市内のその他の主な古墳群
[御嶽山古墳群]−−−太田市大字北金井字西浦ほか
太田市の北西部に、八王子丘陵の南西面に発達する小支丘の先端部や小河川沿いに造られた40基の円墳(「上毛古墳綜覧」記載は7基)から構成される山寄せ式群集墳である。これらの古墳には周堀が存在せず、7世紀後半の築造と考えられる。
八王子丘陵には、このほかにも多くの古墳群がある。北西側から菅塩古墳群、北金井古墳群、御嶽山古墳群、大鷲向山古墳群などである。

[大鷲梅穴古墳群]−−−太田市大字北金井字梅穴
太田市北西部、八王子丘陵の南西面に発達する小支丘で、御嶽山古墳群の南東支丘に造られた直径10〜20mの円墳からなる古墳群である。

[寺ケ入古墳群・内並木古墳群]−−−太田市大字太田字入太田口
金山山頂南の大八王子山東麓、寺ケ入の谷を囲む形で分布する40基あまりの古墳群である。両古墳群は隣接しており同一の古墳群といえる。内並木の丘陵先端部に馬塚古墳があった。築造時期は、6世紀末頃と考えられる。

[亀山古墳群]−−−太田市大字太田字亀山
旧国道122号線から松風峠への入口、太田市養護老人ホーム南の亀山丘陵上に点在する10基あまりの古墳群である。丘陵最頂部にこの古墳群の中心的な存在である横穴式石室を持った京塚古墳がある。直径20m前後の円墳であったと推定され、埴輪列を配し、川原石による葺石が施されていたと考えられる。築造時期は石室の構造等の特徴から6世紀中頃と考えられている。また付近から円筒埴輪棺を使用した特殊な埋葬施設が発見されている。

[東山・西山古墳群]−−−太田市金山町
金山南の太田谷(金竜寺谷)の東・西斜面に分布する古墳群である。東山球場付近の東山古墳群は約25基、大光院北と金山城跡大手門西斜面の西山古墳群は約10基、それぞれ円墳が残っている。墳丘の直径は10〜20mほどである。築造時期は、7世紀頃である。

[長手口古墳群]−−−太田市大字太田字鶴生田口ほか
長手の集落の背後にある丘陵先端部に築造されている約30基の古墳群で、うち3基が前方後円墳、他は円墳である。人物埴輪が出土しており、埴輪の特徴から築造時期は7世紀と考えられている。

[貧乏塚古墳群]−−−太田市大字太田字平
長手地区の鎮守である浅間神社が祀られている浅間山(富士山)の南斜面に分布している約30基の古墳群である。発掘調査が行なわれていないため、築造時期は不明であるが、6世紀後半頃と考えられる。

[富士山古墳群]−−−太田市熊野町
県立金山青年の家の東側、富士山南西斜面に分布する約30基の古墳群である。築造時期は6世紀後半頃と推定される。
[東矢島古墳群]−−−太田市大字東矢島
国道354号線と国道407号線とが交わる高林交差点の北東の台地上には昭和20年代まで、墳丘の全長が100mほどの前方後円墳の観音山古墳(九合村50号墳)・割地山古墳(同51号墳)や直径20mほどの道風山古墳(同52号墳)などが残っていたが、現在は工場や宅地となり、わずかに高まりとして痕跡を留めているのみである。

[西矢島古墳群]
−−−太田市西矢島町ほか
東矢島古墳群の北西にあった古墳群で、昭和10〜30年代に工場敷地となり、ほぼ壊滅状態にある。

[細谷古墳群]−−−太田市細谷町
ラフィエット通り付近から冠稲荷神社にかけて分布する古墳群である。北部の古墳はわずかに墳形をとどめている程度であるが、冠稲荷神社境内に残っている5基の古墳は神社施設の造営により削平を受けているものの、比較的よく残っている。築造時期は、散布する埴輪片から6世紀後半と考えられる。

[塚廻り古墳群]−−−太田市大字龍舞字塚廻り
太田市の東部、龍舞と沖之郷の間の水田地帯で、昭和52年に土地改良が行なわれた際、偶然水田下から発見された古墳群である。確認されたのは7基で、このうち発掘調査が行なわれたのは第1号古墳と第3号古墳の一部、県史跡に指定された第4号古墳である。古墳の形は3基とも帆立貝形であり、築造時期は6世紀中頃と推定される。

[塚井古墳群]−−−太田市大字茂木字塚井
塚廻り古墳群の北部にあり「上毛古墳綜覧」によると7基の古墳が記載されているが、調査の結果、東西200m、南北200mの範囲に12基の古墳が分布することがわかった。その中の休泊村第5号墳は北東寄りに位置し、a4.gif製四獣鏡が出土している。いずれも円墳で、築造時期については、埴輪の特徴や石室の構造などから6世紀末から7世紀初頭頃の築造と考えられ、この地域における首長層の墓地であることが推定される。


石田川遺跡
太田市大字米沢字南
尾島町との境界を流れる石田川と国道354号線が交差する地点の北側にある。
昭和27年川の護岸工事の際偶然発見された遺跡で、発掘調査の結果、台付甕・壷・坩・高坏・器台・鶏頭埴輪などが出土した。特に、台付甕は口縁部がS字状に屈曲する特徴を持ち、北関東地域における古墳時代初期の標識土器とされ、「石田川武士器」と呼ばれる。
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石田川式土器


小丸山遺跡
太田市大字矢田堀字小丸山
太田市の北部、金山丘陵と茶臼山丘陵にはさまれた、県道足利・伊勢崎線の南約200mにある、弥生時代から平安時代にかけての複合遺跡である。
この遺跡からは、平安時代の瓦塔の出土が知られている。これは、遺跡頂部の一角から発見されたもので、全形を復元し得た数少ないもので五重塔をきわめて写実的に表現している。総高は推定140cmである。
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小丸山遺跡出土瓦

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