ら く が き 帳

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    「優しい心」をプレゼント
               
 中山 博迪
  ラッキーが東湯之谷小学校に現れたのは、平成3年12月、毛は汚れて、とぼとぼ歩いているところを、登校途中の子供たちに拾われてきたそうです。以来4年間、ラッキーは全校の子供たちのアイドルとして可愛がられ、子供たちや私たちにたくさんの思い出を作ってくれました。
 9月11日、ラッキーの体調が思わしくなかったので小千谷市のM動物病院に入院させました。レントゲン検査の結果、肺に陰影が見つかりました。しばらくしてからそれが末期の肺ガンであることがわかり、「長くて後3ヶ月の命」と宣告されました。M医師から「子供たちが納得のいく死を迎えてほしい」とのアドバイスがあり、全職員で今後のラッキー対策を話し合いました。
 11月4日、M医師から悲しい知らせが学校に届きました。「ラッキーが午前10時40分、安らかな眠りについた。」とのことでした。思っていたより早い死に私たちはショックを受けました。
 11月6日、全校の子供たちに見送られたラッキーは、広神村の小動物火葬場に到着、そこですぐに火葬されました。
 骨だけの小さくなったラッキーを学校まで送ってきました。
 11月9日、ラッキーとのお別れ式を児童会葬という形で行いました。校長先生の弔辞、各学級代表による「ラッキーとの思い出発表」、そしてショパンの「別れの曲」が流れる中、全員が献花をし、最後のお別れをしました。
 子供たちに「優しい心」をプレゼントしてくれたラッキーは今、毎朝児童玄関のところで、元気に登校する子供たちを笑顔で迎えてくれています。ありがとうラッキー!


       「ラッキー診察日誌」より

9月 8日<初診> 右頬部膿瘍の手術が必要。体重11kgのおとなしい性質のシェルティで
              した。

9月12日<手術> 手術前の検査のため、レントゲン撮影。ところが肺に重大な影が・・・・。
             膿瘍の手術は無事終了。

9月14日<退院> 肺ガンの可能性があることを担当の先生に告知。シャンプーをし、リボ
             ンをつけて皆さんの待っている学校へ。 
             その後、再検査の結果、かなり進行したガンと判明。
             食欲はあるので、内服薬と運動制限をしながら学校にて飼育。

10月24日<再入院> 食欲もなくなり、呼吸も苦しそう。点滴などの治療を施す。
                その後、食欲もでて、入院生活を送る。

11月4日       前日より食欲が低下し、立っているのが辛そう。早朝より容態が悪化
            し、 酸素吸入もしましたが、午前10時40分に残念ながら息を引き取り
            ました。

   皆さんに大事にされていたラッキーは、どんな治療をも抵抗することなく素直に受け
   入れてくれた、優しい性質の犬でした。
   大勢の子供たちとふれあうことのできたラッキーは、とても幸せな犬だったと思います。



    元気だったころのラッキー

               平成7年度東湯之谷小学校児童作文集「ありがとう ラッキー」より


                        全校朝会の講話より

  ある日、ある学校に1匹の犬が迷い込んできました。それはこの写真の犬です。写真が小さいので遠くの人はよく見えないと思いますが。とてもかわいい顔をした犬です。でもそのころは「きたない、臭い、そしてやせている」、見るからに本当に哀れそうな犬だったのです。どこからやって来たのか、何という名前の犬なのかもわかりません。捨て犬なので誰かが飼わなければ、保健所に連れて行かれて処分(殺されて)されてしまう、そういう運命の犬だったのです。
 その学校の子供たちが、可哀想だから「何とか助けてほしい」と校長先生にお願いしたため、とうとう学校でその犬を飼うことになりました。
 犬を飼っている学校は、今でもほとんどないのではないかと思います。
 全校の子供たちで相談して、犬の名前を決めことになりました。投票の結果一番多かったのが「ラッキー」という名前でした。
 高学年はわかるかも知れませんが、ラッキーとは英語で「幸せとか、幸運」という意味です。子供たちが救ってくれなかったら、そして学校で飼ってくれなかったら殺されることになっていたのです。名前の通り本当にラッキーな犬だったのです。
  それから4年間、ラッキーは全校の子供たちに可愛がられとても楽しい毎日を過ごしました。一緒に散歩したり、走ったり、プールで泳いだり、そしてシャンプーをしてもらったり、子供たちにもたくさんの思い出をプレゼントしてくれたのです。
  ある日、ラッキーの体の具合が悪いのに気がつきました。動物病院で検査してもらったら、末期の(手遅れの)肺ガンであることがわかりました。後3ヶ月の命しかないといわれたので、すぐ入院させました。それから2ヶ月後、動物病院から「ラッキーがなくなった」という悲しい知らせが学校に届きました。
 私は(校長先生)は養護の先生と、冷たくなったラッキーを小動物の火葬場まで運んで行き、火葬してもらいました。そして小さな骨になったラッキーを子供たちが待っている学校まで運んできて、児童会主催で最後のお別れ式を行ったのです。
 人間も動物もそうですが、いつかは必ず死ぬ運命なのです。
「限りある命を大切にし、そして思いやりの心をもって生きることが大切である」ということを教えてくれた、校長先生の懐かしい思い出の一つです。
 このお話は、先生のホームページにも、少しのっています。
少し長くなりましたが、以上でお話し終わります。

                                       (平成14年6月 全校朝会要約)






  「尾瀬子どもサミット」を終えて     
                       中山 博迪
 地球の温暖化、オゾン層の破壊、酸性雨、水質汚染など、豊かで便利な生活と引き替えに、多くの環境問題が地球規模で深刻化しています。このような状況がこのまま続いていけば、数十年後には想像もつかないほどの環境破壊が進むことでしょう。私たち一人一人が、自然と人間との関わりや、豊かな自然や環境の価値についての認識を深めることが大切です。
 自然の宝庫といわれている尾瀬で、新潟・群馬・福島の小中学生の代表60名が、3泊4日の体験学習を通して環境問題について学びました。尾瀬の自然の素晴らしさや美しさ、厳しさを直接自分たちの肌で感じることができたのではないでしょうか。
 最終日に、「尾瀬子どもサミット提言」を発表しました。6つの提言どれも素晴らしいのですが、中でも私は「自然を壊しているかもしれないという自覚をもち、環境破壊をなくすために、生活の小さなことから見つめ直そう。」という言葉が好きです。
 日頃の生活の中で、ささやかな自覚をもちながら、どんな小さなことでもいいから実践できるように、心がけたいと思っています。
      
小・中学生3県交流事業
      
平成8年度「尾瀬子どもサミット」記録集より


                   
            

   「遊びと学びと体験を大切に
                      中山 博迪
  昨年8月、湯之谷村銀山平で県内約300人の小・中学生と、1週間にわたる長期のキャンプ生活を送ってきました。
  子供たちは、初めて顔を合わせる仲間と尾瀬沼ウオッチング、銀山湖でのカヌー、万年雪のある荒沢岳への観察ラリーなど、北魚沼郡の雄大な自然の中で数多くの体験活動を行いました。
  最初は、ホームシックで家に帰りたがっていた小学生が、班の仲間やアドバイザーの大学生に励まされ、徐々に立ち直っていく姿やテレビやテレビゲームとは全く無縁の生活にさほど不自由さも感じず過ごす子供たちの姿など、普段観察できない光景を目の前にし、改めて子供たちの生活・教育環境について考えさせられました。
  今、子供たちの遊びの変質や体験不足などが加わって、「知識と知恵と人間性」のバランスが大きく崩れていると言われています。日本の社会システム全体が、構造的な変革を迫られているともいえます。かつてのように、協調的で平均的な学力の持ち主を大量に育てるという発想はだんだん通用しなくなり、「個性と創造力」の育成が重要視されるようになってきています。
  また、人間関係の希薄化が問われている今日、子供たちは「人の心」を失いかけているという厳しい指摘をする人もいます。人間らしさと「人の心」を育てる生活体験が乏しくなっているからだと思います。いじめや不登校問題は、まさにその顕著な現れと言えます。
  教育学者の中には、「テレビゲームで遊んでいては、人間としての心が育ってこない。」との、厳しい指摘をする人もいます。
  家庭では少子化が進んでいます。兄弟げんかを知らない子供も多く、現代っ子は人間関係づくりが不得手であると言われています。家では一人一人がテレビとベッドのある部屋を持ち、食事も眠る時間もバラバラなホテル化した生活を送っている子供が増えています。一見平和的な日常生活のようですが、一つ屋根の下に住んでいながら、親子の対話もあまりなかったりと味気ない生活が見られるような気がします。
  数年前、初めて「学校週5日制」が導入された時、世間では地域や家庭の教育力を向上させ、それを生かすよい機会であるとの声がありました。そうした受け皿を多数用意しておくことが、この制度の目的を達成するためにも欠くことのできないことであるとの認識があったように記憶しています。
  しかし、現実的には、第2,第4土曜日が休日になったにもかかわらず、子供たちの「自然体験率」は、あまり上昇していないとの報告もあります。いくつかの要因が考えられますが、部活動や塾通いなどによる「子供たちの多忙さ」もその一つにあげることができます。
  東京工業大学の仙田満教授が、文部省発行の「教育と情報」5月号で、「今の子供たちの親の世代は、子供時代に思い切り遊んだことのない遊び阻害世代に移行しつつある。親自身が重要性を認識していないから、遊び環境は今後さらに悪化する可能性がある。」と述べています。
  子供は元々遊びの天才だと言われています。それを発揮する場とゆとりがなくなれば、生きる力も知恵もやせ細ってしまうのが当然と言えるかもしれません。
  子供時代は、「遊びと学びと体験の中で知的好奇心を維持し、ゆったりと過ごす。」そうした教育風土を大切にしていかなくてはならないと思っています。
  子供たちが、自ら興味・関心等に基づき、自主的・主体的に行う様々な活動を支援し、推し進めている「県子ども会連絡協議会」の皆さんの果たす役割はきわめて重要で、今後期待も大きくなることでしょう。
 「県子ども会連絡協議会」のさらなるご発展とご活躍を祈念しています。

                            「新潟県子連たより」(平成9年6月号)より

      

      


      

     お別れの言葉
 「先生、中山先生、一夫です。」どうお呼びしても、も
う返事を聞くことができないところへ行かれたのですね。
 今、静かに微笑みかける先生の遺影の前で、黒川中学校
で先生に教えられた大勢の皆様に代わって、一冬でしたが
我が家を宿としていただいたご縁があります私がお別れの
言葉を申し上げます。
 去る6月、ご子息様にお逢いした時に体調を崩され入院
中と伺っておりましたが、このように早くお亡くなりにな
るとは考えてもみませんでした。
 いずれお元気になられ、来年のクラス会でお逢いできる
ものと思っていましたので残念でたまりません。
 こうしていても「やあ篭島君かね、よう来てくれたね、
皆さん元気かね、さああがって、あがって。」と声をかけ
て、出てきて下さるような気がいたします。
 先生が黒川中学校に赴任されたのは、昭和22年「新し
い教育制度」がスタートした年であったかと思います。
以来、夏は自転車で、冬は学校の近所に宿をとり、生徒の
自主性を重んじながら生徒と正面から向かい合い、目線を
合わせて授業に生徒指導にと傾注されていましたね。みん
なに慕われていた友達のような先生でした。
 本当に誠実で温厚な友達のように慕われていたそんな先
生に、誰がつけたのか「浜のじちゃ」の愛称がついて、
「じちゃ、じちゃ」と呼んでいたことは先生もご承知でし
たでしょうね。
 当時若かった先生に失礼な呼び方をしていたものだなあ
と思われてなりません。お許し下さい。
 ここで先生とのふれあいの一〜二を紹介させていただき
ます。
 私達が3年生の夏休みのことでした。男子のグループに
「鉢崎海岸で海水浴をやるので家に来なさい」との誘いで
した。みんな喜んで賛成です。生徒は全員歩き、先生は自
転車です。学校を出て柿崎まで来た所で、予定を変えて途
中、大清水観音に寄ることになりました。当時は険しい山
道を先生の自転車を押しながら悪戦苦闘して登ったことも
半世紀を過ぎた今でも、楽しかった思い出の一つとして残
っています。
 次は進路指導です。ようやく戦後の混乱も落ち着き、中
学を卒業して都会に働きに出た人も大勢いましたが、高校
進学の気運も高まってきた頃でした。
 先生は、全員合格を目指して自分の宿に生徒を寄せる特
別教育をしてくださいましたね。みんな楽しく通ったもの
でした。一方では都会へ行った生徒のことも大変心配され
たと云う、当時の苦労話を退職された後に教えていただき
ました。
 そのように気配りされておられた先生に、卒業後もご指
導いただいてきたことに深く感謝いたします。
 本当にお世話になりました。
 そんな先生にも、もうお逢いすることができません。し
かし私達は先生のお教えを大切にして残された人生を生き
ていきますので、先生も安らかにお眠り下さい。
 中山先生、誠にありがとうございました。
 重ねてお礼を申し上げて、お別れの言葉といたします。

    平成13年9月8日
    黒川中学校第5回卒業生 篭島 一夫 様
   (父 雅一 享年83歳 告別式の「弔詞」より)



   父雅一の告別式に寄せて


          
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