足利義教

足利義教



よみ:あしかがよしのり
時代:室町時代
年代:1394年6月14日〜1441年6月24日

内容: 室町幕府6代将軍。在職永享元〜嘉吉元(1429‐41)。足利義満の子、母は藤原慶子。応永10年青蓮院に入り義円と称す。同26年天台座主。正長元年(1428)足利義持の死去により、石清水八幡宮での籤で将軍後継者に選ばれ、還俗して義宣と改名。翌年左近中将、征夷大将軍となり、義宣が世忍ぶに通じるとして義教と改名した。管領以下宿老の意向を聞き政務を行なったが、次第に将軍専制への指向を強めた。永享6年延暦寺の僧徒を弾圧。同10年関東管領上杉憲実と対立した関東公方足利持氏討伐の動員令を発し、翌年持氏を自害させた(永享の乱)。また同12年一色義貫・土岐持頼を大和の陣中で殺させるなど、公武を問わず些細なことで多数の者を厳罰に処した。嘉吉元年猿楽見物に招かれた赤松邸で突然赤松満祐に殺された(嘉吉の乱)。法号は普広院善山道恵。