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のんちゃん 便り

133  2008年

残存能力?

お正月に発行して以来、休刊してしまいました。望は元気です。ご安心ください。望は、正月に父親とラグビー観戦に行っただけではもの足りず、なんと()ラグビーにチャレンジしました。といっても、ラガーが電動車椅子の望とやりあうのはちょっと厳しい。ラグビーチャレンジのイベントがあり、ある私立中学のラグビー部との交流も兼ねてのラグビーの真似のようなことだったのですが、望はとても楽しかったようです。今後も時々お誘いがあるそうで、またひとつ楽しみが増えました。

そして、楽しいことばかりでなく、学年末テストを乗り切って、「1、2、1、2」と行進のような通知表をもらい、春休みには志賀高原にスキーに行きました。先天性四肢障害児父母の会のスキーキャンプで、望は毎年会う友達と一緒にご飯を食べ、スキーを楽しみ、布団に入りました。尿の留置カテーテルをつけなければならないので、夜中にこっそり私の部屋に運びましたが、望を連れに行くと、友達と手をつないで爆睡していました。春休みが終わり、新年度が始まって、いよいよ受験生になりました。

私はというと、毎月のようにやってきた原稿締め切りと、NPO法人のイベントや年度末の報告書作成などに追われ、息もきれぎれに走っていました。リハビリテーションエンジニアリング、リハビリテーション研究という専門職の方々が読まれるような雑誌や、「特別支援教育」をテーマにしたものなど、産みの苦しみの状態で書かなければならない原稿が続きました。「勉強もリハビリも嫌いな望の親である私に、そんなテーマで書けというほうが間違っている」などとぼやきながら、でも、私に依頼があったということは、親として、医療や障害児教育の専門家ではない者として書くことを期待されてのことだろうと引き受けてしまいました。リハビリテーションについての原稿を書きながら、ふと思いました。どこの専門職が、望のような子どもが、スキーをしたり、サッカーをしたり、ヨットに乗ったり、ラグビーをしたり、ピアノを弾いたりすることを想像できるだろうかと。

近年、「残存能力」とか「潜在能力」という言葉をよく聞きますが、「残された能力」や「隠された能力」を誰がどのように判断するのでしょう?残存能力にとらわれて、子どもの可能性を狭めていることがあるのではないかと、私は思っています。例えば、望の職場体験(129号)や文化祭(131号)。能力的には自分ひとりで何もできないと思われる望が「普通の職場」に出ることなど考えられない人もいるでしょう。重度の障害をもつ子どもの行き先はディサービスか施設だと考えている人も多いかもしれません。また、手も指もない望がリコーダーを持つことなど、医療や障害児教育の専門家は考えつかないことでしょう。望が、中学校で友達と同じように職場体験をし、リコーダーを吹く。望や周りの子どもたちにとってはあたりまえのことです。教員にとっても生徒の一人への教育として、当然のことでした。望はリコーダーを吹く機会を得たために、リコーダーで「トゥトゥ」とリズムを取る面白さや、友達と一緒に合奏する楽しさを体験し、友達と一緒に頑張って練習をしてやり遂げた充実感を感じることができました。昨年の運動会のムカデ競争の時も同様です。子どもだけの作戦会議をし、早朝練習をし、頑張った仲間として、負けて悔しいという思いを共有しました。

 障害者にも「秘められた能力」があると言いながら、自らの価値観や判断でその「能力」を決め、本人の可能性を狭めている専門職たちが多いのではないかと感じています。それは、「できる」「できない」という「能力」にとらわれているからではないでしょうか。子どもの「障害」にとらわれて、ひとりの子どもとして向き合うことがないからではないでしょうか。できようができまいが、障害があろうがなかろうが、同じように一緒にやっていく、一緒にやっていくために専門性を発揮する、そういう生活の視点が必要だと考えています。

「能力」的には自分ひとりでできなくても、周りを巻き込んでいろんなことをやっていく、自己実現していくという視点。そして、なおかつ、私は「周りの力を借りて本人ができる」という見方だけではなく、混じりあって集団や社会ができあがっていくと思っています。文化発表会に向けて、確かに望は友達と練習を繰り返し、リズムや強弱を覚えました。でも、望のリコーダーは援助があっても楽譜どおりうまく吹けるわけでもないし、望自身が音程はハズレていても自分でやりたいという思いもあります。望がひとりでリコーダーを吹いても、雑音のように聞こえるでしょう。けれど、友達と一緒に合奏すれば、望の音は友達の音と共鳴しあってステキな音色になります。つまり、「できないままでも充分に良い」場合もあるのです。いろんな人が一緒にいて、受け容れあえばハーモニーになる、そういうことだと思います。「できる、できない」にとらわれず、全く同じにできなくても、雰囲気を感じる、体感するだけでもいいと思うのです。いろんな体験をして、人生を楽しみ、自分の道を見つけて欲しいと思っています。

読売新聞「育ちささえる」 4/1朝刊から

私は「将来、なりたいもの」を見つけられず、将来の夢を描くことができない子ども時代を過ごした。でも、「共働き」の家庭に育ったからか、結婚、出産後も仕事がしたいと漠然と思っていた。就職した情報処理関連の仕事は面白く、続けて行くつもりだった。

 しかし、長女が重度の障害をもって生まれ、11年間の会社員生活にピリオドを打った。辞める辛さと、娘が愛おしいという思いは別物だった。生活は一変し、育児に専念する毎日が始まった。受験戦争の中で育ち、成人後は生産性・効率性を追い求めて働き、築き上げてきた「できること・はやいことが良いこと」という価値観が、娘によって打ち砕かれた。

 出産後、社会福祉を学び、社会福祉士の資格を取った。本当に「やりたいこと」を見つけたのは30歳代後半。地域の中でさまざまな人と出会い、つながって地域福祉の活動をしてきた。

 2004年春、福祉や教育、医療の専門職である友人たちと、誰もがありのままを受け入れられて、一人の人間として尊重され、当たり前に暮らすことのできる地域にしたいと、NPO法人「地域生活サポートネットほうぷ」を設立した。

 娘に多くのことを気づかされてきた。かけがえのない「いのち」の温かさと重さ。人生の主人公は「わたし」であること。娘とともに自分が“育ち直し”をしている。支えられているのは親の方だ。娘との暮らしを楽しみながら、今日も草の根の活動をしている。  (向井裕子)

ラグビーやったよ〜!

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