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のんちゃん 便り

138  2008年 10月

最後の態変エキストラ?

9月25日から27日までの3日間、劇団態変のテント公演「すがた現す者」がありました。初夏にエキストラ出演のお誘いがあり、夏に稽古に行きました。今までは、言葉のわからない望に、ここをこう動いて、こう通ってなど、細かく指示をして理解させていました。今回は、舞台上手から出て、舞台中央から来た人たちと合流して前に行き、皆で歓声を上げて喜ぶというシーン。望に何も指示しないで、上手から出してもらうと、這って皆に合流し、歓声が始まると、手をバタバタさせ身体をのけぞらせ、寝返ってまた手をバタバタして、大きな声を出していました。何も言われなくても、周囲の人たちの動きを見ながら、自分の身体を動かし表現することができました。さすが、中学3年生。いえいえ、今回は、わかりやすい動きだっただけなのですが、それでも、観客に動じず舞台に立つのは、ベテラン(?)エキストラならではのこと。そして、周囲の動きに合わせて自分の表現ができたのは、小学校・中学校と多くの友達の中で、周囲を見ながら同じようにやってきたからだと思いました。

今回の公演は、出番が少なくて、望は稽古の時から不満なようでした。稽古中に、自分だけが見学しているのも嫌だったのでしょう。金満里さんに「あ〜あ〜」と、『もっと出たい〜』とアピールしていましたが、忙しい金さんに「なんやねん」と言われて聞き入れてもらえず、稽古後にスタッフを捉まえては「あ〜あ〜」と訴えていました。「『もっと出して』と言ってます」と通訳すると、皆さんが、「私に言われてもどうしようもないわ、金さんに言わな」と笑われました。次の稽古の時、スタッフから話を聞いた金さんに声をかけられました。日程にもっと余裕があれば、いろいろ試してみたいけど、今回は厳しくて無理だと言われました。エキストラの分際で「もっと出せ」という望の方がいい度胸なのです。自分の思い通りにはならなくて、出番が少ないのを我慢することも勉強です。その一瞬の出番で、自分の役割をちゃんと果たすこと、望にはまだ解らないかなあ・・・。でも、午前中に学校で期末テストを受け、午後からは舞台へ。疲れていてもしっかり演じていました。

初めて公演を観に来てくれた友人夫婦が、「のんちゃん、いつのまにか綺麗な娘になったなあ」と言ってくれました。一昨年の公演でも、担任の先生が「彫刻みたいだったよ!」とおっしゃっていましたが、髪を固め化粧をして舞台に立つ望は、本当に美しいと感じます。一昨年は色白だからだと思ったのですが、今回のお化粧は茶色っぽく汚した化粧でした。目も鼻も口も小さくて、決して整った顔立ちでもないのに、舞台の上から客席をキッと見る望の姿は、美しく存在感があるのです。しっかり親バカです()

望が初めて態変のエキストラをしたのが2000年の春。あれから8年以上の月日が流れました。望はこの8年余りの間に、エキストラとして4つの作品に出演し、15回近くの舞台に立ってきました。来春は義務教育が終了します。高校受験が終わったら、オーディションを受けませんかと態変から連絡がありました。「将来」の選択肢の一つに「女優」の道があってもいいかなと思いました。最終的にやりたいかどうかを決めるのは望です。オーディションを受けてみることにしました。もし、オーディションに受かっても、すぐに「女優」として舞台に上がれるとは思えません。でも、劇団員として参加していくことになります。エキストラとして舞台に上がるのは今回で終わり(?)かもしれません。

受かるかどうかわかりませんが、受からなくても、エキストラは続けようと思います。望が舞台に上がることを楽しんでいることは確かですから。ただ、私の方はそろそろステージママを引退しようと思っています。いろんな人と出会え、多くを学び、舞台裏の様子を知り、とても面白かったのでちょっと寂しいのですが。大人になっていく望は、自分で道を切り開いくのです。親ではない介助者と舞台に立つことをしていかなければならないと思います。次はどんな舞台が待っているでしょう。今度は裏方でなく観客として楽しみたいと思っています。

15才

10月14日、望は15才の誕生日を迎えました。せっかくの誕生日なのに、5時間の実力テスト。受験生ですから仕方ありません。お弁当に赤飯を入れました。下校時、友だちに、「のんちゃん、誕生日だよね。おばちゃん、朝からお赤飯炊いたの?」と声をかけられました。覚えていてくれて、ありがとう!

午後、例年通り、ボランティアの方2人が誕生ケーキと花束を持って来てくださいました。ボランティア3人で買ってくださったそうです。毎年覚えていてくださり感謝です。早速、ボランティアの方とケーキにろうそくを点けてお祝いをしました。夕方に私は日程変更のきかない短時間の打ち合わせが入っていました。ヘルパーさんが来て、今度は3人でケーキにろうそくを点けてお祝いをしました。心苦しい私の自分の都合と自己満足にすぎませんが、ひとりでも多くの人と一緒にお祝いをしてやりたいと思いました。

望が産まれた時、「あなたは私たち両親に望まれて生まれたのよ」と伝えたくて「望」と名づけました。その話をある座談会でしたら、聖路加国際病院の小児科の医師が「私は仏教徒ですが、職場柄、人は神に望まれて、地球に望まれて、生まれてくるんでしょうね」とおっしゃいました。「誰もが、望んで、望まれて、生まれてくる」。宗教をもたない私も望を産み育てながら、周りの子どもたちを見守りながら、そう感じてきました。すべての子どもたちを「よく生まれてきたね」「あなたはかけがえのない人なんだよ」と迎え入れる豊かな社会になって欲しいと願っています。

読売新聞「育ちささえる」/30朝刊から

子どもたちの成長の様子を、保護者らに見てもらう運動会や文化祭の季節がやってきました。

 思い出すのは、重度の障害をもつ娘(14)が通っていた保育所の生活発表会でのこと。友達と一緒に練習を繰り返して上手に踊れるようになった娘。保育士さんたちも私も、当日の発表を楽しみにしていました。ところが、本番当日は服の袖をかんだまま、踊ることができませんでした。

「いいところを見せてほしかったのに」と思うのは、大人の都合。娘は娘なりに、練習の日々も本番も、精一杯に頑張ったのです。

 たとえ、本番で子どもがうまくできなくても、その場から逃げ出したとしても、「よく頑張ったね」とほめてあげてください。

 「子どもの自尊感情を育てましょう。何かできた時はたくさんほめてあげましょう」という意見を耳にすることがあります。その度、私には疑問がわいてきます。失敗した時は? 頑張ってもできなかった時は?できないことがたくさんある子どもは?

「あなたはそのままでかけがえのない子どもなのよ」と伝えたいのです。ありのままの自分が愛されていると感じることが、子ども自身の生きるエネルギーになっていくのだと思います。


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