天神山古墳A陪塚
太田市内ケ島町
天神山古墳の北東、ほぼ主軸線上にある。現存する墳丘径約29m、現地表から3m弱の高さを有する円墳である。墳頂部は平坦面が広く、墳丘の断面形は偏平な台形といえる。平成2年の調査の結果、現存する墳丘から4〜5m外側で周溝が確認された。このことから径35m前後の円墳であったことが確認された。しかし、南西側では13.5mにわたって周溝は掘られていない。ここは単なる陸橋部としてよりも、帆立貝形古墳の造り出し部と同様祭祀の場としての性格も考えられる。
また、天神山古墳南西部にはB陪塚がある。
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天神山古墳A陪塚


飯塚古墳群
太田市飯塚町
東武伊勢崎線太田駅から南南東約1.5kmの低台地上にある。戦前まで7基の円墳が残っていたが、戦後の開墾でその多くが削平を受けた。現在宅地化が進み、墳形を留めているものはほとんどない。築造年代は6世紀中葉から後葉と考えられる。ここからは、埴輪として唯一国宝となっている武人埴輪の出土が知られている。これは、 挂甲(よろい)で武装した男子立像であり、高さ130.5cmを有する優品である。昭和27年、東京国立博物館に購入された現在も同館に保管されている。 80b.JPG
飯塚古墳群


富沢古墳群
太田市富沢町
太田市の南部に位置し、国道354号線を300mほど北に入った蛇側左岸の宝泉(由良)台地南端にある。現在確認されている古墳は、南北300m、東西100m程の範囲に、前方後円墳、前方後方墳、方墳、円墳、帆立貝形古墳などさまざまな墳形のものあわせて35基で、築造時期は4世紀後半から6世紀後半にかけてである。
古墳群のなかに市営住宅の建設が進められているが、周囲の景観を生かし、13基の古墳を居住空間の中に取り入れたような形で保存されている。また、埴輪の展示室も設けられ、出土埴輪類が展示されている。
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富沢古墳群

高林古墳群 太田市高林南町・高林西町
鶴巻・西原・不動古墳群の総称である。帆立貝形古墳7基と80基以上の大小円墳で構成される。高林古墳群中の主な古墳についての概要は次のとおりである。

[中原古墳(沢野村72号墳)]
東毛病院の正門から東へ約200mのところにある。全長56mで、高さ6mの円丘の南西方に長さ約14m、前端部幅約12mの低い方形の造り出し部が突出する。主体部は積石式粘土槨とよばれる特異なもので、直刀、鉄鏃、鉄製横矧板鋲留短甲などが出土している。築造時期は、5世紀末と推定される。

[沢野村63号墳]
中原古墳の南東約150mにある円墳である。
「上毛古墳綜覧」によると直径28.8m、高さ5.4mであるが、調査の結果、墳丘径40mの円墳であったことが確認された。主体部は礫槨で、直刀、挂甲、鉄鏃、馬具が出土している。築造は、6世紀初頭と推定される。

[諏訪山古墳(沢野村54号墳)]
東毛病院の正門から東へ約300mにある。緑泥片岩の板石を用いた組合せ石棺を主体部とする全長約72mの帆立貝形古墳である。

[沢野村77号墳]
東毛病院正門を入って右手にある古墳である。
「上毛古墳綜覧」によると、全長40mの前方後円墳とされるが、測量調査の結果、帆立貝状の前方後円墳であることが明らかとなった。測量値は、全長46m、墳丘部径34m、高さ5m、造り出し部付け根幅25m、前端部幅17m、高さ1.25mである。築造時期は、6世紀初頭と推定される。

[沢野村47号墳]
諏訪山古墳の北北東約100mにある全長54mの帆立貝形古墳である。榛名山の爆発によって生じた角閃石安山岩使用の横穴式石室を推定させる。

[沢野村86号墳]
東毛病院の正門の北北東約250m、長勝寺の西にある、全長36mの帆立貝形古墳である。

[愛宕山古墳(沢野村89号墳)]
86号墳東約100m、長勝寺墓地内にある全長43mの帆立貝形古墳である。

[沢野村74号墳]
東毛病院の正門の東約100mにある、全長72mの帆立貝形古墳で、埴輪を伴う。周溝のなごりが残る。
81a.JPG高林古墳群

81b.JPG 高林古墳群分布図

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