようなやり方は良くない。


年金改革法案の限界 2004.08.01 

 日本の公的年金は、「夫が働き、妻は家にいて家庭を守る」という「理想」のみを対象にしている。  そういう「推奨された暮らし方」をしてこなかった人は、年金をあてにした老後を設計すべきでないと、官僚たちは考えているに違いない。加給年金や第3号被保険者という「不労者」に対する制度が歴然と存在するのは、そういうことを示しているのだ。お上の示した「理想」に従わない人は、「わがまま」なのだから、自己責任で老後のプランを練らなくてはいけなくなる。そういうことらしい。

 もともとその程度のしくみなのだから、今回の改正においても、現役世代の○○%は保障するなどと大言壮語を吐かなければ良かったのだ。計算上そうなるというのは、「約束」ではなく「試算」であり、実際の数字はケースバイケースであろう。

 個人の老後資金をパーセント保証したいなら、夫婦二人でワンセットという、大前提を崩さなければだめだ。それを離婚した場合の「妻の持分」といった結果の話にすり替えていたのでは、改革はおぼつかない。国会はもめにもめたが、そういう議論は全くなされなかった。大山鳴動すれど鼠一匹とれなかった。困ったことである。


派遣労働は選択肢なのか 2004.05.02

派遣法の改正で本当に「多様な働き方」が認められ、「仕事に就きやすい環境」が整えられるのか。はっきり言って首を傾げざるをえない。どこの企業も労務費の高い正社員を減らす傾向にあり、欠員はパート、アルバイト、派遣社員によって穴埋めされるのが普通となってしまった。郵政公社でさえ、正規の職員は3割を切るという。

こうした現実を見れば、結果として雇用形態は多様になってしまったと言うしかない。それしか募集していないという環境の下では、今回の法改正のようなことでもしなければ、巷に失業者があふれ出してしまうということだろう。

ただし正社員とそれ以外の労働者とを比べると、 給与を含めた労働条件の格差は眼を被うばかりだ。最低賃金イコール採用賃金というところも多い。今回の改正は、低賃金労働者を増加させることになるだろう。


賃金制度見直し相次ぐ2004.04.01

 

 '04年春闘を機に、定期昇給(定昇)制度の見直しを打ち出す企業が相次いでいる。

 これは一般的には、国際的に高止まりしているといわざるを得ない賃金体系にメスを入れ、国際競争力を回復するのが狙いとされている。

 「聖域」扱いされてきた定昇を見直すことは、年功序列、終身雇用を前提としてきた日本の雇用制度の本格的な崩壊の序章と考えられる。今年の春闘では、ベースアップ要求を見送る労働組合が多いということもあり、賃金制度改革に踏み出す好機ととらえている企業が多いようだ。

◆流れは、「漸次改善」ではなく「一気に廃止」

 主要企業の多くはこれまで、基本給与を年齢給と、能力や社内の地位に応じて上がる職能給、職務給などに分割し、年齢と勤務年数に応じて決まる年功給の比重を低くするなどの見直しを続けてきた。

 しかし、今様の賃金制度改革では、年齢給を一挙に廃止したり、管理職だけに導入されてきた年俸制を一般社員に広げるなど、年功序列で賃金が決まる制度を完全になくす動きが目立つ。

 ただし経営方針や業種によって、そのアプローチはまちまちだ。

 定昇を見直す企業の多くは、日本水産、中部電力などに見られるように、全社員の年齢給や勤続給を廃止する「全社員廃止型」をとっている。

 ただし、ホンダやキャノンなどは、一定の勤続年数や役職になるまでは定昇に近い制度を残し、若手社員の将来への不安を和らげる配慮をしている。要するに、会社で能力が発揮できる年次になってから定昇を廃止しようという制度だ。

 いわゆる「中堅以上廃止型」や「圧縮型」の方はというと、典型的な東京電力では、課長級以下の社員に保証する定昇の期間を現在の9年から3年に縮める定昇圧縮方式を検討中である。

 もっともホンダのように、2007年度からは賃下げもありうる制度に移行するという企業もあり、改革は、おしなべて中堅以上の社員に厳しい。

 また、いささか変わった手法としては、シチズン時計のように、「若者のキャリアアップを図る」目的から、今年4月以降に入社する社員にだけ年俸制を導入し、他の社員の定昇は残すという会社もある。

◆賃金改革は不況を乗り切るための暫定措置なのか

 富士通は、定昇相当分は残すものの、昇給率を減らす。要するにその人のその年の賃金は下がらないが、これまでのように能力や地位などが同じ1年先輩の社員と同じ給与を1年後にもらうことはできなくなるという仕組みである。

 賃金制度の改革・定昇見直しを行っている企業は、すべて業績が不振というわけではない。多くの企業が不況下の緊急避難としてではなく、恒久的な措置として定昇改革を検討している傾向が強いということを肝に銘じておかなければならない。

 


成長神話は幻想だったと肝に銘じよ 2004.03.01

 

 「基礎年金」の導入により、年金支給を二階建てにし、すべての年金制度を一本化するという大改革が始まったのは、昭和64年のことである。その時点で、勤め人の年金受給年齢は、順次65歳に引き上げられると決まった。

当時はバブルの真っ只中で、年金改正説明会では、役人が「その頃には、65歳定年が当たり前になっているだろう」し、「毎年相当な昇給が続き、それに応じて年金額もスライド上昇していくはず」なので、老後にはまったく心配はないと説明していた。私の記憶では、賃上げは毎年3.5%程度で推移するとみなしていたようである。その見通しが見事に外れて、いまの体たらくとなった。

では、現在話題になっている年金の設計根拠はどうなのか。報道各社がここにメスを入れないのが気になる。スパンの長い年金制度を、単年度会計だけでうんぬんするのはなんだが、去年から今年にかけて、年金財政の赤字幅はどっと拡大している。

政治家は、選挙になると「年金保険料を税金化しろ」などと声高に叫ぶが、保険料であれ国税であれ、出すのは国民である。国民の感覚からすれば、「とられた金よりももらう年金のほうが少ない」ような制度なら加入したくない。全被保険者の支払済み保険料を計算し、現時点での予想年金額を出してみるべきだろう。その結果、どうしても下回るということがわかれば、保険料をすべて返納して公的年金を廃止するしかない。ここまで肚を決めれば、あとは「自己責任」である。返納された保険料の多くは銀行に預けられるはずで、貸し渋りもなくなるに違いない。

まっ、それは極論だが、「年金は世代間の助け合い」などというのは、まやかしである。年金額は年々減らされる傾向にあり、保険料は逆に上がる一方である。制度は複雑化するばかりで、関係職員の数だけが増え続けている。といって、今の日本では、自助努力の個人年金もほとんど元本割れしている。

 こんな時代に「利口な選択は」と聞かれても妙案はないのだが、とりあえず短気を起こさずにじっと長生きする以外に元をとる方法はない。


2004年度税制改正(与党大綱) 2004.02.01

【あらまし】

自民、公明両党による与党税制協議会は03年12月17日、2004年度与党税制改正大綱を決定した。大綱には、住宅ローン減税を1年延期した後、段階的に縮減することや、高齢者への年金課税の強化と2005、2006年度の所得税などの定率減税の縮減、2007年度をめどに消費税を含む抜本的税制改革を実現することなどが盛り込まれている。国と地方の税財政を見直す三位一体改革では、2004年度に所得税の一部を地方に移す所得譲与税が創設される見通し。

 

【与党 税制大綱 04年度税制改正のポイント】(〇は減税、●は増税、はどちらともいえず)

《暮らし》

●公的年金等控除
65歳以上に上乗せされている優遇措置を廃止。年金だけで暮らす世帯に配慮、控除の最低保障額を特例措置で120万円に

●老年者控除
所得1000万円以下で65歳以上の高齢者は一律で50万円を課税対象から除く措置を、2005年1月に廃止する

●住民税均等割り
市町村民税の人口に応じた税率区分を廃止し、人口50万人以上の市の税率(年3000円)に統一。地域によっては増税に

住宅ローン減税
2004年入居者から2008年入居者までの間に、最高減税額を、500万円から160万円に段階的に引き下げる

〇低公害車グリーン税制

2005年からの新たな排ガス規制に合わせ、排ガス中の有害物質の削減度に応じて自動車税を50―25%軽減する

《企業》

〇不良債権処理税制
2001年4月以降の事業年度で生じた連結欠損金(赤字)の繰り越し控除期間を現行の5年から7年に延長する

〇固定資産税
商業地等の課税標準は評価額の70%が上限だが、条例によって、負担水準60%から70%の範囲内で一律に減額できる

〇連結付加税
当初予定通り、今年度末で廃止。グループ企業の損益を合算する連結納税制度を採用した企業の負担は軽減される

〇事業継承に関連する相続税
事業の継承に必要な特定事業用資産の相続税の特例の対象になる特定同族会社株式等の価額の上限を、10億円に引き上げ

《国と地方》

所得譲与税
所得税の一部を、使途を制限しない一般財源として地方に譲与する所得譲与税を創設。来年度は4249億円を税源移譲

地方税課税自主権
固定資産税の制限税率を廃止。法定外税について、税率の引き下げや課税期間の短縮等の場合、国との協議が不要に

【コメント】

 そもそもは、年金の支給水準を保証し、高齢者が「安心して暮らせる国づくり」を目指した年金改正であり、税制改正であったはずである。それが蓋を開けてみると、高齢世帯を狙い打ちにする大増税となってしまった。あきらかにボタンは掛け違っているのだが、与党の政治家はこれで良しとしてしまった。

 あきらかな増税政策であり、保険料もどんとアップされる。今勤めている会社に昇給など望むべくもない。となれば、いうまでもなく消費はぐっとしぼみ、モノが売れなくなる。再び大不況がやってくるのは目に見えている。

かつて自民党は、やっと光が差してきた経済に、消費税率のアップという伝家の宝刀を抜いて、痛い目を見たはずだ。執行部はあのときに国民から浴びた罵声を忘れてしまったのだろうか。もっとも、社会保険にしろ税制にしろ、議論の青写真を提出できるのは一握りの官僚に過ぎない。政治家は枝葉末節に手を加えるのが関の山で、それがこの国の実情だろう。

まさかとは思うが、吸い上げられた税金や保険料は公務員や天下りの俸給だけに消えてしまうのではあるまいか。そうなれば、初夢ならぬ悪夢である。

 


労基法改正、始まってからが正念場  2003.12.01

 本当に機能しているかと問われれば、たぶんに眉をひそめたくなるが、良くも悪しくも「政治家」には選挙という洗礼がある。一方、行政をつかさどる役人に は、そういった「儀式」はなにもない。「いや、採用されるときに難しい公務員試験を受けている」じゃないかと反論する人もいるだろう。
 なるほど、それは認める。「悔しかったら、お前も試験に合格し て、役人様になればよかったのだ」と諭されれば、返す言葉もない。
 話は横道にそれてしまったが、総理が誰になろうと経済が瀕死の状 態になろうと、行政は決められた路線を「粛々」と進んでいく。今回の基準法改正にしても、およそ5年前から検討さ れていたものである。これが「憲法改正」という大事業なら、まっ容認してもいいだろう。
 6つのポイントを要約す ると、「働き方は働く側の自由に任せろ。残業はさせるな、雇用期間は長くし、一旦就職したら定年まで面倒みろ」ということである。まるで労働組合だが、た しかに理想だとは思う。
 しかし、時期が悪い。このデフレ経済の下で、民間企業でこれをす べてクリアするのは難しかろう。そんな状況は無視して、法律だけが走り出してしまう。
 条文の行間から、「守れないのならお前も公務員になれば」といわ れているようで、鼻白む。


積立金取り崩しには監視の目を  2003.11.01

「試算」というのは、確実な予測である。単なる「希望」ではない。したがって、厳密な計算によってはじき出される。当然結果は信用さ れるべきものだ。信じられるからそれで予算を組むのである。

一個人を例にとっても、まず月給の予測を立ててから、物を買うのが普通である。その順序が逆になって、ともかく買いたいものを買って しまうと、あとが大変である。とりあえず預金があれば、それを取り崩すということになる。日本の年金はまさにそういう段階に入ってしまった。

それにしても、「預金」を取り崩すのは2040年ごろとしていたのだから、37年の前倒しはひどい。

この調子では、預金が底をつくのも40年は早まりそうだ。いや、そもそも預金が40年も持つはずはな い。厚生労働省の試算は「希望」ともいえない「幻想」だったというところか。

国民として、この「積立金の取り崩し」が来年一年のみで中止されるよう、行政を監視していく必要があ りそうだ。


日産自動車、 成果主義強化へ (2003.10.01)

 近頃、「新築そっくりさん」なるキャッチコピーでリフォームの営業を行っている会社がある。住宅建築に限らず、一から作り直すというのは、な かなか踏ん切りが付かないものだ。しかし、造り手の側から言えば、「直す」よりも、新規に作るほうが、制約のない分だけ簡単である。
 ただし、こういう作り方をすると、「住み手」(ユーザーサイド)が、建物に合わせなければいけなくなる。有名建築家が建てた家のほとんどが、住み難いの はある意味で当然のことである。
 人事制度改革の場合にも、これはあてはまる。「流行の○○制度だから」とか「有名な××総研に作ってもらったから」などといった制度は、大抵使いにく い。それもそのはずで、万人向きの制度は既製服のようなものだからだ。
 だいたい現行制度をポイとゴミ箱に捨てるわけには行かない。(この点は、次の判例研究でも触れる)
 人事制度には継続性が要求されるのだ。そこで、ここでも「新築そっくりさん」が望まれるのだが、これは結構難しい。
 今後を見据えれば、人事制度はパートタイマーなども含めたマルチなものが要求されるのは当然で、日産がこのあたりの配慮までするのかいなか、見ものでは ある。


雇用保険の基本手当日額マイナス変更 (2003.09.01)

 毎年8月1日の金額改訂は、法律で決められているものである。マイナス改訂も二年連続となり、驚くにはあたらない。しかし、今年は5月に雇用 保険全体の大幅マイナス改訂があったばかりである。その時には、一連の金額は2004年7月31日まで改定しないと言っていた。それが、いつの間にか、 「制度」だからということで、短期間の内に二度の引き下げということになった。
 はっきり言って、失業者にとって今の「雇用保険制度」は頼りにならなくなったと言って良い。それが証拠に群馬県では失業者に対して、生活資金の無利子融 資を始めたりしている。すでに「失業保険」で生活を継続できるというのは幻想だと公務員が認めているのだ。なにしろ彼ら自身は、最初から雇用保険には非加 入である。
 それはともかくとして、無利子といえども借りた金は返さなければならず、利用者は少ないという。
 住宅金融公庫北関東支店(前橋市)の調べでは、02年度中に逆に、住宅ローンの返済が滞り、自己破産によってマイホームを手放した例が、同支店管内(四 県)で122件あったという。
 失業給付の額を引き下げたり、日数を減らしたりしてまでして、守らなければならない「雇用保険制度」とは一体何なのだろう。10,500円で施設を売り に出したりしたのも、雇用保険に関連した天下り法人なのである。


年金分 割の前に実態を直視せよ (2003.08.01)

 現在の厚生年金は、そもそも「世帯」単位で家計をいとなむという発想で設計された制度である。設計された当時は、老夫婦が子供世帯と同居して いるということが暗黙の内に了解されていた。一緒に住むということは、経済的にそれだけ無駄な支出が減るということである。当時の政府には、老人が自分の ために金を使える時代が実現されるなどとは、夢にも思えなかった。
 ところが時代の進み方は早い。圧倒的多数の子世帯は、別居というスタイルを選んでしまい、子世帯のほうの家計が苦しくなり、その上に社保料の引き上げが 追い打ちをかけた。今度はそこに、高齢者離婚という問題である。
 しかし世帯の年金を2分して、それぞれが豊かな暮らしを続けられるだろうか。別居後の支出は同居していた時の二分の一ではない。借家探しから始まる場合 が多い。年金のようなロングスパンの政策は、所詮こうしたライフスタイルの変化に、完全には対応できないのである。となると、やはり自衛するしかないとい うことになるのだが……。


就 職時のHIV検査は違法に思う (2003.07.01)

 警視庁警察官に採用直後、無断でエイズウイルス(HIV)検査をされ、感染を理由に退職させられたとして、東京の20代の男性が東京都などに総額約2,350万円の損害賠償を求めた訴訟の判決で、東京地裁は528日、計440万円の支 払いを命じた。
 個人情報保護法案が通ったとか通らないとかというニュースが報道される一方で、現実の個別のプライバシー保護というのは、裁判で争われる場合が多い。裁 判には金も時間もかかるわけで、それはゴメンだということになれば、泣き寝入りということになってしまう。住民基本台帳ネットのデータはすでに防衛庁など には回されてしまったという話もあって、個人情報を「何」に対して保護しようとしているのか、今一つわかりにくい。
 もっともHIVは「感染症」の一つであるわけで、それがプライバシーとして認められるのなら、新型肺炎SARSの患者のプライバシーはどうなっているん だという疑問も湧く。感染力云々を尺度にするのかとも思うが、その線引きを、国が明確に示しているわけではない。権力行使の根拠はいかにも脆弱だ。
 混迷の時代だから仕方ないのだと諦めるのも一つの見識だが、国民一人一人が真贋を見極める目を持たないと、国があらぬ方向に流されてしまう可能性があ る。


雇用保険制度の改訂は予定利率の変更に匹敵 (2003.06.01)

 今回の雇用保険制度の変更は、生保業界が検討している「予定利率の変更」に匹敵するものである。加入時に保証されていた権利が、ことわりもな く大幅にカットされている。被保険者にこれだけの「痛み」を押しつけるというのに、国会ではほとんど議論されなかった。いまさら政治家に期待するのはノー 天気だと言われそうだが、腹立たしい。
 本来は、失業者が多くなっているこの時期にこそ、失業給付(基本手当)の日数を多くして、景気を下支えしなければいけないのではないか。
 もっとも、識者の間には、消費を盛り上げても、どうせ日本経済は再生しないだろうという見方も拡がっているらしい。失業給付など増やしても、タンス預金 になるだけだというのだ。だったら、いっそのこと、国民に渡す金をがくんと減らしてしまい、余った金を使うのは役所の方で、外郭団体を通してやりますとい いたいようだ。こんなことがまかり通ってしまう、この国の将来を憂えざるをえない。


医療保険統一は悪平等の始まり? (2003.05.01)

 いよいよ4月から医療保険は、自営業者とサラリーマンとの自己負担の差がなくなった。病気になった時の「痛み」は、すべて平等になったわけだ が、保険料の負担方法が統一されたわけではない。
 国民健康保険は保険料を「国保税」と呼ぶことでわかるように、基本的には地方税と同じく前年度の年収で課税されている。そのため算定や月変という面倒な 作業はない。が、収入によって保険料(税)が上下するという点で大差はない。
 自己負担を同じにした以上、いっそのこと健保制度自体を国民健康保険と一緒にしてしまい、企業は医療保険の事務を返上してしまったらどうだろう。こうし た提案は、本来赤字に喘ぐ健保組合あたりから、するべきだ。
 そもそも所得税の源泉徴収にしても、企業は国税の徴収という国の基幹業務を無料で代行させられているわけで、こんな国は滅多にない。「面倒くささ」や 「痛み」だけを押しつけ、将来的に問題ないというのでは、いかにも胡散臭い。


労災保険料率引き下げの真相は (2003.04.01)

 公的保険の保険料が軒並み値上げされていく中で、労災保険だけが優等生ということになる。昨年から長時間労働を起因とする過労死の認定基準が 緩和されたにもかかわらず、保険料率が下方修正されるというのだから、これは本当に労災事故が減ったのだと額面通り喜びたいところだ。
 だが、一方で労基署は、「労災隠し」の摘発も同時に進めている。どうやら企業から出されている死傷病報告は鵜呑みにできないと勘づいているようだ。
 実際に起きている労災が労災保険を使わずに水面下で処理され、それがゆえに料率が下がるのだとしたら、保険制度自体に歪みが生じていると言わざるを得な い。
 このような制度の歪みは、企業内の制度でもしばしば見受けられる。出てきた数字だけで物事を判断する癖がついてしまうと、真実を見抜けなくなることがあ る。経営者は特に自戒しなければならない。


雇用保 険の帳尻 (2003.3.1)

 昨今の国の行政はすべて後手後手である。失業手当(基本手当)というのは、いまさら言うまでもないが、職を探している失業者の生活を保証する ためのものである。
 なぜ、失職している者の生活費を国が面倒みるのかというと、日本国民に「労働の義務」が課されているからであろう。義務を果たそうという尊い意思がある のに、仕事を与えられないというのは国としての失策であるため、生活を保障するのだととらえることも出来る。
 ところが未曾有の不況で、民間企業は新たに人を雇うだけの余裕がない。そこで失業手当をもらう人ばかりが増えている。これでは雇用保険の帳尻が合うはず もなく、慌てて「もっと真面目に職探しをしろ」と号令をかけたわけだ。だが、どこか本末転倒してはいまいか。
 もとをただせば、社会主義国でもないのに、国(職業安定所)が過不足なく「仕事を与えられる」ことを前提に、保険制度を構築したこと自体笑止である。失 業者の増加は、短期的に見れば国の失策であり、長期的に見れば、これまで享受してきた消費至上主義のツケである。その一方で、労働3事業の予算によって建 設された「勤労者福祉施設」と呼ばれるリゾートホテルが、破格の値段で投げ売りされている。群馬でも「サン・アビリティーズ」(前橋上佐鳥町)が 105000円、前橋勤労青少年体育センター(大渡町)が10500円で売却された。
 今後100年の計とまでは言わぬが、長期的なスパンで物事を考えずに、受給者ばかりをいじめても問題は解決しない。


総 報酬制の未来は? (2003.02.01

 現段階で新制度の成否をあれこれいうのは差し控えたいが、改 訂のベースになっているのは、バブル時代、保険料逃れのために、年収の半分近くをボーナスとして支払う企業が多く現れ、それを取り締まらなければとねじり 鉢巻きで作り上げた改訂案である。
 というわけで、ボーナスからかなりの額が徴収できると皮算用しているため、給与の保険料率は下げられている。ところがご存じの通り、今はボーナスを支給 しない企業さえある。出来たばかりの制度だが、収支のバランスがとれる見込みは薄い。それに標準賞与額の上限が健保と厚生年金で違うのは腑に落ちない。 (おそらく将来の年金額を低く押さえ込むための「布石」だろうが……)
 改正(改悪)の背景には、もちろん社会保険財政の悪化がある。その元をたどればバブル期の運用失敗に行き着いてしまう。それを高齢者の増加であるとか、 国民医療費が増加したなどと、もっともらしい説明でごまかしているのは許せない。
 この保険料率では2年と持たないという試算もある。制度がシンプルになっていくのは、「増税」のプレリュードということもある。注意深く見守りたい。


労災事故、世論が考えるトップの責任とは? (2003.01.01)

 2002年の年の瀬に、川崎製鉄千葉製鉄所の所長が交代した。
 その背景には、労災事故の多発があったのだが、法規上の責任が問われた場合を別にすれば、大抵は定期の異動に潜りこませて、それなりに処理するというの が、普通ではないだろうか。
 川崎製鉄のケースでは、新聞記事という形で社会に公表され、こうした処理にせざるをえなくなった。
 安全衛生法では、違反行為に対しては行為者だけでなく、会社やその代表者にも罰則がかけられる両罰規定をとっている。現実にJCO臨界事故では、事業所 のトップにまで責任追及が及んだ。
 川崎製鉄の千葉製鉄所では、6月からの5ヶ月間の事故が6件と多く、4人死亡、1人重体、4人がガス漏れ中毒によるしびれを訴えている。これは憂慮すべ き事態だが、警察や労働基準監督署の捜査では、明らかな違反を指摘できる状況には至っていないということであった。
 大企業の不祥事などの際に、トップがそろって深々と頭を下げる姿は、すでにお茶の間に浸透してしまった。謝って済むものではないという世論の風当たり で、東京電力、三井物産、日本ハムなどは、いずれもトップの辞任にまで追い込まれた。
 そうした不祥事の一つのジャンルとして、「労災事故」がクローズアップされはじめているのかもしれない。
 長引く不況が労災多発の遠因にあるというのは紛れもない事実で、企業を見る世間の目はますます厳さを増すだろう。むろん報道の仕方の功罪は考えてみる必 要があるが、経営トップにわかりやすい責任の取り方が求められるのは、致し方ないことのようだ。


脆弱な根拠で不安ばかり煽る官僚 (2002.12.01)

 失業率が5%台で推移する中で、雇用保険財政は悪化の一途をたどっており、01年度の収支は収入が2兆3830億円に対し、支出が2兆 6700億円となっている。差引3445億円の赤字で、95年度から7年続いている赤字を埋めてきた積立金も、残額は4998億円となっていて、来年度末 には底をつく計算となる。
 そこで厚労省は今夏から、離職前の賃金の高い階層を中心に失業手当の給付抑制策を検討していたが、それだけを実施したのでは抑制効果が03年度で 2900億円程度にとどまることから、再度の引き上げが不可避と判断したらしい。要するにいざという時に貰う手当は減少し、保険料だけが高くなるという最 悪のシナリオになってしまった。
 どんな根拠があるのかは不明だが、厚労省は失業手当の受給資格決定者が、02年度に前年度比10・7%増となり、03年度が02年度と同水準、04年度 以降は同5%増で推移した場合を想定しているらしい。
 それで計算すると、政府の不良債権処理の加速も想定して、03〜07年度の財政安定には0.3%の引き上げが必要であると主張している。
 しかし、労使との事前調整で反発が強いことから、07年度の収支が1500億円の赤字になるものの、積立金は6000億円程度残る0.2%引き上げ案に したというのだが、「セーフティネット」の底の薄さに背筋が寒くなるのは、早めに来た寒波のせいだけではあるまい。


フ レックスタイム廃止へ (2002.11.01) 

 キャノンが、勤務時間を自由に調整できる「フレックスタイム制度」を原則廃止する方針を決め、労使交渉に入っている。政府は少子化対策の一環 として、夫の家事参加などを促すフレックス制の充実を掲げているが、富士通やシャープもそれぞれ制度の休止、中止に踏み切っており、企業の対応は逆方向に 向かい始めている。
 このところ政府の肝煎りで導入させられた経営手法・労務管理手法の多くが、暗礁に乗り上げている。男女雇用機会均等法がらみの諸施策などは、とうの昔に 骨抜きになっているし、65歳定年制などは、奨励金欲しさに一部の企業が就業規則の文面だけを直して、申請している有様だ。フレックスタイム制度の導入も その類と考えて良いだろう。
 NHKの人気番組「プロジェクトX 挑戦者たち」のファンならば先刻ご承知だろうが、「創造的な仕事」というのは、自由な勤務体制がなければ産み出され ないというものではない。必要に迫られて、苦し紛れの一発を放つというほうが、成功する確率は高いのではなかろうか。要は、日頃からどれだけ仕事と真正面 に向き合っているかが、問われるわけだ。
 とすると、フレックスタイム制というのは何のために存在したのだろう。フレックスタイム制度を大いに利用している人達は、お世辞にも仕事人間とは見えな い。
 「日本人の勤勉さを何とかし」という外圧に負けて、官僚が導入させたとは考えたくないのだが……。


年 金物価スライド制の主旨とは (2002.10.13)

 老齢年金は老後の生活基盤になるものだから、水道やら電気代など公共料金もたいていこれから支払われる。そんなところから、一度決定された金 額(裁定された金額)は、物価の上昇によって実質的な価値が下がるような場合には、スライドして値上げしていきます、というのが本来の年金スライド制のあ り方であった。
 そのため、下方のスライドは行わないと言い、事実それを守ってきた。これは公共料金が容易に値下げされないという現実がある以上、当然である。
 一方、昨今の不況の中で辛うじて消費の下支えをしていたのは、デフレでわずかにゆとりの出来た年金生活者だった。政府はいよいよそんなところにまでメス を入れるという暴挙に出た。
 なるほど「痛みを分かち合う」のが大好きな現総理らしい発想ではある。その意味では終始一貫していると認めよう。しかし、これで消費不況は確実に長引く ことになる。
 そもそも、厚生年金の昨年度の運用利回りはマイナス4.16%であり、2000年度はマイナス9.83%であった。そんな収支報告も公開せずに、年金額 を一方的に減らすというのは合点できない。


透 明性のある審議会を望む (2002.10.01)

 2001年10月から2002年9月末まで適用されていた最低賃金の日額は5,146円である。単純に8時間労働と考えれば、644×8= 5,152円となり、以前から矛盾だと指摘されていた。そもそも一日の勤務時間はまちまちであるはずで、それをひとくくりにして、「日給」と呼んで良いの かどうかという疑問もあった。
 今回、県の最低賃金審議会は専門部会まで設置して、4回に及ぶ審議を重ねてきたそうだが、「日額廃止」は、全国一斉のことであり、時間額の据え置きもま たしかりである。ということは、審議会は何を議論してきたのだろう。
 全ての労働行政が同様であるとまではいわないが、審議会の実態は見えにくい。最賃や残業規制時間については、もっと開かれた場で議論して決めるべきでは あるまいか。


これでいいのか雇用保険改革 (2002.09.01

 バブル経済がはじけても、つい5年前くらい前までは、労働保険(雇用保険・労災保険)は、収支が黒字だからと、保険料率を引き下げていた。そ れが、昨年あたりから急に雲行きが変わり、建前は「リストラされた方の給付日数を増やすため」ということで、大多数の失業基本手当日数が減らされた。しか し、そんな小手先の手法でやり過ごせるほど、今の不況は甘くはなかった。
 そもそも、失業に対するセーフティネットであるはずの雇用保険が、現在のような大失業時代に、切り下げられるというのは本末転倒である。労働行政は単年 度黒字時代に、バラマキとしか思えない助成金・補助金事業を異常に増殖させている。今度の改革では、いよいよそちらの方面にもメスが入れられるようだが、 槍玉にあがっているのは天下り組織の存在しない事業ばかりだ。安易に保険料を上げるのではなく、まずは天下り事業団も含めて、職員数を半減するといった自 らの「痛み」を伴う改革を期待したい。


シッ クハウスで労災認定  (2002.08.01)

 大阪府堺市の市立保育所で、「化学物質によるシックハウス症候群にかかった」として、労災補償を求めていた女性保育士4人に対し、堺労働基準 監督署が労災認定した。
 大阪労働基準局によると、シックハウス症候群での労災認定は全国で初めてだという。
 ご承知の通り、労災には大きく分けて「ケガ」と「疾病」とがある。「ケガ」のほうは一目瞭然で、仕事場で挟まれたり、巻き込まれたり、転んだりするわけ で、被災したのが休憩時間中という事情でもない限り、もめることは、まずない。
 ところが、「疾病」のほうはというと、いささか厄介である。
 というのも、「業務起因性」があるかどうかが問われるからで、役所はこれまで、「AだからBという病気になった」と言い切れる場合で、なおかつAが「仕 事」であるとはっきりと断言できる場合だけ、労災と認めてきた。
 しかし、これには自ずと限界がある。「疾病」というものは、そもそも原因が一つだけに限定できるものではあるまい。様々な要因が絡まりあって、病気とい うのは発症するのである。そうした意味では、全ての病気の原因として「仕事」や「職場環境」をあげることも可能である。
 だが、それでは公的保険事業がパンクしてしまう。そこで持って回った理由を持ち出して、「それらしい線」を引くことになる。要するに、厳密そうに見えて も労災認定には恣意性がつきまとう。この事例も、そうしたものの一つであろう。
 ただし行政判断は、事例が多くなると「前例」というものに格上げされる。いずれにせよ、シックハウスといった病気は、環境行政との関係で役所のトレンド になっているので、この類の労災認定は増加していくに違いない。
 被災者の立場に立てば、まことに喜ばしい限りだが、これにより労災認定はますます不可解なものになっていくに違いない。
 物理学的にもエントロピーというのは増える一方なのだから、世の中の仕組みというのは、混迷極まりないものに進んでいくのは、致し方ない事なのかもしれ ない。しかし、それにしたって日本の公的保険制度は、皆制度疲労をおこしているとみて良い。


過労死認定が過去最多 2001年度は143件で68%増加 (2002.07.01)

 厚生労働省は522日、2001年度の「脳血管疾患及び虚血性心疾患等(「過労死」など)の労災補 償状況」及び「精神障害等の労災補償状況」を発表した。
 それによると過労死認定数は過去最多とのこと。いわゆる過労死の労災補償状況については、昨年12月の認定基準改正後、初めての認定数の発表となる。
 新たに取り入れられた基準は、「発症前に長期間にわたって、著しい疲労の蓄積をもたらす特に過重な業務に就労したこと」というもの。
 具体的には、これまで「発症前1週間」だった就労状況の評価期間を6カ月間に拡大した。これによって、認定基準が甘くなった結果である。
 労働災害の統計資料では、「災害」を様々な観点から分類している。「転落事故」とか「挟まれ事故」といった分類はごく一般的であろう。そうした中で、過 労による被災については、「過労死」という名称が使われていた。
 要するに死ぬまで働かなければ、「過労」が原因の労働災害であるとは認められなかった。そのため「過労死」認定の申請は、遺族が行うものと決まってい て、被災労働者本人が請求する他の労災とは一線を画していた。今回の統計において、生存の認定が死亡者の認定を上回ったというのは、特筆すべき点だと思 う。
 しかしこの発表と前後して、ワールドカップのキャンプ地の自治体の係長が、組織内外の圧力により、自殺するという事件が発生してしまった。「過労死」認 定基準をうんぬんする前に、我々は日頃の仕事の進め方と責任の部下への押しつけ慣行を見直さなければいけない段階にさしかかっていると思う。


日本型ワークシェアリングのゆくえ (2002.06.01

 政労使ワークシェアリング検討会議は、日本型ワークシェアリングのめざすべき方向として、「多様就業型」を位置づけている。その中核となるの は、「パートタイム労働」なのだが、現状をみると正規・非正規の労働条件格差は大きい。
 そもそもワークシェアリングを、パートタイム労働の延長線上でとらえようということ自体、ピントがぼけているのではあるまいか。少し前のことになるが、 社民党の辻元清美議員は、名義貸しした政策秘書のことをワークシェアリングだと言っていた。
 本業以外の「内職」や「亭主の収入を補完するためのパート」のことを、日本政府ではワークシェアリングととらえているようだ。現実には、正社員も含め て、「労働時間の短縮=給与の減少」という痛みを飲めるかという点が最大の課題なのだが、日本の政治風土では実現は難しそうだ。


心構えのシミュレーショ ン2002.05.01

 リストラの結果、隔日勤務の再雇用やパートタイマーという形で、国民年金に加入しながら会社勤めをしているという方が増えてきている。そう いった方が、一旦雇用契約を解除されると、すぐに国民年金の保険料が支払えないといった事態に陥る。皮肉なことに、4月から導入された「半額免除制度」 は、そういった世相を考えると、実にタイムリーであった。

 ともかく、国民年金の保険料は国民健康保険税と一緒に、滞納されてしまうケースが急増している。その多くは、外国人労働者であるという見方も あるのだが、そうやって他人事のように考えていて良いのか。
 現在、厚生年金(国民年金第2号被保険者)に加入していて、「社会保険などはすべて会社任せ」と考えている人達に警鐘を鳴らしたい。
 いまや日本は、未曾有の不安定な社会に突入しているのである。社会の動向如何では、どんな大会社もあっけなく倒産してしまう。そんな境遇に陥って、臍を かんでいる人達がたくさんいる。
 大所高所から年金制度の将来を憂うことも大切だが、まずは身近な生活防衛の方法をシミュレートしておくべきだろう。

このページのトップへ


離職後の過労死と就職難  (2002.4.21

 少し前のことになるが、大阪地裁で「退職1週間後に、くも膜下出血で急死した女性デザイナー」の遺族が「死亡は長時間労働が原因」として、勤 務先の会社に損害賠償と「サービス残業」分の未払い賃金の計約1億円を求めた訴訟があった。結局、会社側が責任を認めて謝罪し、解決金4,000万円を支払うなどの条件で和解をみた。

 和解した背景には、厚生労働省が過労死認定基準を改正し、業務との因果関係を判断する期間が最長で発症前6カ月に緩和されたということがある ようだ。
 死亡した女性は1996年4月からその会社に勤務して、情報誌などのデザイナーをしていた。退職前はサービス残業が多く、会社に泊まり込むなど、実質的 な労働時間は1日平均11時間に上っていた。
 彼女は98年3月31日に退社。同4月6日から別の会社に転職したが2日目に職場で倒れ、死亡した。

 これだけ失業者が街にあふれているのに、忙しすぎて過労死してしまう件数は増加傾向にある。リストラの網をかいくぐって会社に残った人達に は、今まで以上に厳しいノルマが課されているというのが実態である。亡くなった女性は「このままでは殺される」と別の会社に移ったわけだが、もはや手遅れ だったということになる。

 去るも地獄、残るも地獄といった世相である。仕事の出来る人間を使い捨てにしていくのが、今の日本の姿なのかもしれない。
 本来はこちらの観点から、ワークシェアリングの導入を検討すべきであろう。もっとも、サービス残業という「滅私奉公」が是認されているうちは、受け入れ られる土壌はないと考えられるが。
 サービス残業とは効率の悪さを隠すための手段であるということに、社会全体が気づくべきではないか。

このページのトップへ


年俸制と総報酬制  (2002.04.01

 いよいよ来年から社会保険料も総報酬制となる。年収の内、ボーナスにウエイトをおいて、保険料負担を下げていた会社は、そうした細工の余地が なくなり、保険料負担が増すことになる。
 ところで、昨年までに年俸制を導入している企業の割合は34.8%に達することが社会経済生産性本部がまとめた「日本的人事制度の変容に関する調査」で 明らかとなったという。
 前回調査に比べて9.6ポイントの上昇というのは大きい。
 年俸制の対象は管理職クラスが中心とのことだが、厳しい経済情勢を反映してか、非管理職クラスへの導入率も、徐々に高まっている。
 さて、年俸制の浸透と、社会保険料の徴収方法の変更とを短絡的に結びつけるのは、邪道かも知れないが、サラリーマンの所得はいよいよ丸裸にされてしまう 時代になったということである。これで、課税最低限度まで上げられては、踏んだり蹴ったりだと感じているのは、私だけだろうか。

このページのトップへ


理想と現実とのはざまで揺れる民間職業紹介 (2002.03.01

 とくに職業相談に限ったことではないが、「相談」という仕事は、相談を受ける側の力量と熱意によって、成果に雲泥の差が出るものだ。一昔前の ハローワークの相談窓口の対応は、お世辞にも親切とは言い難かった。求職者はあたかもブロイラーに入れられた鶏のように、機械的に採用面接に押し出されて いる気がしたと思う。昨今はIT化によって、求人票のセレクトや事務作業が簡素化され、職員には心理的に余裕が出てきたようだが、求職者がこう多くては、 就職させてやろうという意気込みはそうそう持続できまい。
 動機づけのために、「金」をちらつかせるというのは、あまりにも古典的な手法だが、有料職業紹介の手数料を定めたというのは、とどのつまりそういうこと である。プロ野球界の契約更改時に代理人が口を挟んで、契約額を釣り上げるような感じである。不況期には、能力を不当に低く評価して賃金を圧縮しようとい う経営者も多い。それに一石を投じることになるのなら、大歓迎である。
 しかし、果たしてそれだけ「金になる」人材が集まるのか。紹介役の会社の品位も問われることになるだろう。民間職業紹介所の現実はというと、何らかの理 由でハローワークに顔を出せない人たちの「口入れ稼業」「周旋屋」といった感じがいなめない。理想と現実、プランと実態との乖離というのは、そう簡単には 埋められないもののようだ。

このページのトップへ


義務の乱発は問題の先送りにならないか (2002.02.01)

平成13年1116日から、「育児休業や介護休業の申出や取得を理由とする不利益取扱」などについて は、解雇その他不利益な取扱が禁止されている。4月1日からは、これに

│・育児又は家族介護を行う労働者の時間外労働の制限
│・勤務時間の短縮等の措置義務の対象となる子の年齢の引き上げ
│・子の看護のための休暇措置
│・育児又は家族介護を行う労働者の配置については転勤に際して育児や介護の状況に配慮すべき
ということが加わる。

 一度職業安定所に足を運んでみればわかるが、景気の悪化はいよいよ深刻で、新卒から働き盛りの年齢の人達も容赦なく解雇されている。そんな環 境下で「育児・介護中の労働者の雇用を守ろう」という法改正である。圧倒的多数の国民は、「使われる立場」の労働者(社員)として、一生の大半を終えるわ けで、高い視野に立てば、こうした雇用安定の取組はもちろん必要である。こうした施策なくしては、大多数の国民が安心して暮らしていくことのできない国に なってしまう。

 しかし、現実には企業は自らの存続のために、雇用の場を減らしていかざるを得ない崖っぷちの所に立たされていて、それを政府が「痛みを伴う改 革」は必要だと、後押ししているような風潮もある。身障者の法定雇用率の問題なども同根であるが、問題の根本を先送りにして、結果だけを「規制」や「補助 金」で強引に出そうとする「アメとムチ」の政策は、そろそろ見直すべきではないのか。

このページのトップへ


根拠のない運用基準で、扶養家族の座が脅かされている (2002.1.18

 失業率が高止まっている。本格的な雇用対策が望まれるところだが、実態はどうか。共働きなど働き手が複数いる場合、失業状態に陥った家族を 「健康保険の扶養家族」にしたいと思うのが人情である。同居の場合の「被扶養者の認定」には、「主として被保険者の収入で生計を維持している状態」が必要 とされ、該当者の年収が130万円未満であることが一つの基準とされている。
 この金額がどのような根拠で決められているのかは定かでないが、実際には失業者の多くが、この基準以下の年収でも「扶養家族」として認めてもらっていな い。それというのも、役所が「130万円を365日で割って、3561円」という日額上限を設けて 運用しているからだ。したがって、失業給付の日額がこの金額を超えていると、被扶養者としては認められないことになり、国民健康保険・国民 年金の保険料を納めなくてはいけなくなる。
 しかしこれはおかしい。失業給付の給付日数には上限があり、90日〜180日である。たしかに、一定の条件の下に、50日から150日の上乗せを受ける 人もいるが、それは例外であろう。たとえ、日額5000円の人が180日分の失業給付を満額もらっても、年収は90万円である。ほかに収入がなければ 130万円には到底到達しない。にもかかわらず、130万円の基準を超えると認定され、失業給付から保険料を払わされている。
 月給14万円以上の人が失業すれば、日額は3561円を超えてしまうのだ。該当してしまう人は多い。国民年金・国民健康保険の保険料徴収率を高めようと いう狙いがあるのかもしれないが、杓子定規な運用ならまだしも、国民に不利益な運用基準は即刻見直すべきだ。

このページのトップへ


子ども看護休暇」のス タート   2002.01.01

 子どもを育てながら仕事をしている夫婦にとって、子どもの急病ほど困るものはない。共働きであれば、どちらかが休みを取って看病しなければい けなくなる。しかし、おりからの不況である。散発的に休暇を申請していると、有形無形の嫌がらせを受けてしまい、とどのつまり退職してくれと言われかねな い。
 そうした現実を多少なりとも緩和するために、育児・介護休業法の改正で「子ども看護休暇」が事業主の努力義務ながら制定された。この子ども看護休暇につ いては、3年後の見直しが明記されている。今のところ強制ではない。
 これからの3年間は、この制度のモニター期間といって良いだろう。好評か不評かによって、今後強制にするかどうかが決まる。経営環境は厳しくなるばかり だが、長期的な視野に立てば、有能な人材の流出をくい止めるためにも、労使で十分に議論しておくことが必要であると思う。
 また、先行する「育児休暇」「介護休暇」についても、この際実態を調査して、もう少し使いやすくする必要はあるだろう。労働者の権利としての「法定休 暇」を完全に保証すれば、必然的にワークシェアリングを実施せざるをえなくなる。これが国全体の失業問題を解決する一つの糸口ではないかと私は思う。マク ロ政策とミクロ政策の融合が、2002年の政策には求められている。

このページのトップへ


職場にはびこるいじめについて  2001.12.01

 不安を煽り立てるつもりはさらさらないが、懸念されていたデフレスパイラルがいよ いよ現実のものとなり、世の中は底のない不況の螺旋階段を下り始めたと言って良い。
 中小企業経営者の顔から笑顔が消えて久しい。上司も同僚も、ある意味では一触即発の「キレる」寸前の心理状態に追い込まれている。そこに「いじめ」の心 理が入り込んでいるようだ。

 「いじめ」は、なにも学校の中だけの専売特許ではない。兵役にいけば「いじめられ る」というのは、ほぼ常識だったという。学校ならば、登校拒否という手もあろうが、生計(暮らし)を考えると簡単に出社拒否というわけにはいかない。まし て、会社を辞めることを決断するには勇気がいる。そのためイジメの被害者は深刻である。

 これを"個人の問題"と考えて放置してい ると、自殺など最悪の事態を招きかねない。早い「芽」の段階で会社として"発見し、即対応"という体制を作っておくことが大切と思われる。いじめに限ら ず、あらゆる職場の問題を気軽に相談できる「駆け込み寺」などが作れればベストだが、現実の雇用環境を考えれば高望みであろう。
 いよいよ人員削減をしなければならぬという崖っぷちに立たされた時、それまでの人事管理の善し悪しが効いてくるものである。

このページのトップへ


社 員を信じられない会社に鉄槌下 る  2001.11.16

 去る9月13日、東京都地方労働委員会は、東京の某中堅出版社が会社再建に伴う労使対立から、本社ビルを閉鎖したり、組合員10人に行った懲戒解雇や停職などの処分が、不当労働行為に当たるとして、職場への復帰と、処分を理由に支給されなかった賃 金の支払い、労働協約解除の取り消しなどを認める救済命令を出した。

 長引く不況で、こうした労使の対決が増えている。「会社再建」という大命題の前で、会社と労働者の思惑は、驚くほど違っている。経営者の認識 は、「完璧に会社を再建」しなくては、雇用の確保はあり得ないというものであり、労働者側は、とりあえず潰れなければ、「生活の再建」を優先させて欲しい と願う。
 労働者の視点が常に「今月の給料は」という差し迫った問題と背中合わせになっていることは、経営者としてもやはり肝に銘じておくべきだろう。要するに、 部下達は「権利」を声高に主張せざるを得ない弱い存在なのだ。
 といっても経営者の目には、こうした社員達の態度は、最後の最後で会社を見捨てるのではないかと映ってしまう。疑心暗鬼とはこのことだ。この構図に飲み 込まれて、数多くの名門企業が消えていってしまった。
 畢竟(ひっきょう)会社の経営というのは、他人をどこまで信用できるかという一点に集約されるのかも知れない。もっとも、信ずるものは救われると単純に 割り切れないところが悩ましい。

このページのトップへ


過労死認定の現状  2001.11.1

 夜勤中に肺炎で急死した調理師(当時56歳)の妻が、「夫の死は過労が原因だった」として、遺族補償 年金などの支給を認めなかった尼崎労働基準監督署長の処分を取り消すよう求めた訴訟が、9月11日に結審した。最高裁は本件は労災と認定し、労基署側の敗 訴が確定した。
 前々から指摘されてきたことだが、家族や周囲の者の眼には、どうしても過労死としか映らないケースであっても、国はなかなか労災として認めてくれない。 労災補償保険の加入はほぼ完全に強制的で、国が保険料を徴収し、国庫補助の規定(第26条)もあることから、保険金は「公金」とあると言って良い。それゆ え保険金申請に不正があってはならぬ、ということなのかもしれない。だが、やはり役所のやりようには違和感を覚える。
 先日、群馬県内某市で自然災害(土砂崩れ)にあった人が、瓦礫と変わってしまった自宅の廃材を、市のリサイクルセンターに泣く泣く持ち込んだところ、規 定の長さよりも長いので自宅で裁断してくるようにと追い返されたという。被災者にはその「自宅」がないのである。持ち込んだ本人は、踏んだり蹴ったりだ と、意気消沈してしまったという。
 労基署の対応は、このリサイクルセンターの係員と似てはいまいか。相手の立場に立って、規則を運用するという優しさを、国の役人に求めること自体、甘す ぎるのか。

このページのトップへ


労働者代表の意見の重み   2001.10.7

  一方的な就業規則の変更による変形労働時間の採用は不当だとして、岩手県水沢市の自動車学校の従業員6人が、就業規則の一部無効を求めていた控訴審判決が829日、仙台高裁であった。
 裁判長は(問題の就業規則は)「週の労働時間を会社が任意に決めることができ(るように記載されていて)、労働基準法の趣旨に合わない」などとして、従 業員側の主張を認めた一審盛岡地裁判決を支持、会社側の控訴を棄却した。
 就業規則を監督署に届け出るときには、労働組合(存在しない場合は、労働者を代表する者)の意見を聞き、その意見書を添付することが義務づけられてい る。本来、意見を求められれば、労組はしっかりと内容を吟味するはずだが、現実にはそうでもなく、専門知識の不足と忙しさに紛れて「異議なし」という意見 書が付けられて、提出されているケースがほとんどである。
 この判決は、そうした形骸化に一つの警鐘を鳴らしたと言えるだろう。しかし、たとえ添付の意見書に「一部の条文に賛同できない箇所がある」と書いてあっ ても、実際には監督署は受け付けてしまう。要するに、「意見を聴く」と言うことが重要であって、「どんな意見が出た」かは問題とされない。
 結局、労働者は後日、改めて監督署に告発するか、この事例のように裁判に訴えるしかない。何か事が起こらなければ、腰を上げないというのは、なにも監督 署に限った事ではないが、チェックできる時をみすみす逃しているというのはいただけない。
 わずか6人の従業員が、自腹を切ってここまで死力を尽くさなければ白黒がつかないというのでは、労働行政はなきに等しい。

このページのトップへ


奨励金の抜本的見直しを 2001.10.1

 緊急雇用創出特別奨励金が全国適用となった。この奨励金は、単月における完全失業率(季節調整値)が、5.0%以上となった場合に発動される 決まりになっている。
 発動期間中に事業所が解雇、倒産等非自発的な理由で失業を余儀なくされた者又は公共職業訓練等の受講者のいずれかに該当する45歳以上60歳未満の中高 年齢者を雇いいれたときに支給というものだが、この奨励金には、もともと自動発動の制度が組み込まれていたわけで、いわゆる「セーフティネット」にあたる 制度らしい。
 しかし、既に先行して地域発動していた沖縄県などでは、この恩恵に預かった人は極めて少ないという。支給を受けた企業のほとんどが、「奨励金がもらえる から雇用したわけではなく、たまたま採用した労働者が、基準にあっていただけ」と弁明している。
 官庁はもうこのへんで、保険料として集めた金を「奨励金」というオブラートにくるんで特定企業にばらまく、この手の制度を止めにすべきではなかろうか。 その分保険料を安くしてもらったほうが、労働者も企業も喜ぶに違いない。加入者は保険料がこのような目的に使われることを、承諾しているわけではない。
 たまたま条件に合っていただけで金がもらえるという制度では、「福引き」や「宝くじ」と同じだ。すわっ緊急事態だからと腰を上げて、「公的資金」をじゃ ぶじゃぶ投入した天下り機関に、「福引き」まがいの仕事をさせている、この感覚は正常ではない。

このページのトップへ


労働時間指導の真意   2001.9.1

 来年度予算の概算基準(シーリング)が決まったという報道があった。かなりの予算がカットされている。竹中平蔵経済担当大臣は、「これでどの 省庁も、うかうかしていられないと、実績をあげようと競争をはじめますよ」と胸を張っている。
 なるほどそれでか、と思いたくなるほど、労働基準監督署の労働時間に関する指導が厳しくなっている。まるで是正勧告の枚数を競争しているかのようだ。用 件を企業側に一切知らせず、労基署に個別に呼びつけるといった方法も、行われている。こんなやり方をされれば、やましいことをしていない企業だって焦る。 要するに「効果てき面」ということらしい。呼びつけられる側はたまったものでない。
 いうまでもなく今は不況である。仕事量が激減し、整理解雇まで日常的に行われている最中である。残業したくても、定時間で退社せざるを得ない労働者が圧 倒的に多い。残業手当が減って、購買意欲も下がっている。なにもこんな時に「時間外の短縮」を持ち出さなくてもという感が強い。役所は今を指導の「好機」 と捕らえているらしいが、これが国益にかなうことなのか。
 その一方で、昨今の判例を見ると、「残業命令を拒否した従業員を解雇したのは適法」であり、「時間外労働だけが、過労死の原因とは認められない」と、労 働者には冷たい判断が当たり前になっている。判断したのは裁判所だが、被告側に監督署は入っている。労災保険は払いたくないということなのか。「36協定 がある以上、労働者は残業命令を安易には拒めない」とまで言い切っている。
 役所の本音は、不況の力を利用しない限り、時間外労働を減らすのは無理だということなのかもしれない。行政指導には、自ずと限界があると白状したような ものだ。
 それでも多額の費用をかけて、時短キャンペーンを行うらしい。役所存続をかけた示威行為に、「構造改革」はメスは入らないのか。
 行政がやらなければならないのは、見せしめの摘発増加ではなく、経営者とともに企業を存続させ、労働の場を確保することではあるまいか。

このページのトップへ


サー ビス残業の線引き  2001.8.21

 日常的にサービス残業を強制され、改善を申し入れたために昇進などで不当な扱いを受けたとして、京都銀行の元行員の男性=京都市右京区=が、 同行に未払い残業代と慰謝料など計約960万円を求めた訴訟の控訴審判決が6月28日、大阪高裁であった。結論 は、始業時間前などの残業の一部を認め、約70万円の支払いを命じたというもの。慰謝料請求については「会社側に違法行為があったとまでは言えない」と退 けられた。
 「言った」「言わない」と互いに言い争う事を、「水掛け論」という。本件において、会社は「残業しろなどとは言っていない」と主張し、男性側は「命令さ れたと感じた」と言っている。これでは埒があかない。しかるに、「おそれながら」とお上に訴え出たというところだろう。不謹慎かも知れないが、平たく言え ば、そういった事件である。
 この手の話は、そもそもはっきりとは線が引けない。特に「労働問題」に関しては、そういったケースが強い。
 この会社では、「通常、男子行員のほとんどが始業時間前に出勤し」ていたそうだが、普通の会社ならどこだってそうだ。30分早く出勤するのを「残業」と みるか、いや1時間以上でなければそうとは認めないのか。さっぱりわからない。実際問題として、10人いる行員の内、8人が毎日早く出社していれば、残り の2人は「早く出社する」ことを無言のうちに強制されたと感じる可能性だってある。
 要は、雇用者が自らの労働を「時間で切り売り」しているという点にこだわる事自体、時代遅れなのかもしれない。こだわる原因は、労基法である。「構造改 革」で能力主義・効率化を目指すなら、「働いた時間」だけを元に組み立てられた法律にメスを入れなければ、早晩矛盾がくる。

このページのトップへ


採用取り消しの和解金 2001.8.1

 在宅介護大手のコムスン(東京)に介護支援専門員(ケアマネジャー)の採用を取り消されたとして、群馬県内の看護婦(43)が同社に1,000万円の慰 謝料などを求めた訴訟が619日、東京地裁(龍見昇裁判官)で和解した。
 原告、被告双方とも和解項目を「公表しない」としているが、関係者の話ではコムスンが和解金約200万円を支払う内容と報道され、それが事実のようだ。
 内定取り消し訴訟というのは、少し前まで、卒業を控えた学生の専売特許であった。内定企業からのしばりがきつく、他の会社を受験することが出来ず、「就 職の機会を逸した」というのが、その訴状の内容である。大抵は学生側の勝訴で終わっているが、内定の取り消しが入社2ヶ月以上前であれば、高額な損害賠償 は行われていないようである。
 ところが、昨今はこのケースのように、中途採用の内定取り消しが頻発している。それだけ経済が流動的になったということなのだろう。転職の場合、退職願 いを出してからの採用取り消しは、いかにも辛い。
 「ベンチャー企業」でなくても、経験を積んだ中途入社者は教育投資が少なくて済み、貴重な「即戦力」となる。ただ、その裏返しでどうしても計画に甘さが 出る。他力本願をすべて悪だとは決めつけられないが、投資が少なければ、撤退の決断がしやすい。結果として、このような問題が多発する。
 時代の寵児ともてはやされている企業は、どこもトランプのカードを切るように、事業のスクラップ・アンド・ビルドを繰り返していく。リストラも構造改革 も、首を切られる従業員が路頭に迷うという点では同じだ。「事業の低迷は公的事業者のせいだ」というコムスンの主張は、真実かもしれない。だが、それを口 にした時点で、事業主はこの事業のカードを捨ててしまったのではないだろうか。

このページのトップへ


 

不安を抱える労働者  2001.7.1

労働福祉事業団相談実態報告によると、全国11カ所の労災病院で実施している「心の電話相談」に、様々 な相談が寄せられている。カテゴリー別に件数の多いものだけを抜粋すると以下のようになる。

《相談の内容》(複数回答)
  「上司との人間関係」 476
  「同僚との人間関係」 366

《相談者の症状》(複数回答)
  「将来に対する不安」 1,074
  「落ち着けない」   787
  「イライラ・不安定」 666

 日本のサラリーマンは、将来に対する不安を抱えながら、とりあえず日々の上司との人間関係に心を砕いて生活しているということである。しか し、その一方で、「上司に酒を誘われても絶対に同行しない」と言い切る社員も多い。「酒」=「潤滑剤」というのは、ワンパターンすぎるが、なにをさして 「人間関係がうまくいっていない」と感じるかは、人それぞれである。
 誘われたこと自体をセクハラと感じる女性も多い。人が集まれば、軋轢が生じるのは当たり前で、「組織」に入って仕事をするには、最低このあたりまでは許 容しないといけないのだという線を、若いうちに理解しておいたほうが良い。適切なのは入社時の訓練か?他国では、兵役義務がその役目を果たしているという 話もある。かつて高度成長時代に流行った「地獄の訓練」が、また脚光を浴び始めたという情報もある。
 仕事のミスを注意しただけで逆上され、刺されたりしたのでは困る。日本はこれまで、権利だけを声高に主張すれば良いという教育を極端に押し進めてきてし まった。今、その反動が来ている。学者や政治家がいくら旗を振っても、企業の内部が崩れていては、経済の再生はない。
 「人間関係」に関するガイドラインを明確にするのは、総務部や組合の仕事かもしれない。これを国任せにしてしまうと、軍国主義になりかねない。難しいと ころである。

このページのトップへ


統計に見る世相判断   2001.6.17

◆消費支出5年連続減−2000年度家計調査
 総務省が5月8日発表した2000年度の家計調査(全世帯)によると、一世帯あたりの消費支出は317,267円となり、物価変動の影響を除いた実質 で前年度比0.5%減となった。前年度を下回るのは5年連続である。
【コメント】今のデフレスパイラルの勢いを考えると、0.5%くらいの減では、実消費・購入品はむしろ増えているという見方も出来る。諸物の価格低下を昇 給に置き換え、実質では毎年3%くらいの賃上げをしているという試算もある。必要でない物まで売りつけて、経済を拡大するという「仕組み」が壊れつつあ る。

◆所定外労働時間、17カ月ぶりに減少
 厚生労働省が5月1日発表した3月の毎月勤労統計調査(速報)によると、現金給与総額は303,821円で、前年同月比0.3%減となり2カ月連続の 減少となった。また、所定外労働時間は0.9%減で17カ月ぶりの減少である。
【コメント】労働時間の短さこそ豊かさの証というスローガンが懐かしく感じられる。近頃は特に米国のホワイトカラーの労働時間は伸びる一方で、一番働かな い国として日本が上げられている始末だ。時代はたしかに変わった。ただ、豊かさを実感できないのはなぜだろう。

このページのトップへ


「産休で賞与カットは違法」にみる社則運用の 難しさ 2001.6.1

【事件の経過】
 原告の女性は予備校で事務職をしていたが、男児を出産し8週間の産後休暇を取得。職場復帰後も男児が1歳になるまで、勤務時間を1日当たり1時間15分 短縮して勤務することを申し出、それを実行した。
 勤務先の予備校側はボーナス支給対象を「産休や短縮した勤務時間を欠勤日数に組み入れ、半年間の出勤率が90%以上の者」と規定していたため、この女性 は出勤率が規定を下回った年末と夏のボーナス全額をカットされた。
【裁判のあらまし】
 大手予備校に勤務するこの女性が、産休と育児休業を欠勤扱いにされボーナスが支給されなかったとして、約360万円の損害賠償を求めた訴訟の控訴審判決 で、先日東京高裁は未払い分約130万円の支払いを命じた一審東京地裁判決を支持し、予備校側の控訴を棄却した。
 裁判長は「産休や育児休業を不就労とみなして女性労働者に不利益を被らせる扱いは、公序良俗に違反し無効」と述べた上で、育児休業中の給付については 「司法判断で一定の枠組みを作るべきでなく、労使間で妥当な方向を見いだしていく問題」と指摘している。

【え・ふるの視点】
 賞与の支給要件まで就業規則に細かく記載している企業は、少ないと思う。予備校の規定というのも、就業規則の「内規」であったのではないか。賞与は定期 的に支払われる給与にはあたらないので、そのほとんどが企業の自由裁量権の下におかれている、というのが従来からの解釈である。まして、この事例はこの女 性だけに限定した恣意的な運用ではないようなので、一見すると法的には問題はないように思える。
 労基法の最低基準を超えていれば、就業規則の記載内容について、提出時点で役所から是正勧告を受けることはまずない。それが問題になるのは、もっぱら 「公序良俗」に反する運用があったと疑われるケースのみだ。
 ただし、この判断基準はいささか流動的である。企業が迂闊に思い切った処遇を断行してしまうと、手痛いしっぺ返しを食う。まずは、「なぜ」その処遇をす るのか。そのあたりから再考したほうがよい。

このページのトップへ


どうなる健保組合 2001.5.

 平成13年度の経常収支差引額は過去最悪の4,900億円、全組合の9割が赤字組合に。
 平成12年度は介護保険制度創設の影響で老健拠出金が減少したことにより、11年度予算の赤字(3,974億円)から一時的に縮小して3,344億円の 赤字となったが、13年度は再び増加して過去最悪の4,900億円の経常収支差引赤字額となる見込みであり、赤字組合の割合も9割近くとなることが確実に なっている。
 健康保険組合と厚生年金基金は、そもそも社会保険の民間委託として始まったものである。設立の気概として、各団体とも「国のやり方は効率が悪いので、我 々は独自に運営し、収益は組合員に還元します」と宣言して、これを作っている。しかし、結果は上に見る通り惨憺たるものである。確かに、バブル経済崩壊後 のこの国の経済は異常そのもので、経営悪化の最大の要因はそこにある。ただ、意地の悪い見方をすれば、こんな事では、これから始まる役所の民営化も期待で きそうもないということになる。
 まっ、それはそれとして、健保組合を結成したときに、介護保険はなかった。また、本来現役世代しかいないはずの健保組合に、これほど多額の老人健康保険 の拠出金が押しつけられてくるとは想定していなかったはずだ。
 要するに、基準(レギュレーションまたはルール)が中途で勝手に変えられてしまった。こうなるとひとたまりもない。むしろ、よくぞここまで生き延びられ たものだと褒めてやりたい。ただし、運用方法などでしばりをかけられたまま、拠出金負担ばかりを強いるという「行政指導」をこれ以上行っては、息の根が止 まってしまう。
 近い将来、健保組合は政府管掌健康保険に包含されるか、外資系の保険会社に救いを求めるしかなくなるだろう。一方の厚生年金基金はというと、受け皿とな るべき厚生年金が壊滅状態だから、どうなるか予想もつかない。いずれにせよ。早く手を打たないと大変なことになる。ははや、厚生労働省に頼るのは無理か。 石原伸晃行革相に望みを託すべきか。老人医療の自己負担額をあげ、軽病(半病人)の高齢者から金をむしり取ろうというのは、いかにもあざとい。

このページのトップへ


労働基準行政のゆくえ  2001.4.1

 労災の発生件数が増えているのは、不況のために無理な条件下での作業が増えているためだと思われる。ところが、監督署の弁を借りると「お陰様 で労災保険の支給は減っている」のだという。その「お陰で」、今回は(5年ごとに見直される)ほとんどの業種で保険料率が下がった。しかし、これで良いの か?支給すべき労災事故にあまねく保険金は行き渡っているのか、なんとなく釈然としない。
 「二次健康診断給付制度」についても、「予算の関係」で、血圧測定・血中脂質・血糖検査・肥満度測定の四検査すべて黒の場合のみに絞り込んだと聞く。こ の事実をぼかすためというわけではないのだろうが、このところ「死の四重奏」などという表現が、マスコミで頻繁に使われるようになった。しかし、4つの黒 が揃わなければ問題なしというものではない。あんがい黒星4つの人は、それなりに注意を払っているので安全という見方もできる。実態というのは複合的な要 素で粉飾されている。
 官庁の仕事にコスト意識は不要などと強弁するつもりはない。しかし、「金の切れ目が縁の切れ目」ではないが、負傷者・罹災者を予算の枠で選別するような やり方はいかがなものか。私の勘ぐりすぎであれば良いのだが、行政の姿勢を知れば知るほど背筋が寒くなる春である。

このページのトップへ


労災保険と自賠責保険   2001.0317

 自動車の自賠責保険は強制保険とも呼ばれるように、国が加入 を義務づけている。その意味では社会保険的な損害保険である。ところが自賠責保険の保険金が規定通りに支払われていないという事実が昨年末あたりからマス コミで取りざたされている。損害保険であるから被害額を少なく見積もれば、支払われる保険金は少なくなる。実際、過失相殺という言葉で、かなり割り引かれ て支払われているようだ。
 さて、労働者災害補償保険も、損害保険の要素を多分に持った社会保険である。自賠責ほどひどくはないとしても、労災保険がおりるおりないで、裁判沙汰に なっているケースは結構多い。疑義がある場合には、泣き寝入りせず「労働保険審査制度」というものがあるので、不服審査を請求すべきである。
 ただし、上で見たとおり、法令通りの運用でもカバー出来ない部分は多い。企業の福利厚生という観点から、民間の損害保険で上乗せ補償しておくのが転ばぬ 先の杖というものかもしれない。

このページのトップへ


リストラと司法  2001.03

 ここ数年、賃金カーブの平板化が急速に進行している。簡単に言うと、若い年齢層の賃金を上げて、中高年の賃金を下げるという考え方である。 (とうの国家公務員でさえ、人事院規則の変更により、俸給がそうした方向に変更されている)
  みちのく銀行・専任職創設−高年齢層の労働条件不利益変更事件において、その流れに司法が一定のブレーキをかけた。
 最高裁の見解は
(1)本件は所定労働時間の変更(労働の減少)があるわけでもなく、専任職発令の
  前後を通じ、ほぼ同じ職務を担当しており、労働の減少という観点からは数10%
  の賃金減額は正当化できない。
(2)賃金体系の変更は、中堅層の労働条件を改善する代わりに、55歳以降の賃金
  水準を大幅に切り下げたものであって、企業経営上の差し迫った必要性に基づく
  総賃金コストの削減を図ったものではない。
(3)高年層の行員に専ら大きな不利益のみを与えるものであり、同意しないものに
  効力を及ぼすことはできない。
というもの。
 数10%の減額がいけないというのだから、「19%」ではどうだ、といった水掛け議論もおおいに可能だ。それに、賃金カーブの是正を「経営上の差し迫っ た必要性」はないと言い切っているあたり、あまり小気味よい判決とは思えない。この分だと、「既得権」と「自由化」が、真っ向からぶつかり合うケースは、 ますます増えるに違いない。
 あえて生意気に俯瞰すれば、能力別賃金制度は、あくまでアメリカを旗手にした「自由競争社会」を信奉していればこそのものだ。それが、本当に理想的な社 会のあり方であるのかどうか。これは誰も分からない。今更、20世紀の遺物である「ソ連邦」を引き合いに出すつもりはないが、一強という今の世界のあり方 に危惧を感じている人は多いはずだ。最高裁がそんな観点から警鐘を鳴らしたとすれば、注目に値する。ただし、司法が体制に判断を下すというのは、僭越では ある。

このページのトップへ


国が豊かになるとは   2001.02

 依然として先の見えぬ不況である。政治家や役人は、鉦や太鼓を叩いて「もう景気は上向きました。 だからどんどんお金を使いましょう」と甘い言葉で誘っているが、どうも信用できない。年明け早々から米国経済にも息切れが見え始めた。
 途上国では半ば常識化しているが、信用できない職業は、上の方から、政治家・役人・軍人・警官・金融関係者と決まっている。こうした人達の清廉度が高 まった国だけを、「先進国」と呼ぶのである。
 少なくとも昨今の我が国の経済政策については、政府の発表を額面通り受け取る国はなくなったらしい。国をあげて「オオカミ少年」になってしまったらし い。国際的な信用度は失墜している。
 そもそも、景気を上向かせるために、甘い言葉で国民の財布からなけなしの金を出させ、物を買えというのだから、経済政策でもなんでもない。そのキャッチ コピーも、堺屋太一氏の降板で大幅にトーンダウンした。
 さて今年、60歳定年を迎える昭和16年4月2日以降生まれの方々に関しては、年金の満額支給は61歳からとなる。いよいよ、財政再建のための年金改革 法が動き出すわけだ。予定が出されたのが遙か昔のことだったから、今では新聞も取り上げてくれない。
 しかしである。4月以降は、失業給付の支給日数も300日から180日に減らされるので、それまでの生活水準を維持できるのは、定年後半年間だけという ことになる。あとの半年は、雀の涙ほどの報酬比例部分だけで生き延びなければならない。
 政府の笛や太鼓に踊らされて物を買い続ければ、預金を食いつぶす筍生活になることは目に見えている。加えて、介護保険料は上がり、それ以外の社会保険料 も一気に値上げされる。
 その一方で、景気を上向かせるためにどんどん住宅をつくれと、ローン減税をして、建設ラッシュを後押ししているのは相変わらずだ。家を持つのは30代後 半から40代だから、30年から35年のローンを組み、払い終わるのが70代という人も珍しくない。ということは年金を支払いに充てるつもりなのだろう が、はたしてそんなことは可能なのか?もはや、現時点で私のソロバンには破綻が生じている。
 国民一人一人の背中に借金をくくりつけ、それでも景気を浮揚させなければならないのか。国民の所得が増えるような政治は誰も考えられないのか。
 「庶民の懐に手を突っ込んで金をとるような」政治から「浄財を自然に寄付したくなるような」ゆとりのある政治。そんな政治を韓国では太陽政策と呼んでい るそうだ。日本の政治家の猛省を期待したい。

このページのトップへ


サービス残業解消の建議  2001.1下旬

 2000.11.30に出された中央労働基準審議会の建議の中に、「サービス残業の解消」と いう 項目があった。
 「使用者が始・終業時刻を把握し、労働時間を管理する」という労働基準法上の前提を明確にし、始業・終業時刻の把握に関して、事業主が講ずべき措置を明 らかにした上で、適切な指導等を行なうというものである。
 言っていることは、「お説ごもっとも」というほどに正しい。こう真正面から言われてしまえば、 誰も反対など出来まい。
 しかし実際の企業は常に、コストダウンという課題を突きつけられている。「高品質」「高い サービス」を「低価格」「低料金」で提供できなければ、仕事などもらえない。究極ではこの闘 いに残った一社の一人勝ちという状態に落ち着く。今の経済状況は、ゼロか100かの選択である。
 残業の内部を覗いてみると、単純に「やりきれないほどの受注がありまして」というところは少ないのではないか。生き残りのプラスαをつけるために、夜遅 くまで頑張っている企業も多い。
そこに「サービス残業はダメ、割増賃金を払え」と強制したら、息の根は止まってしまう。そんな企業に存在価値はないというのだろうか。
 現在の社会経済システムの矛盾によって産み落とされた問題を、あたかも「当事者責任」だけのような顔で行政指導していくというのはいかがなものか。いず れにせよ、 2001年度から監督機関による企業に対する本格的な労働時間管理適正化指導がスタートする見込みである。

【関連した動き】
 東京労働局は、2000年11月16日〜12月15日の間「労働時間管理適正化キャンペーン」を展開した。
 ポスターのキャッチコピーは、『労働時間は適正に管理されていますか』
 『労働時間の把握は使用者の責務です。労働時間管理の適正化をつうじて、・恒常的な長時間労働・サービス残業・過労死 などの問題を解決していきましょ う。』 というもの。

このページのトップへ


21世紀型人事制度の胎動  2001.1上

  退職金を退職時に支払わず、現在の賃金に上乗せして払ってしまうという制度が、大手企業で 導 入されつつある。労働力の流動化や、勤続による賃金負担の増大解消、退職金積立金不足の 軽 減など、メリットは少なからずある。こうした形態が21世紀には賃金支払いの主流となる可能性も高い。(退職金フリー賃金制度のポイントは、人事労務のポ イントに掲載)
 一方、日本化薬は、年功的な運用に陥っていた職能資格制度を見直し、職務 と実績をもとに処遇する「ポジションクラス制度」というものを導入した。これはいわば職務給制度のリバイバルとい っ たイメージのもので、これによると、職務ポジションの変更がないかぎり、ポジション給は増減しない。それがゆえに、同一の年齢・勤続でも最大で2倍近い開 きがでるという。同社はポジション給とともに、業績賞与制度も導入し、2001年6月には全社員に適用を拡大するという。 
 また、産業用機械の制御機器・システムなどを製造・販売するユーシンは、99年6月に一般社員の基本給を職務給に一本化した。利益貢献を、一時金ではなく給与に反映する点に特徴があり、最高ランク の年収は、約3,000万円となり、一般社員でも役員以上の報酬を得る可能性が出てきた。 
 世紀をまたぎ、世界の政局は混迷の度を深めている。政界だけでなく、経済 界でも既存概念にとらわれていては寝首をかかれる。いやいや普通のサラリーマン・OLであっても、こうした社会の動きにそっぽを向いているわけにはいくま い。 
 激流の行方をどう読み、逆巻く風雨に向かってどう帆をあげるか。読者それ ぞれに一家言あるはずである。 
 ぎょっとするほど思い切った改革で立ち向かう企業もあれば、既存の制度を 騙し騙し使って、乗り切ろうという組織もある。なにも大向こうのウケを狙う必要はない。ソフトランディングが可能ならば、なお結構である。 
 しかし、惰眠をむさぼっていては、生き残れなくなるだろう。どうやら精進 がますます必要な時代に突入したらしい。

このページのトップへ



保険証2001年4月から個人カード化へ 2000.12中から下
          2000.12.6新聞報道を受けて

  来年4月から扶養家族に対しても(子どもも含めて)1人1枚の「個人保険証」が発行されることになった。一家に1枚の保険証では、帰宅の途中で急に病院に 立ち寄る場合や、親子が同じ日に別の病院に行く場合など「不便だ」という声は以前よりあった。カード型の新保険証は、更新時期に合わせて来春から順次発行 されるという。
 新しい保険証は銀行などのキャッシュカードと同サイズ。昨今は多くの病院の診察券が磁気 カード化しており、この大きさになっている。携帯には便利である。健保カードは、表に被保険者の氏名と生年月日、番号、保険者名などを刷り込み、材質はプ ラスチックになる見込み。
 しかし、良いことばかりではあるまい。このところ雨後の筍のごとく街角に出来ている消費 者金融の「無人契約機」は、保険証があれば、すぐにキャッシングが可能だ。子供にも一枚ずつカードは渡されるわけで、その使用方法を教育の現場でしっかり と教え込まないと、大変なことになるかもしれない。
 さて、ご存じの方もいるだろうが、実は厚生省では熊本などでIC健康保険証のトライアル を今でも行っている。当然、今回の個人カード化に際しては、一気に「磁気化」か「ICカード化」までという議論もあった。今回見送られたのは、小さな村や 健保組合などで、財政コストがまかないきれないという声が上がったためらしい。 結局、高機能カード化に関しては、保険者の判断にまかせることとなった。 さて、皆さんの手元にはどんなタイプの健保カードが届くのだろう。少し楽しみではある。
 仮にIC化が進めば、医療機関が診療報酬を請求する際に患者の名前を間違えるといったト ラブルは未然に防げる。しかし、続発している医療ミスまで防げるという保証はない。
 個人カード化により、学生が親元を離れて暮らす場合などに発行されていた「遠隔地保険 証」は、21世紀初頭にその役目を終えることになる。また一つの時代が終わった。

このページのトップへ



臨界事故のJCO東海事業所に両罰規定適用 2000.12

 JCOの臨 界事故に関連して、10月16日、水戸労働基準監督署が、同社を労働安全衛生法違反容疑で送検した(刑事処分)。
 容疑は、同法第11条第1項(安全管理者に管理させる事項の管理を怠った罪)。送検処分 されたのは、法人罰が適用された「ジェー・シー・オー」と事業所の安全管理義務を怠った常務取締役東海事業所長の2名である。
 
水戸地検は11月1日、東海事業所長ら6人を業務上過失致死罪で水戸地裁に起訴。また、県警からの同日の書類送検を受け、法人としてのJCOと事業所長ら 3人を原子炉等規制法違反(施設の無許可変更)の罪で起訴した。
 JCOと事業所長とは安全衛生法(安全管理者への管理義務)違反でも起訴された。
 監督署の「署」は警察署と同じだと説明されている。同じ文字を使っている官庁が、もうひ とつある。税務署である。
 これらは(行政)警察権をもっている。安衛法の両罰規定は監督署の伝家の宝刀と言うべき しろものだ。あまり適用されない。ただいったん抜けば、会社も実務の最高責任者も一緒に罰せされることになる。
 実際の罪は、「刑法」→「該当する特別法」→「安衛法」の順で問われているようだ。結 局、事業所の最高責任者であった事業所長は3つの罪に問われることになった。
 昨今は安衛法が及ばぬ金融保険分野で、無責任な投資など法人の刑事責任を問いたい事例が 多い。ただし今の法制度では、刑法本体は法人に罰が下せない。平成の水戸黄門の出現を待つか、憲法改正論議を高めるか、いずれかしかないということにな る。

(注)労働安全衛生法は両罰規定により、法人の刑事責任を問うことができる点に特徴 がある。(刑法では法人責任を問うことは出来ない)

このページのトップへ


政管健保保険料、大幅引き上げ確実か 2000.11

 政管健保の医療保険財政については、2002年度末に赤字が5,800億円にまで膨らみ、積立金で補填し ても2,300億円〜5,200億円の資金不足が出ると試算されている。そのため、今回 1.1ポイントという大幅引き上げが提案されている。
 当局の発表によると、破綻の原因は、@老人保健拠出金の増大(各健保制度からの拠出金で70才以上の高齢者医療費を支えているため)A長引く不況による 保険料収入の伸び悩みの二つであると説明されている。
 しかし、それを鵜呑みにして良いのか。今回の発表は、平均月収の伸び率を年率2%から1%へと下方修正したことに基づいている。要するに機械的に算出さ れたもので、制度自体の効率化などは、まったく検討されていない。制度改正を機械的に行えば、介在する公務員の数が増えるばかりである。IT革命と声高に 叫ぶのなら、まずこの分野にメスを入れるべきでは。

このページのトップへ


雇用保険法改正 2000.10

 2001年度から、雇用保険は「離職を余儀なくされた人」への救済が強調される。これにより、「政策的セーフティネット」としての意味合いが 強くなる。どうやら政府は、「破綻した銀行」や「自己破産した生保」だけではなく、個人も選別して助けようと考えているようだ。くれぐれも公平な判断をお 願いしたい。
自由競争社会である限り、「勝ち組」と同数の「負け組」が生じるのは致し方のないことである。行政が「負け組」に肩入れしすぎては、自由経済の枠組みが危 うくなる。これは労組にとっても耳の痛いことかもしれない。ロシアは、日本経済を「もっとも成功した社会主義である」と評価していると聞く。
 「破綻した銀行」にも「離職を余儀なくされた人=リストラされた人」自身にも、それなりに反省すべき点があるのでは、という意見も根強くある。すべては 因果応報で、今風に言えば自己責任を重視した考え方だが、これだけで物事を割り切るというのも極端すぎる。
 さりとて、リストラされたのは可哀想だと、「お上のご威光」で、わずか30日ばかり給付日数を増やしてもらって、事態は好転するだろうか。ベンチャービ ジネスを始めようと離職する人の多くは、当座の生活費として失業給付をアテにしている。そういう人たちには、今回の給付日数減は厳しい。日数が減らされる ケースのほうが圧倒的に多いのだ。起業計画の幾つかは頓挫してしまうかもしれない。「IT革命によって、ベンチャービジネスを」というかけ声はどこにいっ たのだろう。


このページのトップへ