かものはし日記 特別編1
17回目の別荘暮らしやったぴよ。
2月26日の夕方から、急に高熱がでたぴよ。でも食欲はあるし痛みもいつもくらいやので
かもめの世話で疲れたかな?と思ってるうちにどんどん上がっていったぴよ。
だんだんやばいなぁと思いつつも ダーリンが救急車を呼ぼうというのをいややといい続けたぴよ。
前回が
15ヶ月やったし、また一年以上帰ってこれなかったらかなんのと ここ(かものはし館)で救急車を
よんだら今までいったことのない小さな初めての病院につれてかはるやろし、わたしの病気のコレクションは
とても珍しいものもあるから説明が大変やしとか思ってなかなか踏み切れなかったぴよよ。
40度をこえてぜんぜん下がらず意識がはっきりしなくなり、とうとう呼んでもらったぴよ
救急隊の人がきはって外に運ばれると、ほんまに救急車が止まってて
「わ〜すごい、ホンモノやっ」と思ったぴよ(^^)でもそのへんからまた意識がなくなったのでぴーもぽーも
聞いてへんぴよ。
私は当然ダーリンも一緒に救急車のってくれたと思っていたけれど、ダーリンは自分の車で救急車の後を
ついていってたらしい。(それがここらでは普通らしいぴよ)
救急の人が「大変危険な状態です」と連絡しながら受け入れ先を決めて
くれはるのを聞いてダーリンは やっぱしやばいんやとおろおろしたそうぴよ。そいで一生懸命救急車のあとに
ついていってたら、交差点をすぎたところで救急車がとまり、中から人が出てきて
「病院は決まりましたし、我々は先にいきますから 貴方は交通規則を守ってきてください」いわれたそうぴよ。赤信号やのについてってたぴよね(^^)
入院して最初の5日間はほとんど意識があらへんかったぴよ。
時々ふっと気がつく時をつなげて自分では一日くらいと思ってるうちに5日たっていたぴよ。
後でナースに聞いたところでは
目は開いているけれどどこもみていなくてずっとその目が泳いでいたそうぴよ。
熱は40度をこえていて、座薬を入れたら2時間くらいだけ少し下がるけどすぐまたまた上がってしもうてた
らしいぴよ。
記憶しているのは、入院した翌日(私は救急車で運ばれてすぐと思ってる)注射しますよという
男の人の声で横向きにされて気がついて、横向きってお尻に注射?と思っていると背中じゅうを消毒さ
されたので(なんやルンバールか。せやったらもっと海老にならんとあかんな)と思ったけれど
体は自力ではぴくりとも動かへんかったことぴよ。そいでルンバールは上にのらはるのがしんどい
さかい いつも「私絶対動きませんから乗らんとって下さい」ということにしとるぴよけど 今はしゃべれへんし、
乗らはってもしゃあないわなぁと思ってるともっと海老にと叱られることもなく、上にのらはることもなく
してくれはったぴよ。そいで(どこの病院に運んでもろうたかわからへんけど ええところでええ
先生らしい よかったなぁ)と とてもとても安心したぴよ。
その時横を向いていてすこしだけ目をあけたらベットのさくがみえてそのさくが 今まで私がお世話になったことのある病院の中では関西医大でしかつかわれていないさくやったけれど、まさかなんぼ数回入院したことがあるとゆうてもかものはし館から関西医大まで運ばれたとは
思えへんので、ここはどこやろう?と思っていたぴよ(結局病院名がわかったのは二週間後やったぴよよ(^^;;)
入院して5日目にやっとちゃんと気がついて、話す言葉をよくよく吟味してからやれど、すこししゃべれるようになったぴよ。でもいつもとなんかしんどさがちゃうしなんかへんやなぁと思っていたぴよ。第一に
私は入院したら最低、点滴(またはIVH)とバルーンと酸素は三種の神器でやってるほうが当たり前ぴよ。
その酸素はたいてい2リットルから4リットルくらいしたら楽になるのに、7リットルしててもちっとも
楽になる感じがしないぴよ。
そいでも7リットルというとものすごい蒸気で、目の前がもやっとしとるぴよ。頭を横に向けると気合を
いれすぎてタレントが見えなくなってしまう特殊効果のように
ベットのしたが真っ白で渦を巻いているぴよ。おもしろかったぴよ(^^)それになんかエステみたいやし
ずっとしとるわけやからこれ以上綺麗になったらどうしましょとか思っていたぴよ(^^)
そのうちに7リットルでなく15リットルでもチアノーゼがおこり、95以上あらへんといかん血中酸素が
75になってしまったぴよ。その時、片方の肺は全滅してもう片方も白くなってきてしもうてたらしいぴよ。
このころお腹にぶつぶつがあってかゆくないのに気がついて、アレルギーで使えへん薬が多いから先生苦労して
くれてはるのやなぁと思っていたらそのとおりで、薬をかえてもかえてもアレルギー反応がでてしまって
もう手の施しようがないということで、家族は覚悟したらしいぴよ
そいで呼吸器をいれてICUに引越ししたぴよ。
呼吸器って今まで友達や知り合いがたくさんしはったのはみているけれどみんな大体これをして
一週間くらいで亡くなっとるぴよ。はずして元気になった人はひとりもしらんぴよ。
そいで「もうあかんとわかっとるのにただの延命処置やん。あんな苦しげな機械つけてしゃべれへんようになって一週間長生きすることにどんな意味があるのやろう、私は絶対してほしないわ」と常々思っていたぴよ。
せやけど呼吸器をいれますといわれた時ちょうどダーリンはすぐにまたくるけどと一旦家に帰っていて妹だけやったぴよ。今っちゅうわけにはいかへんししゃあないわなと思ったし、第一しゃべれもせんのでいやともいえへんなぁと思ってまた意識がなくなったぴよ
呼吸器を入れる時、麻酔がきかへんで、意識がないのにものすごーーく暴れたらしいぴよ(^^;;
あとでナースに私は突き飛ばされたとか はねとばされてこのへんまで飛んだいわれたぴよ(^^;;
どこにそんな力があったんやろうか不思議やけれど、意識がないから本能でいやがって暴れたらしいぴよね。
先生が3人、ナースが5.6人で押さえてはってもあかんで
廊下で待っていた妹に聞いたところでは、急に部屋から看護師さんが首だけ出してナースステーションに向かって
「あと二人おさえにきて〜っ!!」と叫けばはったらしいぴよ。そうして一時間半もかかったそうな(^^;;
私は呼吸器をいれますよといわれたところで意識がなくなとるさかい 引越しは知らず、ICUで目が覚めたらまたしても「ここはどこ?」の世界ぴよ。
周りは機械だらけ、仰向けに寝て、両手はベットのさくにくくられていたぴよ。
呼吸器をとってしまって亡くなった方もいますといわれ家族が了承したのでくくられていると
説明されたぴよ。私はねぼけることに関してはすごーーく自信があるぴよ(^^)せやしそらくくっといてもらわんとあかんわなと思ったぴよ。
呼吸器をはずして元気になった人をひとりも知らんけど、私がその初めのひとりになればええだけやし、
うごけないのは慣れっこやし、息はできるし、口と喉がかなりしんどいけどまあ我慢できへんほどでは
あらへんし我慢せなしゃあないし・・・と考えて、
ICUにいってからはもういつものペースを取り戻せたので、とにかく今の最善の手はよく寝ることやしと
まわりはかなり賑やかなところやったけれど よく寝たぴよ。
寝返りはしたいなと思うまえにしょっちゅう上手にしてくれはるし、しかもそのとき次はどっちを向きたいか聞いてくれはるので嬉しかったぴよ(^^)
毎日一時間の面会時間にダーリンが来たときだけ、くくってあるのをほどいて 「あいうえお・・・わをん」と書いてあるボール紙をゆびさして話をさしてもらってたぴよ。
これが結構面倒で、お腹にキーボードをおいてもらえたら話すより早く打てるのに・・・と思ったぴよ。
大体ICUとIRCって似てるのにさとか、意味不明のことも考えたぴよ(^^;;
30分くらいでたんがつまって呼吸がとまるので鼻から喉と 口からと喉と 呼吸器から気管支まで管をいれて吸引してもらわんとあかんぴよ。これは結構痛いし苦しいけどしてもらわんと息がでけへんのやししゃあないなぁと思い、まずテーマソングを作って吸入は楽しい事やと自己暗示をかけたぴよ(^^)
おりこうな機械につないでもろうたので、呼吸が止まるとすぐに警報がなるぴよ。それを説明してもらったので安心して30分きざみやけれどよく寝たぴよ。
一週間目に右手がぜんぜん動かなくなったけれど、その前に字がかけなくなっていたので、パズルが紙と鉛筆で解けへんのに動いてもしゃあないし、舌が口の中にスペースは少ししかないけれどちゃんと動くので
舌でトラックボールを動かしてキーをたたけばいけるやろっと思ってまたぐうぐう寝たぴよ(^^)
〜特別編2につづく〜