
−石−幢
−石幢は茶臼山古墳前方部墳頂辺に造立されている。重制石幢と呼ばれる形式のもので、総高142cm、安山岩製である。長享3年(1489)の銘文と六地菩薩像・延命地蔵一体が刻まれている。銘文中にある宗悦上座は横瀬国繁、宝泉禅門は岩松満国の法名である。
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−円福寺茶臼山古墳
−円福寺茶臼山古墳(別所茶臼山古墳または宝泉茶臼山古墳とも呼ばれる)は宝泉(由良)台地の西端に築造された大形前方後円墳である。墳頂部、墳丘裾部は後世の寺、神社等の建物により原形がそこなわれているが、市内では天神山古墳に次いで第2位、県内でも第3位の規模を誇っている。墳丘の全長約168m、後円部直径96m、高さ14m、前方部前端幅42m(現存)、高さ9mで、墳丘は2段に盛り土をして築造され、川原石による葺石が認められる。中程の平坦面には円筒埴輪が巡らされている。周堀はほとんどが埋まっているが、後円部の北側にそのなごりが残っている。主体部は未調査のため明らかではないが、竪穴系のものと考えられ、築造時期は5世紀前半頃と考えられている。
−伝新田氏累代の墓
−御室山円福寺は高野山真言宗の寺で、新田本宗家新田政義が開基してと伝えられる。政義は寛元2年(1244)大番役として在京中、所労と称して突然出家してしまい、この罪によって、所領を没収されて失脚、由良郷別所に蟄居した。その後新田本宗家は政氏、基氏、朝氏、義貞と続いた。
−伝新田氏累代の墓は、茶臼山古墳前方部東側にあり、五輪塔、石層塔など20基余りからなる。岩質はいずれも凝灰岩でほぼ完存している。その内南から2番目の五輪塔地輪部には彫の深い薬研彫で「沙弥道義七十二逝去元享四年(1324)甲子六月十一日巳時」の銘文があり「ア」の梵字が見られる。沙弥道義は義貞の祖父基氏の法名である。
−昭和54年度に、墓地の保存整備事業を実施した際、発掘調査が行なわれ、骨蔵器・板碑・宋銭・仏具など多くの遺物が出土している。
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