九条頼経
よみ:くじょうよりつね
時代:鎌倉時代
年代:1218年1月16日〜1256年8月11日
内容:
鎌倉幕府四代将軍。在職嘉禄二〜寛元二(1226‐44)。九条道家の四男、母は西園寺公経の娘従一位准三宮綸子(淑子とも)。寅歳の寅日の寅刻に生れたので幼名は三寅丸。三代将軍源実朝暗殺後、幕府申請の皇族将軍が後鳥羽上皇に峻拒されたので、代りに鎌倉に迎えられた。嘉禄元年居所を大蔵御所から宇津宮御所に移し、元服。翌年将軍宣下。寛喜2年(1230)二代将軍源頼家の遺児竹御所と結婚。近江権介、右近中将、備後権守を経て、貞永元年(1232)従三位。以後権中納言、按察使、民部卿、左衛門督、検非違使別当を歴任、暦仁元年(1238)3月権大納言に任ぜられたが、3月に辞任。長じて反得宗・反執権的側近を擁したので、寛元2年4月、執権北条経時に将軍職を子の九条頼嗣に譲らされて出家した。法名は行智(行賀とも)。反得宗の陰謀の嫌疑で同4年の宮騒動の結果、7月京都に追却。