国指定史跡
39.金山城跡 ●指昭和9年12月28日
●所在地太田市金山町40−106ほか

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八幡山から大光院越しに見た実城
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復元中の日の池を上空から見る−−−−−三ノ曲輪下の石垣−−−−




金山城は文明元年(1469)新田(岩松)家純による築城とされる。その後下剋上によって実質的な城主となった横瀬氏改め由良氏の時代に全盛となった。戦国時代末期まで、武田氏や上杉氏、北条氏など多くの戦国武将の攻防の歴史を繰り返したことでも有名な城跡である。

天正12年(1584)小田原の北条(後北条)氏に捕われの身となった城主由良国繁とその弟長尾顕長の帰還を条件に開城され、北条氏の支配下に入った。そして、天正18年(1590)豊臣秀吉の小田原攻略により金山城も廃城となった。明治8年(1875)金山山頂に新田義貞を祀る新田神社が造営され、昭和9年実城から西城にかけての尾根部分が国の史跡に指定された。

城の規模は大きく、東西3.1km、南北3.8kmにも及ぶ国内でも最大級の山城跡である。金山山頂の実城を中心とした尾根や山裾に数多く造られている曲輪跡やそれをつなぐ通路跡、堀切や土塁など幾重にも配置された防御施設など、ほぼ金山全域に当時の痕跡を残している。

なお現在残されいてる遺構は金山城の最終的な姿であり、築城技術に長けた後北条氏の手が多く入っていることがその技法の特徴から推察される。

平成6年度から金山城跡の整備に向けた調査が始まり、土の中に埋没した当時の遺跡や遺物、また建物跡などを可能なかぎり当時の姿に再現して公開・活用しようとしている。
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金山城の模式図

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