日野富子

日野富子



よみ:ひのとみこ
時代:室町時代
年代:1440年〜1496年5月20日

内容: 室町・戦国時代、将軍足利義政の室。政光の娘、日野勝光の妹。康正元年(1455)義政に嫁すが、初め男子に恵まれず、寛正5年(1464)義政が弟足利義視を後嗣に決めた翌年、足利義尚を生む。このため将軍継嗣をめぐり義視と対立、山名持豊を頼り、細川勝元を頼った義視と激しく争い、応仁の乱(1467)を誘発した。文明5年(1473)義尚が将軍となると、夫義政と不和で、同6年以降別居同然となったため、幼少の義尚を後見して直接幕政に関与。また京都七口に関所を設けて関銭を徴収したり、高利貸、米相場への介入などにより莫大な財貨を貯えた。しかし、あまりに政治に介入しすぎたため、同15年頃から義尚とも次第に不和となる。延徳元年(1489)義尚が、翌年義政が相ついで没したのち、出家して妙善院と号すが、依然政治力を発揮し、幕政に影響を及ぼした。