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のんちゃん 便り

第150号 2010年 6月

ジュネーブへ!(その1)

記念すべき()のんちゃん便り150号は、記念すべき()海外旅行報告になりました。旅行といっても観光で行ったのではありません。国連「子どもの権利条約」に関する第3回日本政府の報告と審査を傍聴し、ロビング(休憩時間に権利委員会の委員の方々にチラシを渡して、日本の障害児教育の現状を伝える活動)を行ってきました。

ことの起こりは、4月17日に大阪で開かれたインクルーシブ教育の勉強会でした。勉強会のおわりに、「5月下旬に第3回の子どもの権利委員会の日本の審査があるけど誰か行ってくれないかな〜。日本は、相変わらず分離教育を行っているために、辛い思いをしている子ども達がいることや、特別支援教育が始まって、逆に分離が進んでいる事態を伝えてきて欲しい。今回、勧告が出なければ、文部科学省は、特別支援教育はインクルーシブ教育だと国連が認めたと受取ることが危惧される」という話が出ました。

過去2回、日本は分離教育を続けていることに関して、「子どもの権利条約」に反していると国連から勧告を受けています。全ての子どもが地域の学校に行く権利が保障されていないから、障害をもつ子どもが、地域の学校から排除されたり、保護者の付き添いや待機を強要されたりする事態が起こっています。地域の学校に通う権利が保障されなければ、障害児とその保護者は学校を「選択」することさえできないのです。大阪の多くの小中学校では、多くの障害児が地域の学校でともに学びあっていますが、現在の日本の制度では、障害の程度により普通学校か特別支援学校かに振り分けられているため、本人や家族が普通学校を希望しても、支援学校に行くよう指導されます。障害児教育が、特殊教育から特別支援教育と名称が変わっても、分離教育は変わらず続いているのです。

しかし、日本政府の報告では、前回の勧告後に特殊教育から特別支援教育に制度を変えて努力をしていることが強調されるでしょうし、特別支援教育を始めて、特別支援学校の生徒が増え支援学校の増設が起こっていることは報告されないでしょうし、むしろ、障害児教育への予算増と表現されるかもしれません。「障がい者制度改革推進会議」において、文部科学省が回答したように、「学校選択においては保護者の意向を聞いて」などと、保護者の意見は聞いてもその意志には従っていないことや、決定をしているのは第三者の専門機関であることは報告されないかもしれません。つまり、報告の仕方によって、子どもの権利委員会の方々の判断が変わってしまいます。そこで、現状を伝えるためにロビー活動を行わなければということになったのです。

勉強会で国連行きの話が出たとき、友人のOさんが「ワタシ、行ってもいいよ」と言いました。次になぜか私が当てられてしまったので、「私がいなくても、望が高校に通えるなら、私も行ってもいいですが」と答えました。日本は、国連「子どもの権利条約」を批准したのも遅かったですが、国内法をほとんど整備しないままに批准をしたので、課題が多くあることをずっと感じてきました。障害児教育に限らず、この現状が何とかならないかと思ってきました。でも、私が待機しなければ望は高校に通えないという状況は相変わらず続き、簡単に変わりそうにありませんから、「まあ、私がジュネーブに行くのは無理だろう」と、タカをくくっての発言でした。その勉強会では結論が出ずに終わりました。ところが、勉強会後の懇親会で、「お母さん」でなくて、現在、親が待機をして学校に行っている「当事者」の望が行って訴えるほうが良いのでは、という話になってしまいました。とはいえ、飲み会の席での話。「冗談で終わって、誰かが行ってくれるだろう」、「ジュネーブに行くような体力もお金も時間もないよ〜」と思いながら、帰宅しました。

翌日は何事もなく過ぎ、その次の日の夕方、「ジュネーブに行きます!すぐにパスポートを取ってきてください」と、友人のOさんから連絡が入りました。勉強会で出会った大学の先生のIさん、そして、Oさん、望と私の4人でジュネーブに行くことが決まってしまったのです。「望の初の海外がジュネーブ? 私もヨーロッパは初めてで…、うっそ〜! 本当に行くの〜!」と慌てましたが、だてに障害児の母を十数年やっているわけじゃない、前向きに開き直るのは早いのだ、すぐに「了解!」と応えました。翌日、望と証明写真を取りに行き、パスポートを取りに行きました。

望は小さな頃から遠出をしていて、北は青森から南は大分・長崎まで行っています。羽田や青森まで飛行機に乗ったこともあります。でも、まだ海外は考えたこともなく、「初の海外は船で韓国くらいかな〜。いつかハワイとか行けたらいいな〜」と漠然と思っていたのでした。普通なら、ジュネーブか〜、いいな〜、となるところですが、重度の障害があるといろんな困難が待ち受けています。望が飛行機に乗るには、自力で座れないし、電動車椅子も簡単には乗せてくれませんから、いろいろと交渉が必要になります。でも、ジュネーブ行きまでに1ヶ月もなく、悩んでいる暇はありませんでした。「きっと何とかなる!制度を変えるためにも行かなければ!」と心配は後回しにしました。

パスポートを取り、飛行機やホテルの予約をした後に、いろんな難題が出てきました。飛行機会社との交渉は難航しました。でも、何としても「望が」「電動車椅子で」行かなければ意味が無いと思いました。とりあえず、飛行機に乗れることが決まったのは、出発の一週間前でした。「飛行機に乗れさえすれば何とかなる。導尿もどこででもできるし、着替えの服もどうにかなる。体調を大きく崩すことのなくなった望だけど、念のため抗生剤だけは持って行こう」と準備しました。いろんなことありの人生を面白がっていこうと思いながら暮らしているのですから、不安よりも楽しみの方が大きくなっていきました。

5月25日午後、成田空港へ飛行機で行き、夜に成田を飛び立ち、パリ経由でジュネーブへ。5日間の旅が始まりました。スイス時間で26日朝8時過ぎ、ジュネーブ空港に到着。鉄道を使って、ジュネーブ中央駅(コルナヴァン駅)へ。駅からは徒歩でホテルに向かいました。トラムにバスにトロリーバス、乗り物も道行く人も、信号や看板も、異国にやってきたことを感じさせ、夢のようです。昼食を食べにレマン湖のほとりへ行き、旧市内を少し散策しました。夕方に、翌日の審査会傍聴の打合せがありました。私たちは、子どもの権利条約NGOレポート連絡会議(以下、連絡会議と略)の方々と一緒に行動することになっていました。

5月27日、朝8時、ホテルを出発し、雨の中を審査会の行なわれるパレ・ウィルソンに向かいました。パレ・ウィルソンの前は、日弁連、日教組、つくる会、連絡会議など、さまざまな団体でいっぱいでした。傍聴者の人数制限があり、私たち4人全員は入ることはできず、午前中は、Iさん、望と私の3人が入場することになりました。入り口でパスポートを見せセキュリティチェックを受けて入場しました。審査会場は椅子の数が限られており、Iさんと望が審査会場に入り、私は隣接の控室に入りました。10時、審査会開始。日本政府の報告の後、審査が始まりました。内容は、日本語通訳でヘッドホンで聴くことができ、控え室にはスピーカーから日本語訳が流れました。

途中の15分休憩で、私も審査会場に入り、3人でロビングを行いました。委員さんにチラシを渡し、日本の分離教育の現状を伝えることができました。どの委員も熱心に話を聴いてくれました。「国民の声を聴きたい、実情を知りたい」という反応でした。望は、傍聴の時は静かにしていて、休憩になったとたんに、(車椅子の前に設置したチラシ台に)「チラシ置いて!」とIさんに訴えて、委員さんの方に向かいます。Iさんが説明をする間も、「コレ!コレ!見て見て!」とばかりに、チラシを右腕でポンポン指して、アピールをしていました。望の右腕が指している場所には、ちょうど「is NOT an inclusion」、(日本の特別支援教育は)インクルージョンではありません!と書かれていました。13時に午前中の審査が終わり、傍聴者入れ替えのため、一旦外に出ました。午後はIさん1人しか入れませんでした。夕方に、連絡会議の方々と振り返りがありました。午後の審査では、午前中に話を聞いてくれた委員さんが、教育についての質問をしてくださったそうです。日本政府は、保護者の意向を聞く努力をしているという回答だったようですが…。「努力している、研究している、検討する」、そんな言葉でその場しのぎをする政府に怒りと落胆を覚えました。でも、懲りずに繰り返して働きかけなければ、何も変わりません。

翌28日は、他団体の傍聴希望者が減ったので、連絡会議の全員が傍聴することができました。私たち4人も揃って傍聴し、ロビングを行うことができました。ジュネーブ在住のNGOスタッフの方が通訳を引き受けてくださり、しっかりアピールできました。2日間で、全ての委員さんに説明をすることができました。13時に審査会が終わり、パレ・ウイルソンの食堂で昼食を取った後、連絡会議の方々と最後の打合せをしました。その後、みんなで記念写真を撮り解散。私たち4人と、会場で出会ったEさんと5人で、国連本部を見学に行きました。その日最後の国連見学ツアーに滑り込み、案内をしてもらうことができました。国連の売店もレジを閉めているところで、バタバタと買い物をしました。

最終日は、4人で旧市内を散策し、夕方にバスでジュネーブ空港へ行き、再び、パリ経由で成田へ。みんな疲れて、ジュネーブを離陸する前に眠ってしまいました。パリでは乗り換えに時間がかかり、ギリギリで搭乗しました。18時、成田空港に到着。入国手続きをし、JRで移動して新幹線に乗り、ようやく、今日中に帰宅できるとホッとしました。無事に役目を果たすことができ、元気に帰国しました。勧告が出るのは6月中旬です。

カンパをいただいた皆さま、本当にありがとうございました。心からお礼申し上げます。

パレ・ウイルソン前 審査会でのロビング
(委員さんに説明をしている)
国連の会議場で

           

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