畠山政長

畠山政長



よみ:はたけやままさなが
時代:室町時代
年代:1442年〜1493年閏4月25日

内容: 室町・戦国時代の武将。持富の子。法名は宝隆寺殿。畠山持国の養子となるが、持国に畠山義就が生れると追われて細川勝元のもとに逃れる。享徳3年(1454)持国・義就父子を追い畠山家の家督を継ぐ。翌年将軍足利義政の仲裁で一時義就と和睦し、寛正5年(1464)管領となるが、山名持豊の援助する義就と再び対立し、応仁の乱を誘発。文明5年(1473)、同9年、同18年に管領となる。その専横ぶりが諸将の不満を招き、河内正覚寺城で自害した。