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のんちゃん 便り

第5号 1996年6月 文:向井 裕子、WP:向井 宏

街を行けば

望の外出は、ベビーカーを押して歩くか、車に乗って出かけるかがほとんどですが、たまには電車やバスで移動することもあります。望の現在の体重は7kg弱。私にしがみついてくれない上、回りの人を気にしてそりかえる望を抱っこして外出すると、身体がもたないので、ベビーカーに乗せたまま電車やバスに乗ります。電車やバスの利用で困るのは階段の昇り降りです。ベビーカーごと望を抱きかかえ、よいしょよいしょと階段を上がり下がりします。(ちなみに、バスはいつも始発から終点まで乗りますが、この1年間で手伝ってくれた運転手さんは一人だけでした。一方、大阪市営地下鉄では、エレベーターの設置は増えてきてはいますが、改札〜地上のエレベータはほとんどありません。)車中での周囲の視線には慣れました。でも、眉間にしわをよせて望をジーと見ている人をジッと見返している自分に気付き、まだ未熟だなぁと感じることもありますし、義足なしで乗る勇気もありません。義足をじろじろ見られることは平気なのですが。やはり一番大変なのは階段です。いくら私がガッチリとした体格で力持ちとはいえ、そろそろ体力も落ちてきています。望を産んで、いかにこの街が住みづらいところかに気付きました。

将来、望は車椅子での移動となるでしょう。義足が使えれば、段差など少しは楽かもしれません。でも望には大腿骨さえありませんから無理だと思います。もし、万が一、がんばれば義足が使えるようになると言われたとしても、私達は義足を採用しないでしょう。それは、望の場合、義足のメリット以上の膨大な努力と苦痛を望に負わせることになると思うからです。1995年4月に東京都補装具研究所に行ってきました。その時、「良い補装具があったとしても望には知的な問題がありますから、使いこなせるかどうか…」と言った私に、土肥先生(所長)はおっしゃいました。「そうではないのですよ。補装具を使いこなすのではありませんよ。もし、補装具を使うことよりも、人に助けてもらった方が楽で良いのなら、それが良いのです。」目からウロコが落ちる思いでした。歩いたり、義手を使いこなしたりするということに対するこだわりが消えていきました。

五体満足の人の暮らしに近付こうと努力することではなく、望は望なりに良い方法で暮らしていけばいいのです。苦痛を伴いながら補装具を使うのではなく、望が求め必要とし、使うことが喜びにつながる補装具や補助具を考えていこう。自分で食事したければスプーンや食器を、おもちゃや物を動かしたければスイッチを、自分で移動したいと思えば電動車椅子をという様に。望が外出するために努力するのではなく、望が楽に外出できる街に変えていく努力を私達がすればよいのです。バリアフリーの街にすること。人々の障害者への偏見を無くし、社会の見方を変えていくこと。それは、すべての障害者が、いえ、すべての人々が自分自身の人生を楽しく生きていくことのできる社会につながると信じて。

おしゃぶり

望は、2歳7ヶ月です。ちょっと恥ずかしい話なのですが、望は、まだおしゃぶりが大好きなのです。眠い時、おしゃぶりを欲しがります。眠い眠いという状態で「アーアー」と訴えて、いつまでもおしゃぶりをもらえなければ「アーアー」の欲求はエスカレートして眠気はどこへやらです。おしゃぶりを持って行くと嬉しそうにし、口に入れてやると目を閉じ、それまでの興奮をあわてて静めるかのように、しばらくの間、せわしなくクチュクチュ口を動かし眠りに入ろうとします。そろそろおしゃぶりはやめなくてはねぇ。私達だってわかってはいるのです。療育センターでも、3歳までにはやめましょうねと言われています。でも、眠る時に欲しいだけなのです。望の精神安定剤になっているのです。なんだか、無理にとるのはかわいそうに思えます。

望がおしゃぶりを離せなくなったのは、1994年7月の人工肛門の手術入院の時です。それまでにも、指しゃぶりができないこともあって、時々おしゃぶりをすることはありましたが。7月7日、七夕に入院。七夕飾りを持って入院したのを覚えています。7月11日、手術室にて麻酔をして点滴の確保。手足のない望の点滴は、鎖骨の下(胸)からします。手足と違い、抜けると大変なので、点滴の管は胸に縫い止められ、その上をテープやガーゼで保護します。7月13日、午後手術。朝から絶水で水をもらえない望は、口が乾くのか「ンーマー」と言うのでおしゃぶりを与えると、口の回りに痕がつくほどくわえていました。翌14日の午前中にはもう、便が出て腸が動き始めました。でも腸をさわる手術なので、手術後、数日は絶食絶水が続きました。担当医に栄養も水分も充分点滴から入っていますと言われるものの、唇はかさかさで、切れて血がにじんでいました。口が寂しいのと上の歯がはえ始めたむずがゆさからか、おしゃぶりはずっと離せませんでした。こんなふうにして望とおしゃぶりは切っても切れない仲になってしまいました。1994年9月16日の鎖肛の手術と1995年2月6日の人工肛門を閉じる手術の時も、おしゃぶりは望の欲求不満解消と精神安定の援助をしてきました。1歳の頃は外出時にもおしゃぶりが離せませんでした。1歳半で療育センターの通園を始めた頃、ようやく昼間はおしゃぶりがなくても過ごせるようになりました。

今年5月になって、望はおしゃぶり無しで眠る日がありました。「これはおしゃぶりをやめるチャンスかも。断乳のようにきっぱりとやめる方がいいかもしれない。」と思った私は、望がおしゃぶりを欲しがっても、トントンと手で胸をたたいたりして寝かしつけようとしました。2晩そんな夜を過ごし、望はおしゃぶり無しで眠ったのですが、結果は…。望は熱を出し、私は睡眠不足でぐったりしてしまいました。望は、体調不良のため、おしゃぶり無しで眠っていただけなのかもしれません。元気を取り戻してくると又おしゃぶりを欲しがりました。「添い寝はいらないから、おしゃぶりちょうだい。」なのです。この頃は昼寝の時にはおしゃぶり無しで眠る日が多くなり、夜も時々無しで少し眠る日もあります。3歳まであと5ヶ月。おしゃぶりにバイバイできるでしょうか。

ひとこと

望はずいぶんおてんばになって、大きな滑り台がお気に入りです(写真)。夜中は眠ったままはいずり回り、布団から落ちたり、おしめがすっぽりはずれたりが度々あります。5月は、勘原さん、津田さん、菊永さん、小濱さん、上野さんがボランティアに来て下さいました。甘えが出てよくぐずり、一時は母を離しませんでした。でも、勘原さん、津田さんとの鶴見緑地公園への散歩は楽しかった様で、水も飲ませて頂いた様です。

今月になっても、望の咳は続いています。1ヶ月以上になるので少し心配です。

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