大学寮
よみ:だいがくりょう
時代:平安時代以降
内容:「朝野群載」にはフミヤツカサとよみ、「江次第抄」には「文屋之司」と書いている。学生を養成するところで、今の国立大学のごときものである。
寮地は、朱雀門外、神泉苑の西隣で、二条の南、朱雀通りの東にあって、境内は四町にわたっているから、随分広大であった。
大学寮で教授する学科は、大宝の制では、経業・音・書・算などであったが、後には紀伝(支那の歴史および文章)、明経、明法、算道の四科として、その舎を分けたのである。
学生の費用のために、特別に勧学田を置き、菜料、燈油料などを別途に賜ることがあった。