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のんちゃん 便り

131  2007年 10・11月

14歳になりました

10月、望は14歳の誕生日を迎えました。特に記念日などのお祝いのない我が家ですが、望の誕生日だけは特別です。でも、今年の望の誕生日は、夫は親の会の会議のため日帰りで東京に行き早朝から夜遅くまで留守、私は朝から夕方まで研修に行く予定が入っていました。望の誕生日なのにと心苦しく思いながら、仕事上行かなければならない研修でした。誕生日前夜に、家族で食事に出かけました。

誕生日当日は、望は朝からヘルパーと過ごしました。電車に乗ってショッピングセンターに行き、買物をしてお昼ご飯を食べたようです。午後には、例年の通り、ボランティアの方お二人がバースディケーキをもって来てくださり、望とヘルパーとボランティアの方々で誕生日祝いをしたようです。

夕方、小さな花束を買って帰宅すると、望は買ってきた弁当箱、水筒、そして、筆箱などの文房具類を満足そうにテーブルに並べていました。研修を一緒に受けた友人に「中学生だもの、誕生日は親と過ごすより、気の合う人と欲しいものを買って好きなものを食べるほうが楽しいんじゃない?」と笑われました。心が痛かった私ですが、帰宅して望の顔を見て友人の言葉を思い出し、ちょっとホッとしました。望と2人で夕食を食べながら、誕生日をお祝いしました。

誕生日は望のお祝いの日でもあり、私の感謝の日でもあります。生まれてきてくれた日に、14年間にありがとう!子どもが産まれた時、「ありがとう」という母親が多いそうですが、その想いをずっと持ち続けたいと思います。14歳が楽しい一年でありますように。

あたりまえに

10月25、26日と文化発表会がありました。望の通う中学校のメインイベントは、学年ごとにクラス対抗で行なわれる音楽コンクールです。2年生は課題曲の「風になりたい」の合唱と自由曲のリコーダー合奏で、望のクラスは「アメージング・グレース」。発表会が近づくと、帰りの会での練習も始まり、一週間前から早朝練習も始まりました。何かと早朝練習の好きな学年です。

帰りの会での練習が始まった頃、望の迎えの時に廊下で歌声を聞いていると、望の大きな声が聞こえてきました。望は高低の声が出せず、一定の高さで歌います。調子はずれな声を聞きながら、親としては、嬉しさと心配が入り混じった気持ちでした。望が一生懸命に歌っているのがかわいくて嬉しいのですが、友だちが「のんちゃんが歌ったら、コンクールでクラスが負けるから歌わんといて」と言い出したら、子ども達を納得させる言葉を私は持っているだろうかと考えていました。

ある日、迎えに行くと養護学級の先生が、担任の先生からの連絡が連絡帳に書かれていますと言われました。心配していたことが現実になったかとドキッとしました。帰宅して恐る恐る連絡帳を開きました。内容は「昨年のコンクールでは向井さんにピアノを弾いてもらいましたが、今年はみんなと一緒に歌ってリコーダーを吹くだけにしようと思いますが、よろしいですか?昨年は少しでも向井さんの参加を表現しようとピアノを弾いてもらいましたが、今年は大きな声で歌っているし皆と一緒でいいかと思います」というものでした。昨年は望がピアノを弾くことができると知った先生方が、合唱発表前のクラス紹介でバックミュージックとしてピアノを弾かせてくださったのです。連絡帳を読んで、「それだけ?」と少し拍子抜けしました。ところが、連絡帳に入れてあった学級通信を読んで胸が熱くなりました。通信には帰りの会での歌の練習のようすが書かれていました。

歌を聞きながら不覚にも「うるっ」としそうだったと始まった担任の文章には、「私は普段の音楽の授業での様子を知らないので一年ぶりに向井さんの歌を聞きました。横でMさんが、歌ってはいけないところをシーと指を立て、(望は)リズムをとって大きな声で歌っていました。「すごい!!」と思いつつ、私はみんなの様子をうかがっていました。みんながどう受けとめるのかなあ〜というのが本音のところでは心配だったわけです。みんなは平然としています。ソプラノは歌い続け、男子もアルトもちゃんとじっとしています。「あー、音がはずれようが、何だろうが、のんちゃんの精一杯頑張る姿をみんなはあたり前に認められるんだな」と思いました。私自身も、いちいち感動しないで、『それが当然』と受けとめられるようになりたいのですが、なかなか大人の世界のほうが悲しい状態で、いちいち感動しなくてはならない世界に私は生きています」とありました。望が歌うことを迷惑と思うのではなく、望がいてあたり前で、その上で優勝を目指して頑張る彼らの姿に、余計な心配や「子どもはステキだ」という感動をしてしまった大人の私もまた反省したのです。

発表会本番、教師が壇上に上がることなく、あたり前に子ども同士で協力しあい発表をしていました。自由曲は「イエスタディ」「ザ・サウンド・オブ・サイレンス」「木星」「カノン」と癒される曲ばかりが流れ、心安らぐひと時でした。望のクラスの発表順は最後でした。望はちゃんと自分のパートを歌っていて、大きな声で歌うところで望の大きな声が聞こえてきて、とてもいいハーモニーになっていました。リコーダーも一音しか出せませんが、リズム感はいいので、変な所で変な音が聞こえてくることもありませんでした。クラスメイトの指導()と望の頑張りの成果です。望のクラスは2年生の中で一番を取りました。障害児が積極的に参加をして優勝するなんて学校行事ならではと思いました。でも確かに望のクラスが一番上手だったと親ばかの私は思っていました。優勝クラスは、翌日、また全校の前で発表をしました。

「あたりまえ」ってなんでしょう。最近、望の周りでは小さなハプニングは日常茶飯事ありますが、大きなハプニングは起こっていません。担任が「何かが起これば、それをもとに話し合って学びあうことができるけれど、何も起こらないんですよねえ」と笑っておっしゃいました。文化発表会でもわかるように、今、望はあたり前の中学校生活の中に居ます。そこに居続け、それを認め合うことで、それがあたり前になっていく。「居場所が無い」のではなく、居場所は作りあっていくものだと、これまでの望の積み重ねてきた日々を振り返りながら思うこの頃です。

ひとこと

ある女子大の文化祭に行ってきました。子ども広場のゲームにも読み聞かせ喫茶にもあまり関心を示さなかった望が、初体験のお茶席では、落ち着いた年齢の方ばかりの中で、真剣な顔をして興味津々。深々と礼をして、苦い抹茶も我慢して飲み込み、満足そうな顔をしました。とても大人な望でした。

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