Re  1998/2/11

「回想録」のページ

氷ノ山厳冬期スキー登山            1998/2/11 UP

前夜からの雪は降り続いていた、しかし空は明るかったのでいけると思い8時に大久保の民宿の人の心配を明るく笑って出発する、8時30分八木川の橋(丹戸)を渡り登りにかかるが登山道入口が雪のために見つからず最初からあせる。

やっと見つけ深い雪の中の苦しい登りが始まる。納屋小屋で10時小休止、そこからスキーを履く。しかし急な登りにかかりスキーをロープで引っ張りながらラッセルする。11時杉林急登の入口に着く、腰までのラッセルに苦しみながら東尾根に登り着く12時である。避難小屋で弁当を食べる。

12時30分我々二人は深い雪の尾根を雪庇に気をつけながら進んでいく。しばらくすると杉林で出会ったパーティーのラッセル跡を見つけ、太平段の長大な尾根を左に見ながら登りが続く、太平段の尾根を併せなおも急登するとやっと大雪原にでる。千本杉が見えた、千本杉の樹氷は夢のように美しかったが苦しみも一段と深まってきた。

この付近からの鉢伏はもう眼下であった。杉の樹氷の林を抜けて進んでいく。頂上に続く大雪原へ出る、もうひと登りである、しかしくたくたであった。あえぎながらやっと頂上小屋が見える、小屋に着く、さすがに嬉しかった三角点の櫓と一年ぶりの再会である。北には鉢伏山、氷ノ山越そして扇ノ山が眼下はるかに大きい。しかしここから見る三ノ丸ははるかに遠く大きかった、がすでに15時である、急いで頂上を下る。

大斜面である、二本のシュプールを残して滑り降りる。そしてまた登りにかかる、雪庇の尾根を気をつけながら鳥取側をまいてゆく、二ノ丸の杉林を抜けワサビ谷の頭は雪庇の下の兵庫側を巻いてゆく、三ノ丸が見えた。しかし三ノ丸の登りは長い、時はすでに16時を過ぎている。三ノ丸に向かって少し登り兵庫側を巻いて三ノ丸頂上の南にでる、左手には殿下コースの尾根が大きい。

三ノ丸の大斜面にシュプールを付け「番号標識」に気をつけながら真南に下る。雪は4mを越えていた。そのまま下り坂ノ谷本谷に滑り込む。林道の橋が見えた時、さすがに嬉しかった、林道といっても雪で埋まり道らしきものはない。滑らなくなったスキーをこぎながら戸倉へ急ぐ、すでに山は暗くなりはじめていた。国道へ出た19時であった。

丸い月がすっかり暮れた山にかかっていた。国道の端にも1mぐらい雪が積んでいた。スキーをはずし国道を戸倉へ向かう。11時間雪と闘ってきたわけである。疲れてくたくたであった、ただ夢のように過ぎ去った今日一日が頭の中でぼんやり廻っていた。

東尾根の素晴らしい展望、頂上からの大展望、千本杉と二ノ丸の素晴らしい樹氷、頂上から、三ノ丸からの下りの大斜面に残したシュプールが忘れられない。我々はついにやった、今年の戸倉越えの一番乗りであったに違いない。丸い大きな月が我々をたたえるかのように山にかかっていた。涙がちょっぴりこぼれた。

1970年3月22〜23日 山行

この文章は私が20歳の時の山日記から紹介しました。

 

雲の平・三俣蓮華岳・カベッケガ原       1997/12/1 UP

大阪21:18発の夜行列車で高山へ翌朝に着く、まだ薄暗い4:45発の濃飛バスで新穂高へと向かう、途中平湯でバスは休憩する。ここまで来ると山はだいぶ高く大きく感じる、峠では白樺林が美しい、残念ながら乗鞍岳、槍ヶ岳は見えなかった。新穂高からワサビ平までマイクロバスに乗り7:15に着く、小屋でラーメンを食べ7:40に出かける。林道は工事中でダンプによく出会った、やっと林道から離れて山を巻き、また河原へ降りる、ここで残雪を見る。さらに山を巻き沢を越え、樹林帯の中を行くと残雪の多い所へでる。雪渓である、ここを右へとり登っていくと湿原に出る、残雪のうまい雪解け水を飲む、そしてしばらく行くと槍、穂高、槍西鎌の姿をうつす鏡平の池に着く、夢の楽園である。すばらしいの一言につきる。小屋でミカンの缶詰めとパンを食べ昼食とする、そしてさらに登り続けやっと稜線にでる、すばらしく展望がよい。槍、穂高、黒部五郎、西鎌、北鎌そして笠ヶ岳連峰、遠く常念まで見えた。

(その2)1998/1/1UP

しばらく稜線を登り下りしながら行くと、やっと双六が見えてくる、予定より早く双六のキャンプ場に着く。テントを張り飯を炊く、19時30分には寝る。翌朝6時30分に出発、双六岳のきつい登りにあえぐ。さらに山を巻いて三俣の手前のピークに着く、ここで黒部五郎の大きな山容が素晴らしかった。そして三俣蓮華岳に登る。薬師岳、雲ノ平そして黒部五郎岳がすばらしい。長野、富山、岐阜の三県境である、槍・穂はかすんで見えなかった。薬師岳のスケールには大変感激した。

三俣山荘から雲ノ平へと黒部川源流へ下る。そこからの登り返しがまたきつい。祖父岳の左を巻いて行く、そして雲ノ平ギリシャ、スイス庭園に着く。ここから望む水晶岳は素晴らしい、黒い水晶である。山荘で缶詰とパンを食べ1時間休憩してから出かける。雲ノ平の広い高原を進んで行く、高山植物が素晴らしい、三俣の登りでクロユリが多く咲いていた。雲ノ平ではハクサンシャクナゲ、チングルマ、イワカガミ、ハクサンイチゲなど。

雲ノ平から薬師沢への下りはものすごく急である、樹林帯の中を這うようにして進んで行く。ようやく薬師沢のキャンプ場に着く、水場はだいぶ離れていた。飯を食べ早く寝る。翌朝5時に起きて飯を炊く、6時30分に出かける。山のふところを巻くようにして行く、左俣を越えて登りにかかる、ピッチを上げて登りつく、ニッコウキスゲがいっぱい咲いていた。予定より1時間半ほど早く太郎小屋に着く、かすんで展望は悪いが、薬師岳は前方にすごく高く上がっていた。小屋でエーデルワイスを買う。そして10時頃に出発して高原を歩き続ける、ニッコウキスゲがすばらしく咲き乱れていた。

途中で休憩し、富山の女の人と話をする、大きな鍋をかついでいてコンパクトを覗いていたのがほほえましかった。折立への下りも雲ノ平の下り同様すごかった。折立へ11時30分に着き、バスが出る有峰へ1時間あまり歩く、ダムの人造湖で静かな湖である。有峰(小見)からバスと電車で富山へ、3時45分発雷鳥で帰ってくる。

                   1970年7月23〜26日 山行

この文章は私が20歳の時の山日記から紹介しました。

槍ヶ岳での結婚式(その1)1997/11/16 UP

私が一人で大きなザックと最終列車を待っていたのは、もう11月に近いある日のことであった。列車、バスと乗り継いで上高地に着いたのは、まだ夜明け前であった。あたりは真っ暗ですべてが暗闇の中に眠っている。

それでも空いっぱいの星と西穂高の暗い影だけが私を迎えてくれた。私は寒さに震えながら夜が明けるのを待った。ようやく奥穂、前穂の稜線が明るく輝いてきた頃、私は一人で歩き始めた。あたりは次第に明るくなってきた。それと共にあたり一面の紅葉がまぶしいほどに朝日に輝いてきた。

吊尾根は岳沢と共にその美しい姿を惜しみなく見せている、振り返ると紅葉の上に焼岳がどっしりと座ってわずかに噴煙をあげている。誰もいない河童橋、静かな北アルプスの朝を今迎えた。

私はただ孤独が好きでも、友達がいないのでもない、とにかく思い立つといても立ってもいられなくて、今こうしてやって来たのである。紅葉の散りかけた路をのんびり徳沢、横尾と過ぎ槍へと向かっていった。徳沢園から見る前穂は奥又白をずっと上に東壁の眺めが素晴らしい。

誰もいない槍沢の苦しい胸をつくような登りをあえぎあえぎ登り、ようやく槍の肩に着いた。そこから見上げた槍の穂先に向かって登り始める、岩ばかりの穂先にやっと着いた、頂上はたいへん狭く槍の先と小さな社があった。しかし廻りの眺めはすごかった。ここから北アルプス、南、中央アルプス、八ヶ岳が眺められる。山又山の重厚とした連なりである。しばらくあぜんとしてながめていた。今こうして北アルプスの真ん中3190mに一人立っているのが信じられなかった。

(その2)1997/11/20 UP

頂上をあとに肩の小屋に入る、まだ管理人もいて小屋の中は人くさかった。この山へきたのは自分一人かと思ったが5人もの人達が迎えてくれた。翌朝頂上で結婚式をあげられるという九州の若い二人もおられた。こたつの中でいろんなおしゃべりがはずむ、私は一人ではなかった、ここにもこんなに仲間がいる。小屋のあるじの穂刈貞夫さんもおられた。

そうしていると誰かが窓の外を見て雪だと言った、みんな窓に集まって空を見上げた、白い物が空から落ち初めていた。夜になり雪は積もり初めた、今年は少し遅かったが初雪だという。私たちは子供になったように嬉しがった。夜二人の為の晩餐会がある、みんな自己紹介をした。二人が持ってこられたケーキを少しづつもらう。

長い夜を寒い寝床で過ごした。朝一番に起きて外へ出てみる、雪はだいぶ積もっていた、槍の肩に行くと高瀬川あたりより強風が吹き上げて来る。槍の穂先は雪と風に見え隠れしている。私たちは雪だるまをこしらえた、そして二人の結婚式にも立ち会った、幸せそうだった。

さりがたい山小屋に別れを告げ、雪の舞う槍沢の路を降りていった、標高が低くなるにつれ途中から雪は雨に変わった。雨の中の下山はいやであった、濡れねずみになって上高地へ急いだ。しかしバスはこの雨で不通になっていた。

(その3)1997/11/23 UP

仕方がないので覚悟を決めて一泊する事にする、五千尺ロッジの二段ベッドの上で寝る。あくる日は快晴であったがバスは不通のままであった。宿で知り合った東京の人と共に、バスが開通していなかった頃に利用されていた昔の路、徳本峠(2135m)を越えることにした。

二人で紅葉のトンネルの中をあえぎながら登っていった。やっと徳本峠近くの見晴らしの良い所へ着いた。そこから見る穂高連峰は目の前に大きく高く、昨日降った雪で頭を真っ白にそめて昔のままの崇高で美しい姿を見せてくれた。見下ろす上高地の紅葉の中にひとすじの流れ、清らかな梓川の流れが見えていた。日本で一番美しい川よ!さようなら。

峠で私のパンとコーヒーを沸かして昼食をとる。そしてまた紅葉の真盛りの島々谷の長い長い道を進んでいった。渓谷はすごく美しかった、しかし苦しい長い道であった。途中岩魚止の小屋の前で休憩する。小屋は閉まっていたが紅葉がいっぱいにあたりを包んでいた。

夕闇が島々の村にせまる頃、私たちは国道の標識の所へたどりついた。「左 上高地へ」と書いたところで島々谷を作っている山々を振り返ってみた。あの山の向こうに上高地が、梓川が流れているのだ、その梓川より今日一日かかってここまで来たのだ。この足で。

暮れてゆく山々を見ながら、苦しかった今日一日を懐かしく振り返っていた。

山は思い出と共に、人間の愛、友情をも我々に残してくれる。

この文章は私が20歳の時の山日記から紹介しました。

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