
追分けの道しるべ・石地蔵
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銘文−−−−−−−−−−−−−−−−−−
.(正面)右−たてばやし−こか道−−−−−−
.............左−日光道−やき−さの駅−−
.(裏面)ひとすしに−−−−−−−−−−−−
..............出れハ安き法の旅−−
...............今なすわさそ−−−−−−
................後の世の夢
.(正面左)百番供養塔−−−−−−−−−−−
.(正面右)享和三癸亥八月吉日−−−−−−−
....................地所−−新嶋村
..........−−−−−−−−−−敬白
....................願主−−太田宿
................−−永竹幸助義信
−日光例幣使道は、日光東照宮の大祭(4月15日から17日)に祭し、幣帛(神前の供え物)を供するため例年京都の朝廷から派遣された奉幣使が通過したことから呼称された街道である。日光例幣使の派遣は正保3年(1646)から慶応3年(1867)まで中断することなく続いた。例幣使道中は中山道倉賀野宿から分かれ下野国金崎宿に至る間の13宿である。道のりは23里1町ほどである。金崎宿の次は楡木宿でそこから壬生道に入り今市で日光道に合流した。明和元年(1764)には道中奉行管轄となり五街道に準じるようになった。
−この道しるべは例幣使道と古河道との分岐点、新島の追分けにあり享和3年(1803)太田宿の永竹幸助義信により百番供養を兼ね建立されたもので、和歌のある道しるべとしては重要なものである。道しるべの左側には追分け地蔵と呼ばれる地蔵菩薩があり今でも子供を庇護する地蔵として厚い信仰の対象となっている。
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