国指定史跡
40.女体山古墳 ●指昭和2年4月8日
●所在地太田市内ケ島町1506ほか

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上空から見た天神山古墳と女体山古墳
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女体山古墳実測図






東武伊勢崎線太田駅の東方約1.3km、天神山古墳の東の平坦地に築造されている帆立貝形古墳(または造り出し付き円墳)である。隣接する男体山(天神山古墳の別名)に対して女体山と呼ばれる。
墳丘の全長106m、円丘部直径84m、高さ7m、造り出し部幅18m、長さ16mである。周囲には幅11〜19mの周堀を持ち、墳丘表面には川原石が葺かれ、円筒埴輪が巡らされている。主体部(埋葬施設)は竪穴系のものと推定される。未発掘と伝えられるが、墳頂付近に削平の跡があり盗掘を受けているものと考えられる。
築造時期は5世紀中頃で、天神山古墳よりやや先行する時期と考えられている。
天神山古墳と女体山古墳は、ほぼ同一時期に同一方向を向いて築造されていること、また、広域的な地割に基づき両古墳が築造されたと考えられることなどから、両古墳の被葬者には密接な関連があると考えられている。
国指定史跡
41.天神山古墳 ●指昭和16年1月27日
●所在地太田市内ケ島町1606−1ほか

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天神山古墳実測図






東武伊勢崎線太田駅東方約1kmに築造されている。別名男体山古墳とも呼ばれ、東日本最大、全国でも26位の規模を誇る大前方後円墳である。
墳丘の全長210m、後円部直径120m、同高さ16.8m、前方部前端幅126m、同高さ12mである。周囲には二重の周堀が巡らされ、墓域は長さ345m、幅325mに及ぶ。また、北東と西に陪塚をもつ。墳丘は三段築造で、表面を渡良瀬川系の川原石で葺き上げている。主体部は竪穴系であるが既に盗掘を受けており、後円部南裾付近に大型の長持型石棺の一部が転落し、縄懸突起が確認できる。埴輪は、家形埴輪のほか、後円部裾部から水鳥の形のものが出土している。また、後円部墳頂には器材埴輪が、中堤帯には円筒埴輪がめぐらされていたと考えられている。
築造時期は5世紀中頃と推定され、被葬者は畿内大和政権と強いつながりを持った毛野国の大首長と考えられている。

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