金沢実時

金沢実時



よみ:かねざわさねとき・かなざわさねとき
時代:鎌倉時代
年代:1224年〜1276年10月23日

内容: 鎌倉中期の武将。武蔵六浦に居住。金沢実泰の子、母は天野政宗の娘。初め陸奥太郎を名のる。掃部助・越後守。称名寺殿とよばれた。文暦元年(1234)父の後を継ぎ小侍所別当、建長4年(1252)引付衆、同5年評定衆、文永元年(1264)越訴奉行と鎌倉幕府の要職を歴任。京都との関係が深く、宣陽門院蔵人を務め、小侍所別当に長くつくことにより幕府の儀礼体系の確立に努めた。また、学問を好み、儒家清原教隆に師事し、熱心に内外の書籍を集めた。仏教への帰依も深く、別業の持仏堂を称名寺とし、のち叡尊を鎌倉に招き、称名寺を真言律宗に改宗。これが鎌倉における律宗発展の契機となる。建治元年武蔵金沢の別業に引退してからは専ら典籍の書写・校合に励み、金沢文庫の基礎を築いた。金沢で没。