私の子供たちへ

私たちの子孫には、手つかずの自然が残されるでしょうか。
護岸工事のない、たくさんの生き物が棲む川が残るでしょうか。
これから先に生まれてくる人類に、動物に、植物に、ありとあらゆる生き物に、手つかずの自然を引き継ぐ権利があると思うのですが・・・

ゆれもどし
 いろいろと新しいことを取り入れて、やってみたが不易と流行があり、早急に変化させようとしたことが、悪い面と
して現れ、以前のやり方で少しずつ変化させるのがよかったと思われることがたくさんわかってきた。
 ダムなどの開発もそうである。学校教育もゆとりが見直されている。総合的な学習も見直しだ。下水処理も経費の
問題と老朽化で行き詰まっている。ゴミ処理もリサイクルも考え直す時が来ている。
 急激な変化や新しいやり方は、将来を見通していないことが多く、これまでに取り返しのつかない失敗をしてきた。
PCB、アスベスト、フロンなど発明されたときはこれまでにない最高の物質であった。
 これからは金融でやっていくとものづくりをやめたアイスランドとイギリスは国家の存亡に瀕している。
 用心深い人の意見を尊重したり、先を見据えたりすることの重要性に気づき始めたかなというところであろう。
 縄文時代は栗の木を集落の周りに植林していくのに2000年かかったという。かけたと言うべきか。栗の実が人間
だけの食べ物でないことを十分分かっていたのだ。一気に移せば、山の神(熊など)が集落に来るから、山の栗も残し
ながら、里へ移すことを慎重にやっていると2000年かかったのだろう。
 土器による低温長時間の調理で非常に甘い栗を食べてそうだ。(スローフードはうまい)
 少し足踏みをしてもいいから、本当に大切なことを見据え、不況をバネにして次の楽しい時代が来るように社会の
システムを変えていくべきである。

生態系の変化
 生物の多様性は何を物語っているのか。イヌワシがすむという段ヶ峰には、モウセンゴケが自生し、ギフチョウが
棲む。すなわちイヌワシが棲んでいると言うだけで、細かく調査をするまでもなく、そこは自然が残されているという
ことだ。そこから流れ出る川には豊富な水生昆虫が棲み、ヒラベを育む。また、豊富な陸生昆虫はそれをえさとする
多くの鳥を育てる。虫をカエルが食べ、カエルをヘビが食べ、ヘビをイヌワシが食べる。
 その生態系を守らねば、一部だけを見ていては現在の医療と同じで、他の問題点が次々出てくる。

 川の水生生物についても全体的に眺めてみることも必要だ。

       水生生物と川の汚れ具合の関係(PDFファイルです)


冷水病
 市川上流の鮎がここ数年、毎年冷水病でやられる。「今年は(成長と歩留まりが)順調やで!」と楽しみにしていても、
県営生野ダムの貯水量が減って、黒川ダムからもらい水をすると、冷水病とやらで、大量の鮎が死ぬ。
しかし、これはかつてはなかったこと。ダムの放流が原因とは考えにくい。以前は黒川ダムの放流を心待ちにしていたものだ。
放流が始まって、3日後以降が釣れ始める。魚が滝から下流では、解禁当初のような連れ具合になった。
 ところがここ数年は「冷水病」で鮎が死ぬ。梅雨時期に少し寒い雨が降り続いても冷水病にかかる。ならば考えられる原因は
種鮎、温泉、最近異常繁殖している地衣類の3つ。種鮎は他の地域にも放流されていて問題が無いと聞く。
 コンクリートの擁壁や電柱などに繁殖する濃い黄色(橙色?)の地衣類だが、専門家に聞いた所、地衣類の特性から言っても、
その量から言っても魚類に影響はないという。
 残るは温泉。時期が一致している。温度のみならず、鉱物系の物質も含まれる。石けんも入る。廃水処理と言っても完璧では
ない。特にもらい水をしなければならない状況では、支流の谷川の水も細い。そこに急激な水量と水温の変化が起きる。
 冷水病の原因は温泉ということになる。

生野町立栃原小学校廃校
 市川支流栃原倉谷川を釣り歩いた。
 旗谷の反対の谷(名前がわからない)で炭焼き窯のあとと木馬道を見つけて大喜びしたのだがカメラをもっておらず、携帯で撮ったが、わかりづらいので載せていない。使わなくなった索道やエンジンがそのままにしてあった。
 今、生野町でもっとも良い谷が倉谷です。川底の状態が非常に良くてそのまま残しておきたいと強く思った。
 栃原小学校で講師として昨年1年間お世話になった娘が夏休みにプールで水泳教室をするべく待っていたのに誰も来ない。昼近くになって水着姿で子どもたちが職員室の方へやって来た。「あんたら何しとったん。」と聞くと校庭に咲いていた花の密を吸いながら、「プールで泳いどってもおもしろないから川で泳いどった。」と答えた。
 栃原小学校は平成16年度で廃校、そしてその横を流れるのが倉谷川。
文部科学省のいう特色ある学校づくりは、その地域にあるだけで、成り立つことがある。

    

越知川があぶない(兵庫県神崎郡神崎町)

 平成15年の調査を終えて
 平成13年にヒゲナガトビケラは、いつものように大変多く棲んでいた。2番目に多かったのがヒラタドロムシだ。確かにヒラタドロムシは、もっと上流にも棲んでいるが、こんなに多く出現したのにはおどろいた。ヒラタカゲロウ、タニカワカゲロウ、チラカゲロウも探して探してやっと見つかった。イワヒルも多く出た。
 ところが、平成14年にはヒラタカゲロウ、チラカゲロウは出現せず、かろうじてシロタニカワカゲロウが出たぐらいだ。
 原因が何か特定できないところが大問題なのだが、神崎町は一昨年から昨年年にかけて猪篠と越知の2カ所で川筋を変える河川工事を また、ヨーデルの森(自然が売り物?)を造る大工事をしました。

 したがって15年は大畑に調査に行った。ここはまだ、今のところ大丈夫だ。

 平成16年
 大畑は例年並み、新田は石に泥が多く付いており、水生生物の個体数が非常に少ない。施設(蕎麦処やオートキャンプ場、川の駅、越知川名水街道など)が増えたのと下水処理場の影響かと思われる。
 平成17年
 昨年の台風23号の影響で川が変わり水生生物は激減している。水生昆虫も魚も減った。種類も個体数も減少した。自然の影響で減少したものは5年〜10年で回復する。人間の影響による環境の変化での減少は、もどることがない。
 大畑では、カワゲラ、マダラカゲロウ、ヒラタカゲロウ、タニカワカゲロウ、チラカゲロウ、ヒゲナガトビケラ、ナガレトビケラ、シマトビケラ、ガガンボ、ナベブタムシ、サナエトンボのヤゴ、サワガニ、アカザ、ヨシノボリなどを確認しました。

ことしもはっきり言います。やはり
  川は死んでいる!!

 鮎も釣れん、じゃこもおらん。天然のヒラベも激減。なんとかしてくれ。


魚釣りから見た川
40年前(昭和32年〜昭和42年)
 小学校1年生のころ、父や近所のお兄ちゃんたちに「ごとんぼ(アブラハヤ)つり」につれていってもらってから、私の川釣りは始まった。
(川釣りの遍歴については、趣味のページにゆずって、ここでは主に川の変化に焦点をあてたいと思う。)
 よくかよった場所は、市川のつづら橋、小野の大橋、川尻の発電所の取水口、円山川の倭文(しどり)神社の下だった。
 市川のつづら橋は、ごとんぼ釣りのメッカで、休みの日は、必ずといってよいほど人が来ていた。生野鉱山の坑内排水は流されていたが、選鉱の廃水が流される場所より少し上流で、たくさんのごとんぼが棲んでおり、本当によく釣れた。
 小野の大橋は、ごとんぼに加えて、もつ(カワムツ)も釣れた。
 川尻では、もっぱらごとんぼが釣れました。一流し一尾いわゆる入れ食いだった。
 倭文神社では、小さい私には「ごとんぼ」が、6年生のお兄ちゃんには「きんもつ」や「あかもつ」(カワムツの婚姻色がでたもの)が釣れた。
 小学校5年生ぐらいから、はいじゃこ(オイカワ)釣りにはまる。はいじゃこ釣りでは、毎週のように自転車で、円山川の竹田に出かけた。 今は親水工事とかいって川をめちゃくちゃにさわっている。はいじゃこは激減したということだ。
 このころの川は、ごみといっても木ぎれや竹ぐらいで、人工の物は一切ありませんでした。

 生野町の魚ヶ滝は、私にとっては秘境。自転車にのってクルミを採りに行ったり、バイクで父と堤先生と私と3人乗りして、鮎採りに行ったりした。どんこつ(ギギ)やにこんじょ(アカニコ)もいたし、シマドジョウもたくさんいた。
 今は湖底の上生野小学校(奥銀谷小学校の分校)の前には、スナホリもいた。

30年前(昭和43年〜昭和53年)
 小学校5年のとき、母が勤務していた神子畑小学校の前でひらべ(ヤマメ)を釣って以来、その魅力にとりつかれていたのだが、交通手段が徒歩か自転車の間は、せいぜい菖蒲沢に行くぐらいだった。
 バイクの免許をとってから生野町の谷という谷は、すべて糸をたれてみた。さらにとなりの神崎町の越知川も源流まできわめた。
 越知川の源流には、木馬道(木材を橇で出すための木で組んだレールのような道)が残っていて、ところどころその上を歩いて釣り上がった。谷が開けて草原のような感じの30cmぐらいの幅の小川で25cmアップのひらべが釣れた。木の枝のように分かれたどの小川にもいた。

 菖蒲沢も沢登りで釣り上がっていたので、源流まで釣るのに3日かよった。一日目は、バイクを置いたところから釣り上がる。2日目はまず30分歩いてから釣り上がる。3日目は1時間歩いてから釣り上がる。源流はやはり谷が開け草原のような感じだった。

 上生野にダムが造られた。大鮎の住処や八幡さんのキャンプ場、ひょうたん淵は銀山湖に沈んだ。

20年前(昭和54年〜昭和64年)
 昭和45年頃から始めた鮎釣りとルアーやフライ釣りで遊んでいるうちに結婚し、2人の子持ちになった。2人とも娘ですが、小学生になったので魚釣りをさせようと、かつてごとんぼ釣りをしていたところへつれていったものの、魚影はなし。でもためしにと釣ってみたが、釣れず。水量は少ないし、透明度がない。今のようにビニールの買い物袋こそなかったが、水田の水止め用の塩ビのシートやビニールパイプ、ナイロンのひもがやたら目についた。落ち込みには泡がたっているし、その泡もうす茶色だった。川独特の丸みのある石より、割れて角のある石が多くあった。
 いったい何が起きたのか。

10年前(平成元年〜平成10年)
 勤務場所の関係もあって、越知川で遊ぶことが多くなる。久しぶりに源流にも行ってみた。林道はよく整備され、橋もコンクリートになり、川側の路肩も石積みやコンクリートの擁壁で、安全な物になっていた。でも、魚がいない。どこまで遡ってもいない。あるのは山盛りにたまった杉の小枝。川の石はどろをかぶり、水生昆虫も棲めない。こんなところにもいたのかとおどろかせる、ごとんぼも全くいない。それに川の水量が少なく、草原のようなところに枝分かれしていた小川もありません。
 下水道が普及し、水は一時よりきれいになった。しかし、私たちのくらしのシステム全体の変化で、昔の川の姿は、なくなってしまった。菖蒲沢の造林小屋は朽ち果て、黒川の谷には、関電の鉄塔を建設した跡地が荒れ地として、広がっていた。                                                      

 経済の発展でたくさんの物を手に入れた代わりに私たちの失った物が多すぎるのではないだろうか。

水のきれいなところにも魚がいない
 源流にひらべ(あまご)がいなくなった原因を私は次のように考えている。
   経済優先で、広葉樹を伐採し杉や檜の植林をした。
   針葉樹は、下草が生えないため、土(腐葉土)の流れ出しが起きる。
   一時にどんどんやったものだから、木の値打ちも山の値打ちも下がり、手入れしなくなった。
   地球全体の問題になっているにもかかわらず、日本が熱帯降雨林を買いまくった。
   この安い輸入材のせいで国内の木材の値打ちの下落がさらに進み、山は荒れ放題である。
   かろうじて手入れをしたものの、打った枝はそのまま、間伐材さえも倒したきりである。
   以上の原因で川が荒れ、水生昆虫が減る。針葉樹林には、虫がいない。
   というぐあいに川は荒れるし餌はなしで、ひらべはいなくなった。

 私の調べたひらべの食性では、水生昆虫がベースですが、暖かい季節に、たくさんの陸生昆虫を食べている。胃袋をさいてみるとかなりの量の甲虫類を食べていたり、アリを食べていたりした。
 魚が育つのにいかに山が大切かということだ。ひらべにとって問題は、30年前から起きていた。

 人間にとって水がきれいというのは、必ずしも生き物にとって住みやすい環境とはいえない。
 ためしにあなたが飲む水で生き物が飼えますか。鮎やヒラベのみならず、金魚も飼えない。
見た目にきれいな川の水は、果たして生き物にとってもきれいな(棲みやすい)水なのか。

 最近親水工事なんて、わけのわからん工事をしています。

神崎町在住の前川穂積さんの詩集『川育ち』より、詩を3編紹介します。
 前川さんは川遊びが大好きで、子どもの頃から現在(たぶん30過ぎ)まで越知川で遊び続けている。

             

香具師(やし)が悪いのか、マチのあほうどもが悪いのか・・・  いずれにしても手持ちの品は、もういくらもない。

                

 男の仕事だと言ってた時代もあった。今は、なぜかとっても淋しい気持ちで・・・  私も25年前そんな仕事をしてました。

             

 ヒヨンドとは、かじかのこと。神様の分、川の分、子どもの分、孫の分、そのまた子どもの分・・・  7代あとの分まで残す。