中国の友達との別れ
                                               T Y さん
 なぜ、人は別れをする。なぜ、「別れ」という言葉があるんだ。なぜ、親友と別れをしなければならないんだ。
親せきと永遠の別れをするんだ。「別れ」はつらい思いをするもの、人を傷つけるものだと思う。1年前の僕は
そう思っていた。ぼくは小学6年生の時、中国にいた。いよいよ、卒業式が近づいてきた。中国では、中学校
がいっぱいあるので、テストを受けることになる。しかし、この入学試験は、クラスのみんなにつらい思いをさ
せ、傷を付けたのだ。試験前日、クラスのみんなが集まって、1日を過ごした。別れはだんだん近づいてきた。
試験当日の朝、みんなは悲しい顔をして、学校へ行った。道を歩きながら、いつもは元気いっぱいのみんなが、
一言も言わなかった。試験は無事にすんだ。しかし、帰り道でも一言も出ないみんなだった。
 僕は第二中学校へ行くことになった。そして入学式の日がやってきた。僕は大好きな親友と一緒になったら
いいなと思った。しかし、僕の親友は、一人もいなかった。僕は悲しい顔で体育館へ向かった。入学式を終えた。
みんなはクラスを決めるテストを受けるために教室へ向かった。僕と同じクラスになった男子はだれもいなくて、
ぼく一人だった。小学校のクラスの女子が3人もいた。ぼくはいやだった。
 そして、2学期のある日、ぼくは学校から帰って、お母さんが電話をしている話を聞いてしまった。「私は日本
に行くことになって、息子をどうするか、今、悩んでいる。」「えっ。」という言葉が、ぼくの口から飛び出した。次の
日、ぼくは怖い顔をして学校へ行った。そして、みんなに「どうしたの?」って聞かれても、何も言わないぼくだった。
休み時間もいつものぼくにもどれなくなった。別のクラスの親友にも、「どうしたのか?」と聞かれた。でも、ぼくは
口を開けなかった。家に帰って宿題をする気にもなれない。その時、お母さんが近くに来て、こう言った。「じょう
だん、言わないでくださいよ。」しかし、それはじょうだんではない。自分がわかっているのに・・・。「なぜ、行くの
か!なぜ、もう1回別れをしなければならないんだ!」文句を言っても、現実は現実だ・・・。
 そして、ぼくは転校した。それは日本へ行く準備だった。6ヶ月が過ぎた。ある日、突然お母さんはこう言った。
「明日、8時半の飛行機に乗って日本へ行くぞ。」この言葉を聞いたぼくは、すぐに表情をくずした。今までの仲間
たちとの別れは、もう3回目だ。この3回目の別れはいつ会えるかもわからない。でも、時間を止めることはでき
ない。朝を待つばかりだった。
 そして、朝4時が来た。いよいよ別れをする時が近づいて来た。その時、バスが来た。お母さんが「荷物を持っ
て、バスに乗って、日本へ出発!」と言った。その言葉を聞いて、ぼくは(親友や親せきと別れをするのに喜んで
いけるの?)と思って、バスに乗った。バスは無事空港へ着いた。ぼくの頭の中は、(日本へ行くのを親友に知ら
せてなかった。これを知ったら、きっと怒るだろう。)と考えていた。しかし、飛行機の中に入ってすぐ、「飛行機は
もうすぐ離陸します。シートベルトをきちんとしめてください。」という放送が流れた。ぼくは悲しい思いをもって手を
振って「さよなら親友、さよなら中国、さよならけんかばっかりしてきたお兄ちゃん、さよなら先生、さようならあ!」
と、心の中で言って、飛行機は日本へ向かった。
  そして、日本へ来て2週間が過ぎた。この日は、ぼくが新しい学校へ入学する日だった。その日は雪がいっぱ
い降っていた。学校へ来る時間はちょっと遅れたけど、間に合った。そして新しい仲間ができた。その時中国の仲
間を思い出した。ここへ来て2週間、まだ何も知らせてなかった。家に帰って、すぐ手紙を書いた。手紙を書くと悲し
くなった。仲間たちとの楽しい想い出や別れた時の悲しい気持ちを思い出した。でも、ぼくは親友に「こっちで一番
の親友ができた。あと、一番最初に名前を覚えたのも『翔平』というやつだ・・・。」と書いた。
 お父さんも優しい。仕事で疲れた身体で、ぼくのために日本語を教えてくれている。今、ぼくはすっかり元気にな
った。時々中国の仲間を思い出すと、ちょっと悲しいけど、永遠の別れではない。いつか、必ず、必ず中国の仲間
と楽しく過ごしたい。



 ※ 中国から日本に転校してきて1年目のTYさんが、日本語を覚え、自分の気持ちや思いを素直にぶつけた
  感動的な作文でした。