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のんちゃん 便り

第14号 1997年 3月 文:向井 裕子、WP:向井 宏

保育所入所が内定しました

望の保育所入所の内定通知が届きました。いろいろ不安もありますが、楽しみがまた一つ増えました。昨年の10月、望は3才になり、私達は望のこれからを考え始めたところでした。望は身体的なハンディが大きいためずっと作業療法や理学療法の訓練を続けていく必要があります。療育センターは、保育所と同じ厚生省の所管で、療育センターに措置されている望は、保育所に入所させ保育する措置を採られると二重措置となるので、現在の法律では、療育センターと保育所との両方に通所することはできません。しかし、幼稚園は文部省の所管ですから、療育センターと幼稚園との両方に並行して通園することができます。私達は、望が4才になったら、近くの幼稚園に入園させて、例えば1週間に療育センターに2日、幼稚園に3、4日通園するという形をとろうと思っていました。地域の子供達の中に入れて、訓練も続けるためにはそれしかないと思っていました。ただ幼稚園は、保育(教育)時間が3〜4時間程度で、回りの人や状況をまず観察してからゆっくりと自分の要求を出し始める望には時間が短く、また、保育所には「子供の生活」があるように思いました。けれど、他に道はないと思い込んでいたのです。

10月18日に家族で大阪おもちゃライブラリーの辻井正氏の講演を聞きました。講演の後で10分程辻井さんとお話することができました。望の今後について尋ねられた私達は、1年半後に幼稚園に入れたいと思うと答えました。辻井さんは、「どうして保育所じゃなくて幼稚園なの?」とおっしゃいました。その時、私は心の中で、「望の事をしっかり理解している訳じゃないのに、望にとって訓練は必要な事なのに、療育センターを卒園して保育所に入るなんて…。そんなに簡単に言わないで欲しいわ。」と思いました。でも、夫は、私の現在の介護の状態が私の体力の限界と考えてか、どちらかというと保育所入所に前向きでした。とりあえず、私達は「保育所は無理」ではなく、視点を変えて保育所入所の事を考えてみることにしました。その頃、私は睡眠不足が続いて、疲れからか喉のリンパ腺がはれ、今にも熱が出そうなのを必死でふんばっている状態でしたが、ついにダウンしてしまいました。布団の中で、さて保育所の事をどうしようかと考え続けました。一生介護の必要な望、誰かに助けてもらわなければ生きていくことのできない望を思うと、発達うんぬんよりもたくさんの子供達と共に育っていくことで、将来、社会の中で生きていく力をつけていくことが大切のように思われました。しかし、保育所の保母さん達はどのように望と接してくれるだろうか、保育所で「お客さん」になって、望は、ただただキョロキョロするばかりで毎日が過ぎていくようなことにならないだろうかと不安に思いました。療育センターの保母さんは、「なんでここまで」と思うほど、子供の側に立って、子供を理解しようと努力し、子供に一生懸命接して下さいます。良い人間関係もこの2年近くのうちに築いてきました。それに、望の訓練の事もどうなるのか心配です。また、保育所に預けることで、自分が楽をしようとしているのではないかと自問自答していました。体が回復していくにつれ、私は「迷っていてもしょうがない。保育所に見学に行ってみよう。何か心を決めるものがあるかもしれない。」と思いました。

11月11日、近くの公立の保育所の見学に行きました。保育所で田中所長と私が話をしている間、望は、ご機嫌の時に出る鼻歌のような「ンーンー」という小さな声を出しながら、園庭で遊んでいる子供達を一生懸命見ていました。所長さんは、保育所に入れようかどうしようか迷ったので見学に来ましたという私に、迷っている点は何かと尋ねられました。私は、先に書いた不安に思う事を本音で話しました。所長さんもはっきりと答えて下さいました。「正直言って望ちゃんを見て驚きました。望ちゃんの様な子は初めてです。でも、大阪の障害児保育は今に始まったことではないのですよ。長い歴史を持っています。保母達にもそれなりの意識があります。それから、望ちゃんを保育所に預けることでお母さんが休めるなら、それは入所の目的の一つになることで、望ちゃんに対して、お母さんがより良い状態で接することができると思います。」と。それから、「望ちゃんを来春入所させようと思われても、もし、もう一年延ばそうと思われたとしても、保育所の騒々しさにも慣れた方が良いですし、時々遊びに連れてきてあげて下さい。私は、子供が小さいうちの方が、望ちゃんの障害に目を奪われないで、望ちゃん自身を見てくれるのではと思います。」とおっしゃいました。私が渡した先天性四肢障害児父母の会のパンフレットを受け取りながら、勉強させてもらいますともおっしゃって下さいました。所長さんは、各部屋をゆっくり回り、しっかり時間をとって子供達の中に入りながら子供達の様子を見学させて下さいました。子供達が口々に「どうしてこの子、手がないの」と寄ってきました。お腹の中にいる時になくしたから生まれた時からないのだと説明し、「右手に触ってみる?」と言うとあちこちから手が伸びて、望の右手に触ります。望も嫌がらないで右手を出して握手しています。そこには子供の世界がありました。しばらく見学した後で、望と同い年の子供達が散歩から帰ってきました。皆が手を洗い始めると望も、「私も洗う!」と私に訴えました。皆と並んで手を洗わせながら、満足そうな望を見て、この子供の社会の中に望を入れてやりたいと思いました。訓練の事等まだ不安があるけれど、きっと何とか方法があるだろう。保育所入所に対しての不安が全くなくなったわけではないけれど、私はあの子供達に期待したいと思いました。

翌11月12日、療育センターでケースワーカーと担任の保母さんと話をしました。2年前、センターに入園した時に卒園の指針について説明がありました。検討項目の中に機能訓練の必要性というのがあります。それを聞いた時、そんなこと言ってたら望は一生卒園できないわ。まぁ参考までということで聞き流しておこうと思ったのを覚えています。望の卒園については、いろいろ意見されるかもしれないと思いながら、私は望と保育所に見学に行き、保育所に入れたいと思ったことを正直に話しました。ケースワーカーと保母さんは、私の思いを受け止めて下さいました。「明日、卒園児のケース会議がありますから、その結果を後日お知らせします。」とのことでした。ケース会議で他の先生達からいろいろと反対意見が出るかもしれないなぁと思いながら帰りました。自分の思い通りに移動することはできない、トイレットトレーニングもできていない、言葉もでない、でもそんなこと、望が自立していくのに「絶対に必要な事」ではないと思っています。望は望なりに自分の要求を伝えてくれますし、YES/NOの意思も表してくれます。受け手がちゃんと望と向かい合えばコミュニケーションはとれていきます。望にとって、望のこれからにとって必要な事や進路の選択は親が決める事なのだから、私は十分に自分の気持ちを伝えたのだからと心を強くしてケース会議の結果を待ちました。

センターの職員の方々は、私の思いを理解して下さったようです。そして、望の必要な訓練や環境(望には様々な補装具・補助具が必要です。)についてできるだけ支援して下さるとのことでした。保育所に通いながら、それなりの訓練面での支援をして頂けるなんて、本当に有り難いことでした。帰りの車で私はケースワーカーの話を思い出しながら、「望はやっぱり人に恵まれている。保育所といい、療育センターといい…。心配はいらない。望は、たとえ私がいなくてもきっと大丈夫。」と思い、目頭が熱くなりました。

11月18日には、旭区の福祉事務所に申し込み用紙をもらいに行き、保育担当の方とお話をしました。若い男性の方でしたが、望が地域で共に育つということに良い理解を示して下さいました。

短い期間ではありましたが、ずいぶんと悩み迷い決心して、多くのハードルを越えていかなければと思いながら踏み出した保育所入所でしたのに、逆にそれぞれの方面で励まされて話は進み、12月2日に入所申し込みを保育所に持って行きました。田中所長は、「さぁ、望ちゃん。申し込みが出たよ。」と望におっしゃいました。所長さんと少しお話をしました。その時、所長さんは「『のんちゃん便り』を読ませて頂きました。」とおっしゃいました。「エッ」と私は思いました。この通信を持って行こうかと迷いながら、もうしばらくしてからにしようとのばしのばしにしていました。この保育所には、望と遊んで下さっているボランティアさんのうちの3人が給食担当やパートの保母さんとして勤めていらっしゃいます。初めて保育所に見学に行ってから、ボランティアの方々は陰で応援しながら見守って下さっていました。パートの保母さんをしていらっしゃる津田さんが、所長さんに『のんちゃん便り』を渡されたということをこの時に知りました。皆が望を助けて下さる、これから先いろんなことがあるだろうけれど、望はきっと暖かな人に囲まれて幸せに生きて行けるとそんな予感がしました。そして、ようやく待ちに待った保育所の内定通知が届きました。

4月から望の新しい生活が始まります。訓練の方がどのような形でサポートして下さるかはまだ決まっていません。福祉先進国のように、訓練の出前があると良いのですが、まだ未熟な日本の社会では、それは望めそうにありません。療育センターの外来訓練を受けることになると思います。でも、望が特別な例ではなく、望のような重い障害を持った子供が、地域で育っていくために、それぞれの子供に合ったより良いサポートができるよう、療育センターのシステムも変っていくことができたなら、望の保育所入所も他の意味で大きな役割を果たすことになると思います。制度やら領域やら大きな壁はたくさんありますが、保育所の職員の方々、療育センターの職員の方々の本当に前向きなお気持ちを心より感謝しています。ありがとうございます。これからも宜しくお願い申し上げます。

ソリ滑り

2月22、23日に父母の会岡山支部主催の「スキー、ソリ滑りツアー」に望を連れて、大山蒜山に行ってきました。昨年も申し込んだのですが、望が気管支炎になって行くことができませんでした。22日は大阪も雪が降っていました。天候を心配しながら出発しましたが、午後2時過ぎに現地に着いた時には、吹雪もおさまり、30分少しのソリ遊びを楽しみました。夫と私が順番に望を抱っこして滑ったのですが、滑り終わるといやいやをします。滑り台大好きの望です。滑るのを嫌がっているようには見えないのでソリが止まるのがいやなのかなと思い、「もう1回する?」と尋ねたのですが「いやいや」。夫が「もしかして一人で滑りたいのかも」と言って、望を一人でソリに乗せると「フッ」と笑いました。それからが大変です。望のソリについて走り降り、ソリを引っ張って登るの繰り返しでした。望は、時々眠そうな目をしながらも、なかなかおしまいにしてくれませんでした。

夜は、大人は会合と称した宴会、子供は子供同士、わいわいと遊んでいました。望は、夕方の昼寝で復活し、子供達の中でキョロキョロして、時々大きな声を出しているのも聞こえました。

翌日は晴天に恵まれ、(でも、まぶしがりの望にはちょっと辛かったようです。今度サングラスを探してやろうと思いました。)午前中一杯ソリ遊びをしました。空を見て滑るより、少し身体を起こしてやろうとクッションをナイロン袋に入れ枕にし、ソリから落ちないようにベルトで身体をソリに付けました。(写真)望は大喜びで何回も「もう一回して」と要求します。「(スキーの)板を持ってきて抱っこして滑った方が良かったァ。」と私は悲鳴を上げ、「来年は、ソリに望が座れるように改良していい方法を考えよう。」と夫はため息。望にアゴでこき使われ、私達二人はヘトヘトになりました。しかし、望の喜ぶ様子に、来年も来ようと思いながら、帰路につきました。帰りの車で、望は満足そうな寝顔をしていました。

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