山名持豊
よみ:やまなもちとよ
時代:室町時代
年代:1404年〜1473年3月18日
内容:
室町・戦国時代の武将。山名時煕の子。永享4年(1432)父から家督を譲られ、但馬、備後、安芸、伊賀の守護職を兼ね、同7年惣領職を継いだ。同12年赤松満祐に代り侍所頭人となる。嘉吉の乱(1441)では白旗城の満祐を討ち、この功により播磨・石見の両国を与えられ、山名氏一門で8か国を領有する。文安2年(1445)播磨の奪還を狙う赤松満政を摂津有馬に討つ。宝徳2年(1450)家督を子の山名教豊に譲り、剃髪して宗全と号す。この頃細川勝元と提携していたが、勝元の同族細川成之が赤松家再興に尽力したため勝元と対立する。管領家の畠山氏、斯波氏両家の家督問題での一族の分裂と対立は、将軍足利義政の弟同義視と子同義尚の将軍継承問題ともからみ、子の義尚を将軍にと願う日野富子に頼られ、義視を擁立する勝元の東軍とのあいだに応仁の大乱が始まった。しかし勝敗を見ずに没した。