細川勝元

細川勝元



よみ:ほそかわかつもと
時代:室町時代
年代:1417年〜1473年1月21日

内容: 室町時代の武将。細川持之の子。通称は六郎。父の死により嘉吉2年(1442)家を継ぎ、摂津・丹波・讃岐・土佐の守護となる。文安2年(1445)以後3回、幕府管領に在任。山名持豊(宗全)の娘を妻とし、畠山氏の内紛には、宗全と共に畠山政長を支援して同義就に対抗させたが、やがて政所執事伊勢貞親と結び赤松氏再興をたすけ、斯波義敏をたすけて同義廉を支援する宗全に対抗するなど、山名氏の強大化を抑える方針に転じた。さらに将軍足利義政の子同義尚が生れると、義政の弟同義視を支持したので、義尚の母日野富子に頼られる宗全との対立は一挙に激化し、応仁元年(1467)大乱の勃発をみた。東軍の総大将として幕府にいたが、翌年義視は西軍に走り、戦局は混迷し、戦火は地方に拡大。そのなかで宗全に続いて没した。平素禅に励み、竜安寺などを建て、また歌道・絵画・犬追物を愛好した。