大友宗麟

大友宗麟



よみ:おおともそうりん
時代:戦国時代
年代:1530年1月3日or5日〜1587年5月6日or23日

内容: 戦国・織豊時代の武将、キリシタン大名。豊後出身。大友義鑑の子。名は義鎮、別号は宗滴、また三非斎・三玄斎とも。天文19年(1550)家督を継ぎ、それに伴い豊後・肥後両国守護職を継承。同20年大内、同23年菊池、永禄二年(1559)少弐各氏が相次いで滅亡したことから、北九州6か国に版図を拡大した。この間、肥前・豊前・筑後・筑前各守護職のほか、九州探題となり、その全盛時代をつくる。それと共にザビエルを領内に招き、キリスト教を受容し、貿易の利を収める。自らも天正6年受洗、洗礼名はドン・フランシスコ。同10年少年使節をローマ教皇のもとに派遣した。しかし、これより先同6年、日向耳川の合戦で島津軍に大敗してより衰退に向い、同14年島津軍のため領国は壊滅に瀕し、豊臣秀吉の援で、かろうじて滅亡を免れた。その混乱のさなかに病没した。