見出しへ戻る

のんちゃん 便り

第44号 1999年 9月     文:向井 裕子

夏の終わり

夏といえば、花火。7月の天神祭りに始まり、8月のPL花火、水都祭の花火、その他2、3の地区で行われる打ち上げ花火を自宅で鑑賞できるのが、我が家の夏の贅沢です。望も成長するにつれて少しずつ打ち上げ花火を観ることができるようになってきました。夜空に花火が上がり始めると「あ〜夏だ」と思うのです。

我が家では、毎年夏に、先天性四肢障害児父母の会の全国大会に出掛けます。昨年は長野、その前は東京と、会の活動というより旅行気分です。でも、今年の開催地は大阪で、車で30分余りで行くことができましたから、旅行とは程遠い気分でした。望は、会場で次から次と「のぞみちゃん」と声をかけられ、その度にそれを拒絶しようと横を向いて白目をしていました。私は「愛想のない子ですみません」と謝りながらも、望の気持ちがちょっと解る気もしたのです。「いろんな人がなんか親しげに声をかけてくるけれど、よく知らない人ばっかり。じっと見つめられたり、話しかけられたりしても私困るのよね」というところでしょうか。近年、望は大勢の中に行くと警戒しているようです。周りを観察しているのですが、人が近寄ってくると横を向いて目をそらします。でも、初めての場所で初対面のボランティアさんに遊んでもらう時は、結構スムーズに『こんにちは』をして抱っこされるのです。遊んでくれる人とそうでない人を見分けているのでしょうか。また、周りの騒々しさが、成長してきた望の心を落ち着かない気持ちにさせるのかもしれません。望は、精神的に少し疲れたようでしたが、総会は無事に終わりました。望の保育所の保母さんや、以前に保育所でお世話になった保母さん方が大勢ボランティアで参加して子ども達と遊んで下さいました。望はとても幸せな子だと思いました。

総会から一週間後、望は、発熱・嘔吐・下痢でダウンしてしまいました。病院に連れて行くと脱水症状になりかかっていました。食欲はなくても水分は充分採っていたのですが、水のように透明の尿がたくさん出ていました。腎臓の機能が落ちて尿を濃縮することができなかったのかもしれません。発熱・嘔吐は1日で治まりましたが、下痢が一週間続きました。こんなに続いたのは初めのことです。お腹はぺちゃんこになり、体重も落ちました。この一週間は夫の夏休みとも重なっていたので、家族で近場に遊びに行こうと思っていたのがそれどころではなくなり、ただただ自宅で静養の一週間でした。

それから、我が家の夏につきものは、奈良大塔村へのキャンプです。これは、先天性四肢障害児父母の会奈良支部の行事なのですが、今年は、東京へ望のスタビライザーを作りに行く日と重なってしまい参加できませんでした。ネオンの街の空に上がる花火も良いけれど、暗い山中で満天の星を見上げるのが私の夏の楽しみでしたから、私にとっても本当に残念でした。

夏恒例の行事を楽しめないまま夏の終わりが近づきましたが、8月最後の日曜日は、シンクロで知り合った「サークルひまわり」という神戸方面で活動しているグループの方に、「コンサートにいらっしゃい」とお誘いを受けていました。神戸までJRに30分程乗って「ひまわりコンサート」に参加してきました。ピアノや合奏、みんなとても上手でした。大きなセラピードッグが怖かった望でしたが、演奏では手でリズムを取りうれしそうでした。『みんなで歌おう』『みんなで踊ろう』には、望も一緒に前に出て楽しんできました。

結局、スタビライザーの作成で東京に日帰りで行ったのと神戸にコンサートに行った以外は、ひたすら保育所のプールで遊んで終わった今年の望の夏でした。望の真っ黒な腕や肩を見て、「どこに行ってきたの」「どこのプール?」「どこの海?」なんて聞かれても、「保育所」と答えるしかありません。でも、『今年はたくさんプールに入れますように』と七夕の短冊に書いた願いがかなってうれしく思っています。望は、伏し浮きの状態で保母さんに身体を持ってもらい、6メートル程のプールの端から端まで顔をつけていきます。途中、顔を横に上げて息継ぎを一回。本人は泳いでいるつもりかもしれません。皆で、プールの中で大きな輪を作ってぐるぐる回り、中心に大きな渦を作って、その渦の流れに飛び込んで遊ぶ『せんたくき』という遊びも大好きです。31日はプール閉いでした。

家族行事では寂しい8月でしたが、望のがんばりをいっぱい誉めてやりたい夏でした。

望の学校選択3

前号で、学校での導尿の事を書いたら、医療的ケアに関するお便りを3通もいただきました。その中に養護学校の先生からの手紙があり、医療的ケアは「先生方の善意」などで行われているものではなく「各学校内での充分な討議」のもと「理論的なシステム」で行われているものというご指摘がありました。私の勉強不足で申し訳ございませんでした。ただ、養護学校では指導医師などを置き、学校全体の取り組みが必要かもしれませんが、まだ医療的ケアの必要な子どもの少ない学校では、学校内での討議や先生方の認識の統一などは必要だとは思いますが、在籍児童に合った対応から始めても良いのではと私は思います。例えば、修学旅行などに学校長からの相談を受けて行政が派遣を行っている看護指導員に、日々の学校生活の中でも役割の一端を担ってもらうとか、看護資格を持つ介助員を置くとか。でも、予算の問題がありますね。

大阪府では、医療の支援体制の整備に努めるということで、府下の市町村教育委員会に対し、適切な指導ができるよう要望していくとのことです(二分脊椎症協会府交渉にて)。但し、大阪市は、政令指定都市なので「府下の市教育委員会」ではありません。また、「大阪市障害者支援プラン」には、生徒の障害についての教職員の理解を深め、よりよい対応を進めるため、保健医療・福祉との連携を図ると書かれています。家族によってできる医療的な介護行為を行政が前向きに捉えてきているように思いますが、現実はなかなか難しいようです。学校と話し合いながら、良い方向を見つけたいと思います。

ひとこと

 8月21日に、東京にスタビライザーを作りに行ってきました。往復、新幹線の「のぞみ」を使い、今回は初めて障害者用の個室を予約しました。介助者と車椅子が入るとそれでいっぱいの小さなスペースでした。望は、家族3人だけの個室より一般座席の方が楽しかったかもしれませんが、個室で導尿をすることができ、望を抱きつづけなくても、時々、バギーに座らせることもでき、私達にとっては楽でした。駅員さんの対応も親切でした。

43号 見出しへ戻る 45号