日記0009

2000年9月30日

まだAir話。いいかげん覚めんのか。

Airはハッピーエンドではないからイヤという意見があるらしい。 確かに二人は死んでいる、という表現がイヤならともかくも普通の意味では 「いなくなって」いるのだが、だからといってハッピーエンド ではないと言えるだろうか。と、話を切り出しておいてなんだが、 あれはハッピーエンドではない。 人が死ぬハッピーエンドなどあるものか。 神奈の記憶がどうこう言ったところで、晴子さんが大変な悲しみに沈むことになる のは変わらない。 晴子さんは観鈴が見ていたものを見ることはできなかった。 つまり、観鈴が何をがんばって、何をやりとげた(とオレは思っている)のかを 知らず、ただ観鈴がいなくなるという現実だけしか与えられない。 確かに晴子さんも観鈴が何かを見ていて何かをがんばっているらしいということを ことを理解はしていたし、観鈴の最期に臨んであまりに充実した 時間をすごすことができた。 だが、悲しみはそんなものなど吹き飛ばしてしまうだろう。 数年の後にはそういう美しい思い出として見られるようになるかもしれないが、 それは別のことである。というわけでひどい話なのだ。 しかし、それでもあれは美しかったのである。 悲劇とか喜劇とかハッピーエンドとか、そういう形式はどうでもいいのであって、 そこに美とか、何かそういう輝きを放つものを見ることができたならば、 それはいい作品であるに違いない。

ところで最近、人に勧められるものかどうかなど、 勧めたいか否かという問題の前ではカスだという結論に落ちついた。 ただ、勧めたいからといって無理矢理勧めるのは 失礼にあたるので、そこらへんは人間関係の機敏というやつがいる。 しかし、これをWEBのような「読まない権利が確保された媒体」でやるならば 事は簡単だ。勧めて悪い理由などまるでない。けなすのもだ。

読者はその文章にかかれた評価を元にその作品を知るのではなく、 その文章に現れる筆者の人柄をまず見て、その人と自分を比べつつ 書いてあることを読みとる。 つまり 「ここがいいって書いてあるからおもしろいに違いない」ではなく、 「こいつがおもしろいって言うんだから、そりゃおもしろいだろ」の方が 確かなのだ。 批評ともなると多少違ってはくるが、やはり筆者がどんな人なのか が現れていない批評はおもしろくないのでダメである。 その上で、分析的な手法を使って説得力のある文章にしなければならないあたりが 批評のむつかしさなわけだ。また、批評にはウリが必要で、 「こんなところに気づきました」「こんな考え方してみるとおもしろいです」 というのがいる。大変だ。それは。

試しに客観的評価などというものをしてみようと思ったが、 どうにもまとまらない。 それもそのはずで、「にはは」や「ラーメンセット」は出来が悪いか、 という問いにすら答えが出ない状態では、「キャラの記号づけの出来はどうか」 については何も言えない。オレにとってはそういう 部分は非常に出来が悪く感じられるのだが、 世の中には舞のうさみみや、あゆのうぐぅが好きでたまらない人もたくさんいる。 むしろそっちの方がたぶん多い。 だから、それらを「あざとくて出来が悪い」と言うことはできないのである。 また、ラストシーンの意味がわからんとか、描写が長くてテンポが悪いとか いうのも「ラストシーンが示唆に富んでいる」 「描写が丁寧で情感に訴える」などといくらでも言いかえられる。 「好きになったから優れていると誉める」は成り立つが、 「優れているから好きになる」は必ずしも成り立たない。 「デッサンができてない」とか「文章のリズムが悪い」 くらい細いことになればある程度の共通認識が得られるし、 それの積み重ねで評価とすることもできるのだが、 やはりインパクトが弱いのは否定できない。

やっぱり残るのは所詮感想なのだ。好きか嫌いかをはっきりさせつつ、 何がすごいと思い何が残念だと思ったのかを、 正直にかつ機知に富んだ文章で語る以外に手はない。 特にオレは。

あざといのはなぜダメか。あざといというのは製作者の意図が見えることだが、 それがなぜ悪いのだろう。というとオレが悪いと思ってないように聞こえるだろうが、 オレもあざといのは大嫌いである。しかし、なぜだかよくわからないのだ。 また、考えてみるとかなりあざとそうなのにかまわないこともある。 マルチはあざとい。が、なんとなく「あれはああいうもんだし」という 妙な納得があった。しかし「うぐぅ」はそうは思わず、 あざとくてイヤということになる。この差はなにか と考えていくと、結局は出来の問題だなということで落ちついた。 マルチのロボット属性は「斬新」に思えたので「出来がいい」が、 あゆのうぐぅはいかにも「安易」に思えたので「出来が悪い」のだ。 出来がよければあざとくてもいいのである。 そう考えていくと、結局は作品を通して出てくる製作者というものの印象が 作品の評価に影響しているということになる。 マルチは作者のハメてやろうという意図が見えるのだが、 それをネタにして楽しもうという意図も見えるわけで、 そういう人柄は好感がもてるしロボットというのは斬新に思えた。 だから、マルチは許される。 あゆはうぐぅなどで作者のハメてやろうという意図が見えるが、 ネタっぽさもなければ、そう気の効いたものでもなく、 つまりかわいげも能力も感じないために あまり作者に好感をもてない。その結果あゆは許せないのである。 しかし、マルチもあゆもかわいい。うぐぅはかわいい。はわわーもかわいい。 初音ちゃんだってやっぱりかわいいのだ。 それが事実にも関わらず、作者の印象などというあまりに勝手で てきとーなものによって 彼女等の評価はゆがめられていたのである。 と分析してみたが、他の人にはあてはまるまいな。

こんだけエロゲやってんのに、エロ話はとっても苦手。 エロシーンはたいがい読み飛ばしてるわけで、 エロゲやってるとは到底言えないのだ。 よく考えたら鬼畜系嫌いだし、たぶん好きには永久にならない。 ドクタースランプの下ネタは好きだけど、南国アイスホッケー部の下ネタは嫌い。 つまりオレ子供なんだ。23にもなるのに、そういう知識はまるでない。 いろいろショックだ。

台湾の散打大会が近いが、オレが出られるレベルではない。 しかし、先生はどうにかうちの人間に出てほしいようなので、 先輩の誰かは出るだろう。台湾の政府がやっている大会で、 日本ではうちの道場しか参加資格がないらしい。 きっと大人の事情だ。 それにしても、出ろと言われるくらい強くなりたいものだ。 理屈はだいぶわかってきたので、あとは練習あるのみよ。

塩田剛三と三船久蔵のビデオを借りた。見たい人はどうぞ。 借り物なのでどこかで上映会ということになるでしょうが。 渋川剛気ファンは必見。人の動きしてないです。

やはり毎月日記のファイル名が変わるのは見る方にしてみると面倒なので、 diary.htmlで固定することにした。ただし、これは最新の2日分のみ格納し、 本体はdiaryXXXX.html。つまり、diaryXXXX.htmlから 2日分抜き出してdiary.htmlを自動生成すればいいのだ。 というわけで明日そんな装置をつくる。

できたぞー。そんな装置。以後日記を直接読みたい方は diary.htmlをブックマークに置けば大丈夫です。 それにしてもだいぶperlの勉強になりました。 ちなみに、さすがに2日だからといってその月の1日と前の月の最終日 を抜いて合わせるようには作ってません。 そのうちやりましょうかね。面倒ですけど。

やりました。明日はそうなる日第1号です。 あとやっておいしいのは、 下の「続きへ」のところでちゃんと続きになっている 日に飛ぶようにしておくことくらいでしょうか (25日まであったら、本体の24に飛ぶように、ということ)。

やりました。25日まで読んだなら24日へ、 1日まで読んだなら前の月の最終日に飛びます。

2000年9月29日

アホが掲示板でオレをいじめる。なんでだよ。

10/29のC-REVO当たっちまった。K56a。ここまで来て新刊がないのは 半ばというか完全に犯罪だ。10/22のエタカノも新刊なしは確実なので、 これ以上罪を重ねたくはない。もりりん氏と水面下で進行する予定である 秋子ジャム本の予定を繰上げて10/29に間にあわせるのも手か。 いっそ10/22に間にあわせられたらおもしろいなあ。 久しぶりに忙しくなってみるか?エネルゲンの新刊が絶え、 アレルゲンもやめてしまったので毎日プログラムと実験しかしていないのだ。 ここらで漫画に返り咲いておかないとナマってしまう。 ちなみに、10月末締切の原稿が現在5つ。楽しいなぁ。

2000年9月28日

プログラミングperlをとりあえず一回通して読んだ。 おそらくまともに読んだ部分は2割にも満たないだろうが、 だいたいどんなもんかわかったので良しである。 そもそもこれは字引のような本であって、一気に読んでそうかわかったぞ、 という本ではないのだ。 とりあえず正規表現をマスターしよう。こんなにいいものはない。

汎用。美しい言葉だ。 ギャルゲーノベルゲーの類なんて一つ誰かがいいシステムを作ればそれで 足りてしまうに違いない。 変数管理と、文字の逐次表示と、効果音とBGMの機能と、 背景画像の合成機能といくぶんかのエフェクト、そしてリンク処理と履歴 管理つきのHTMLのようなものであろう。 シナリオを記述するファイルの文法を定めてそれを解釈するものを作り、 あとはホームページビルダみたいなGUIをつけられさえすれば良さそうに見える。 というわけで、作り始めてみよう。 実際にやってみればギャルゲーのプログラムの多くが大変なことになっているのが 必然なのかどうかわかるはずだ。

コンピュータってのがどれくらい速いのかが知りたかったので、 てきとうなプログラムを作ってはかってみた。 第一がサイコロ大会。 1億回256面サイコロをふって配列に格納。これが14.8秒。 一秒あたりだいたい670万回くらいだ。 次が足し算。次々とプラス1していって配列に格納するだけ。 8ビット変数で1億回を3.5秒。 一秒あたり3000万回くらいとなる。 次は浮動小数点かけ算。1億回次々と1.1倍していったのだが、それで11.8秒。 一秒あたり850万回くらい。確かに遅い。 次が整数かけ算。1億回次々と3倍していく。3.4秒。 足し算とあまり変わらない。 ついでにperlでタンジェントの計算をやらせてみた。 100万回やらせて7.8秒。 1秒あたり12万回くらい。 コンピュータってのはこんなもんなのか。

グラフィックってのはそんなに大変なんだろうかと思って考えてみる。 仮に640×480でRGB各チャネルについて何かやるとしたら…90万回。 仮にアニメーションにしようなんて思ったら一秒間に15回くらいはいるわけで、 つまり1350万回。ただの足し算でもしんどそうだ。 全部の画素の色をだんだん暗くしていくなんていう簡単そうな処理でさえ、 バカ正直にやったらとても間にあいそうにない。 いや、いくらなんでもバカ正直にはやらないが。

ところで、考えてみればこいつ(celeron450)の100分の1レベルの速さしかなさそうな 386sx-12MHzのマシンでもYUNOはまともに動いていた。 そう考えるとコンピュータの速さとできることの関係がますますわからなくなる。 やはり一回実用プログラムを書いてみる必要があるようだ。

今日の実験初フェノール記念。フェノールというのはそれはもう危険な薬品で、 タンパク質を凝固させてしまう作用がある。生卵をゆで卵のように してしまうものだと思えば、まあそこそこ間違っているくらいで済むだろう。 で、それに生まれて初めて触ってしまったのだ。 こう見えてもオレはフェノール歴は長く、それだけにヤバいのは知っているので 当然手袋をしていたのだが、今日は運悪く穴が空いていた。 あれ、親指の感覚が妙だなあと思って見てみたら親指の第一関節から先が 白くなっていて、わあびっくり、である。 これ、痛くなるかな、と思ったか思わないかの間に痛みが来た。 表面的な痛みというより、 破壊された組織に血が集まってきて熱をもつような感じで、 何かに触ったりして圧力がかかるとそれはもう痛い。焼ける。 しかも悪いことに実験の途中だ。やむを得ず右手でやる作業を全て左手にスイッチして 続行したが、微妙な操作などできはしない。それでもどうにか数時間がんばって 作業を終わらせ事無きを得た。 普通のケガと違ってそのころにはすでに痛みはだいたい引いていたが、 皮膚は固まってしまって感覚はなく、すこぶる不気味である。 色も元に戻りはしたが、明らかに表面近くの細胞は全滅だ。 明日あたり死んだ細胞が剥げ落ち始めることだろう。 イヤーなことに、 爪の中にまで入ったので一体どういうことになるのか恐くて仕方ない。 普通は指先にちょっとついてガッカリというくらいの初体験をするものなのだが、 オレの初体験は被害面積が3平方センチを超える大惨事だ。 大人になってからはしかにかかるとヒドいというが、似たようなものだろう。 というわけで、これからはいろいろ気をつけることにした。

windowsプログラミングの本を数冊味見。やってられるかガッシャーンという のが素直な感想である。関数が多すぎてどうしていいかわからない。 とりあえず、Cでいろいろ書けるようになってから、ブ厚い本を買って 探りながらがんばるというのが現実的というか唯一の方法だということがわかった。 部分の機能をバラバラに書いて練習がわりにしながら慣れ、 ある程度できたところでそういう本を買って全体をつなげつつも書き直す という手順を踏むことになるだろう。

オブジェクト指向という言葉をよく聞くが、 今日ようやくなんとなくそれの意味がわかった気がする。 早い話「関数入り構造体」を使うことらしいのだ。 それを「クラス」というらしい。 機械(関数)と材料(データ)を一緒に同じ工場(クラス)に置くと考えればよかろう。 それまでは機械と材料を同じ建物に置くことができず、 いちいち材料をそれを処理する機械まで運んでやらねばならなかった。 間違った機械にたたきこんでヒドイ目にあったりすることも多く、 いまひとつ管理が大変だったのである。 そこで、最初からそれを処理するべき機械の横に置いておけば間違いも置きないし、 管理も簡単。これがオブジェクト指向の正体なのだと解釈した。 なるほど、もっともである。

2000年9月27日

道場の先輩が現れて、Airを借りていった。 もうダメ人間とは言うまい。そんな照れ隠しはもういらない。 Airは立派な作品である。

Air話。気をつけろ

  ところで、ラストシーンあたりの評価が割れに割れているようだ。 ぶっちゃけた話、最後のあたりがようわからんのだがどうか、ということだろう。 オレもそう思った。そこまでのシーンでは頭を知的なやり方で使う必要は なかったわけで、ただただ晴子さんに感動していれば良かったのだが、 あそこはそういう情な頭の使い方では理解できないので 知的モードに切りかえることを強制される。これが気にいらない人から 好きな人までいろいろだということだろう。 ちなみにオレは結構前者である。「え、なに?」という感じであった。 そこで、非常にいいかげんな解釈で済ませて事実上無視するという 暴挙に出たのである。堤防に座ってるのは幽霊、というくらいの認識である。 そう考えるとそういう演出は珍しくないのでそれ以上頭を使わずに済む。 そのおかげで数日たってみるとそのへんは忘れ去られて、評価の外に行ってしまった。 Air編をまだ一度しか読んでいないオレにとっては、 あのラストシーンはないも同然なのである。

  しかし普通これほど好きになった作品ならこういう状態のままにはしておけない。 どうしても妥当な解釈を見つけようと努力することになる。 ONEもそうだったし、KANONの舞シナリオもどうにか理由をつけようと四苦八苦した。 だが、どうもAirはそうなりそうな気がしない。それはなぜか。

  ONEは消えるというのが物理的な真実でありながらも、 やはりそれは「頭の中の世界」を表現する手段であった。 ぶっちゃけた話、彼等がどう感じて、どう考えたのかということの解釈さえすれば、 それで何故消えるかとかそのへんの疑問は解けたことになる。 「過去の自分が永遠を願ったから、今彼は消えることになる」 という一見意味不明な説明が十分な説得力を持つのはそのためだ。 つまりどうやって記憶が消えるのかとか、 そのへんについて考えるのは無意味である。 問題は彼等の頭の中だけであり、その外に興味がないのだから当然そうなる。 ではKANONの舞シナリオがどうか。 あのシナリオの最大の謎はハラキリである。 腹を切るのは舞の意思であり、舞を知りたければ彼女が腹を切った理由を知ることは 絶対的に必要である。だから一生懸命考えた。今でも万人を納得させ得る結論は 出ていないが、一応の理由は考えたし、オレ内部の舞はそういう奴になっている。 というわけで、やはり興味は彼女の頭の中にある。 ハラキリをして治ったのはどういうことか、などというのはその問題の前では オマケにすぎない。ちなみにオレ内部ではあれは 心的風景というウサンクサイ言葉で片づけられている。

  さて、ではAirはどうか。結論から言えば、最後のシーンを解釈しないと 彼等の頭の中がわからないということがまるでなかったのである。 まず主役の晴子さんの想いは十分に伝わっている。 観鈴の人格はまず記憶を失うところまででオレの頭に完成され、 その後クララの如く歩いたところでもう一段階の完成を見た。 往人は再びその記憶をとり戻したあのシーンでオレの中に完全な像を結んだ。 つまり、3人ともあのシーン無しで完成されてしまったのである。 がんばって神奈に結びつけることもできようが、 正直別れてから(summer編が終わってからの意)時間がずいぶん経っているし 彼女はやはりsummer編で完成されている。その後は抽象化されたなにやらとして 存在しているのであって、神奈そのものがどうのというふうには感じられないのだ。 というわけで、人の頭の中に興味があるオレとしては、興味を持つ必要を感じなく なってしまったのである。その後仮に彼等が生き返ろうが、 生まれ変わろうが、あの二人がなにやらの象徴であろうが、 地球の記憶がどうであろうが、はっきり言ってどうでもいい。 ただ、神奈がかわいそうなので最後のシーンでは解放されたのだと思いたい くらいである。

  こういうことは前にもあった。KANONの真琴シナリオである。 最終シーンで、草原に寝転ぶ真琴が写る。だが、オレにとってはあれが 主人公の願望であったところで一向に差しつかえない。 なぜなら、あのシーンなしで真琴も祐一もオレの中に完全な像を結んだからである。 真琴の祐一への想い。祐一の真琴への想い。その二つが問題であって、 その後どうなったかは言わば精神衛生上の問題に過ぎない。 真琴は幸せに逝った。祐一も悲しみにまみれつつも、 充実した気持ちで真琴を見送った。それで十分である。 ただ、もちろん帰ってきてくれないと祐一が哀れすぎるので、 その後の悲しみを思えばやはり帰ってきてほしい。 しかしそれは願望であって、知的に解釈したいという欲求ではない。 読み解くということとは無縁である。

  つまりなにかというと、そのへんの評価がどうのというのは 読む方の性格の問題であって、オレのようにキャラ萌えな人間にとっては テーマがどうだのというのは演出の一環にすぎないし、 その逆の人間もたぶんいるだろうということである。 ただ、一つ言うならば 恐らくは麻枝という人は頭の中にしか興味がない人なのではないかという気はする。 MOON.も頭の中の描写は恐しいが、物理的なストーリーは科学者宇宙人モノであり、 そっち方面でちゃんとしたストーリーとはとても言えない。 ONE、KANONは言うまでもない非物理ストーリーだ。 Airが妙にちゃんとしているのは 麻枝氏の仕業ではないのではないかとオレは思っている。 というわけで、麻枝ファンとしてはこんな態度でもいいかな、 なんて思ったりするわけである。

2000年9月26日

ああ、こんなにおもしろい本があるのにどうしてオレは野球なんぞ 眺めにいかねばならないのか。perl、イカしすぎです。

で、買ってきた本の題名をちゃんと挙げておこう。「Cプログラミング診断室」 「C言語プログラミング」「プログラミングperl」。計一万円。 本を買う時には常に金をドブに捨てる危険が伴うものだが、 今までさんざんドブに捨ててきた経験からだいぶコツがつかめてきた。 まず第一には「前書きがおもしろいこと」。 この3冊はその点がクリアされている。前書きがおもしろければ 中身もつまらないことはない。その次が技術のレベルなのだが、 これはどうせ初心者ではわからない。そこで、「記述がえらそうか否か」と 「権威」で判断する。たとえばperlの本はperlの作者が書いているので権威がある。 加えてすごい熱意で他の言語をこきおろすさまがえらそうである。よって合格。 一方Cの診断室などは、 「記述のえらそうさ」においては満点をあげられる出来。 ヘタクソなプログラムを募集してネタにするというコンセプトからして激しいし、 ものすごいものを見つけると「珠玉の力作」などといってバカにしまくりなのだ。 さて、次に考えるべきは思想である。本には思想がなければならない。 美学と言ってもいい。どういう姿勢で書いているのかこそが問題なのだ。 Cの教科書はこの視点で選んだ。えらそうさやおもしろさで買ったのは すでにあり、明確に「どういう本が必要か」ということはわかっていたので、 それを満たすものの中で思想がはっきりしていてかつ 理路整然としているものを選んだのである。

しかし、仮に後で使えないことがわかっても本を買ったことは無駄ではない。 買う前にダメだとわからなかったのが、 買って読んだ後ではわかっているということは、 やはり買って読んだことによってレベルがあがったということである。 金は無尽蔵ではないが、服や家賃や必要以上の食い物に使うことを考えれば こういうのは無駄とは言えない。包丁やDuronよりはよほど優先順位が高いのである。

キャッチボール。すごい日本語だ。 どう英語的な解釈をしてもあの行為とは結びつかないのがすばらしい。 これまでの人生でこの不自然さに気づかなかったのが不思議で仕方ない。 とかいってちゃんとした英語だったらバカ丸出しなのだが。

思うこと−タバコ

  今日は野球大会だった。山と大学生や研究屋が集まって野球をする会である。 そこでふと気づいたのだが、異常にタバコ率が高いのだ。 喫煙率などというえらそうな言葉は使わない。タバコ率で十分である。 パっと見ただけで3割。潜在的なものを加えるとおそらくは5割を超えるであろう。

  人が何かを習慣にするからには、必ずそれが利益をもたらすものであるか、 あるいはやらないと損をするものである必要がある。 この「利益」とか「損」というのはお金の話ではなく、 「本人が得/損をしたと感じること」全てである。たとえばメシ食って満腹とか、 筋トレして快感とか、万引して罪悪感とか、そういうのも入るわけだ。 タバコが前者か後者かの考察はひとまず置くとしても、 必ずそのどちらかであるはずなのである。なんとなくというのも 分析してみれば必ずどちらかになる。損得両方がある場合にはその大小で 決まるわけだ。

  仮に前者であるとしよう。高いとか(マジで高いだろあれ)、 そういう損を差し引いてもプラスになるような お得があると考えてみるのだ。思えばギャルゲーも、ダメ人間と虐げられ、 高い金を払わされ、その他もろもろの損がありながらも一定の愛好者がいる。 それと同じではないのかとも考えられるであろう。しかし、 ここにはある致命的な違いがあるかに見える。 すなわち人に勧めようとするか否か、だ。 加えて周りを見回してみても、「うおータバコ最高!」と叫ぶ人は見当たらない。 いいものならば人に勧めたくなるのが人間というものだが、そういう人は まるで皆無と言って良い。「いいものは独占したい」という心理も 存在するにはするが、人に広めて共同意識を持ちたいという 欲求に比べればカスのようなものである。 勧めないのはいいものではないからではないのか。

  ちなみに、うちの親は二人そろって中毒者である。 以前なんでやってるのか理由を聞いたが、「いいものだから」などという返答は 当然のごとくないわけで、「大学の時にみんなやっていて」「やめられないから」 というあまりに消極的な返答だった。成人してから聞いてもそうなので、 教育的見地からの発言ではない。他の中毒者の話を聞いても だいたい似たりよったりであり、やはりいいものだからやっているわけではないのか と考えたくなる。やらないと苦痛なだけなのではないのか。

  さて、オレはタバコが嫌いである。嫌いどころではない。あんな害毒は社会から一掃 されるべきだと本気で思っている。まず臭い。なにより臭い。長くつきあっていれば 緩和はされるものの、中毒者であるというだけでオレ内部の 評価は著しく下がる。近づくと臭うので近づきたくない。 加えて体に悪い。しかも、「他人に被害を与えてまで自分が快楽を得る」 という社会的意味からして気にいらない。倫理的な視点でのみ考えれば、 中毒者が他人との共有空間でタバコを吸うことは絶対的に悪なのである。 よく喫煙者の人権がどうのこうの言うが、間違いなくそれは 人権という言葉の使い方を知らないで言っているかジョークかのどちらかだ。 人に被害を与える行為を許すことを人権とは言わない。 原理的に言うならば、あくまで社会システムのゆとりの一つの表現として 「容認してやっている」のであって、街中で有害物質をふりまく「権利」 など誰にもありはしないのである。被害の程度が少なく、国の財布にとって重要で、 かつ中毒者が多く、慣習として定着しているという理由によって「容認」されている にすぎないのだ。

  しかし、やめるにやめられないのも理解はできる。 ニコチンの習慣性はコカインやヘロインの比ではない。 毒性もケタ外れである。生理学的な話はここでは省くが、 あれほどの毒ともなれば、人ひとりの意思など問題ではなくなるのも 無理はない。 だから、やはり我々非中毒者としても、社会の現実を鑑みれば ある程度「容認してやる」必要があるのである。 下手に波風を立てて損をするのもつまらないというのもあるし、 彼等は数が多いので下手な理屈では勝てないというのもある。 そういうことで、うまく生きていくためには 彼等は運が悪かったのだと思ってある程度は寛容になってやる必要があるわけだ。 よく「いつでもやめられる。俺は中毒者じゃない」と言いつつ続けている人がいるが、 前述のようにそれならやめないことに得があるか、やめることによる損があるか どちらかであり、前者ならばタバコで快楽を得ているわけだから中毒者。 後者ならばやめるのに多大な苦痛が伴うわけだから中毒者。 つまり論理的に避けられず中毒者である。 しかし、そういう強がりを言わないと辛いのだろうと心中を察して あげる優しさも欲しいものだ。

  なお、タバコを吸う人が嫌いというわけではないので誤解なされぬように。 確かにタバコな人だとわかった瞬間に評価が下がってしまいはするのだが、 これはオレが今まで生きてきた経験のせいでオレにもどうにもならない。 つきあっていればそのへんは緩和されているのでお気になさらぬよう。

2000年9月25日

そうか。statで得られるものの中にmodeってのがあるぞ。 これでディレクトリとファイルの区別ができる。 あとはそれで見つけたディレクトリに入ってまた同じことを繰り返せばいいのだ。 方針が立った以上、あとはやるだけ。

ファイルフォーマット考えるって大変だ。 後からおいそれとは変えられないから、よほど周到に決めなきゃいけない。 HTMLの文法とかを決める人はさぞや大変なのだろう。

perlもCも、どこまでが保証されている機能なのかがわからないと windowsとunixで互換性のないものを作ってしまう。 たとえばmodeなんてwindowsとunixでは違うだろう。 OS依存なところの移植は偉い人にまかせて、 高レベルなところでのうのうとプログラムを書いていればいいのか。 ともかくもCのゴツい本がいる。Cは覚えること自体は少ないし、 概念はだいたいわかったので、あとは辞書のように使える本がほしいのだ。 perlも「初めてのperl」では何かと足りなくなりそうだし一度読んでしまった後では 使いにくいので、もっとゴツい本を買わねばならない気がする。 ソースやらmanやら見れば済むのはわかるのだが、 やっぱりそういうのは一撃気合いで勉強してコツを掴んでからにしたい。 研究でも、個々の論文を当たる前に教科書で勉強した方が早いのだし。 その点昔の本のなかったころの人はえらい。えらすぎる。

デカい本を買ってきた。perlのバイブルと、Cのデカい本と、 ヘタクソなプログラムを反面教師にして学ぼうという本。 どれもおもしろい。値段分以上に楽しめそうだ。

刃牙総合サイト を観賞。そこら中バカウケ。もっと早く見ておくべきだった。 用語辞典は印刷して研究室に持っていって読もう。時間が有効に使える。

明日は研究室対抗の野球大会。どうせ出番はないので見にいくだけだが。 丸一日ツブれるのは痛い。今日も忙しかったし、明日も終わるのは夜中なので Airの感想文は数日おあずけ。

弟がこの瞬間にもダメになっている。 無限の宇宙が無限の速度で膨張するように、だ。 オレなどもう及ぶまい。

Cってのがなんなのかなんとなくわかった。 入出力やらなにやらはもうすでにCではないわけで、 Cというのはずいぶんと小さいものだったのである。 しかし、ということはCだけではプロセスの枝分れはできないことになる。 どうやってもOS依存なわけで、そこはえらい人に頼るか、 そもそも両方で動くものを書くこと自体をあきらめるしかない。

特にヤバいところだけをOS別に書いて、できるだけ共用部分を多くするというのが 一番現実的か。音をならすなんてのはどうやってもOS依存になるだろう。 GTKなんてのもあるようだが、windowsに元からそなわっているものがあるのに 敢えてそんなものを使うのは容量の無駄だ。

見た限り結果的な機能としてはCでできてperlでできないことはなさそうなので、 perlでゲームを作ってしまうというのもアリかもしれない。 しかし実行ファイルがテキストで丸見えというのはなんかイヤだし、 perlをインストールせねばならんのも面倒だ。 やっぱりCでいさぎよくOS別に書くのが一番。 どこまで共用部分を大きくできるか、勝負である。 標準関数だけ使ってればそこだけは大丈夫なはずなのだ。 さあ、はじめてやるに等しいプログラミングでそんなデカいものを作れるのか 見物である。

2000年9月24日

ところで中村日出夫の話で少々気になったのだが、 角材や瓦をブチ折るほど凶器になった体で 禁じ手なしの組み手をやったら、壊れる人続出ではないだろうか。 人間の防御力は攻撃力ほどには上がらないように思える。 病院に行かないのが美徳だとしても限度というものがあるわけで、 どう考えても病院送りは多発しそうである。 もし、あの荒行が本当にも関わらずそういうことにならないのだとしたら、 やはり瓦を殴るのと人を殺すのでは違う力が 必要なのだと考えた方が妥当なのではなかろうか。 上級者が本気でルール無用の組手をやって壊れないのは、 武道として何か間違っている気がする。 人間には鍛えようがない場所というものがあるはずだし、 鍛えられる場所にも限界はあるだろう。

タイムリミットは近い。 最後にはどうかド派手な最期を。

36000。おかしい。35000を記録したのは20日だ。一日200を超えている。 人がたくさん見ているところからリンクが張られたのだろうか。 ますますなんかしなきゃ。といいつつ何もしないでプログラムで遊ぶ日々が 続いていてダメなのだが、そろそろ漫画を描かねば死なので やはり更新できないのである。とりあえず、明日あたりAirの感想文を 書いてしまうとしよう。整理しないと先へ行けない。 Airがギャルゲー最後の花火となる可能性も高いのだから。 もっともAirがKANON以上に流行るとは思えないので、 やっぱりKANONで最後だったのかもしれない。 ああ、そういえばsense offをどこからか借りなければ。

弟からメール。Airで撃沈とのことだ。それでこそわが弟である。しかし、 オレと同じことで感動以外の衝撃を受けているあたり業が深い。

Airはカツオブシ、加奈は味の素である。 記号化の度合が大きいほど単純で得やすいというのは味も感動も一緒だろう。 味の素の方は記号化の度合が高いのでわかりやすい一方、 それを下品と言う人間もいる。 また一方、カツオブシは複雑な味わいの ダシが出るが、味の素に慣れた人間にとっては刺激に欠ける。 そういう意味で加奈は味の素で、Airはカツオブシに似ていると思ったのである。 さて、現実はもっと記号化度が低い。こうも複雑だと感動を探すのも一苦労だ。 それを見つけられたら作り物では味わえない感動があるんだろうが、 そうそうはお目にかかれない。 もっとも、それがわかりやすく目に現れる時というのは 誰か身近な人の、あるいは自分に莫大な不幸が押しよせた時であることが多いので、 あまり歓迎もできない。もっと障りのないことで感動しておきたいものだが、 それは虫が良すぎるか。

以下プログラム練習記。

等比級数数列の和と初期値が与えられた時に、その比を計算する プログラムを作って遊ぶ。式はa((x**n)-1)/(x-1)-b=0。 初期値がa、和がb。比がx(x>0)。nが項の数。 これだけなのにコンピュータに計算させようとするとけっこう面倒だ。 n次なわけで普通なら解はn個あるのだが、nが偶数なら2個、奇数なら1個 だけが実数解であとは全部虚数解なので無視していい。楽ちんである。 あとはx=1を避けつつも 適当な数値を入れては少しづつ0に近づけていき、 だいたいいいやと思うところで解とする。 で、何に使おうと思ったかというと、ロクでもないお遊び。 カウンタの増加が等比級数数列と仮定した時にどのくらいの比になるのか、 ということを計算してみたかっただけである。 現在のところ、b=35939、n=725であり、 aに10を入れると昨日のアクセス数は141になって、 まあそんなもんかという感じになる。 ちょうどいい練習になった。どんどんperlに慣れよう。 次は更新時取得だ。

と、ある数aがbのx乗根なのかを計算するプログラムを書いてみた。 a**x=bを解けばいい。モノはほとんど同じだが、どんな数を入れても少ない段数で 計算できるようにいじって遊んだ。 しかし、これもa>0、b>0という条件をつけないと 虚数が乱舞して手に負えない。0.5乗はできるが、-0.5乗はできないのである。 実用上問題ないので困りはしないが、どうにかして一般化したいものだ。

よく考えてみると、方程式の解は近似的でいいならば 無限の時間のうちには必ず求まる。 なにせてきとうな値を代入しては解に近いのを探すだけなのだから 必要なのは時間だけである。 しかし実際には無限の時間はないわけで、 解がどのへんにあるか最初のあたりをつける方法が必要だ。 しかしそれはむつかしい。 マイナス100万かもしれんし、0かもしれないのである。 それに解は一つとは限らない。 たくさんあった場合、それを見逃さないようにするのは大変だ。 また解と解の距離も問題だ。 それがわかればそれより細かく代入する数値を変えればみつかるからいいが、 一般的にはどれくらいの距離かわからないわけで見逃す可能性がある。 やはり現実問題グラフの形がわかってる関数じゃないとダメなのだろうか。 「プラスマイナス1万の間に解が全部あって、 0.1の変化のうちに解が複数あることはない」 みたいな条件がつけば楽だがそれは美しくない。 ところで、虚数解を出すには全然違う手続きがいる。 ガウス先生が必要だ。

浮動小数点演算はいいかげんだ。ただの0では割れないが、 -0.2+(0.1*2)で作った0なら割れてしまうのである。 2進法では0.2は表せないので0.2に似た数を0.2として使っているのだが、 その微妙なズレのためにこの式はちゃんとした0にはならず、 結局0でないから割れてしまうのだ。 これではいつどんなわけのわからんことになるか知れたものではない。 コンピュータで計算するというのは 考えていたほど簡単ではないようだ。

トップにある各ファイルの更新時間を自動的に書きこむようにした。 また一つ賢くなった。 もらった文字列をディレクトリ名なのかファイル名なのか識別する 機能もつけたいし、 再帰的にディレクトリを掘る機能も必要だ。 それができたら、サイトのサイズ計算も自動化できる。 もちろん拡張子別に。そんなことができても意味はないのだが、 まあお遊びなんだからいいじゃないか。

2000年9月23日

衝撃の事実。今日は大阪でイベントなのだが、 まさしろと清水が二人そろって来週試験なので出られないと言うのだ。 つまりオレ一人である。見て回ることもできないし、荷物は膨大。 まあこれも経験と思うことにする。

世の中はオリンピックらしい。だがテレビを持ってないオレにとっては 所詮世界の果ての向こうの話だ。悪いか。オリンピックよりは 空牙とタイムレンジャーを見るためにこそアンテナをつなぎたいところなのだが。 ところで清水にまさひろ。オリンピックなんぞ見てたら殺す。 かけてるだけでも殺す。申しこむ前に「試験だから行けない」と行ってくれていれば わざわざ実験を抜けて 京都の南の果てまで行って家を探し出して申込書を置いてくるような マネをすることはなかっただろう。

うちのイベント参加予定。

減ったものだ。ちなみに増える予定はない。 夢の終わりに臨んでも歩き出せる自信と力をつけなければ。

Air。だいぶ頭が落ちついてきた。というわけで、そろそろ頭を使いつつ 全編を読みなおす作業をしてみたいと思う。その上で、「なんだったのか」 を考えたい。オレが人に提供できるものは 所詮分析的思考しかないので、それを使ってみようと思うのだ。 今のところオレはAirの感情部分についてしか触れていないわけで、 まだ構成とか主題とかそんなのが残っている。 あれに関して理屈をこねるのは何か汚している気がしてイヤではあるが、 それに耐える作品であることも事実。であればそれなしで感想文を書くわけには 行くまい。

Airは美しすぎる。 美しく作ったものが美しいのはあたりまえだが、 辛いのはその美しい世界に自分が含まれていないことに気付いたことだ。 自分の心にあれほどの美を見出すことができず、 他人の心にもあれほどの美を見出すことができない。 そういう自分が生きる世界と、あの世界は離れすぎている。 だが、それはこの世界が美しくないということを意味しない。 オレがこの世界を見る見方が美しくないだけのことである。 Airを見て痛みでなく共感を覚えるほどの 美を備えることがオレにできるのだろうか。

この日記を見て、今日(23)ヒマでボランティア精神あふれる方。 お手伝い(売り子)をお願いできないでしょうか。 メシ一食と交通費は出します。交渉しだいではもっとなにか。 もしよかったら朝8時半までにうちに来てください。お願いします…。

本気で遊ばぬ奴等には。

眠れないので塩田剛三の「合気道修行(竹内書店新社)」を読む。 道場の兄弟子から借りたものだ。 塩田剛三とは、あのグラップラー刃牙の渋川剛気のモデルとなった人物である。 この本の挿絵もまた漫画家になる前の板垣氏によるもので、 どう見ても刃牙にしか見えないのがまたおもしろい。 しかしおもしろいのはそんなことではない。内容である。 神やら自然やら宇宙などというわけのわからない言葉を使わず 非常に即物的な捉え方で合気道を解説している、 という知的なおもしろさに加えて、「おまえ自分で信じてないこと書いてるだろ」 という印象が拭えないウサンクササがたまらないのだ。 「和」がどうこう言ってみたり、 戦争中の残虐行為について優等生なことを述べたりしているのだが、 一方では異常に好戦的で道徳のどの字もないような怖さがある。 命のやりとりの描写で「ビールびんで殴りつけて、割れたビンを顔に刺した」 などという話が出てきてとても生々しいにもかかわらず、 最後は「実戦経験は重要」などという味もそっけもない結論に辿りつくのが またたまらない。 全編こんな感じで、体験談の異常なおもしろさと、 あまりに優等生すぎるまとめ方の不整合の不気味さがこの本の真骨頂であろう。 また、太極拳の理論にも通じるところがあるのがおもしろい。 格闘技好きの人は一度読むことをおすすめする。

ついでだ。もう一冊借りた「拳道伝説(福昌堂)」を読む。 中村日出夫という半ば伝説と化した空手家の話である。 で、基本的にこの本はつまらない。 中村日出夫がいかに凄い人かということを、 えんえんとウサンクサく過剰な描写で語るだけの本だからだ。 しかし、問題は彼の鍛練の内容である。はっきり言って、おかしい。 人間の限界などとうに超越したような苦行である。 砂利袋を千の単位で殴り、蹴る。 皮膚が裂けようが、血が飛び散ろうが、肉が裂けようが続ける。 そのための塩が用意してあるという話だから恐しい。 筋トレと呼ぶにふさわしいレベルの「準備運動」を数十分した後、 ぶっつづけで休憩もなく8時間もの間稽古を続けるともいう。 小賢しい理屈は微塵もない。速く、強くを極限まで追及する。 確かに限界まで酷使すれば自然と効率の良い体の使い方に シフトしていくものなので、このやり方は正しい。 が、度を越している。組み手も禁じ手なしの完全フルコン。 当然ボコボコである。極真どころの騒ぎではない。 やり方はともかくとして、武道とはこれほどの執念を込めてこそ 大成できるものなのだということを強く感じた。 ちなみに、中村日出夫は板垣の愚地独歩や松尾象山の裏モデルだという。 巨大な団体を作って君臨するあたりは大山倍達だが、 人物としてはこちらこそがモデルだろうという話だ。 板垣版餓狼伝で松尾象山が角材を手刀で切断(折るの域を超越している)する 描写があるが、もしこの本の内容が本当なのならあれが実在することになる。 角材を持っている人に衝撃が伝わりもしないほどの切れ味なのだという。

この二冊はともに「メチャクチャやらないとダメ」ということを示している。 片手間にやっているようでは所詮お遊びなのだ。 塩田剛三は「根本を理解してやればどのような用途にも役に立つ」と スポーツあるいは健康のための合気道を否定はしていないが、 どう考えても本音ではない。中村日出夫はその点建前もクソもなく マジであり、限界を超えてムチャをしないとダメだという思想がありありとある。 うちの先生がどれほどムチャをしたかはわからないが、 少くとも相当ムチャをしたことは間違いないだろうし、命のやりとり、 あるいはそれに近い経験ももおそらくはしているだろう。 武道に限らないが、極めようとすれば必然的にそういうことになるのだ。 しかし、だからといって 「じゃあこれから限界を超える鍛練をしよう」という決意ができないあたりが 情けない。太極拳で限界を超える鍛練をしようとしたら さしあたっては型の各動作で静止10分づつを2セットというところだろうか。 これだけでだいたい数時間くらいはかかる。耐えられる気がしない。

しかしだ。一度かなりしんどい思いをしておくのも悪くない。 とりあえず型を100回やってみるというのはどうだろう。 推定5時間から6時間はかかる。さすがにこれは毎日やるわけにはいかないが、 2時間くらいに減らせば毎日でも不可能ではない。 もしこれを1ヶ月も続けられたら 何か新しい地平が開けるような気がする。

朝8時。あいにくすぎる雨。それもことさらに誇示するかのようなハデさ。 この雨のなか、売れるかどうかわからない10キロ以上の物体を背負って、 わざわざ大阪まで行かねばならないのだなあ。一人で。

はーとふるダイアリー

  雨であった。どうしようもなく雨であった。 朝八時半。リュックサック一杯の同人誌(推定10kg以上)と、 ズタ袋一杯の同人誌(推定5kg以上)を持って、バス停に向かう。 そのまま京都駅から新大阪まで電車。しかし朝なので座れない。 混んでいて荷物も降ろせない。苦行と言っていい行程だった。

  会場は狭かったが、スペースの数が無理のないものだったために ゆとりはあった。さっさと荷物を展開して、そのあたりを歩く。 見た感じそれほど大手はいない。チャンコ増田氏あたりが最大手だったのでは ないだろうか。と、そう長くスペースを空けるわけにもいかないので すぐに自分のスペースに戻って開場を待つ。ところで、 各スペースにはなぜかうまい棒が置いてあった。 確かに申込書に「希望のうまい棒は?」という欄があったが、 まさか本当に配られるとは思わなかったのである。 うまい棒のメーカが協賛しているのだろうか。 ちなみにチーズ味。

  開場。客足は鈍い。そもそも人の数そのものが少ない。雨のせいなのか、 そもそも集客力がないのかは不明だが、雨のせいで増えているということはなかろう。 そう思って雨を呪う。

  売れない。見事に売れない。しかし、もはやオレの頭は「あの量の荷物を 持って帰りたくない」という一点に集中していた。 重いものから売れてくれればいい。 あわよくばズタ袋を使わずに済むくらい減ればいい。 一人で会話もせずもんもんと売子をしていると 思考が循環してくる。軽くなれ。軽くなれ。

  京都でスケブを頼んできた人が来た。またかいてくれという。 うれしいが、オレ一人なのでしんどい。しかし根性で描くことにした。 ただ根性にも限度があるのでネタに走らず一番 描きやすいものを描いて終わり。ネタ的な絵はまたの機会に。

  「協力者は見つかりましたか?」。そんな声をかけられた。なんのことはわからない。 だが、数秒のうちに日記で売子ボランティアを募集したことだと気づいた。 日記を読んでくれていた人だったのだ。こういうことがあるとやめられない。 アレルゲンの名を出してくる人もいたりして、まるっきり空回りでもなかったのだな と胸をなでおろせた。が、かなり空回りだったのは事実なので、 未来にはこの経験を生かさねばなるまい。

  うまい棒再び。わざわざスタッフが各スペースにどの種類のうまい棒がほしいか 注文をとりにくる。いっしょに飲み物までくれたりしてとてもありがたい。 ちなみに女性のスタッフはメイド服姿で、なかなか様になっていた。 なお、この時はめんたい味を所望した。なつかしいの一言に尽きる。

  午後2時。人の流れが止まった。こうなったらもう売れないというのは 世の常である。しかし、主催者が妙な企画をやっていたり、 微妙に客が来たりしたので3時すぎまではいた。 最後までいなかったのは、客として歩く時間がほしかったからである。 撤収しない限り他を見ることはできない。そこで早めに撤収して 見て回ることにしたわけだ。ジャンルが多岐に渡るのでおもしろかったが、 結局疲れ果てていたので本は買わずに帰ってきた。 しかし今思えば裏葉小説本は買っておくべきだったかもしれない。 いや、べきだった。

  さみしく帰る。雨は止んでいた。荷物はリュック一つで済むまでには減っていたが、 リュックの中はやはりギリギリ。10kg以上はある。 本当は日本橋に寄る予定だったが、これを背負ったまま行く気にはなれず京都直行。 四条河原町経由の遅いバスでゆられて家に辿りついたのは17時半のことである。

2000年9月22日

perlで遊ぶ。さしあたって更新日表示のところをいじってperlでやらせてみた。 いろいろとperlのことがわかっておもしろい。 次はタイムスタンプを参照して個々の更新日時のところもperl化しよう。 さらにサイズやファイル数表示もやらせる。 あとは日記の日付が全角文字なのをなんとかせねばならない。 これを一度半角文字に変換した後それをてがかりにして アンカーをつける。skkの機能に頼って日付をつけていたのが 裏目に出てしまった。skkの機能の方も半角でやるように調整せねば。

全角数字の半角化と西暦化が終了。

ぬおう。一部に謎の文字化けが。 全体ならどうにかなりそうな気もするが、部分だけ化けられるとどうにもならない。 日本語化perlを入れても同じ。 文字の並びが特定の条件を満たすと文字化けするようだが、 打つ手がない。とりあえず元に戻す。

原因がわかった。せっかくだから例をあげて説明してみよう。 まず前提としてファイルには数字しか書けないことを知っておく必要がある。 それをソフトの方で「何番はA」「何番はB」というふうに解釈しているのだ。 しかし日本語をこれでやろうとすると問題が出てくる。 もともと西洋人が作ったシステムなものだから、 256番までしか数字をふれないようになっていたのだ。 これではまるで足りない。 そこで、 さらにこの英数字記号2つ分で日本語の一文字にあてることにした。 こうして日本語が書けるようになった。 さて、ここではこれを簡単のために英数字は1けたの番号をもっていて、 日本語の文字は2けたの番号をもっていると表現しよう。 たとえば、 「あ」の番号が12番で、「い」の番号が34番といった具合だ。 この時には「あい」と書くと ファイルには「1234」と書かれることになる。 さて、ここで仮に「う」が23番だとする。 ここで、「う」を検索しようとすると、それは結局23を探す作業になる。 ところがファイルにはこの場合1234と書いてあるわけで、23が見つかってしまう。 このせいで「あ」も「い」もバラバラにされてしまい、 ありもしない「う」が出てきてしまうのだ。 今回の文字化けはそういうことである。 なお、番号と文字の対応には3種類ほどあるので、 この対応表を間違えた時には全部が化ける。その3種類とはSHIFT_JIS、EUC-JP、 JIS(iso-2022-jp)だ。名前くらいは知っている人も多いかもしれない。

で、どうやって直したかだが、そこそこ専門的なので書いても仕方ない。 大崎氏のサイト 参照のこと。

教養のある人の間で人気らしいのが「素朴」という言葉。 意味は「単純な」「短絡的な」「考えなしな」、つまりは「バカ」。 もちろん誉めている場合もあるにはあるが、 「おまえバカにしてるだろ」という感じがすることが多い。 頭のいい人には気をつけろ。どんな言葉でバカにされるか知れたものではない。

perlと日本語はどうも相性がよくない。 けっこういろいろと手を尽さねばならないようだ。 一文字ごとに"\"を入れるとか、なにやら。 unicodeが世界を支配したらこういうこともなくなるのだろうが、 文字数が少なすぎて使えないというのは困りものだ。 いっそ32ビット使ってしまえばいいのかもしれないが、 テキスト量が4倍になるのはこれまた困りものである。 圧縮を工夫すればいいのかもしれないが。

perlでファイルの更新時刻やらサイズやらを 取得する方法がわかった。Cも同じらしいので 二度おいしい。これでファイルごとの更新時刻を自動で書きこんで、 サイズの計算もできてしまう。やったー。

太極拳の理論が高度で楽しい。一向にできる気はしないのだが、 どうなればできるのかがおぼろげながらにわかってきたので 楽しいのだ。 空手のように力をかけないで攻撃を受けるには 摩擦で攻撃を誘導する必要があるのだが、 摩擦は圧力に比例する。この矛盾をどうするか。 さあ、みんな考えてみよう。答えはない。

2000年9月21日

目覚めは近い。短い夢だったかもしれないが、濃密な夢でもあった。 だが目覚める前にもう少しやっておくことがある。 このままでは夢から戻っても淋しく夢を思い出すだけだから。

日ごとにリンクできるようにしたつもりだったのですが、 netscapeがその形式(id)に対応していないという衝撃の事実が発覚。 仕方ないので8月と9月の分は<A name="日付"></A>の形式に直し ました。 これでnetscapeでも日ごとの頭に飛べます。w3mで認識していたので 気付きませんでした。

実験です。15日に飛びましたよね? 後でスクリプト作って過去のも全部この形式にしときます。 そんな資料価値はないんですけど、練習も兼ねてということで。 ついでなのでトップページにも更新の時にいろいろ自動で書きこむように してみます。更新日時とか、容量とかファイル数とか。

登録した日記へのリンクを新しく更新された順に並べるプログラムが流通して いる。すごい数だ。ためしにそういうところからいくつか行ってみると、 たいがいunix使いのすごそうな人。名の知れたプログラムを書いた人もいたり するし、日記のソースは自動化の匂いがプンプンするし、なんかすごい。 日記を書くためのツールまで出回っているようだ。同じ形式のソースを何か所 かで見た。すごい世界である。 オレ内部でプログラマはなにか「すごい人々」というイメージなので、 余計にすごく感じる。ああ、がんばろう。

Airの影響を受けてか、感動シーンバリバリな夢を見た。 つじつまが合ってなくて意味不明なことを除けばかなりいい出来だ。 演出も凝ってるし、映像的にも美しい。今まで見たもんの集大成みたいで おもしろかった。でも意味不明。

プログラマにとっての美徳は「怠惰」「短気」「傲慢」らしい。 手でやる気にならず自動化してしまうというのがプログラムの真髄であり、 そのためのエネルギーは「傲慢」であることによって生み出される。 すごいかっこいい。ドラクエでレベルあげをやってちゃダメなんだな。

perlの本を買ってきた。 うわさには聞いていたが至れり尽せりですごい言語である。 慣れたらやめられなくなりそうで、 事実もうハマり気味なのだが、 それとは関係なくどうも好きじゃない。 Cの方が単純にかっこ良く見える。 しかしサイト管理やら日々の雑用にはperlの方がはるかに楽ちんなので perlを覚えてちゃっちゃと自動化することにする。 bashでゴチャゴチャやるよりずっと楽しそうだ。 カウンタと掲示板あたりを作ってノートパソコンに 置いておくのもおもしろそうである。 重くてしんどいかもしれないが。

perlすばらしい。便利すぎる。しかも簡単。こんなんで動くんかと本気で 思うくらい簡単にとんでもないことができてしまう。 ああ、もっと早く勉強していれば。

2000年9月20日

好き好き大好きをコンプリートするような弟を持ったオレは幸せだ。 奴が中学生だということを除けば何も問題はない。受験勉強しろよ。

アホと長電話。いろいろがっかりして、いろいろよろこんで、いろいろと どうしよう。とりあえず心をもうちょっと洗濯しとこか。

Airの「夏影」(なんか夕焼けの公園とかでかかってる曲)をヴァイオリン一人で 弾いてかっこよくなるように編曲を試みてみることにした。 あんなにいい曲を弾くことが ピアノだけに許されているなど、到底許せることではない。

35000。そろそろ企画を始めねばなるまい。 しかし、これまで1000ごとに記録してこれからどんなことをやろうか考える きっかけにしてきたが、どういうわけか10日くらいで1000増えてる。 なんか戸惑うばかりだが、見てくれる人がいると燃える。 燃えすぎる。やっぱり人に見てもらえないとダメです。ボク。 ああ。

ぐわー。リンク張られてるぅ。マジですか艦長(動転した時の二人称代名詞)。 何かやらなきゃ。何かやらなきゃ。あ、カツオブシが…!!! 火にかけすぎてコゲる寸前。けずった分パア。 ってぐわー。わかめ入れすぎて体積の半分がわかめに。もう味噌汁じゃないよう…。

ところで、「…」は便利すぎる。こんなものに依存してしまうようでは 日本語使いとしていまひとつ寒かろう。オレが(笑)とかを使う気になれないのも そのあたりの美的感覚のせいである。「?」や「!」も同様だ。 やはりそれらなしで感情を伝える工夫をしたいものである。

覚醒夜3(11/26)の申込み期限が昨日の消印有効だった。こうなったらまた直に 置いてくるしかない。だが、東京。たのむジャギ。あるいはかたはら。 気付かんでごめんなー。って誰もみてないのかよぅ。いえ、オレのせいです。

覚醒夜3。住所が栃木で手のうちようがありません。ごめんなさい。 万死します。

奈良失敗。キットを使ったにもかかわらずである。 キットとは「このとおりやったら簡単に〜ができますよ」 といってそれに必要なものがセットになったものだ。 しかし、キットというものには弱点がある。 理屈が不明なためにちょっと逸脱するとあっという間に失敗するし、 原因もわからないことが多い。 加えて値段がベラボーに高い(12回分4万とか)。しかし適用範囲内の操作だった場合は 飛躍的に手間が減るし、失敗も少なく、再現性も高いのである。 ちなみに今回お世話になったのはRNA抽出キットだが、 失敗してはなんにもならない。原因は不明。 ところで細胞の潰し方にはいろいろあるが、RNA回収用の殺し方として 今流行りなのは熱したフェノールをブっかける方法だ。 フェノールといえば手につけばあっという間に皮膚がただれ、 プラスチックにかければブスブスと溶けるという恐しい薬品である。 それだけに確実に、しかも手早く皆殺しにでき、 加えてRNAはフェノールに溶けるので回収も楽で二度おいしい。 RNAをとる時以外の場合は、 菌液にガラスの小さい玉をたくさん入れてかきまわし、 ガラスとの衝突でミンチにするのが主流である。 他にも細胞壁(外側の皮)を溶かす薬品を加えて裸にし、 弱くなったところで浸透圧で破裂させるというのも流行りつつある。 使いやすい新しい殺し方を開発すれば、それだけで論文になるだろう。

もうすぐこのサイトも2周年。公開した日は正確にはわからないので、 とりあえず9/30とする。いろいろあったものよ。オレもダメになった。 大人になったとは言えないし言いたくもないが。

2000年9月19日

dq7を見てきた。見た感じすごさは感じなかったが、 いい意味でも悪い意味でもドラクエっぽかった。 「窓あけないとドラクエくさくて窒息しちまうんですよ」などとある男が言っていたが そういう感じだろう。しかし、やったらおもしろそうなところもまた ドラクエくさい。

FF9を見てきた。見た感じすごさは感じなかったが、 かなり悪い意味でFFっぽかった。 「窓あけてもFFくさくて窒息しちまいそうだな」などとオレは思ったが、 そういう感じだろう。しかし、やってもまるでおもしろがれそうもないところがまた FFくさい。

オレはもうオールドタイプだ。見栄えがショボいのは確かにイヤだが、 見栄えのためにいろんなものを犠牲にするのはもっとイヤだ。

それにしても、技術の進歩につれてなぜエフェクトは長くなるのだろう。 1秒でどれだけかっこよくできるかを追及した方がずっとオレ好みなのに。 みんなそんなに時間をつぶしたいのか? 長く遊べると、長くかかってしまうは別のことではないのか?

それにしてもFFのラスボスのとってつけたような現れ方は半ばなつかしさすら覚える。 ラスボスは伏線もなく突然登場し、 御託を並べた後勝手に納得して滅びる。3や4や5もそんな感じだった気がするので、 FFのシナリオ書きはあまり頭が自由ではないのだろう。

極東XX天国(XXは忘れた)を読む。今風な中にも熱い世界があり、 読ませる。今となっては古くさく思える設定やパターンではあるが、 そんなことはどうでもよかった。おもしろかった。ある意味痛い漫画ではあったが。

がんばらなきゃ、人間のカスになっちゃうよ。

MOON.のスタッフルームをもう一度見てみよう。 思えば彼等のスタッフルームはあれが最後だった。 麻枝のコメントが気になる。ああ、今では完全に麻枝派。

ゲノム1巻到着。いい。ああ、いい。

ネタ探しのために美凪シナリオ再び。が、旅立ちエンド直行。 とてつもなくしんどい。しんどすぎる。まさひろが「子供は汚ねえよ」 と言っていたが、まったくその通りだ。実に汚ない。立ち直れないじゃないか。

オレにはまだ美凪を描く自信がない。頭の中に美凪は来てくれるだろうか。 だんだんと頭の中の美凪率が高まっていく。

ところで、ついでにちょっとした調査を行っておいた。

これだけ多彩な奇声を上げてくれると 殴り甲斐があるというものだ。ボケにはツッコミがつきものである。

スクワットをどうにか少ない回数でツラいものにできないかと工夫していたところ、 立った時にジャンプすると劇的にキツくなることがわかった。 腕は頭の後で組んだままなのでいらない反動をつけて楽にしてしまう危険もない。 普通のなら200回は軽いし、 つまさき立ちになるやつでも100回くらいはできるのだが、 ジャンプすると40回でヘロヘロだ。これで100回苦もなくできるようになるまで 毎日やろう。耐久性は馬歩でだいぶついたが、瞬発力はまだまだということだ。 ちなみに、研究室の低温室(4度)でやると汗が出なくていい。 ただし目撃された場合大変なダメージになるので注意だ。

反動つき足あげに加えて、反動なし足あげも前横ともに追加。 足を上げたまま静止できる筋力をつくろう。柔軟性だけで足は上がらない。

アホ(良月)に勧められたKANONの名雪同人誌を読み、衝撃。 自分が美しい生き物ではないことにいまさらながらに気付いた。

2000年9月18日

猛る右大胸筋を止めなければ明日はない。大胸筋追放キャンペーンで 腰背接続強化だ。

部屋をそうじした。面倒くさいことは全部いっぺいがやってくれた。 ありがとう、ありがとういっぺい。讃えよう。それにしてもすごいゴミの量。

Phantomの感想文を書いたことを追加履歴に書いていなかった。 もう二週間くらいは置いてあっただろう。 しかたないので今日の日付で書きこんでおく。

ある人の日記を読んで大ショックした。自分の心を伝える術を間違ったことを いまさらながらに実感したからである。 オレはギャルゲーを自然科学的手法によって それがなんであったかを伝えようとしてきた。 つまり、部分にバラしてきた。 二次元の全ての座標が直交した2ベクトルの線型結合で表せるように、 バラし方さえうまく行けば極限的には完全な像を伝えることが できるはずだからである。しかし、バラし方は常に完全ではなく、 バラしたことによって書き手と読み手が共に人間であることの限界が 余計に効いてくる。つまり、「結局なんなのか」が どんどんわかりにくくなるということだ。 「オレはAirが好きである」の一言で済ませた方がよほどマシだったのに違いない。

Airが好きなのは簡単に言えば家族の絆に感動したからである。 しかし泣いて済むような単純なものではなく、 さらに言えば心地良いものですらなかった。 頭をかきまわされるような感じと言えばいいだろうか。 実を言えば、オレはモノを見て普通の意味で泣いたことはない。 涙が出るとか、声を上げるとか、本当にそういう状態にはなったことはないのだ。 ただ、思考がかきまわされる。ONEの時もKANONの時も、そしてAirの時も 無言で微動だにせずに画面をにらみつけつつクリックを繰り返していた。 きっと鏡をみたらものすごい形相をしていたに違いない。 だから人がいる時には絶対にそうなりそうなものは観賞しないことにしている。 人がいたらバリアを張ってメッセージを 遮断してしまうに決まっているからだ。 いわゆるATフィールドである。

Airにおいて、 彼等は人と人とがどうにもならない状態で「がんばって」絆を作ろうとした。 「がんばって作る」がミソである。 だからそれを見て、自分が23年間「がんばって作った」ためしがなかったのではないか という思いがオレの頭をかきまわしたのだ。 自分が自分で思っている以上に冷酷である気がしてきて、耐えられなかった。 Air以前からそういう思いがあってできるだけ考えないようにしてきたのだが、 Airはそれをあっというまに目の前に並べてくれる。 それはもういい話うんぬんではない。 だからこそ、そういうことを正直には書きたくなかったのだ。 マジでそのへんを語ってしまえばクサい奴だろうというのもある。 ギャルゲーにマジになる頭の悪い人と思われる。 だからいい話の一言で済ませて、部分に分解することにした。 そもそも家族なんていう言葉そのものが真面目に書くに 値するものに思えたことがない。白々しい。 家族愛をうんぬん言うだけで「ここに確かにある家族というもの」 が汚される気がしたし、 さらには汚されて困るほどの想いがオレの中にあるのかということ自体が不安だった。 尽くされる方は尽くす方ほど熱心ではない。 だからこそ晴子の言葉を無下にする観鈴が重なって辛かった。 「喜んでくれると嬉しい」と言葉に出さなければいてもたってもいられないのだ。 本当に人の喜びを自分の喜びとして感じられる自信がないから。

しかもAirはそれだけではない。自分にないもの、 失ったものをそこら中に並べてくれた。 鳥の詩の歌詞を読むだけで、青空の第一音を聞くだけで、寒気が走る。 「少年」という言葉一つで、思考が千々に乱れる。 そしてそれと結びついたあの風景、あの旋律、あの色彩。 全てがオレをさいなむ。シーンや言葉などという具体性をもたず、 ただ嵐のように、それこそフロレアールで語られた<嵐>のように オレの頭をかきまわす。 到底心地良いものではない。でも、きっともう逃げられない。 AirはAirとしてオレをわしづかみにしたのだ。

痕やら雫の感動はそれに比べればいささか質が違う。 それらはいかにレベルが高かろうとあくまで娯楽であった。 要因は明確でわかりやすく、それを取り除けば話は済んだ。 雫では祐介は世界の光に気付けばよかった。 痕では耕一は鬼を克服しさえすればよかった。 だからこそ「どのようにそうするか」がその真骨頂なのであって、 それは娯楽を作る者の視点である。そういう視点で作っているものに対しては 科学の目で事足りる。だが、Airのように 「そもそも人である限りどうにもならないこと」に触れられては その視点で全てを語ることはできない。

これだけ頭の中を占領しているのにいまだに感想文を書かないのは こういうことである。 これだけオレを落ちつかなくしてくれたAirに感謝しよう。 本気でいることを隠してはいけないということがよくわかった。

2000年9月17日

Air2回目。2回目の方がクるという希有な体験をした。 一言一言にこめられた想いがわかるだけにしんどい。 一回目と違ってギャグが寒いのは目をつむってあげられるので、 さらにクる。 今回は佳乃シナリオを見るのが目的だったので、 本気ですまん、すまんと繰り返しながら観鈴と別れた。 それにしても観鈴は放っておけない。

ONEは二回目の衝撃は一回目に比べればはるかに落ちる。 「ここはこういういことだったんだ」という発見こそあれ、 キ方では圧倒的に一発屋なのだ。 その点Airは一発目ではよくわからないために大したことはないが、 全部を知った上で二回目をやるととてもクる。 特に序盤。最初見た時にはどういう女の子なのかわからなくて 不審感ばかりがつのるのだが、二回目にはその不審感をあおるようなセリフや行動が 全部心情とつながるのである。観鈴を置いて 家を出るのがしんどくてしんどくて。 ああ、それにしてもなんだかんだいって、MOON.ONE,KANON,AIRと全部好き。

いっぺいの98ノートにFreeBSD。98だというだけでえらくしんどい思いをしている上に、 ノートなもんだから二重にしんどい。 本家と、98用追加ファイルと、98ノート用追加ファイルが別々に配布されている のだが、当然こいつらのバージョンが合わないとインストールできない。 ところが、98用追加ファイルが3.5しか置いてないのに、98ノート用追加ファイル が3.4用しかないのである。どちらかを合わせなければ絶対に先へは進まない。 袋小路だ。 というわけで、ノートでしかも98というのがかなり あんまりなことだということがわかった。 どこからか98用追加ファイルのバージョン3.4を捜してこなければならない。 不幸な奴よ。いっぺい。

うちのサークルは東京でサンシャインクリエイションというイベントに出たのだが、 それはもう破壊的に売れなかったらしい。 でも友達が増えたということなので良かった。 11月は新刊ひっさげて勝負。楓本だ。 しかし9/23も10/22も新刊がないのはダメすぎる。 無理矢理にでもなにかやらねば男がすたるだろう。なあ。

できないのとやらないのは区別した方がいいとオレ個人としては思うのだが、 この区別はあいまいにしておいた方が万事丸くおさまるものなのである。 たとえば、金がない。たとえば、時間がない。これらが使われる時の 99%までは「やる気がない」を意味しているのだが、 これを指摘するのは「王様は裸だ」と叫ぶことに等しいのだ。 だから、こういうことに理不尽さを感じる人は、 人をあてにせず自分で何もかもやってしまうべきなのである。 絶対に人の努力は自分の糧にはならないのだ。

自分の生活を見ていて思うが、忙しい忙しい言ってるわりにヒマである。 なぜその時間を自分を強くすることに使えないのか。 再確認しよう。オレはヒマなのだ。

何かを設計するのは楽しい。 というわけでプログラムの設計をまたまた建て直していた。 基本設計から作りなおす。もっとシンプルに。もっと高機能に。 一般化と自動化はプログラミングの真髄だ。 そこには機能美という美がある。

2000年9月16日

道場。大きなヒントを得る。雲手を毎日のメニューに追加。

陽気と陰気のバランスを保つのが東洋医学だと言う。 ハレたところは陽気が過剰なわけで、陰気を注入して中和する=陽気を抜く。 そのための手段がハリやらなにやらなのだ。そういう考え方が とんでもない規模の理屈になっているらしい。 そして太極拳はこの思想が根本にある。

太極拳が健康になるのはあたりまえだ。健康でないとできない拳法だからである。 体の各部の制御がその真髄なわけだから、部分的に血行が悪かったり、 骨がゆがんでいたりしたら勁が出ない。上達しようとすれば 筋肉を柔軟にして血をめぐらせ、姿勢を正しくすることが必要となる。 筋肉を締めると毛細血管もしまり、 血行が悪くなる。そうするとそのあたりの組織には酸素が いかなくなって機能が低下し、正常な動作ができなくなって動きの秩序を乱す。 つまり勁が出ない。姿勢が正しくなければ運動の軸がずれて、 力が逃げたり弱まったりする。つまり勁が出ない。 元から「太極拳は必然的に健康になる要素を含んでいた」のである。 運動してりゃ健康になるわな、というのは一面では事実だがそれだけではないのだ。 うちの先生は四十を超えているが、到底そうは見えない。 うちの師範も三十代後半だと聞くが、二十代にしか見えない。 立っているだけでわかるほど健康さが並外れている。 もうほとんど波紋法である。 あの人達に引退という言葉はあるまい。

大胸筋、小胸筋、鎖骨下筋、僧帽筋、肩甲挙筋。この5つの徹底的な追放を行う。 こいつらは他の用途にはいろいろ使うので鍛えるには鍛えるが、 同時に太極拳にはジャマである。使いたいときだけ使えるようにせねばならない。

オレの脂肪細胞の大半は尻にあると見た。よくおできができるのもそのせいだろう。 というわけで油を断つ。肉は食わない。あげものは食べない。 魚もほどほどにする。乳製品も量を控えよう。

オリンピックらしいが、見てないし、どうでもいい。 昔、友達の家に行った時にオリンピックを見ていて、 スキーのジャンプかなんかで選手が失敗した時に そこの人々が罵声をあびせていたのが半ばトラウマになっているせいだ。 金をもらってるわけでもないのに、見も知らずの人間にこうやって文句を言われる いわれがあるんだろうかとひどく疑問に思ったものである。 しかし、今にして思えばそれは無理からぬことだ。 日本人が日本人であることを意識する数少ない機会なわけで、 みな日本が優秀であるという証拠が欲しくなる。 自分が属している集団がすごいというのはなんでか知らないが とてもうれしいものなわけで、これはもはや避けようのない感覚である。 そんなビッグなイベントに臨んで同義がどうとか、義理がどうとか 考える余裕などないということだ。 甲子園とかで地元とか、自分の学校の選手とかを応援するのなんかは、 どうにかそういう「すごい団体にいる優越感」を発見しようという試みに見える。 「別に友達でもないし、話したこともない奴をなぜ応援するんだ?」と言ったら 驚かれるくらい、みんなそれが普通なのだ。 それにオレすらオリンピックで日本が勝てばなぜか知らないがうれしいのである。 半導体産業黎明期の日本人のがんばりを見てうれしくなるのと同様に。 だから、それがいかんとは言わない。むしろ社会的生物としては普通の反応だ。 そう感じることが社会の維持に有用だからこそ、そう感じるように 教育されてきているのである。だが、他人の功績で優越感を感じて満足していては 自分の功績を作る努力を怠ってしまう。人のがんばる姿に刺激されて 自分ががんばってこそこの機能は意味があるのだから。

痕MIDIの19曲目。ベースが一小節ずれてないか?情報ください。

<CITE>エレメントは引用ではなくて参照文献データを表すエレメント。 引用と書いてある文書が多いが、正確には引用指示である。
<CITE>J.Mol.Biology 1999 jan,45(1) 98〜</CITE>
のように使う。 引用は<Q>エレメントか、<BLOCKQUOTE>エレメントで。 それにしてもそれ系の書物では同じような誤訳・誤解が多い。 原典読まないで書く奴が多い証拠だ。

synbass2のパッチを入れ換え。ほぼ完璧に痕MIDIが鳴るようになった。 高級な外部音源には勝てやしないが、並みのソフトMIDIなど敵ではない。 あとは弦楽器とトランペットをどうにかしたいがこれ以上は無理。 というわけで、完成と言っていいレベルだろう。

ktoreishi氏が久しぶりに来訪。Ayu blendと書かれた紅茶の箱にたいやきを つめての登場で、ひさびさにネタ人間であることを確認して安心した。 ビックリマン2000やら空牙やらなにやらでえんえん話す。 いい人だ。あの人が来る度に決意を新たにできる。 どうせヒマになるんだしそろそろプログラムがんばらな。

2000年9月15日

KANONのドキャ版を観賞。すなわち死。

萌えの定義も知らんが、萌えゲーすぎる声でイヤだ。 画面見ないでボーッとしてると誰がしゃべってるのかさっぱりわからん。 みんな一緒に聞こえてしまう。 とりあえず普通にしゃべれおまえら。

ドリラーはいいゲームだ。ここ数年ああいう自分の中にシステムを 構築するゲームをやってないのでとても魅かれる。 ああいうゲームは一旦始めれば数百時間を消費することになるので避けてきたが、 別にいいのではなかろうか。

頭が疲れた。名雪のせいだ。おかげで清水にもあきれられてしまった。 名雪のせいだ。

オレ、やっぱKANON好き。話題にこと欠かんもん。Airもすごいし好きだが、 好きの種類がなんか違う。さてどちらが長もちするかね。 ちなみに、To Heartは単体ではそれほど好きというわけでもないのだが、 人とTo Heartの話をするのはたまらなく楽しい。こういうのもあり。

日変わりなんとかをやろうと決意したが、 やることだけ決意して何をやるか決めていない。 日変わり舞はもう時代遅れだし、日変わりになるほどAirはネタがないし。 しかし始めるなら一見ヒマに見える今しかないぞ。 本当は忙しいのだということに気付く前に始めてしまえ。 そうしたら後は祭だ!毎日絵かいとったらうまくなるに違いないしな。

書いてておもったが、今日は頭があたたかい。清水にあきれられるわけだ。 実は本当にあきれられたかどうかは知らんのだが、 あきれられたことにした方がおもしろいのでそういうことにしよう。 ごめんなー清水。 で、なぜあたたかいかと言うと、つまるところ名雪のせいだ。

ウシヲ留守電。「オレは今パフェを前にしている」他。 そうか。バカにしてほしいんだな。わかった。後悔するなよ。 「ウシヲパフェ、ウシヲパフェかな、ウシヲパフェ。 ウシヲパフェならウシヲパフェなり」。なげやり。

食い物日記を全部舞と佐由理の漫才漫画形式にするという 画期的なアイディアを思いついたのはもうずいぶん昔の話である。 もりりん氏に言われたおかげで、そのアイディアがさらなる重みをもって 私に迫ってきたのであることよ。 思いついて一人ほくそえんでいたあの当時は とてもそんなことができるわけがないと却下してしまったが、 今でもやっぱり却下だ。でもやりたい。やるか。やれ。

坊主は古来から石も虫も人間もいっしょだと言うらしいが、 それはつまり人間にも石並みな奴やら虫並みな奴がいるという意味だろう。 人類みな兄弟を拡張した概念だと理解するのは仏教に対する侮辱だと思うが ダメか。

ドキャ版KANONネタバレ掲示板が一時期無惨なことになっていた。 今から見にいってももうはるか昔の話になっているだろうから確認は無理だが、 それはもうハデな言い合いが繰り広げられていたようだ。 ところで、 「オレはこう思う」と言うのは当然の権利で、そういうことを言ったら 作った人が悲しむなんてのは意に介する必要はない。金をとって売るものを 作った人間にはそのくらいの覚悟があるべきだからだ。むしろユーザは 卒直に感想を述べまくるべきである。 しかし、そういうことを掲示板に書いていいかどうかは問題が別。 掲示板に書く行為は「会話」に近いものだ。 人と会話する時に相手の趣味を探るのは当然の行動なわけで、 あれほど入ってくる人間が多くて、 もう誰が見るかさっぱりわからんような掲示板でいきなり正直にしゃべってしまうのは 完全に自爆行為である。 誰が見ても怒らんように加工してから書くのが身のためだ。

人間はどんなに飾ってもこねくり回しても主観しか吐けないのだから、 「〜〜だ」という言明も、実際には「〜〜だと思う」なのである。 そこで、人が何を言おうと「〜〜と思う」を頭の中でつけ加えてしまうと 心穏かに余生を過ごすことができるのではなかろうか。 などと自分にできないことを人にすすめてみる。 なにしろ、これはある一つのことに目をつむる行為にすぎないからだ。 「こいつはそういうことを断定する奴である」という事実に。 しかし、そこであえてそれを見ないことにして「〜と思う」を くっつけられる人はたぶん大人。

実験失敗。理由もわからずに人のやった通りにやるのが腹立たしいので つい創意工夫を加えてしまっての失敗だ。 そうしてなぜ失敗したかを考えて改善案を出してみるとあら不思議。 結局みんなが何も考えないで使っている手順に落ちつくのである。 時間と金(それも国家の金)をハデに(5万くらい)無駄にしたわけだが、 オレの心は不思議とさわやかである。 なぜなら、なぜその手法でなくてはならないのかがわかった段階で 人と同じ手法を用いたとしても一段高いレベルにいることになるからだ。 というわけで気にかかって仕方ないので、 拳法後に早速修正された手順を試してみることにする。 祝日と知らず実験してしまったのはいささか腹立たしいが、まあいい。

日記が長い。ヒマな証拠だ。いや、正確に言うと日記を書くくらいには使えるが 漫画を描くとかプログラムを打つには足りないくらいの時間が ボコボコ出現するのである。サスペンド・レジューム機能があればそれも 有効活用できるのだが、どうもオレにはその機能がないようだ。

ところで日記が長いわけだが、 テキスト全体における日記が占める率はすでに40%を超えている。 由々しき事態だ、と前のオレなら思っただろう。 てきとーに書き散らした駄文が、ある程度周到に書いた ものよりも多いというのは、何かイヤだからだ。 しかし、別にいい気もしてきた。人に読ませる価値があるものというのは、 読んでおもろいものか、読んで役に立つもののどちらかである。 だから、そのどちらかを目指していさえすればそれでいいのだ。 形式はどうでもいい。毎日更新してれば人も来てくれるだろうという 不純な動機と、数年前の自分の思考を見られたらすげえおもしろいだろうなという 自分の都合だけで始めたこの日記だが、だんだん書かずにはいられなくなってきて いる。最初はけっこう苦痛だったのだから、慣れるというのは恐しいものだ。

何?だとすると、日記がわりに絵を描いていたとしたら、 いつの間にか病み付きになっていたのか? そういえば筋トレがだんだん病み付きになってきてる気がするぞ。 量もだんだん増えてるし、やらないと落ちつかないし。 絵でこれと同じことが起きたらどんなにかいいだろう。 もうそろそろ自分が絵がヘタクソであることに 耐えられなくなってきたこともある。

2000年9月14日

「さおりんといっしょ」を手に入れた。中に入っているMIDIがおめあてである。 が、ロクに鳴らない。SC88やらMU500やらならかっちょよく鳴るのだろうか。 試させてくれる人募集中。それにしても、タマに妙な和音が鳴って気になる。 適切な音源で鳴らせばこれも隠し味になるということだろうか。

MIDIの互換性にとって最大の敵は音量の調整である。 隠し味程度に入れた音色がバカスカ鳴った日にゃ泣きたくなるだろうし、 逆も最悪だ。しかし、音量というのはなかなかやっかいなものである。 出力(振幅)が同じでも 高さによって大きさが違って聞こえる上に、 音色によってこの変化のパターンも違うので、 「どの高さで鳴らした時に等しくなるように設定するか」 によって全く違う調整結果になる。もはや手のうちようがない。 しかしだからといってあきらめるわけにもいかないので、 今日は推奨音域の中央の音で全ての音色の音量が同じくらいに聞こえるように調整 してみた。しかし、これでも巷のMIDIを鳴らす時にはバランスが狂うことがある。 困ったものだとしか言えない。

微分方程式を完全に忘れている。今日の試験は真っ暗だ。

留守電ボタンを押した時の「ただいま留守にしております…」 に「ああ留守だとも。悪かったな!」などと返しているあたり オレはたぶん機嫌が悪いのだろう。

試験、レポート完全終了。一つ寝過したけど、うちの助教授の授業は 無条件で単位をくれるらしいので、それを計算に入れると22単位。 めでたく2年分獲得だ。もちろん一つも落としていなければ、だが。

明日の朝までにAir漫画を描かねばならんようだが、どうしたものか。 そりゃ無理だろう。

レポートを書きながらMIDIを流しておき、 気になるところがあったら音色調整。おかげでレポートに 異様な時間がかかってしまった。 今日いじったところは、

残った課題は、

両方とも単体でパッチを捜さねばならないわけで、相当な難題だ。 ftpsearchにもひっかからないのでおそらく見つかるまい。 しかしまあ、この段階でも痕MIDIはそこそこ鳴る。もちろん雫もだ。 これで一応は完成としよう。 パッチサイズは12.6MB。今晩倉庫に置く。

ところで今回でサンプリング音色の恐しさが身にしみた。 全部の音の高さで録音したならともかく、 ある高さの音のみを録音して、周波数を変えて他の音を鳴らしている ような場合はどうしても妙なことが起こる。 かといって全部録音してあるパッチはとんでもなくサイズがデカい。 だからがんばって合成するのが最良である。専用ハードウェアが強いのはそこだ。 奴等は楽器の物理的特性をシミュレートして倍音合成をするなどという とんでもなく高度なマネをしているのである。 どんな曲でもまともに鳴らそうと思うならやはり外部ハードウェアに 勝てはしないのだ。同じ演算をソフトでやるのはまだ無理なのである。 ヤマハのソフトMIDIがショボイのもそのへんだろう。

ところで、今日のレポートのお題は 「今後の防災学の進展に情報学が寄与できることを実例をあげて説明せよ」。 要は災害被害予測システムや、GIS(地理情報システム)を どう活用するかというお話。地震の瞬間に地形や過去のデータから 「ここが被害がヒドそうだ」ということを予測すれば、 それだけ早く、調査する前に人員を派遣できる。 地震計の計測と、データ収集と、分析、報知を自動化すれば、 避難などの対策も早いし、 地震が起こった瞬間に電車を自動減速・停止することもできる。 そういうお話だ。なんでそんな授業とってるのかは謎だが、 おもしろかったのだからいいのだ。

ついでだ。今日の試験のお題は「医用高分子」。 生体分解性プラスティクの利用や、人工臓器の設計の基礎だ。 今流行りの再生医工学(治癒する力を最大限に引き出して、移植をしなくてす むようにする技術)の話もあった。化学、物理化学、生物学、医学など の境界領域だ。実は院試ですごい点数で受かっていたら そういう研究室に行く予定だったのだ。 だから落ちて一年勉強して行こうと思っていたのに。

批評っていうのは愛なしでできる二次創作のことだろう。

2000年9月13日

オレはキャラ萌えの男だが、それがどういうことなのかと問われるとむつかし い。実在感のあるキャラがいいのは確かだが、リアルならいいかと言われれば そういう問題でもない。そこらへんにいる奴に萌えるわけではないことを考え ればそれは自明である。かといって、やりすぎなのもダメだ。 無条件でなついてくるキャラは見ていて不安になって嫌いなので、 適度に悩んでいたり、打算があったりするくらいがいい。 これをはっきりさせるためには、たぶん自分でキャラを作ってみればいいのだ ろう。ギャルゲーのシナリオでも作ってみれば自分の趣味が 明らかになるかもしれない。 しかし、まともなものができるとは到底思えないので却下だ。 物語を作る才能があるとはとても思えん。

話を見る時に、「これは虚構だ」という意識をどんくらいもっているかで けっこう見る目が変わる気がする。 ものを見る時に、「これは〜〜という種類のものだから」という前提を置くこ とで何を見るべきかを変えることになるからだ。 「これは花だ」と思えば美しさを評価するだろうし、 「これは机だ」と思えば機能性を評価する。 それと同じような働きを物語に対してどのくらい強く発揮するかということである。 「これはギャルゲーだ」「これは歴史小説だ」などなどだ。 さて、オレはどのくらいだろう。実はそれがわからない。 そのあたりにオレの趣味を明らかにするヒントがある気がするのだが。

ギャルゲーキャラに対して 誰かが「こんなやついねえよ」というツッコミを入れた時、 オレは「いや、これはギャルゲーだからそのへんは許してやらんと」 と返すことが多い。これは普通に考えればオ レがギャルゲーをギャルゲーという種類であるこ とを前提にして評価の方法を変えていることを意味する。 しかし、実はそういう気がしない。最近何を見ても評価基準が 一緒な気がするからだ。ジャンルに合わせておもしろがり方を変えられるほど 器用な人間とは思えないのである。 ひょっとして、オレがキャラに対して「こんな奴いねえよ」 というツッコミを入れないのは、虚構だという前提をふまえたからじゃなくて、 そもそも「こんな奴いねえよ」と思わないからなのではなかろうか。 もしそうだとすると、「そんな奴が現実にいても気にしない」とか、 「そんな奴が現実にいると思っている」とか、そんな状態であることが考えられる。 さらに危ないことに、 「そんな奴に現実にいてほしいと本気で願っている」ということもありうる。 「そんな奴いねえ」という意識をかきけすほどに強く願っているとすれば、 つじつまは合うからだ。あと考えられるのは、 「そもそも現実と虚構を区別していない」ということである。 「実在する」ということに意味を感じない心理状態であれば、 「現実にいねえ」などということはそもそも意味をなさないからだ。 危ないことに、どうもこれがあてはまる気がする。 もちろん終わった後では頭をつかって「これはお話」ということを考えられるが、 観賞中はまるで頭を使わないのでそういうことについてはまるで考えていない。 つまり、観賞中はそれが現実なのだと考えるとしっくりくるのである。 そうすると、そんな奴いねえと思おうが思うまいがそこに「現実」として 存在してしまっているわけで、そんなことが気になるはずがない。 そして、その存在してしまっている「人物」を好きか嫌いかという問題 だけが残るのだ。

思えばオレは「これはこういう物語だったのだ」みたいな全体把握 を観賞中にするのが嫌いである。観賞後は好んでやるが、観賞中は 作品世界の中から出ない頭の使い方以外はしたくない。 たとえば推理小説で犯人を考えるのは作品世界の中から出ない頭の使い方だ。 しかし、「この伏線はいつ使われるのかな」とか 「これはクトゥルー神話にかけてるんだ」とかいうのは作品世界の外での頭の 使い方である。 しかし、作品の中だけでは説明のつかないことがあったり、 伏線バリバリなものがあったり、センスで済まされない理解のむつかしい シーンがあったり、作者の意図がボロボロ見えたりするとどうしても外に 出て考えることを余儀なくされてしまう。オレはこれが嫌いなのだ。 具体的には終の空のニャルラトネタ、 加奈の日記、Airの最終シーン、「がお」や「にはは」等の 萌えワード、くどすぎる描写やらそんなのだ。こういったことは、オレがそもそも 「これは虚構だから」という距離を置いた物の見方をしていないと考えると とてもつじつまが合う。ああ、オレって恐い人だったんだ。

こんなことを考えたのは、ある人の日記で「晴子さんが家を出てった理由が思った通り だった」という記述を見たせいだ。 オレはそんなことは毛ほども考えなかった。 変だなという違和感こそ抱けど、基本的には素直に 仕組まれた通りに感じていたのである。主人公にも見事に共感して 怒りすら覚いていたわけで、 作者の手のひらで踊る猿のごとくである。 そういうことに気づかなかったのはなぜかと考えると、 気づかないほど頭が悪かったからか、そういうことについて考える状態になかっ たか二つに一つであろう。 人の言うことをすぐ真にうけるオレの性格からして前者も捨て難いが、 これでは悔しいのでおもしろくない。そこで後者だと仮定すると、 前の段落まで書いたようなことが導き出されてくるわけだ。 でも、前者もかなりある。実際。

ひょっとして、オレのギャルゲーをやる態度っておかしいのか?

ところでオレは知識人にはなれそうもない。あきらめよう。ガッカリだ。

ところで、オレのこれは本当に一般に言われるキャラ萌えの範疇にあるのかどうかが とても気になる。もし一般的な用法とあんまり違っていた場合、 メチャクチャに誤解されていることもあり得るわけでそれは困るのだ。 そこで、「キャラ萌えとはどのような何なのか」について意見をたくさん知りたい。 もしそういうことを議論してるサイトとかを知ってる方がおられましたら、 どうか教えてください。興味バリバリです。

研究室ノートパソコンが各種サーバとして運用段階に入った。 FTPにWWWにIRC。他になんか動かしておもろいもんないかな。 486DX2-50MHzなのでperlのCGIはしんどかろうが。

Airがおもろいのかつまらんのかはっきりしろというメールが来た。 ムチャなメールだが、聞かれたからには答えねばなるまい。 「おもしろい。好きだ」。後は自分で確認しろ。

音色テスト用MIDI捜し。しかし、出来のいいものというのはそれほど 多いわけではない。ここはやはり「さおりんといっしょ」を買ってきて オフィシャルなやつで試すべきか。その全曲がかっこよく鳴ればOK と考えると安心である。 ところで、ウィザードリーのMIDIを置いているある サイトがわざわざjasracの承認を受けていた。 金を払っているらしい。額は秘密だという。 なぜ秘密なのかが気になるが、ともかくもわざわざ金を払うということは、 何かがあったということを意味する。WIZは危険なのか。 ファミコンだとナメてかかったのが間違いだったのか。 WIZのMIDIが異様に少ないのはそのせいなのかもしれない。

ヤマハのサイトからソフトMIDIのお試し版を落としてきた。 が、大したことはなかった。参考にならない。

2000年9月12日

かつてアフタヌーンで、作家全員で合作をするというアホな企画があった。 49ページにも渡る超大作である。トニーたけざきがコンテを切って そこら中の作家に回して絵をかかせたという話だが、なんともすさまじい。 で、そんなものがデータで手に入った。 印刷して冊子にしておこう。こんなおもしろいものは人に広めねばならない。

テストねすごした。レポート二回も出したのに。授業全部出たのに。 ともかくも、これで最低一つは後期の授業が必要になった。

残りはレポート一つと、明後日の試験。14日10時半には自由の身。 あとは実験。さっさと片づけようか。

まだ腑におちない。Airはどうなんだ。ほとぼりが覚めたころに、 MOON.、ONE、KANON、Airと4連続でやってみたら結論も出るかもしれない。

ギャルゲーシナリオにオレが期待するおもしろさは、「いい話さ」「ネタ度」 「変さ」「興味深さ」「いい感じ度」「出来の良さ」の6つに分けられる。 「いい話さ」というのは、いうならば泣ける話、 喜べる話、しんみりする話、といった感動部分だ。 健気なキャラ、がんばるキャラがいたりするとこれが上がる。 「変さ」は表現のすごさとか、セリフのすごさとか、センス部分だ。 ギャグも含む。 「興味深さ」はびっくり性、パズル性、題材の新鮮味等々の その他の頭でおもしろがる部分。 「いい感じさ」はなんとなく雰囲気があるという奴で、なにやら全体的なイメージ。 「出来の良さ」は完成度、丁寧さ、構成、設定バランスなどなど。 本当はこれらが渾然一体となって印象を形作るので分けてしまってはいささか意味 がなくなるが、とりあえずの近似としてはよかろう。 試しにそのへんのギャルゲーのおもしろさをこの5つの4点満点で採点してみる。

題名 いい話さ 変さ 興味深さ いい感じ度 出来の良さ
MOON. 0424111
ONE 4422216
KANON 321129
AIR 4132414
2323313
2032310
To Heart 120036
ホアルバ 3312211
ファントム1043412
とらハ2 120306
加奈 200024
久遠の絆 102014
EVE 1132310

量的なことをまるで評価していないので不公平なのだが、 シナリオだけに関してはオレ内部の評価に大部近いかもしれない。

Airの音楽はさほど来なかった気がするのだが、それは確かだろうか。 とりあえずもう一度聴いてみた。 それでわかったのだが、やはり音楽はいい。 ゲーム中の印象はそうでもなかった気がするが、 今こうして聴いているとやはりクる。なんでもない和音一つが何かを 引きずり出そうとするのだ。加えて録音のきれいさは群を抜いており、 音楽の「売りものレベル」においてはトップレベルであることは間違いない。 ついでにKANONの曲も聴いてみる。もののついでにONEのも聴いてみる。 で思ったのだが、ひょっとしたらAirが一番いいのかもしれない。 ONEなんかは曲を聴いただけでいろいろと引きずり出されるのでやはり強烈なのだが、 それは曲がいいからなのかと問われるとむつかしい。 音楽の単体評価はむつかしすぎるのだ。 もはやONEはシーンと切り離して音楽を聴くことが不可能なのである。 この差はおそらく感動タイプの差だ。

ONEはストーリーで感動というより、シーンで感動していた。 テーマ性がどうのとか言う以前に「強烈なシーン」の連続として オレの中に刻まれている。でそうすると当然絵と音はシーンに付随してくるわけだ。 絵はあれとしても、曲は相当なレベルにあるだけに不可分な要素になる。 一方Airはシーンだけで言うならそう強烈なものはない。 Airのウリは流れとかテーマ性であって、 感動するにはある程度こちらで考えてやる必要がある。 心情を想像するとか、過去の場面をふり返るとか、そういう作業だ。 その分だけ感覚からは離れるわけで、 ONEほど問答無用な感動ではない。 そうすると仮に音楽が優れていたとてシーンの記憶が薄い以上曲の印象も薄くなる。 ただそういった思考の積み重ねによって頭に 全体のイメージのようなものが構築されるので、 それを想起させるような曲、あるいは和音、 さらには背景、色といったものが不意に何かを引きずり出そうとする瞬間がある。 ONEの曲はシーンを想い起こさせるが、Airの曲はAirそのものを想い起こさせる と言えるだろうか。 ただ、ONEの時は折戸氏の作風が新鮮だったのでその分 強烈だったということは否定できない。最初に物を見たときの衝撃というものは 拭い難いものなのである。

2000年9月11日

サウンドフォントを拾ってきてびっくり。 楽器ごとにファイルが分かれてない。 デカいファイル一個をまるごと読みこむ形式だ。 つまりカスタマイズできない。 たぶん分離する方法もあるのだろうが、 その後形式を変えたりせねばならないだろうから面倒くさすぎる。 それに、音はあまりよくない。 ただコンフィグを書かなくていいだけ楽といえば楽だろう。

ノートパソコン沈黙。誰かにふたを閉められたとしか思えない。

コンフィグ書きもだんだんわかってきた。 なんとかGSのたいがいの音を鳴らせるように調整を終える。 ただしほとんどの拡張音色はGMで代用しているだけなので 本来の音は鳴らないし、いまのところ遭遇していない sfx系の音色はたぶん鳴らない。そのへんも鳴らすためにはGSの音色マップが 必要で、誰かに借りるしかないのだ。 そう思って笹鳴氏にXGの音色マップを借りてきたが、 どうやらGSとはまるで違っているらしい。standard drumsetからして違うわけで それではどうしようもない。というわけで悪いがより 普及度の高いGSに合わせることにする。 XG用のコンフィグを別に書いてもいいが、 いまのところ実際にもっていって使ってくれた人は皆無なようなので どうでもよかろう。

Airは見るところによって180度評価が変わる。 ONEでよかったところは跡形もなくケシ飛び、 ONEで悪かったところがとんでもなく良くなっているのだ。 前者は会話のセンス、変なキャラ、彼岸を感じる言葉の感性、こびりつく音楽。 後者はわかりやすいストーリー、構成、異常なレベルの彩色、 凝りに凝った演出。 わかりやすく言えば、「よくできたゲームになった」。 普通ならそれでガッカリするオレも、一概にそうとばかりも言えない。 麻枝のセンスは大好きだが、彼の問答無用さとそれを説明するための とってつけたような設定の入れ方はあまり好きではなかったからだ。 ONEにしても、みさおのお話はそりゃ悲しいには悲しいが、 消えることの説明として見ればなにやら唐突でいいかげんに感じられる。 あの局面でいきなりあれが入るのもテンポの上ではどうかと思う。 今回はそういうことがない。 それだけに、不自然さを感じることなく話がクるのだ。 一瞬の爆発はなくても、じわじわとクる。だから、悪くない。 最大値のみ見る評価のしかたをすればAirはONEに遠く及ばない。 しかし平均値を見ればONEはAirに遠く及ばない。 そういうことだ。 オレの好みから言ってどっちが好きなのか、今はよくわからない。

34000。次はAir感想文。これに関してはもう少々 覚めてから書いた方がいい気がするので、 あとしばらくお待ちいただきたい。

Eve Zero。形式が古くさいのは許すが、空気が古くさいのが気になる。 つまりダサイのだ。元々オリジナルのEVEは 古くさいネタながらも そこそこ筋になっているストーリーと、 それっぽい雰囲気を感じさせるハッタリと、 なによりもキャラの魅力があったからおもしろかったのである。 確かにオリジナルからして探偵やら政治やら組織やら がどうとかいう描写はお遊びの域を出なかったし、 科学考証のメチャクチャさは目を覆わんばかりだった。 青池の「エロイカより愛をこめて」のスパイ描写と同じくらいお遊びである。 しかし、それでもオリジナルはよかった。 よく考えたらおかしいとわかるにしても、 「探偵ってそんなものかな」とか「うお、お上の圧力だ」などと思えてしまうくらい 描写にハッタリが効いていたからである。迫力があったのだ。 しかし今回はそれもない。およそまともな探偵やらの会話とは思えない 幼稚さで、破天荒さを出そうとして見事に失敗した印象がある。 それにも関係したことだがが、今回はキャラが薄い。 すでに作られているキャラのイメージに依存してしまっていて セリフや表現が光らない。会話も無理矢理である。 lost oneの時も思ったが、 EVEからキャラとハッタリが失われれば残るのはダサさだけということが再確認された。 いっぺんこういう印象を抱くとあとは悪いところばかりが目についてくる。 クソ重い。パッチをあてないと動かない。 塗りが汚ない。曲がどうでもいい。操作性が悪い。ロクでもない選択肢が フラグ条件にからんでいてタルい。云々。 結果30分で一次挫折。 最後までやったらおもしろいかもしれないので、ヒマができたらやることにする。 優先順位はだいぶ下だが、他にやるものもないので案外近いうちにやるかもしれない。

そういえば完全挫折ゲームと暫定挫折ゲームの区別があったのだった。 前者にはluv waveやぴあキャロ2が属し、後者にはpallete、eve zeroSeeIn青、こみパ 等が属す。 しかし、過去をふりかえっているヒマもないので、 そんな奴等はみんな捨ててしまってもいいのかもしれない。 どうせやったところで大して糧にはなるまい。

KANON同人鬼畜ゲーを借りたので起動。数分でイヤになった。 出来がどうとか以前に、コンセプトが気に食わない。 なんというか、かわいげがないのだ。 カノソや既知街なんかはなんぼ殺伐としていても ネタとして楽しそうにやっている雰囲気があって かわいげがあるのだが、これはどうにもそれが感じられない。 じめじめしている。キノコっぽい。 楽しんで作ってるかどうかとても疑わしい。 もっとドカンと鬼畜ならまだ好感も持てるだろうが、 これはイヤだ。態度がイヤだ。空気がイヤだ。 勝手な偏見で悪いがオレにはできん。

既知街2。オープニングムービーはすばらしい出来である。 曲の強引なアレンジ、というか混ぜかたもすばらしい。 が、中身がどうも問題だ。おもしろそうなオーラが出てこない。 ネタが細かい技巧に走りすぎてインパクトを失っているのが痛いのだ。 物事は軌道にのると完成度を高める以外の発展方法を忘れがちになる。 KANON、Airと続くKeyの変化もそうだし、これもいい例かもしれない。 というわけで、保留。

以下Air話。注意

  どうやらオレはAirを気にいっているらしい。 しかし、泣きの完成度としては加奈や久遠の絆とそう変わらないような気がして 一瞬不安になった。そこで相異点を明らかにして安心しようと思う。 所詮自分で安心するための方便なので、えらく主観的で勝手な進め方である。 気を悪くされたら申しわけない。

  まず間違いなくこの3つの共通するのは泣き描写がクドいことである。 しつこい。ひっぱりすぎる。加えてストレートなことである。つまりクサい。 その上で何が違うのか。考えられる要因は泣きネタ、展開、文章、キャラの4つだろう。 といっても分類はかなりてきとう。もうしわけない。

  まずはおおまかな泣きネタに関してだが、Airは家族愛+死+記憶喪失、 加奈は禁じられた恋+長期にわたってプログラムされた病死、 久遠の絆は死別3回の前世ネタとなる。 Airはやはり主人公が何もできず、 ヒロインも記憶を失っている状態というあたりが救いようがなくてクる。 レナードの朝タイプのキ方である。 一方加奈はえんえん死ぬことを匂わせつつ進んできているので、 ああやっとか、という感じがしていささか弱い。 相思相愛なので救いようがあるということもある。 美しい悲しみではあるがさほど効かない。 ちなみに久遠はしつこく何回と同じパターンで死別するので慣れてしまっていた。 やはり別れそのものの辛さには限度があるのである。 というわけでAirの勝ち。

  次に展開。テンポである。 Airは観鈴が生き返って一旦終わり、これで一安心となる。 ところがどっこい、後のシナリオで過去の因縁を思い出してまたもや 絶望的な戦いに身を投じてしまう。晴子さんの想いをわかっていながらも、 「敢えて」である。この「自分の意思で」というあたりも痛い。 そして救いようもなく終わる(最後のシーンは考慮していない)。 このように一度安心させて、それから急速にそれ以上に落とすというのは 猛烈に効く。痛い要素をそこら中にちりばめて攻めるのもたまらない。 一方加奈はどうかと言うと、一定のテンポで病状が悪化して死ぬだけである。 死にそうになるころには相思相愛なわけで、多少の行き違いがあって 一時的に心が離れたとて大してことはない。ストレートに最後を迎え、 日記その他の小道具によって美しくその死は飾られる。 悪くはないが、死の瞬間に対して覚悟ができてしまうために効きが弱い。 死なないシナリオは論外である。 さて、久遠の絆はどうかというと、同じパターンを3回繰り返した後に ようやくその悲惨な繰り返しを断ち切ってハッピーという展開である。 落として落として落としておいてもちあげて終わりというわけだが、 これは一度目よりも二度目が、二度目より三度目が効いていないと効果が弱い。 一度目は確かに効いた。しかし、二度目は予期されている。 そして三度目には慣れられている。つまり「落として落として落として」 という前提が崩れている。さらに、時間がかなり経過していることに加えて 二度目、三度目の死別描写が大したことがないために、一度目直後よりも 三度目直後の方が平然としているという逆転現象が起こる。 これでは最後に持ちあげる効果が薄いのも無理はない。 長さが裏目に出たのである。 というわけで、Airの勝ち。

  文章はどうか。Airはそれまでの麻枝に比べると言葉が弱い。 それだけにここはさほどの優位性がない。 加奈はまあ標準である。言葉の印象が残っていないのは同じだ。 そして久遠の絆は明らかに下手くそである。 というわけで、Airが劣るところはない。

  最後にキャラだが、これは受けとる側の個体差が大きいのでむつかしいものがある。 まずはAirだ。 これはなによりも晴子さんであろう。これは展開に属することでもあるのだが、 最初のエンディングで意図的に抱かされた 「そんな状況に至ってすら愛情のない母」という印象が見事に 逆転させられているのが大きい。 最初から献身的だったのではここまでいい人には見えないだろう。 「あのいいかげんな人がここまで」というのがいいのである。 観鈴も「あれだけがんばったのにこんなザマに」という状況によって「がんばった」 よいう印象がより強く残るので、余計にいい奴に見える。 最後に見た姿が永遠に残るのは真理であろう。 というわけでキャラの印象を最大限にブーストするようなカラクリが仕込まれている。 一方加奈であるが、こいつは主人公が好きなだけで普通に不憫な女の子以上の 何者でもない。属性的にも単なるおにいちゃん属性である。 悲しいのも死ぬからであって、それは別れを惜しむ感情以上のものではない。 長い時間を共有してきたのが終わるだけのことであり、 老夫婦の死別とそう変わることはないわけだ。というわけでヒネリが足りない。 普通にいい奴は弱いものだ。 そして最後に久遠の絆。こいつはキャラとしては悪くない。無愛想クール系 はこういう局面では非常に効果がある。が、何が残念かというと、 無愛想クール系が最もその威力を発揮するのは 無愛想さが破れた瞬間なのだということなのだ。 この瞬間と他の要素によるクライマックスが同期したならば絶大な効果があるだろう。 しかし、一度目の死別の前にこいつの無愛想性は破れており、 それ以降は「かわいい女の子」にすぎない。 心理描写等々が詳しいのでいい奴さは増しているが、 属性や展開を泣きシーンにつなげるための工夫がない。 ストレートである。そのためにキャラの出来うんぬん以前に弱い。 やはりAirの勝ちである。

  さあ、結論。Airはいい。ふう、安心した。

2000年9月10日

単位をとってヒマになろう。 後期は実験だけしていればいい。 そうなるべきだ。

Airで同人誌を作ろうと画策していたが、 どうもむつかしい。14日に試験が終わったら少し挑戦してみよう。 ダメならあきらめる。サンクリ新刊なし。

またまた現実逃避。TIMIDITYコンフィグ書き。 大部鳴るようになった。あと心残りなのはアタックの遅すぎるストリング。 49番。ストリング音色だけでももっと大量に探してみよう。 とりあえずはサウンドフォント形式のを山と拾ってこなくては。

いっぺいが来てダラダラしてる。ONEの曲をかけたら反応しておもしろい。 しかしそれはオレもだ。曲を聞いただけでシーンが頭に蘇えってくる。 「羊が羊が〜」とか「ころころ」とか。 おそらくAirではそういうことは起こるまい。 それだけでONEの方が上だとも言えないが、 やはりAirは少々分が悪かろう。 是非ONEはやっていただきたいものだが。

Airプレ感想文(ネタバレ地獄。読むな)

  用語説明:「キ方」=クるあり方。心に打ちよせてくる感動の種類、形式のこと。

  Air。客観的に比べられるところだけ考えてみる。 話はよく出来ていた…かも。キャラは丁寧に描かれていたが、 会話が無理っぽいような気もする。麻枝の割にはなんというか キラーな台詞がなかった。次の日に思いだせないということはなかったんだろう。 舞が納豆食ってるシーンみたいにこびりつくシーンはあっただろうか。 どうも見当たらない。音楽はキただろうか。どうもキた気がしない。 いい曲だったけどインパクトが薄いのばかりだった気がする。 ギャグは…さむかった。主人公が無理矢理敬語を使わないあたりが 無理矢理だった。泣かせシーンの出来はどうだろう。 キたのは事実だ。でも、どう考えてもくどかった。 長かった。しつこかった。最後のシーンも意味不明だった。 でもたぶん、「これがこうなって次にこう」みたいに表せるストーリーは 悪くなかったはずだ。 主人公に好意を持つきっかけや過程はけっこう自然だった気もする。 逆に主人公が女の子達を気にしていく過程も自然だったかもしれない。 話のネタも、斬新とまでは言わなくても陳腐すぎて泣けるようなことはなかった。

  こうやって書いていくと、駄作とは言わないまでも並にしか見えない。 出来がいいだけの普通のゲームの感想みたいだ。 でもオレにとってはそうではなかった。 じゃあ、KANONと比べてみよう。それにしてもなぜオレはあれが好きなんだったか。

  名雪、栞、あゆシナリオは普通に悲しいお話で、まあ出来が悪いとまでは 言うまいという感じだ。あいつらは何かやりすぎな気がして好きは好きだが こびりつくほどでもない。栞のアレは名言だが。 一方真琴シナリオはキた。帰ってこなかったのだと思うと余計にクる。 思考を停止して狐がどうとかいうことを忘れていると、とてもクる。 シナリオは好きだ。でも真琴そのものが好きかと言われるとむつかしい。 逆に舞シナリオはいきなり切腹するし、復活するし、わからん。 思考停止をすることが不可能なくらいわからん。 シナリオとしてはわからんのはしんどい。しかし舞はいい。 なぜいいのかの理由があまりみつからないし、あざといネタ連発でやっぱり しんどいのだが、不思議と好きだ。 とすると、オレが勝手に頭の中に作り出した 舞の像がデカいだけということになる。 原作者も一人称でかけんくらいようわからんキャラだけに 好き勝手できたということだろう。 と考えると、妄想ブーストされた舞5割、真琴シナリオの キた経験2割と、他のやつらの微妙ないい奴さ3割くらいで混ざりあって KANONが好きだということになる。 さて、Airはどうか。

  聖シナリオ(正式には佳乃シナリオ)は、いきなり過去に飛んだりしておもしろい。 手首も想定していた最悪の設定(単なる自害)ではなかったので安心した。 本筋とあまり関係がないあたりが気になるが、そこそこええ話だった。 なにより聖がいい奴だ。というわけで聖勝ち。さくらさんなのは置いておいても。

  美凪シナリオは最初はどうなることかと思ったが、ええ話に落ちついてよかった。 (舞+佐由理+秋子)/3という意見(良月、談)もあるが、まあいい。 バッドエンドは特にキた。泣けば済むタイプじゃないキ方だったのが ONEを思い出させる。人が死ねば泣けばいいが、ああいうふうに攻められると 泣いても済まない。無言で微動だにせずにクリックしてた。 思えば真琴の時もそうだった気がする。加えて最初は死語マシーン(秋乃氏、談) だった彼女がだんだんとセンスを感じさせるボケをするようになるあたりもいい。 あんな声で(オレ内部声優自動割り当て機能による) 「ときに国崎さん」なんて言われた日にゃたまらない。というわけで好きだ。 お米券もまあ許容範囲と言ってやろう。 みちるは少々どうでもいいが、設定としてはおもしろいし、 なんだかんだいっていい奴だ。トドメも許せる。本筋にはまるで関係ないので 過去編を見た後にはちと切なくもなるが、それも良し。

  観鈴。健気でかわいそうで、とても放っておけない女の子だ。 それだけでもクるものがあるのだが、頭で考えればそれは 観鈴でなくてもいい。観鈴記号たる「にはは」と「がお」も KANONで慣れてしまったオレにとってはそうひどいマイナスではない。 それだけにオレ的にはシナリオに食われたキャラだ。 しかし、そのシナリオがクる。呪いがどうのという設定も気にならないし、 過去編を見た後では最初に見たトゥルーエンド(らしい)のわけわからなさも 納得できる。そして最終シナリオを見た後では晴子さん失踪事件も 納得。おかしいと思うところは何一つない。そして観鈴は真琴シナリオ的だ。 泣いてすむタイプではなかった。そして主人公は真琴シナリオ同様に何もできない。 いや真琴シナリオ的というより、それはONE的だと言った方がいいかもしれない。 ある状況がいやおうなく存在してしまっていて、 それをわかっていてもどうにもならないというのは麻枝の趣味だろうか。 その説明にいささか寒い設定を平気でつけてしまうあたりが問題だろうが、 今回はそういうこともなかった。 過去編でそのあたりの設定はちゃんと作品になっている。 でそういうごたくはともかくとして、晴子さんがいい人だった。 やりすぎと言うかもしれんし、オレの頭の何割はそう言っているが、 それでもたまらなかった。そして主人公の何もできなさ。 無情な現実。にもかかわらず悲しいだけで終わらないのがよかった。 「あ、死にました」という終わり方じゃなくて、「死んだけれども」 という終わり方の方がいい。そうじゃなかったら安易なハッピーエンドの 方がずっとマシだ。悲しみのバーゲンセールは大嫌いだからだ。 そういうわけで、シナリオ的にはとてもよかった。 クドすぎたのは問題だとしても。 そういえば最後のシーンは「?」だったかもしれない。 まだ考えていないので、考えたらわかるのだろうとは思うが。

  過去編。裏葉さま万歳である。都合よすぎなキャラという気もするが、 まあいい。ストーリーはわかりやすくて、 非物理説明なし問答無用の麻枝とは思えない。つまりは麻枝ではないのだろう。 それだけにセンス爆発のセリフやギャグはまるでなかったし、 なにやらかっこによみがなを書かねばならんような漢字が山ほど並んていて どうかと思ったりもしたが、ちゃんとしている話なので良し。 ベタ誉めする気にはならないが非のうちどころはあんまりない。 しかしなによりも、神奈がさようならしてからは二人の関係がたまらない。 ベタベタ悲しみまくりな最後じゃないのがたまらない。 かえってクる。こんなのも好みだ。

  つまり、全体を通してストーリーがちゃんとしていることと、 サブキャラのいい奴さと、シーンのキ方と、美凪の変なセリフ(一部)。 これがAirを好きな理由だ。KANONと比べてどうかと言われると困るが、 キャラでは舞がいない分弱い。しかし、お話としてどうかとか、 キ方がどうかという点ではAirの勝ち。 そして、キ方ではやっぱりONEにはかなわないのだが、 ONEの「消える」に比べると「動けなくなって記憶失って死ぬ」 は身近な現象なので頭に入りやすく、これもいいキ方ではある。

  ところで、キャラには非互換性がほしい。 説明するのはむつかしいが、「うわ、それ長森すぎ」というようなイメージを 抱かせることである。描写の長さとか、シナリオとか、絵とか、音とか、 そんなのもいろいろと関係してはくるだろうが、よくわからない。 加えて、その「それ、〜〜すぎ」という印象を抱かせる描写を 原作者以外がエミュレートしにくいほどいい。 例えば、「それマルチすぎ」というのはけっこうマネできる。 しかし、「それみさき先輩すぎ」というのはそれよりはマネしにくい。 ちなみに、名雪やらあゆやらはとてもやりやすいのでポイントが低い。 舞はオレ内部ではむつかしいことになっているが、一般には簡単とされている。 たいがいの場合、やりやすさは記号化の度合が高いほど上がるので、 記号化レベルが弱いキャラほどやりにくくポイントが高いことになる。 実はそれから行くと今までで最強のキャラはホアルバのはるかだ。 はっきり言って、どうやっても似ない。奴を描けるのはうだるだけだろう。 それだけに最強である。 しかし、ポイントが高ければいいかというとそう単純でもない。 ポイントが高すぎるキャラは手を出せないので、 頭の中に住まわせることができない。 また、住まわせる努力をした経験があるかどうかも重要だ。 舞の場合同人誌を描くためにかなり無理矢理住まわせようとしたので、 その分キャリアが長いわけである。そうすれば当然ポイントは加算される。 これを妄想ブーストと呼ぶ。いままで妄想ブーストの恩恵を受けたキャラは 舞(若干楓も)しかいないので、キャラの出来とは別に別格になるのも無理はない。 ところで、「それ隆慶一郎すぎ」というのもある種おもしろい。 「それ夢枕獏すぎ」とか「それ船戸与一すぎ」とかも同様。 キャラ描写のイメージは、文体のイメージと同じものかもしれない。

  ところで、キャラに対する感情はいろいろあるが、ギャルゲーに限って オレが特に弱いのはこの二種類である。「放っておけん」タイプと 「友達になりたい/友達でいたい」タイプだ。 そこに入らない「甘えたい/られたい」タイプ、 「いじめたい/られたい」タイプ、「おもちゃにしたい/されたい」タイプ 等々はオレには効果が薄い。例えばONEは「放っておけん」タイプで満ち満ちている。 七瀬は「放っておけん」と「友達」タイプの中間くらいだろうか。 長森は「友達」タイプであろう。他はみんな「放っておけん」タイプだ。 痕でいえば千鶴は若干、楓はモロに「放っておけん」タイプである。 梓はモロに「友達になりたい」タイプであろう。 To Heartでいえば、委員長は両方を合わせもっているし、 志保、あかり等は後者だ。芹香などはどちらでもないのでそれほどコない。 綾香はその分後者なのでポイントが高い。あとは他に誰かいたっけという感じだが。 こう分析すると、舞はよくわからんがやはり両方合わせもっている。 名雪、あゆ、真琴はどちらにも入らない。栞は前者に属するが、弱い。 Airはどうかというと、観鈴はモロ前者。佳乃はどうでもいい。 美凪はだいたい前者でちょっと後者。聖、晴子、裏葉等は後者だ。 そう考えるとオレは麻枝モノが好きになる運命だったのかもしれない。 麻枝のキャラはその2種類に偏っているからだ。高橋なんかはそうでもないのに。

  長々と書いてきたが、わからん。オレは何を書いてるんだろうか。 とにかく、Airはおもろかったのだ。 しかし、考えれば考えるほどAirで同人はしんどい。 好きなだけではおもしろい漫画にはならんのだ。 自分くらいおもしろいと思う漫画を描かねば同人なんぞしんどすぎる。

2000年9月9日

Air99%終了。感動した。はずだった。 さっき感動したとここに書いた。 でも、今消してしまった。 混乱している。こんな状態文章にならない。 言葉にした瞬間に何かが欠けてしまう。 言葉にしようとするほど、整理しようとするほど何かが欠けていく。 それまで表層にあった何かが深層に消えてゆくにつれて落ちついてゆく のが逆に恐しい。それまで何で混乱していたのだったか。 さっきは何を考えていたのだったか。 思い出そうとしないと思い出せないというだけで恐しい。 そして、この恐しいという感情が本当であるかどうかが疑わしいことも恐しい。 ああ、何を考えていたのだったか。 あんなに混乱していたのがもう嘘のようだ。 それとも嘘だったのか?自分で自分を騙すような。

つまりは瞬間瞬間の表層意識の状態。 特に激しいものだけを普通は感動と言う。 言葉にならないアナログなそれ。 それはどこかにしまっておけるものなのだろうか。 きっかけがあればそれは鮮かに蘇えるものだという。 だとすれば、しまっておけるのだろう。 でもONEも、痕も、最初やった時のような感動は蘇えってこない。 ものすごく感動したことは覚えている。 受験の前の夜も不安だったことは覚えているし、 サッカーが下手で本当にイヤな思いもしたことも覚えている。 でもそれは情報だ。言葉だ。 「言葉にできない思いの方がずっと残る」とある人が言った。 オレもそうなのに忘れているのかもしれないし、 オレはそれとは違うのかもしれない。 それは考えてもわからないことだ。

今回は素直に受けとめようとした。先入観をもってやることは物をつまらなくする。 ギャルゲーだから。エロゲーだから。泣きゲーだから。 眼鏡だから。ロリだから。アニメだから。漫画だから。フィクションだから。 人が死ぬ話だから。親がいないから。そんなこと全部がジャマなのだ。 しかし、やっぱり素直にしようという意思が何かを曲げてしまった。 拳法と同じだ。 打つ意識を消そうとして、打つまいとする意識が出てしまう。 それでは、Airで感動したのはウソなのだろうか。 ONEで感動したのはウソなのだろうか。 何か機械的な働きによって感動したことにされたのだろうか。 わからない。

メタ。そのメタ。そのメタ。そのメタ。いくらでも重なる思考。 気がつけば時間が経っている。レポートを書かねばならないのだった。 ガラにもないクサい内容を書くのはやめよう。 消せばいいのに、それを見てほしい自分が勝ったのだ。 オレは文章書きにはなれない。クサすぎる。

2000年9月8日

現実逃避に ソフトMIDIのパッチ集をもっかい作る。 人が集めたものからさらに選んでるんだから楽なものだが、 それでもやっかいなのはコンフィグファイル書き。 GSの音色マップがないのでGS対応なんて夢のまた夢。 仮にそれが手に入っても1000以上ある音色に対応して 設定ファイルを書くのは地獄だし、 名前がわかってもそれがどんな楽器かわからなければ 代わりに何をあててよいものかさっぱりわからない。 徹底しようと思ったら、GSのある家で全音色を再生してサンプル をとってくるくらいの気合いがいる。 しかし、とりあえず使えるものはできたので上げておく。 欲しい人は12MBあるので覚悟していただきたい。 なお、timidity本体は 出雲氏のサイト から。windowsの人はwindows binaryを落とそう。

Air。私を失望させるな。

2000年9月7日

ノートパソコン始動。明日中には体制が整うだろう。

レポートが一つ増えた。14日まで。試験が一つ増えた。14日。 これが終わってから漫画を描いて15日の16時に郵便局にもってゆくのは ほとんど不可能である。それだけに燃えるが、燃えればできるというわけでもない。

「それでもゲーム業界に就職したいあなたへ・・・」 というサイトを見る。大変だこりゃ。 しかし、常軌を逸した才能をもった人間しかいないというわけでもなさそうなので ある種安心した。普通の人間でもがんばれば役に立てる。 表舞台には出られないにしてもだ。 加えて、院出てから行った人もけっこういるらしいというのも励みになる。 ともかくも、スキルと常識と我慢がほしい。

プログラム。ちゃんと動く作品を作ってもってかないと雇ってもらえないらしい。 そろそろ本気でやらんと間にあうまい。今の御時世 プログラムのスキルはどこに行っても何かに使えそうなので、 普通に就職するにしても役に立つはずだ。 一冊練習問題つきのを教科書がわりに買ってきて、その通りにやってみるか。 無駄に頭を使う前にコードに慣れておくべきだろう。

明日はAir発売日。だからどうしたといわれても困るが、 やるんだろう。しかし、実験。

2000年9月6日

研究室前でカビたJOJOを10冊くらい拾う。巻号はバラバラ。 雨にさらされていたらしくヨレヨレ。しかし あればいろいろと使えるのでよし。

Pure Heart及びWhite Angel。それぞれ1分で挫折。おもしろくなるという 情報がない限り到底できないほどどうでもいい。 特に後者は、一体いくつのゲームを混ぜたのかと問いたくなるほどパクりくさい。 これでONEとKANONの影響を受けていないと言いはるのは犯罪だろう。

ギャルゲー採点計画を実行に移すべきか。自分の頭の中を整理する上でも 役に立つだろう。さて、やるとすると問題は項目である。 これがまたむつかしい。

2000年9月5日

Phantom of inferno終わり。 感想は別に記すが、興奮が覚めん。 おもしろい。これはおもしろい。 オレ内部ランキングで少なくともKANONは超えた。

ディスプレイを買いかえることを決意して、 だったらその前にと開けてみた。 調べてみるといくつかツマミがある。 数万ボルトの電流が流れるかたわらでそれをいじってみた。 すると、ボケていた画面がたちまち鮮明に。 ドットが見えるほどだ。完全復活である。 みんなもディスプレイがボケてきたら開けてみよう。

実験失敗。3日の苦労がパー。

Phantomの感想文が妙にかきにくい。 何を書けばいいのだろう。おもしろいの五文字で事足りる気がするのだが。

倍音合成方式とか、楽器物理シミュレーション方式の ソフトMIDIでタダのものはないのだろうか。 ハードウェア音源の音を聞いて、 サンプリング再生方式のMIDIには限界があるということを思い知った。 音の長さに応じて適切な鳴らし方をするというマネができない サンプリング方式はやはり弱い。

気がついたらギャルゲー感想文が31個も。書いてなくてやったのがいくつかあるので、 オレはもう35個くらいのギャルゲーをやったことになる。 戻れないところまで来てしまった気分だ。

ところで、ファントムはカノンよりもおもしろかったわけだが、 カノンには「妄想を練った歴史」という恐しいドーピングがついている。 ファントムは「おもしろい」というおもしろさでは最高レベルなわけだが、 「うおー」という言葉にならない感情の発露ではそれほどではない。 気にいったことをきっかけにしてこれからどんどん妄想していけば そちらでもカノンを超えるかもしれないが、それはむつかしかろう。 こうも完成されていては遠くから眺める以外に楽しみ方がないからだ。 これは同人誌を作るのはしんどいということでもある。 でも、おもしろかった。文句なくおもしろかった。 隆慶一郎レベルのおもしろさをこの手のもので得られるとは まったく思いがけない幸運である。

モニタを買う必要がなくなったので、日本橋に行く理由がなくなった。 つまり包丁は買えない。何いってんだ。

次のゲームはEVE ZEROの予定だったが、返してもらうチャンスを何度となく 逃がしたおかげでまだ手元にない。とりあえず縁あってお借りできた Pure HeartとWhite Angelの味見を済ませてしまおう。

ああ、来週の月曜はテストでゼミ当たっててかつレポート締切だ。 明日中にうち2つは片づけないと死。

2000年9月4日

Rainy Blue終了。感想は別に。

2000年9月3日

Rainy Blue味見。妹とおまけシナリオ。悪くない。どころかいい。 始まっていきなり恋人が死に、 それからどう主人公が生きていくかが描かれるという 半ば反則じみたストーリーだ。 しかし、なかなかいい。 クサすぎたり、書きすぎたり、出来事の都合がよすぎたり するあたりがちと気になるが、 おおまかな心情の流れとしては妙に納得できる。 恋が「ここからが恋」のような単純なものとして描かれていないのもいい。 おまけシナリオは特に、 「なんだか好きみたいだ」という漠然とした気持ちを これまた漠然とした心情で受けいれる微妙な関係がいい。 妹シナリオについても、 女の子がホレてくる過程でなくて、 主人公がホレていく過程を描いているあたりがおもしろい。 しかし、それってギャルゲーとしてはダメなんではないのか?

包丁屋である堺一文字光秀のサイトを見る。 とりあえず材質と構造でとんでもなく値段が違うということがわかった。 構造には、刃金と地金に別のものを使って鍛接したもの(カスミ)と、 一つの鋼の塊から鍛造して作ったもの(本焼)がある。 カスミは研ぎやすいが刃がダメになるのも早く、 本焼は研ぎにくいが刃が長持する傾向があるらしい。 一般に本焼の方が材質が良く作るのが面倒なので高いようだ。 ただし素人に研げるような代物ではないし、 そもそも素人が買う気になるような値段ではない。 本焼の最高級品で30万、安いものでも4万もする。 カスミだと安いのは12000くらいだ。 ところで、日本刀のすごいものになると4種もの材質を鍛接したそうだ。 どんなものをぶったぎっても折れない強さが必要だったからこそかけた 手間であろう。

笹鳴氏のコンピュータを組み立てる。 部品代のかなりの部分が外部MIDI機器というあたりが今回のミソだ。 MU500を積んだヤマハのものである。さすがに音はいい。 ソフトウェアで太刀打ちするのはかなりむつかしそうだ。

そろそろこのモニタも限界だ。あらゆる解像度でボケが顕著である。 絵ならともかく字ともなると 見ていて気分が悪くなるほどのボケ方だ。 こうして日記を書くのも苦痛である。 仕方ないので 消費電力、重量、重さなどを重視して15インチモニタを買い直すことにする。 画質はとりあえずいい。流行りのフラット管もいらん。 シャドウマスク管で十分だ。そっちの方がオレの用途からすればたぶん向いている。 というわけで、日本橋のソフマップに近いうちに行くことにする。 ついでだ。包丁も買おう。

2000年9月2日

33000。近いうちにギャルゲー感想文がさらに3つほど加わる予定。 題目はphantom、EVE ZERO、Rainy blue。 他にもあった気がするが、そいつらから。 それと、かなり近いうちにアレルゲンの後継企画が立ちあがる予定。 9/17までに数ページ、9/23までにページを追加して正式に出す。 ただしAirがつまらなかったり、手のつけようがなかったりした 場合は中止となる。

軍鶏。2巻まではとてもおもしろかった。熱くて、かつ 現代っ子の怖さみたいなのが出てきそうで恐かった。 しかし「刑務所で空手」が「空手」になってしまったので、 3巻からはそんなにおもしろくなくなった。 なにか普通だ。ただのバイオレンス漫画だし、 主人公が不自然に強い。心が強すぎる。 もっと迷って、怯えていたからおもしろかったのではないのか。 5巻以降おもしろくなるのなら読むが、このまんま軌道にのるならもういい。

福本+かわぐちかいじ=「生存」。おもしろい。が、「告白」ほどではない。 なんというか、福本さがネタくさい。 話も都合が良すぎる。緊迫感もいまひとつだ。 これはこれでおもしろいが、すこし残念。 3巻に期待だ。

フロレアール。日常に不満のある人はハマりやすいのかもしれない。 オレもその資格はあるとおもうが、 鬼畜シーンが嫌いだったのが致命的だったのだろう。 確かに仕組まれているような感覚とか、 日常が空虚な感覚とか、 そういうのはオレもあるし共感できる。 が、鬼畜シーンがイヤだったのだろう。 好き好き大好きもそうだが、鬼畜はイヤだ。 人間は青臭くて、邪気がない方がオレはいい。 フィクションくらいきれいな方がいい。 やりすぎると鼻につくが、 やっぱり基本的には善良な人が好きだ。 結局オレは物を観賞する時には知より情に偏ってしまうわけで、 キャラ萌えのダメ人間なのである。 それにしてもおかしい。 いつからオレはこんなに頭を使わなくなったのか。 オレを狂わせたキャラは誰だ。

とある都合によって、先に「SeeIn青」。 一度目はなんだかわからないままバッドエンド。 二度目は読んだ文章をスキップしていたのだが、 どうも読んでないのも飛んでしまう上に微妙に展開が違うので意味不明。 ちゃんと読まなきゃダメってことか。 なぜここまでちゃんとしたプログラムなのに読んでないとこを飛ばさない 機能がないのか不思議で仕方ない。 で内容だが、学園+科学者+超能力海風味。 設定などのセンスが妙に古くさいのが気になるが、あとは普通。 キャラも普通。文章も話の出来もまあ普通。 アリスだけにプログラムその他の作り込みはちゃんとしているし、 アリスのわりに同人臭さが薄いが、 アリスなだけにセンスが古い。ジェネレイターガウルを見てがっかりした時と 同じような感触だ。妙に説明くさいセリフも気になる。

とりあえず改造少女と改造女の子。前者は普通。後者も無愛想系としては そこそこだが、まあ普通。従って普通。もういいや。

ところで、中学三年生が「オレ妹好きだから」というのを本来の用法と違う意味で 言うのはやはり問題であろう。読んでたら少しは考えるように。

YsII Eternal。あの激しい オープニングアニメーションの直後に 現れるむかしながらのゲーム画面が脱力を呼ぶ。懐かしブースト (懐かしさによって古さが魅力に変換される現象) なしでは耐えられまい。しかし、オレにも懐かしブーストが 起こるのでこれは良しである。 しかし、残念ながらこの省スペースキーボードではやる気にならない。 かといってこのためにパッドを買う気にもならない。 世界観やらなにやらはいまでもけっこう魅力的なのだが、 いかんせん古くさい。古いのが古くさいのはあたりまえだが、 こうも中途半端に今風なものと古いのが混ざってるとどうも気になる。 PCエンジン版(Ys I.II)でいいや。ちなみに音楽はPCエンジン版の方がいい。

2000年9月1日

研究室の4回生の院試合格祝い、院2年生の就職決定祝い、 そして二人の留学生のお別れ会を同時にやるという宴会があった。 特に書くことがあるわけでもないが、 ドラクエをやってる人が3人もいて、 さらに半分は野球好きだということを再確認できた。 鍛えてどうなるものでもないにしても、体力くらいはあった方がいい。 筋トレから腕立が減った分、胸筋を鍛えるアイソメトリクスと、 腹筋を鍛えるクランチを追加しておこう。

ま☆ンティークとどめ。スフィーレベル2。犯罪とちゃいますか? ソフ倫というのは案外寛容な組織なのかもしれない。 想定している年齢はどう考えても12プラスマイナス2歳くらいだ。 なお、オレは、8、12、16、20と肉体年齢が推移すると考えている。 いや、しかし考えてみたらレベル2で9歳のガキと同じくらいの身長だった ので、もっと幼くみつもった方が正しいかもしれない。 だとしたらなおさらヤバいのではなかろうか。

方針は間違っていなかったはずだが、結局2200万でまた止まった。 スフィー攻略の片手間だったのもあるし、 後半手を抜いたのもある。以下方針。 最初はとにかく魔法整頓。ただし、適当に自由行動をはさんで、 常に「超機嫌いい」にする必要がある。 A状態にしてから2割引き〜1割引きにしてとにかく売る。 ただし儲けを出すことを忘れずに。 数を売るために場所を食わないものを優先し、 スペース4以上のもの、D品質のものは後回しにすればどうにかもうかる。 しばらくして整頓が10になったら掃除にシフト。 9月中には10にしたい。その後は当然接客。 このころには無差別に買うと売り切れなくなるので、 高いものを優先する。 もう修繕はいらないが、評価は下げたくないので1割〜2割引きは続ける。 修繕コストがないぶんもうけは増す。 評価が10付近になり最終段階に至ったら、あとはなりふりかまわず値上げする。 ただし、安いものを高く売って評価を下げてもつまらないので、 高いものは値上げ、安いものは据え置いて、評価が下がらないよう平衡状態に保つ。 高額骨董は高く売りたいが、12月中に最後の刀まで行かない のは困る。最後の3つくらいが倍で売れれば3000万は堅いだろう。 しかし、もういいや。十分に遊んだ。


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