大内義隆

大内義隆



よみ:おおうちよしたか
時代:戦国時代
年代:1507年11月15日〜1551年9月1日

内容:戦国時代の武将。大内義興の長男、母は長門守護代内藤弘矩の娘。幼名は亀童丸。周防介。大永4年(1524)以来安芸に出陣、尼子氏と戦う。享禄元年(1528)父の死に伴い、家督を継ぎ、周防、石見、長門、安芸、筑前、豊前の守護となる。天文5年後奈良天皇即位式の費用を献ずるなどして大宰大弐の官を朝廷より得、北九州を中心にした貿易権をにぎる。同年少弐氏を滅ぼす。同10年安芸守護武田氏を銀山城に滅ぼし、同年従三位に叙される。儒学、仏教、神道、和歌、連歌、管弦、有職故実など多方面の学問や文学を好み、京都から多くの公卿や僧を招き、中国地方に京都文化が伝播する契機をつくった。キリスト教にも関心を示し、ザビエルの領内布教を許可した。同20年家臣陶晴賢による謀反計画に、内藤氏、杉氏らも加担、長門大津郡深川の大寧寺で自殺。法号は龍福寺殿瑞雲珠天。