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のんちゃん 便り

第8号 1996年9月 文:向井 裕子、WP:向井 宏

3度目の夏

望は10月生まれです。つまり、秋に産まれ、寒い冬とさわやかな春を過ごし、夏は最後に来た季節だったのです。それまで何事もなく順調に日々を過ごしていたのに、気温の上昇とともに体温がどんどん上がりはじめ、度々40度を越えて病院へ走る事になってしまいました。41度になると私の心に恐怖が走り、いつも体温計とにらめっこでした。体温が上がっても食欲が落ちることはありませんでしたが、ボーッとしていたり、なにやらおしゃべりしていたのが「ンーンー」ばかりになりました。望の初めての夏は、通院と2度の手術で過ぎていきました。

手術入院の時も、夜は病室のクーラーが切れると聞いて、私はあわてふためき、小児科の医師に「いざとなったら保育器(温度が一定に保てるため)に入れてあげるから。」と言われたことを覚えています。家で過ごす日は、散歩は朝6時頃に出かけ、昼間はクーラーをかけ氷枕をして、ひたすら寝させるという状態でした。絵本を読んだり、手を動かすとおもちゃが動いたり鳴ったりするようにしてやって過ごしました。夏の終わりの夕方に、近くの鶴見緑地公園に弁当を持って親子3人で出かけ、花火をしたことくらいしか、その夏の楽しい思い出はありません。後は、手術室から出てきた望の顔や夜の病室といった、あまり楽しくないことばかりが思い出されます。

2度目の夏が来て、春から通園をはじめた療育センターも、ほとんど休むことになるだろうと思っていたのに、昨年の8月はお休みが1日だけで(療育センターの夏休みは2週間だけです.)夏休みには、キャンプにまで行きました。水遊びやプールにも挑戦して元気な夏を過ごしました。望の水着姿は、赤いチェックのシャーリングとフリルがプクッとした白い体によく似合って、本当に皆に見せびらかしたいほどかわいくて、長居身体障害者スポーツセンターのプールにも何度も行きました。望も少し体力がついてきて、私の方も、対処のこつが分かってきたというところでしょうか。外出時のベビーカーには、頭や背中にアイスノンを入れていました。でも、昼間ベビーカーで出かけると、望はボーッと放心状態になっていました。

そして、今年、3度目の夏。8月2、3日は、父母の会総会で愛知へ行きました。上旬は、母の通院につきそいました。11日の夕方はフラメンコを見に行き、大泣きでした。私もフラメンコを見せてと泣きそうでした。15日には、お父さんと二人で海遊館に行きました。おみやげのじんべいざめの風船は、今でも望のお友達です。16日は、枚方パークへ行きました。望は、メリーゴーランドやコーヒーカップにお父さんに抱っこされて乗り、満足そうでした(写真)。18日は、京都の動物園へ行きました。動物に近づくと恐がりましたが、動物を見終わって見つけた古いメリーゴーランドには、「アッアッ」と手差しで要求しました。24、25日は、奈良の大塔村にキャンプに行きました。父母の会奈良支部の方々のお誘いです。お友達と電車ごっこやゲームをしたり、花火を見たり、よく遊んでたくさんご飯を食べました。31日は、吉野川上流に釣りとバーベキューに行きました。これも父母の会大阪支部の圭君のご家族のお誘いです。望は、あまごを一匹ペロリとたいらげ、ここでもたくさん食べました。

O−157の影響で、プールが閉鎖され、楽しみにしていたスイミングはできませんでしたが、ベランダでビニールプールに入ったり、シャボン玉を見たり、お風呂場では、シャワーを頭からかぶる特訓(?)を受けました。お父さんともよく散歩をしました。あいかわらずベビーカーにアイスノンを敷いての外出で、遠出には必ず氷枕を持参しましたが、2年前には考えられなかった夏を過ごしました。

生まれて1年、2年と望はこの世の環境に少しずつ身体を慣らしているかのようです。来年の夏はどんなおてんばぶりを見せてくれるだろうと、私の恐かった夏は楽しみな夏になりました。

望の誕生 その2

夫が望に対面している間、私はベッドの上にいました。わが子のまわりでおこっていることなどまったく知らぬまま。夫が奈落の底で苦しんでいるなどとはつゆ知らず、意識なく眠っていました。

平成5年10月14日の朝、主治医に赤ちゃんの心音が時々落ちるから、今日手術をしましょうと言われ、夕方に局部麻酔で帝王切開をしました。枕元で麻酔科の医師が経過を説明してくれました。お腹をギュウギュウと押されている感覚があり、麻酔科の医師が赤ちゃんを取り出すと説明した時、私は子供の泣き声に耳をすましました。一瞬おいて、か弱い猫のような声が聞こえました。「子供の泣き声だ。無事に生まれたのだ。」と私は確信し、心が高ぶり涙があふれてきました。その時、麻酔科の医師の眠くなりますよの声がしたかと思うと意識がなくなっていきました。目が覚めると夜でした。個室に移されていました。呼吸が苦しく、吸っても吸っても空気が肺に入ってこないような苦しさが続きました。

翌日、面会に来た夫に「赤ちゃんどうだった?」と聞くと、夫は「かわいかったょ。」としか答えません。

「男?、女?」と聞くと「女の子」。男の子だと思っていた私には意外でした。きっと障害を持って生きていくであろう子供は強い男の子だと漠然と思っていました。かわいい子だとしか言わない夫に、私はこれ以上聞いてはならないと思いました。私達の親達も普通ではありませんでしたから、私は「子供のこと」に関しては誰にも何も聞かずにいました。でも、心の中では、「どんな子だろう。…きっとすごい障害に違いない。…きっと足はないだろう。前から超音波の検査で言われていたもの。…でも『足はなかった』ではなく、『かわいいよ』としか言えないということは、もっともっとすごい状態なんだ。…もしかしたら、人間ではなくて魚みたいな子だったのだろうか…。」とベッドの中で一人で考え続けていました。結局丸2日ベッドから起きることができず、3日経って立ち上がったものの貧血がひどく動ける状態ではありませんでした。帝王切開時の出血がかなり多かったとのことでした。早く動けるようになって子供の所に行かなければと私はひたすら考えていました。(つづく)

ひとこと

8月は、勘原さん、津田さん、末信さん、小濱さん、菊永さん、上野さんがボランティアに来て下さいました。望は楽しく遊べるようになってきたと思っていたのに、夏休みが終わると甘えが出てきてボランティアさんを困らせました。でも、散歩に連れて行ってもらうとごきげんになりました。

この夏、望と仲良く遊んでくれていたマンションの2軒隣のまさしくん(兄)とひとみちゃん(妹)のご家族が引越して行かれました。我が家とまさし君の家の間にエレベーターがあります。外出しようとしてベビーカーを押してエレベーターまで行くと、望はいやいやをして、私に「向こう」と手で、まさし君の家を指します。「まさし君やひとみちゃんと遊ぶの。」と言っているようです。望は、何も分かっていないと思っていたのですが、私が思っている以上に、いろんな事が分かっているのかもしれないと感じています。

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