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のんちゃん 便り

第3号 1996年4月 文:向井 裕子、WP:向井 宏、絵:静代

春です

卒園・入園の季節です。療育センターに通園して1年がたちました。望は1年かかってようやく療育センターに慣れました。でも給食を先生と食べるのにはまだ慣れず、お母さんに食べさせてもらっています。給食後、お母さんの食事中に子供たちの中で遊ぶのは大好きなのですが、望の食事は1時間近くかかるので他の子供たちと遊ぶ時間は5分から10分位しかありません。私の方もそのわずかな時間に昼食をとるので他の母親達と話す機会がありませんでした。

療育センターでやっと話を交わすようになったお母さん達の何人かともこの春でお別れで、少し寂しく思っています。療育センター卒園後の進路は保育所、幼稚園、小学校、養護学校と様々です。お友達になったこうくん、やっちゃん、ひでくんは養護学校です。「学校を決めるとき迷った?」と彼らのお母さんに尋ねてみました。「小学校に行っても、ひでくんは楽しくないと思うから。」「小学校の先生は、こうくんのような障害のこと全然わかってないもの。」と皆さんあまり迷いはなかったようです。「望ちゃんはどこの養護学校へ行くの?」と聞かれ、返事に困りました。

「そうか小学校に行っても楽しくないのか。そうか障害のことわかっていない、子供をまかせるのが不安な先生が大勢いるのか。でも…。どの学校が良いとか悪いとかではなくて、私は、まだ6才位の子供を小学校、養護学校というように分けることに少し抵抗があるのです。(といっても、現在望は、保育所や幼稚園ではなく療育センターに通園しているのですが。いつかは幼稚園と療育センターに平行して通園できたらと考えています。)どの子も皆一緒に地域の学校へ行き、いろんな人のいる社会で学び合いながら育っていくべきだと思うのです。そして、望は他の子供たちと同じ尊い命と未来を持っている子供ですから、他の子供たちと分けることなく地域の子供の中に入れたいなと思っているのです。でもその反面、望の楽しさを一番優先させた場合、地域の学校を選べないのかもしれないとも思っているのです。

望が療育センターに入園する前に、児童相談所で親子3人で面接を受けました。その時、ケースワーカーに「お母さん、今は大変でしょうが、望ちゃんが養護学校へ行くようになれば少し楽になりますよね。」と言われました。帰り道、私達は「養護学校と決めてほしくないよね。」と話しました。望が産まれた時、医師に「脳波もCTも異常はなく、脳の方は大丈夫です。」と言われました。ミルクも飲む意欲があり、声もよく出ている。保育器も必要なかったことなどから、脳の方には異常がないと思われたようです。その頃、私は、私が車椅子を押してでも小学校に通わせようなどと漠然と思っていました。

しかし、今、身体的にも知的にもハンディを持つ望の進路を「小学校」とか「養護学校」とまだ決めたくはないという気持ちでいます。選択肢はちゃんと二つあって欲しいと私達は思っています。「小学校か養護学校か。」とても難しい問題で考えても考えても結論は出てきません。望がどのように成長するのか、行政や学校がどのように変わっていくのかわかりません。まだ先は長いし、ゆっくりと考えるとしましょうか。

ピンクのスプーン

昨年(1995年)の11月に新潟県燕市小池3663−7の青芳製作所(株)(0256-63-3442)から「Will・3」というハンドル部が形状記憶ポリマー樹脂のスプーン(全長16.5cm、皿幅2.7cm,重さ30g)をとりよせました。ピンクのかわいらしいスプーンが届きました。にぎり部にサブハンドルがついて二股になっています。この二股で望の腕をはさみ込み、スプーン皿の近くのハンドルを望が食べやすい角度に曲げてやれば一人でご飯を食べることができるかもしれないとワクワクしながら受け取りました。

しかし、望は11月下旬から気管支炎になったり、12月は吐き下しのかぜをひいたりで体調がおもわしくなく、そのピンクのスプーンはまっすぐの形のまま置いてありました。ちょうど療育センターで摂食指導が始まりました。スプーンを自分で使う前提となることは、スプーンへ自分の口を近づけ取りにいくこと、口に入れたスプーンから食物をパックンと取り込めること、スプーンで食べさせてもらう時に手も一緒に前へ出すことであると教わりました。それから二度目の給食で望はパックンとスプーンからご飯を取り込み食べ始めました。やがて、私の持つスプーンにタッチして食べ始めました。

年明け頃よりピンクのスプーンを熱湯につけ望に合うように変形させ、二股の先端にゴムを渡し輪状にして望の手にはめてみました。ご飯をスプーンにのせてやり、口へ持っていくとパクとくわえてジーとそのまま静止しています。そのとぼけた表情がかわいらしく、私は笑ってしまいました。こうやってパックンしてごらんと頭を手で導いてやるうちに、口からスプーンをぬくことができるようになりました。やがて何ものっていないスプーンを口へ持っていき食べようとするようになりましたが、ご飯をのせるとそのわずかな重さのためか口へ運ぶことができませんでした。望がスプーンを自分の口へ運び食物をパクッと食べることができるようになったのは、ボランティアさんに作り方を教えていただいた牛乳ゼリーがきっかけでした。軽くて柔らかくて甘い牛乳ゼリーを食べたくて、スプーンにゼリーをのせてやると口へ持っていって食べました。2月頃にはスプーンに食物をのせてやると自分で食べることができるようになりました。血も汗も涙も必要ありませんでした。だって、望は食いしん坊ですから。でもスプーンを口に入れる時、望の10センチ余りの右手は顔の近くまで上へ上げなければならず、食事の半分位になると見ている私の方が疲れ、スプーンをはずして私が食べさせてしまいました。

スプーンを使って食べるのも、お母さんに食べさせてもらうのも、食物を選ぶという条件は同じです。手を上まで上げなくていい分、食べさせてもらう方が楽です。望は、3月にはピンクのスプーンを差し出すと手を後ろへ引くことが多くなってきました。無理強いしたくはないので、その時には私が食べさせます。最初にピンクのスプーンを受け取った時のワクワクはどこへやら、なかなか思うようにはいかないものです。これから先は、スプーンの位置や角度等、療法士さんの腕の見せ所というところでしょうか。いつか自分の食べたいものを選んで、すくって口に持っていくことができるようになる日がくるかなあ。

ひとこと

3月は別れの月であるとともに出会いの月でした。上旬は旭区の久子ちゃんの絵本に出会い、お母さんからお手紙と、久子ちゃんの絵本や久子ちゃんの作ったクッキーとパンを頂きました。 23日には、前号に登場の天音ちゃんに会いに行きました。26日には、父母の会奈良のなおくんの訪問、28日には、やはり父母の会三重の沙織ちゃんに1年4ヶ月ぶりに会いに行きました。30日には望の出産時に望を看護して頂いた元NICUの看護婦さんの訪問がありました。

ボランティアには、勘原さん、津田さん、上野さん、小濱さん、菊永さんが来て下さいました。望は甘えが出てきました。私がいなければボランティアさんと楽しく遊んでいますが、姿が見えたり声が聞こえると甘えて泣き出してしまいます。ボランティアさんがうまくごまかして、また遊びに熱中させて下さいます。ありがとうございました。

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